CIAの反乱2004年10月15日 田中 宇アメリカの諜報機関CIAの上層部に、11月の大統領選挙におけるブッシュの再選を阻止しようとする勢力がいるという。共和党びいき(ブッシュ支持)で知られるウォールストリート・ジャーナルが9月29日に掲載した記事「CIAの反乱」(The CIA's Insurgency)によると、CIA内部には911以来、ブッシュ政権が展開しているテロ戦争とイラク戦争に反対する勢力が存在しており、彼らは最近、ブッシュ政権のイメージを悪化させ、その分CIAのイメージをアップさせるように計算された匿名の情報をマスコミに漏らして記事を書かせる行為を繰り返している。(関連記事) たとえば、CIAは米軍のイラク侵攻の前からホワイトハウスに対して「イラクに侵攻したら米軍はゲリラ攻撃に苦戦させられるだろう」という警告を発し続けたが無視された、といった記事が、大統領選挙のディベート直前に出たりした。匿名のCIA職員が書いた暴露本も売れており、これもブッシュ政権の政策を潰そうとするCIAの戦略に沿ったものだという。 確かにこのところ、選挙前の微妙な時期であるにもかかわらず、ブッシュ政権がウソをついてイラクに侵攻したとか、実はフセインはそれほど悪いやつではなかったとかいう報道がいくつもなされ、そのたびにブッシュ政権の立場が悪化していくので、奇妙な感じがしていた。イギリスのテレグラフ紙も、CIAの古株たちが反ブッシュ的な動きをしているという記事を出している。(関連記事) タカ派のウォールストリート・ジャーナルは「CIAはけしからん」という論調だが、CIAのリークによって書かれた新聞記事の内容は、ほとんどの場合、ブッシュ政権の高官によって追認され、事実であることが確定している。CIAによる一連の暴露(情報公開)によって分かったことは、フセインはそれほどの悪者ではなく、実は英米の方がフセインを悪者に仕立て、無実のイラク人を経済制裁や戦争によって百万人以上も死に至らしめる大犯罪を犯していたということである(アメリカ主導の対イラク経済制裁によって百万人が死亡し、米軍侵攻後のイラク側の死者もかなりの数にのぼっている)。 先日CIAの「イラク調査団」が発表した報告書(デュエルファー報告書)によると、フセイン政権は湾岸戦争後、国連から求められるままに大量破壊兵器の開発を中止し、イラクには世界に危険を与えるような兵器は存在していなかった。にもかかわらず、米英のタカ派は「イラクが大量破壊兵器を開発して隠し続けている」と非難し「国連の査察団が兵器を見つけられないのはイラク側が上手に隠しているからで、そのような狡猾なフセイン政権は武力で倒すしかない」と主張して国連が対イラク制裁を解除することを許さず、911事件後には好戦的なムードの高まりを利用してイラク侵攻を挙行した。(関連記事) ▼フセインを悪者に仕立てた米英のプロパガンダ この間、米英はマスコミを使い、フセイン大統領に対していくつもの悪いイメージを世界的に定着させた。その一つに「フセイン政権はイラン・イラク戦争末期にクルド人を毒ガスで虐殺した」という見方がある。イラク北部のイラン国境近くのクルド人の町ハラブジャで1988年に生物化学兵器が使われたのは事実だが、当時はイランとイラクが交戦中で、アメリカ国防総省の諜報機関(DIA)はその後間もなくして「兵器を使ったのはイラクではなくイラン側である可能性が高い」とする報告書をまとめている(当時はイラクが親米、イランが反米だったので、このような報告書が作られた可能性はある)。(関連記事) 兵器はイラク側が発したものだとする別の調査結果もあり、どちらが正しいか結論は出ていないが、どちらにしてもイラン・イラク間の戦闘行為の一環として兵器が使われたのであって、ここ数年、世界の多くの人々が信じ込まされてきた「フセインはクルド人を虐殺するために生物化学兵器を使った」というのは事実誤認である可能性が高い。(関連記事) 湾岸戦争当時「イラク軍が油田を破壊して原油がペルシャ湾に流れ出し、水鳥が油まみれになった」という話があったが、あれは実はアメリカの広告代理店が米政府に頼まれて仕掛けたウソ報道作戦で、実は油田を破壊したのはアメリカの側だった。またイラク軍がクウェート占領中に病院に押し入って保育器内の乳幼児をたくさん殺したという「目撃証言」も米議会でなされたが、この証言も広告代理店が仕組んだ真っ赤なウソだった。こうした情報操作の戦略が湾岸戦争後も続けられ、国防総省の下請けで「レンドン・グループ」などの広告代理店が英米の新聞にフセインの「悪行」をリークして書かせた。その一つが「フセインは毒ガスでクルド人を虐殺した」というストーリーだった。(関連記事) イギリスのブレア首相は「フセイン政権がイラク市民を虐殺して埋めたイラク各地の集団墓地を掘り返したところ、合計で40万人分の遺体が見つかった」と述べていたが、実は遺体は5千人分しか見つかっていない。これも英米が展開した戦争プロパガンダ作戦の一つである。(関連記事) 「フセイン政権は500トンのサリンを持っている」「フセインはアフリカのニジェールから核兵器の材料となるウランを買おうとしていた」「イラク政府は、移動式の生物化学兵器実験室をトラックに積み、査察を逃れるためにイラク国内を走らせている」といった、開戦前に言われていたことは、すべて間違いだった。フセイン政権はサリンを持っておらず、ニジェール政府の公文書はニセモノで、トラックに積まれていたのは兵器実験室ではなく砂漠で気球を上げるために水素を発生させる装置だった。(関連記事) こうしたウソ発生作戦の中には、CIAがやったと指摘されているものも多い。ブッシュ政権を窮地に陥らせた暴露的なデュエルファー報告書を作成したCIAのチャールズ・デュエルファー自身、かつて国連査察団の一員だったときには、イラクが大量破壊兵器を持っていないことを証明できないようにするため、証明の条件を厳しく設定することをやっていた。(関連記事) CIAがイラクに関して態度を変えたのは911後、ネオコンが主導してイラク侵攻に向かう動きが始まってからだ。おそらくCIAは、フセイン政権を潰すこと自体には反対ではなかったが、その際のネオコンによる開戦事由をめぐるウソのつき方や、侵攻の遂行計画があまりに粗雑で、ネオコンのやり方ではうまくいかないと考え、侵攻計画に反対したのだと思われる。 ウソ発生作戦にはイギリスの諜報機関MI6も協力し、イギリスでは「ロッキンガム作戦」(Operation Rockingham)と呼ばれていたことが最近暴露されている。この作戦には、昨年イギリスでスキャンダルの渦中に謎の死を遂げたデビッド・ケリー博士も参加していた。(関連記事) ケリー博士はマスコミ各社の記者に対する「匿名の情報源」として振る舞い「イラクが大量破壊兵器を持っている」というストーリーを書かせることが仕事だったが、そもそもケリー博士はイラクが大量破壊兵器を持っていなかったことを知っていたらしく、それを英議会の調査委員会で暴露しようとしたため、何者かに殺された可能性が高い。すでにイギリスでは、ケリー博士の死が自殺ではなかったと考える専門家が多くなっている。(関連記事) ▼アメリカの戦力を低下させるCIAの解体 CIA内にブッシュの再選を阻止しようとする動きがあるのは、ブッシュが再選されたらCIAは分割され、権限を国防総省に奪われて無力化されるかもしれないからだ。以前の記事「イスラエル・スパイ事件の奇妙」などにも書いたが、ブッシュ政権内では、イラク侵攻を実現した国防総省やチェイニー副大統領のグループ(ネオコンとチェイニーら)が、CIAの反対を押し切ってイラク侵攻を実現させた後、戦後のイラク占領が失敗すると今度はその責任をCIAにかぶせ「CIAは911の防止にもイラク戦争にも失敗したのだから改革が必要だ」という論調を展開した。 彼らは議会上院と結託し、「改革」の名のもとにCIAを3分割した上、CIA長官をしのぐ権限を持つ諜報担当の閣僚をホワイトハウス内に新設することで、CIAを潰そうとしている。それを実現するための法案は、すでに上院を通過し、下院での審議が続いている。(関連記事) イラクが泥沼化した後、ホワイトハウス内でCIAが盛り返し、ネオコンと互角になってきた感がある。今年6月末に就任したイラク暫定政権の首相に、ネオコン系のアハマド・チャラビではなく、CIA系のイヤド・アラウィが任命されたことが、それを象徴している。だが、その一方でCIAが解体されそうな事態も起きているわけで、まだ戦いは決着していない。 CIAが解体された場合、アメリカの諜報機関の中心は国防総省に移る。「イラクは大量破壊兵器を開発している」という主張の根拠となった情報分析の発信元になったのが、911直後にネオコンが国防総省内に作った「特別計画局」(OSP)だったことを考えると、これはアメリカ自身にとって非常に危険なことだ。(関連記事) CIAは、OSPの主張に対して間違っていると警告を発したものの、ホワイトハウスにおける権力闘争に破れた。イラク侵攻が実現した後、CIAの主張の方が正しく、OSPは間違っていたことが確定した。今後、CIAが解体され、国防総省が諜報機関の中心となったら、再びOSPがやった誇張の手法が繰り返されることになる。アメリカの諜報能力は劇的に低下し、間違った諜報に基づく戦争がイランやシリアなどに拡大されかねない。昨今の戦争は、武器の力より諜報力が重要になっているだけに、CIAを潰すことは、長期的にはアメリカの戦力を低下させる。 ▼ネオコンは実行部隊にすぎない? 諜報の権限がCIAからネオコンに移ることはアメリカの国益に反していることは、アメリカの上層部の人ならすぐ分かる話である。「イラクが大量破壊兵器を持っている」という主張の根拠になった情報の多くがウソや誇張であることも、開戦前からイギリスのガーディアン紙や、アメリカのウェブサイト「レンズ」などが盛んに報じていた。今さら「暴露」される話ではない。開戦前には「陰謀論」扱いされていたのが、最近ようやく米政府も認めるようになった、というだけである。 にもかかわらず、アメリカの議会上院やホワイトハウスにはいまだに、CIAを潰し、イラクで失敗が明らかになった「先制攻撃」の戦略をイランやシリアに対しても行おうとしている。そもそも上院やホワイトハウスは、フセインが大した脅威ではないと知っていながらイラク侵攻を推進した。 現在の米議会上院は事実上、米国民の中でも特に裕福な大金持ち層の利権を代弁する組織になっている。彼らはホワイトハウスの高官人事にも影響力を持っており、アメリカを支配する人々である。イラク侵攻の計画者はネオコンだとされているが、むしろネオコンは議会上院に象徴されるアメリカの支配層から雇われた実行部隊ないし知恵袋だった可能性が大きい。 ネオコンがアメリカの支配層の認可を受けずにイラク戦争を起こしたのなら、ウォルフォウィッツやファイスなどはとっくに首を切られているはずだし、ブッシュは再選を許されたとしてもチェイニーは副大統領候補から外されていたはずだ。そうなっていないのは、上院議員たちがネオコンとチェイニーらによる破壊路線を承認し続けているからに違いない。アメリカを支配する最裕福層は、ネオコンがCIAを潰して泥沼の戦争を拡大することを支持し続けていることになる。 ▼背景に資本の論理? 世の中には「アメリカがフセイン政権を潰したのは、石油利権やイスラエルのためであり、イラクを泥沼化するのが目的ではなかった」という見方もある。しかし実のところ、おそらくイラク戦争の目的は石油利権でもイラスエル防衛でもない。 米政府が用意したイラク復興予算のうち、石油施設の復興のために17億ドルが準備されていたが、そのうちこれまで実際に使われたのは4700万ドルにすぎない。イラク侵攻の目的が石油利権の確保だったのなら、この予算をもっと使い、イラクからもっと多くの石油が輸出できるようにするはずだが、それはなされていない。米軍がその気になれば、ファルージャやナジャフの反米勢力と戦う代わりに、石油設備だけを重点的に守るという展開ができるはずだが、事態はそうなっていない。ブッシュ政権はイラクの石油利権を守ることより、反米勢力を挑発して戦うことを重視している。(関連記事) イラク侵攻はイスラエルのためだった、という説もよく見かける。私自身、以前はそう考えていた。だが、イラク戦争後、イスラエルはむしろ苦境に陥っており、最近ではイスラエルの前国会議長(Avraham Burg、労働党)が「シオニズム(イスラエル建国運動)は失敗しつつある」と主張している。イラク戦争はイスラエルにとってプラスになっておらず、イラク戦争がイスラエルのためだったとはいいがたい。(関連記事) かつて私は、ネオコンはイスラエルがアメリカに派遣してきた勢力であると思っていたが、最近では、むしろネオコンの方から、アメリカに見捨てられそうだった冷戦後のイスラエルにタカ派政策を売り込みに行ったのではないかと考えている。イスラエルのリクード右派はネオコンの誘いに乗って好戦的な政策を展開したが、その結果イスラエルは世界から嫌われるようになって失敗しつつある。 これらのことを踏まえ、改めてなぜアメリカの支配層がネオコンを支持し続けたりCIAを潰そうとしたりしているのかを改めて考えてみると、どうもアメリカの支配層は自国を破滅に導こうとしているのではないかと思えてくる。支配層の全体がそう考えているのではなく、支配層の一部が破滅作戦を企み、残りの人々はそれと知らずに「フセインを倒せ」「CIAを潰せ」と各論レベルで賛成してしまっているのかもしれない。 アメリカの支配層の中に、自国を破滅に導こうとしている人がいるとしたら、その理由として考えられることは、すでに彼らは投資の中心をアメリカ以外の国々、たとえば中国やロシア、インドなどに移しており、今後アメリカが没落してそれらの新規投資先が発展していくように仕掛けているのではないか、ということである。 前回の記事にも書いたが、アメリカの経済発展はもはや限界が見えている。そして、その一方でアメリカの中枢には、以前の記事「消えた単独覇権主義」で紹介したパウエル論文のように、中国やロシアを支援する動きがある。国家の理論として考えると「自滅戦略」などあり得ないことだが、資本の理論で考えれば、国家の枠を超えて儲かる仕掛けを次々に考えていくことは、むしろ当然である。かつてイギリスからアメリカに資本の中心が移動したときには、大英帝国を自滅に導いた二度の世界大戦が起きている。 ▼延々と続きそうなイラクのゲリラ戦 CIAが最近暴露したことで、もう一つ書いておかねばならないことは「フセイン大統領は、アメリカが攻めてきたらゲリラ戦術で対抗するつもりだった」という分析である。イラク軍は、開戦前の2002年8月から2003年1月にかけて、武器を基地から外部に搬出するよう指令を受けていた。バクダッド近郊のサルマン・パクという場所では、イラク軍の諜報部隊である「M14」という組織が、ゲリラ戦の訓練を行っていた。(関連記事その1、その2) 以前の記事「罠にはまったアメリカ」にも書いたが、米軍が侵攻して間もなく、イラク軍は戦わずに解散してしまっている。また元CIA要員として査察団に参加していたスコット・リッターは、以前からフセイン政権はゲリラ戦を準備していたと指摘していた。イラクの占領が泥沼化したのはフセイン政権のゲリラ戦略の結果であり、米軍はそのことに対して無頓着すぎたということになる。 イラクのゲリラ戦が事前に計画されていたのなら、米軍が陥っている泥沼の事態は、今後まだまだ続くだろうと予測される。米軍はいまだに、ゲリラ組織の指揮系統や、自爆テロを実行するイラク人がどのように勧誘、訓練されているか把握できていない。 とはいえ、アメリカの最上層部の人々が自国の没落を企図しているのなら、米軍がイラクで延々と消耗戦に引き込まれて軍事費を無駄遣いすることも、すでに彼らの作戦の中に入っているかもしれない。
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