ドルの自滅2004年11月26日 田中 宇以前から予測されていたドルの下落が、現実のものになり始めている。ブッシュ政権は2001年の就任直後から、財政支出の増加と、最裕福層に対する減税とを同時に行って故意に財政赤字を拡大させることで経済を活性化できると主張する「レーガノミックス」の政策を開始した。911後には、これに軍事費の急増も加わり、クリントン時代の8年間で黒字に転換したアメリカ財政は、ブッシュの4年間で財政赤字が危険水域とされるGDPの5%を超えるまでに悪化した。(関連記事) その一方で、アメリカ国民の消費意欲は衰えず、輸出が振るわない中で輸入が伸び続けた結果、経常赤字(貿易赤字)も増え続けている。今年1−9月の赤字額(年率換算値)は5920億ドルで、昨年の4960億ドルからさらに増加した。(関連記事) 財政赤字と経常赤字という「双子の赤字」は、かつてレーガン政権時代にアメリカ経済を悪化させた元凶で、レーガノミックスは大失敗だったと総括されているが「新レーガン主義」を自称するブッシュはレーガン時代の過ちを繰り返した結果、アメリカは再び双子の赤字を抱えるに至った。 11月17日、アメリカのジョン・スノー財務長官が「(当局の介入など)市場原理以外の作用で為替を動かそうとする努力は、歴史的にみてうまくいかないことが分かっている」と述べ、ドル安になっても市場介入はしない姿勢を表明した。これを受けてドル安が加速した。(関連記事) 11月19日には、FRB(アメリカの中央銀行)のグリーンスパン議長は「経常赤字が増えすぎると、ある時点で外国投資家が突然ドル建ての資産を買いたがらなくなり、ドルの急落や金利の急騰が起きる」という意味の発言を行った。これは市場関係者に「ドル安容認」のサインと受け取られ、ドル急落に拍車がかかった。その後、米当局がドル安傾向に歯止めをかけようとする努力がほとんど行わなかったため、ドル安傾向が定着した。(関連記事) 11月25日には、ドルがユーロに対し、これまでの史上最安値である1ユーロ=1・3178ドルを割り込み、最安値を更新して下落し、26日には円ドル相場は落ち着いているが、ユーロはドルに対して上がり続けている。(関連記事) ▼差し迫る経済ハルマゲドン 米大手投資銀行のモルガン・スタンレーのチーフ・エコノミストであるスティーブン・ローチは先週、機関投資家を集めた私的な会合の席上で「アメリカが経済的な大破綻(ハルマゲドン)を回避できる可能性は10%しかない」と語り、参加者を驚かせた。ローチは、アメリカの経常赤字がドルを下落させ続け、FRBは国債発行を消化するため金利を上昇させる結果、米経済の減速は間違いないという。アメリカが間もなく不況に陥る可能性が30%、しばらくは延命策で何とか乗り切るがいずれ破綻する可能性が60%、破綻しない可能性は10%と予測している。(関連記事) こうした大破綻の予想は、以前から散見されていた。UPI通信の経済担当主任記者だったイアン・キャンベルは昨年、何回か破綻を予測する記事を書いている。昨年12月の記事では「ブッシュ政権は米経済が崩壊し始めたときに政権に就き、崩壊を食い止めるために減税と戦争をやって経済を再活性化しようとしたが、2005年にブッシュがおそらく再選されるころには、もはや打つ手がなくなっているだろう」と書いている。 またアジア・タイムスのぺぺ・エスコバルは、昨年5月に書いたビルダーバーグ会議に関する記事の中で「欧州の有力なユダヤ系銀行家によると、西欧は大規模な金融破綻に瀕しており、それを回避するために中東など世界規模で戦争が行われているのだという」と書いた。 「世界システム論」の学者イマニュエル・ウォーラーステインは、以前の著書で「アメリカは1980年代から衰退期に入っており、レーガン以降の歴代政権は、アメリカを延命させるための政策をあれこれ打ってきた」といった意味のことを書いている。パパブッシュは湾岸戦争で、クリントンは経済グローバリゼーションで、今のブッシュはテロ戦争とイラク戦争で自国の延命を図ろうとした。しかし、延命策は尽きつつあるように見える。 「双子の赤字」を減らせないアメリカはいずれ破綻するという予測は、昨年末あたりから、あちこちの記事で見かけるようになっており、その「いずれ」がいつなのか、という時間の問題になっている感がある。 ▼どんどん増えるイラク戦費 ドル安を止めるためには、アメリカの財政赤字と経常赤字を減らすことが必要だ。しかし、財政赤字は減らすことがほとんど不可能だ。 その理由の一つは、イラクで必要な戦費がどんどん増えているためである。イラク侵攻直前の2003年初めには、米政府は毎月の戦費を22億ドルと概算していた。しかし、ゲリラ戦の泥沼が少しずつ明確になってきた同年7月には、国防総省は毎月39億ドルを使っていた。そして、イラク人を組織してイラク軍やイラク警察を作る米軍の試みが、敵前逃亡などによって何度も失敗し、完全にゲリラ戦の泥沼にはまっている現在は、毎月58億ドルが消費されている。(関連記事) 最近、米議会で審議された来年9月までの財政年度の支出予算案(3884億ドル)は、増加幅が前年比1%の伸びに抑えられるなど、財政緊縮の努力は行われている。だがその一方で11月18日には、財政赤字額の上限が8千億ドル引き上げられて8兆1800億ドルに改定されている。財政赤字(米国債)が法律で定められた上限まで発行されてしまい、もっと国債が発行できるよう法律改定しないと政府が日々のお金に困る事態になり、上限を引き上げざるを得なくなったためである。(関連記事) 財政赤字の上限は、2002年に4500億ドル、昨年にも9840億ドルと毎年引き上げられており、クリントン時代には黒字だった財政は、ブッシュ政権になってからものすごい勢いで金を使いまくり、急速に赤字体質に陥ったことが分かる。米政界では、1年以内に再び赤字上限の引き上げを行う必要があると予測されている。こんな状態なので、従来は想像もできなかった米国債のデフォルト(不履行)が、世界の投資家の懸念として立ち上がってきても不思議はない。(関連記事) ▼もう消費できないアメリカ もう一つの経常赤字の方は、ドル安が続いてアメリカ人が買う輸入品の価格が上がれば、消費が減退して輸入が減り、赤字の拡大は止まる。しかし、それは米国民の生活水準が落ちていくことを意味している。ドルはこれまで世界の基軸通貨(備蓄通貨)だったため、アメリカでは政府が財政赤字を増やしても強いドルを維持でき、アメリカの人々は世界から安く輸入された商品を買って豊かな生活を謳歌することができた。しかし、ドルが下落して基軸通貨でなくなると、そうした特権は失われる。 アメリカではすでに、最裕福層は減税でさらに豊かになる一方で、中産階級が貧困層に転落していく二極分化の傾向が拡大している。多くの企業は、従業員を入れ替えるたびに給料を下げている。給料の伸びは、インフレ率を下回り、多くの人が収入減となっている。各地の地方自治体も財政難で、学校の閉鎖や行政サービスの低下を引き起こしている。(関連記事) 消費ブームの結果、アメリカにおける個人消費の額は1995年以来毎年4%ずつ伸び続けており、これは世界の伸び(2・2%)の2倍である。ところがその一方で、人々は金を使い果たし、貯蓄率は先進国では最低水準の0・8%である(欧州やアジアは8%前後)。クレジットカードの債務不履行率も史上最高の4%になっている。アメリカではここ数年、政府も個人も金を借りて使いまくり、今になってそのつけが回ってきている。(関連記事) 今後は、企業年金の支払い停止の危機も指摘されている。アメリカの企業年金の破綻から救う役割を果たしている政府系の「年金給付保証公庫」によると、今後、団塊の世代(ベビー・ブーマー)が大挙して定年退職する時期が来ると、公庫として620億ドル必要になりそうだが、公庫には390億ドルしか資産がなく、差額分に入ってしまった人々は、年金を受け取れなくなるという。米議会とブッシュ政権は、この問題を解決する必要に迫られているが、政府自身が財政赤字で首が回らない中、人々の年金が救われる可能性は低い。(関連記事) ▼ドルを救おうとしない米当局 こうしてみていくと、ドル安はアメリカにとって危険なことであり、為替は何としても安定させる必要がありそうだが、実際のところ、米当局者は自らドル安を煽っている感がある。スノー財務長官は今回ドル下落が加速しそうなタイミングを狙って「市場介入はしない」という趣旨の発言を行い、ドル安を煽った。日本や欧州の当局者たちから「アメリカはドル安を容認しないでくれ」と頼まれると「アメリカはドル高を希望している」と発言したが、多くの市場関係者は、スノーの本心はドル高ではなくドル安だと考えている。 米当局がドル安を望むのは、ドルの価値が下がるとその分だけ実質的な赤字の規模を減らすことができるからであるとか、輸出産業振興のためであるとか、ドル安ユーロ高によってヨーロッパの輸出産業に打撃を与え、イラク侵攻以来の欧州の反米姿勢を制裁するものであるとかいう説明もある。ユーロ高を演出することで、ヨーロッパから中国に対して人民元切り上げの圧力をかけさせることが目的だ、という見方もある(人民元の相場はドルに対して固定されており、ドルが下がるほど中国の輸出力が上がる)。(関連記事) しかし、自国が海外からの借金を膨大に抱え、今後さらに海外から金を借りないとやっていけないときに、何が理由であれ、自国の通貨を意図的に下落させる米当局の行為は、価値が下がりそうな通貨に投資する人などいないことを考えると、どう見ても自殺的である。 ドルの下落傾向が長期的に続くと、1997年のアジア通貨危機以来、ドル建て資産の備蓄を増やし、自国通貨を支える外貨準備にしてきたアジア諸国が、制度の見直しを検討し、アジア通貨の持ち合いなど、ドル以外の備蓄方法に切り替える傾向が増す。実際、中国政府は今回のドル安を受けて、ドルを売ってアジア諸国の通貨を買う動きを強めたと報じられている。(関連記事) 現在、新規の米国債の大半はアジア諸国の政府が備蓄用に買っているものだが、アジア諸国が外貨備蓄のやり方を変えると、米国債の需要は急減し、ドル暴落と金利高に拍車がかかる。米当局はむしろ、全力を尽くしてドル安を防止しないとまずい状況にあるのだが、現実に行われていることは逆である。 ▼アメリカを陥れる「双子の自滅」 米当局は、財政赤字を故意に増やし、その結果起きたドルの下落を止めようとするどころか煽るという自滅行為を行っているが、同様に自滅的なのがイラク戦争である。アメリカはフセイン政権が大量破壊兵器を持っているというウソをついてイラクに侵攻する必要などなかったし、ましてやヨーロッパとの関係を悪化させてイラク侵攻を挙行したのは大愚策で、これは「失策」の域を超えている。イラク侵攻後も、イラク人をわざと怒らせ、反米のナショナリズムを煽る作戦が続けられている。(関連記事その1、その2) このように考えると「ドル下落」と「イラク戦争」という「双子の自滅」が、アメリカを危機に瀕する状態にさせていることが分かる。アメリカはこれまで「強いドル」と「強い米軍」を持つことによって、世界の中心である超大国の地位を維持し続け、その地位がドルの強さを維持し、ドルの強さが米軍の強さを維持するという循環的な状態にあった。ところが、ドルとイラクという双子の自滅は、この状態を破壊し、アメリカを世界の中心から追い落としてしまう。 「双子の自滅」が奇妙なのは、これらが「自滅」つまり故意に行われているように見える点である。イラク侵攻の開始前からすでに2年間、私は「アメリカの中枢には自国を自滅させたがっている勢力がある」と感じている。多くの人が「故意であるはずがない」「アメリカのエリートは愚かな過ちを繰り返す性格があるのだよ」「君の理論は面白いが、その点だけは賛同できない」と私に言い、私自身もこの2年間、自問自答を続けているが、日々アメリカが行っていることを仔細にウォッチしていると、双子の自滅はどう見ても故意の自滅であり、愚かな過ちの積み重ねの結果ではないと思う状態は変わっていない。 故意に「双子の自滅」が演出されているのだとすれば、その理由は何なのか。アメリカを潰して世界を「アメリカによる一極支配」から「多極型」に変質させることで、経済的なメリットを得ようとしている勢力がいるのでないかと拙著「非米同盟」(文春新書)のエピローグに書いた。それを塗り替える新しい仮説はまだ見つかっていない。
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