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中国人民元がドルを抜く日

2004年10月12日   田中 宇

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 一時は下火になっていた中国の人民元切り上げに対する国際的な圧力が、再び強まっている。10月1日、米ワシントンDCで開かれたG7(先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議)に中国の蔵相(金人慶)と中央銀行総裁(周小川)が招かれ、その会合の場で中国側は、アメリカのジョン・スノー財務長官を初めとするG7各国の出席者たちから、世界経済の成長のためには人民元の為替制度を今すぐ自由化する必要がある、と求められた。(関連記事

 中国の人民元の為替相場は、現在1ドル=約8・3元の相場で固定されるよう、中国当局が操作(介入)している。経済成長が著しい中国には資金の流入量が多く、相場を操作せず為替を自由化して市場原理に任せたら、人民元の対ドル相場は今より30−40%上がるだろうと予測されている。中国政府が人民元相場を人為的に低く抑えているのは輸出振興のためだが、これは逆に、中国の都市部で増えつつある中産階級が割高の輸入品を買っている状況を生み出している。(関連記事

 人民元がドルに対して高くなれば、中国における輸入品の価格は下がり、欧米や日本からの輸入が増え、先進国にとってはありがたい。そのためG7諸国は、中国に対して為替の自由化を求めている。G7後の10月7日には、胡錦涛国家主席とブッシュ大統領が電話で為替問題などについて話し合っている。(関連記事

 中国は、世界から大国として認められることを国家目標にしており、G7に仲間入りすることは目標に一歩近づくことになる。アメリカなどG7の側は、このことを逆手にとって「人民元の相場を自由化したらG7に入れてやる」という交渉をしている。

 アメリカやG7は前回、昨年秋から今年初めにかけても中国に人民元の切り上げを求めたが、時期尚早ということで中国側からうまく逃げられている。今年2月にフロリダで開かれたG7の会合でも、人民元を切り上げさせるべきだという主張が出された。当時は中国の新聞が「3月に5%の切り上げが実施される」と報じて一時騒がれたが、その後「中国経済が過熱しておりバブル崩壊の危険性がある」ということの方が問題にされ始め、人民元切り上げの話は聞かなくなった。(関連記事

▼アメリカの代わりに中国を「世界の消費者」に

 それがここに来て再び人民元切り上げの話がG7から出てきたことの背景には、世界経済を消費面から牽引してきたアメリカ経済の消費力がもはや限界に達しつつある、という状況が存在している。

 世界経済はこれまで、中国が生産面で牽引役となり、アメリカが消費面で牽引役になる、という状況が続いてきた。アメリカはクリントン政権の時代に株式投資が大衆化し、株価が上昇を続ける中で中産階級が株式投資によって儲けた金で消費を拡大し、中国や日本など他のアジア諸国から輸入された商品を買い、アジア諸国も儲けた金をアメリカの株や債券に投資してアメリカの株高を支える、という構造ができあがった。

 ブッシュの時代になって、この構図にはかげりが見えだしたものの、911後にいったん低迷した株価は何とか持ち直し、911後は「テロ対策」の名目で政府が財政赤字を急拡大させて経済をテコ入れしたため、消費増が維持されている。(テロ対策に伴う予算増は、軍事産業や非常用設備などの公共投資だけでなく、一般の建設関連の公共事業などに対しても大盤振る舞いがおこなわれている)(関連記事

 最近では不動産市況が上昇し、不動産を売って儲けた人々の消費増も話題になっている。ところが、これらの短期的なプラス要因がある一方で、アメリカ人の平均的な貯蓄率(収入のうち貯蓄に回す分の比率)は1%未満にまで下がっている(数年前まで日本やEU並みの8%前後だった)。アメリカ経済は拡大しているものの、雇用の増加を伴っていないので、人々の給料は過去3年間で3%しか増えていないが、消費は9%も増えている。英エコノミスト誌によると、米国民の多くは「今後まだまだ株や住宅価格の高騰が続く」という非現実的な予測を持っており、そのため貯金もせずに消費をしている。

 だが、米経済の現実はかなり厳しい。財政赤字もこれ以上増やせない状態に近づいており、次期大統領候補はブッシュもケリーも「財政赤字を半減させる」と約束している。不動産バブルが崩壊するのではないかといった懸念も増しており、バブル崩壊が起きれば米国民の消費は一気に縮小する。ブッシュの減税は年収1億円以上の大金持ちをいっそう富ませている半面、中産階級の収入は縮小傾向にある。アメリカは、もうあまり消費増が望めない状態になっている。(関連記事

 アメリカが消費面で世界経済を牽引できなくても、中国がその肩代わりをしてくれれば、世界は何とか回っていく。中国では高度経済成長の結果、大都市で中産階級と呼べる集団が育っている。その人数は1億人を超え、増え続けている。この層に、世界から輸入品を買ってもらって消費面での牽引役になってもらえば良い。それには人民元を切り上げて中国人が輸入品を安く買えるようにすることが必要だ、というのがG7の考えである。(関連記事

▼覇権を求めない日本と、求める中国

 人民元を切り上げると輸入品は安くなるが輸出品が高くなるので、中国政府はまだ渋っているが、先進国に仲間入りすることが国家目標である以上、いずれ了承するだろう。最近ではアジア開発銀行やIMFが「中国経済は崩壊せず、成長を続けるだろう」とする予測を出しており、もはや中国政府は「経済不安があるので人民元を切り上げられない」とは言えなくなっている。(関連記事

 欧米が中国に世界経済を牽引させるため、輸入増加を狙って為替相場を上げさせるという構図は、日本が1985年にアメリカから圧力を受けてG5の場で円高を容認させられた「プラザ合意」のときと同じである。

 だが日本と中国では、国のあり方として大きく違う点がある。戦後の日本は一貫してアメリカの覇権の下に存在することを希求し、対米従属の状態からなるべく外に出ないようにしていた。冷戦中は、それが日本の安定につながっていた。だから、円高によって国際的に強くなった円を利用して、アジア諸国の中で「ドル圏」ではなく「円圏」を模索する動きが起きても、日本政府の側は誘いに乗らなかった。

 通貨を国際化することは覇権の拡大であり、アジアに「円圏」ができることは、日本が政治的にアジア諸国に影響を与えることを意味するが、それは覇権をアメリカに任せた戦後の日本の国是からすると回避すべきことだった。日本が戦前のように覇権の拡大を目指すと、アメリカの覇権を侵害することになるので危険だし、国内政治的にも、官僚が政治家や軍部(防衛庁)を抑えて実質的な権力を握ってきた戦後日本の権力構造を揺るがしかねない。従来の日本の官僚機構としては、円の国際化をしない方が得策だった。

 これに対して中国は、日本とは逆に、まさに覇権の拡大を国家目標としている。人民元が強くなったら、それを国際政治上の強さとして生かそうとするに違いない。中国との貿易においては、人民元での決済が要求されるようになるだろう。イギリスの通貨専門家であるアビナッシュ・パーサウド教授(Avinash Persaud)は「今後20年で、中国の経済規模はアメリカを抜き、ドルに代わって人民元が国際的な備蓄通貨(基軸通貨)になるだろう」と予測している。(関連記事その1その2

 歴史的に見ると中国は、1600年代までは欧州より一人当たりの経済生産が大きく、その後はしだいに衰退しつつも、1820年時点でも世界経済の30%を占めていた。その後、欧米が産業革命によって急発展するのと反比例して中国は縮小混乱し、中国共産党が政権をとった直後の1950年には世界経済に占める割合は5%以下になっていた。中国が弱い国だったのは、人類の長い歴史の中で、わずかにこの200年間のことにすぎない。(関連記事

 多くの日本人にとって、世界を認識するための「歴史」は黒船来航以降の150年間だけで、この間ずっと中国は弱い国だった。しかも日本人は60年前にアメリカに惨敗したため、アメリカが無限の強さを持っていると考える傾向が強い。近隣国の住人として「中国には巨大になってほしくない」という潜在的な願望もある。だから読者の中にも「中国がアメリカを抜くはずがない」と思う人が多いかもしれない。ところが欧米の知識界では、中国が今後再び勃興しそうだということが、半ば常識的な予測となっている。

▼アジア共通通貨の可能性

 とはいえ、中国はすぐに大国になるわけではない。今後、中国がときに後戻りしながらも少しずつ覇権を拡大していく途中の過程で採りそうな通貨戦略は、人民元そのものを国際通貨として使うのではなく、人民元のほか、日本円や韓国ウォン、タイバーツなど、貿易相手でもある他のアジア諸通貨を加重平均した「アジア通貨バスケット」をアジアの貿易決済用、債券発行用など「プロ向け」の共通通貨単位として使うようになるのではないか、ということである。

「アジア通貨バスケット」(ACB)は、すでに東南アジアと日中韓による「ASEAN+3」などアジア諸国間の会合で何回も検討され、昨年6月にはACB建ての債券を発行することが決まっている。だが日本などアジア諸国の中には、911以後のアメリカが「服従しない国は敵とみなす」という「単独覇権主義」になったと考え、アメリカを刺激しそうなアジア共通通貨の構想をタブー視する傾向が強く、その後話は進んでいない。だが今後、人民元が切り上げられたら、その後の中国は、アジア共通通貨の構想を積極的に推進するようになるだろう。(関連記事

 アジア共通通貨がユーロのように一般の人々の財布の中に入ってくるのは、実現したとしても遠い先だろうが、その前に、アジア諸国間の貿易決済にアジア共通通貨が使われるようになる可能性はある。特に、アメリカ経済の消費力が減退し、日本や韓国などが対米輸出より対中輸出を中心にせざるを得なくなったら、ドルに頼らない方が良い事態になる。

 貿易黒字が大きい国は、従来はドルで外貨準備を増やし、そのドルで米国債を買い、ブッシュ政権は戦費調達や財政赤字の穴埋めのために発行する米国債をアジア諸国に買ってもらっている。だが今後、アジア諸国間の決済がアジア共通通貨建てで行われるようになると、貿易黒字は米国債ではなく、アジア共通通貨建ての債券に変身するようになる。

 これは、借金体質がきつい今のアメリカにとって自殺行為である。だから「そんなことをアメリカが許すはずがない」という見方ができる。確かに、中国に人民元を切り上げさせ、為替を自由化させることに成功したら、その後の事態は自然にアジア共通通貨の強化へとつながっていきかねない。それなのに、アメリカのスノー財務長官は、昨年から何回も中国に人民元を自由化せよと圧力をかけている。中国市場に進出するために人民元を切り上げさせようと米政府にロビー活動しているアメリカ企業の意向に沿った動きなのかもしれないが、それはアメリカを危うくしている。

 911以後のアメリカは、泥沼化すると分かっていてイラクに侵攻したり、それまでアメリカの覇権維持に協力していた西欧諸国と不必要に仲違いしたり、いかがわしい911関係の「犯人扱い」によって石油を安く売ってくれていたサウジアラビアとの仲に亀裂を入れたり、故意に自滅したがっているように見える動きがいくつもある。中国に人民元の切り上げを要求し続けるのも、その動きの一つである。アメリカの上層部には、人知れず世界を多極化したがっている勢力(均衡戦略派)がいるのではないか、というのが以前からの私の推測だが、確たることは分からない。(関連記事

 確たることは分からないのだが、少なくとも可能性として言えることは、どうもアメリカの単独覇権状態は、もうあまり長くないかもしれないということである。ところが外務省などの日本の国際問題の専門家の人々と話すと「アメリカの単独覇権が今後かなり長く続く」と予測し、それ以外の可能性はないと考えている人がけっこういるので驚く。

 私自身の見方が全部正しいという確証はないが、今から10年後にアメリカが従来のような非常な強さを維持している可能性は低いと感じられる点は確かである。それだけに、日本は大きな判断ミスをしかけているのではないかと懸念する。徹頭徹尾アメリカに従っていき、他の選択肢を考えない国家方針は、アメリカが崩れたときに日本も一緒にこけてしまう事態を招く。



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