罠にはまったアメリカ

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罠にはまったアメリカ

2003年11月11日   田中 宇

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 今年4月はじめ、イラクに侵攻した米軍がバグダッドに入城し、フセイン政権が崩壊したとき、不思議に思ったことがある。それは、フセイン政権はほとんど抗戦せず、戦線を放棄して意図的に消滅する道を選んだように見えたことだった。

 フセイン政権は戦って負けて崩壊したのではない。バグダッドでは、郊外から市内へ進軍する米軍に対してイラク側の抵抗がほとんどなく、米軍が拍子抜けするほどだった。北部でも、米軍が来る前にイラク軍は拠点を放棄して解散した。私は当時書いた「消えたイラク政府」という記事で「イラク側の6つの主な師団のうち、まだ少なくとも3師団は戦わずに残っている」と書いた。(関連記事

 当時、米軍やマスコミは「残っている師団はフセイン大統領とともに、大統領の生誕地であるティクリット(ティクリート)に立てこもり、最後の戦いを試みるのではないか」と予測していたが、それは外れた。ティクリットでもほとんど戦いはなかった。イラクの軍人と役人、諜報関係者らは、組織を解体して一般市民の中に溶解したのだと考えられる。不可解なのは、なぜフセイン政権がそんなことをしたのかということだった。それは敗北の結果自然に起きたことなのか、それとも作戦だったのか分からなかった。

▼フセインの「即席爆弾」

 それから7カ月、米占領軍に対する攻撃が激化し、イラク情勢が泥沼化していく中で、私は4月に抱いた疑問を解くカギとなりそうな指摘を、毎日読んでいる英文記事の束の中に見つけた。それは、11月10日にアメリカの新聞「クリスチャンサイエンス・モニター」に載った記事で、筆者はスコット・リッターだった。彼は、以前アメリカの諜報機関に勤め、湾岸戦争後1998年まで続いた国連の対イラク査察団の主要メンバーだった。今回のイラク戦争に対しては非常に批判的で、反戦運動を展開している。(関連記事

(クリスチャンサイエンス・モニターを、宗教的に偏向している新聞だと思っている人もいるようだが、私が読んだ感じでは、それは違う。かつては信頼のおける中道左派系の新聞で、アメリカのリベラル知識人の中では同紙を高く評価する人が多かった。911以後、右派系プロパガンダを無批判にばらまく傾向はあるものの、それはアメリカの他のマスコミと全く同じで、特に宗教的に偏向しているとは感じられない)

 この記事によると、リッターら査察団は、イラクの諜報機関の拠点をいくつも査察していくうちに、フセイン政権が「即席爆弾」(improvised explosive devices、IED、即席爆発装置)を作る技術を諜報部員たちに習得させていることを知った。即席爆弾とは、特殊な軍用品の兵器材料が手に入らない場合に、民生品として手に入りやすい原材料だけを使って作る手製の時限爆弾、地雷、手榴弾などの総称で、ゲリラやテロリストが作ることが多い。(関連記事

 査察団が1996年に査察したバグダッド近郊の施設は、イラク政府の諜報機関の拠点だったが、そこには、即席爆弾を製造し、使いたい場所まで隠して持ち運び、秘密裏にセットして標的を破壊するまでの詳細なやり方を記した手引書のたぐいが束になって置かれていたという。また1997年にイラク諜報機関の訓練学校を査察した時には、諜報部員に即席爆弾の作り方やそれを使った作戦遂行の方法を教える教室が発見され、そこには爆弾をぬいぐるみや食品容器の中に隠すやり方を実践的に教える教材もあったという。

 査察団は国連での規定で、射程150キロ以上のミサイル、核兵器、生物化学兵器といった「大量破壊兵器」だけを調査の対象としていた。即席爆弾は兵器ではあったが大量破壊兵器ではなかったので、国際的な大問題として取り上げられることはなかったが、リッターらはイラクの諜報関係者が即席爆弾を作る技術を習得していることを米政府に報告したという。

▼逃げ場が豊富なフセイン政権

 イラクの諜報部員たちが即席爆弾を製造使用する技術を持っているということは、今のイラク情勢にとって重大な意味を持っている。イラクに駐留する米軍が受けている攻撃の多くは、即席爆弾を使って行われているからである。このことをふまえると、米軍や国連事務所などに対する攻撃は、イラクの元諜報部員たちの仕業である可能性が高くなり、フセイン政権の諜報機関がいまだに地下組織として存在し、そこが米軍に対するゲリラ戦として爆破攻撃を組織的に行っているのではないかという見方が強くなる。

 リッターは、イラクの諜報機関は、バグダッド市内やイラク国内のどこにどういうフセイン政権の支持者がいて、どこに反体制の人々がいるかよく知っていたから、フセイン政権が消滅した後も諜報機関が地下組織として生き残ることは難しくないと主張する。

 リッターによると、査察団はバグダッドでも比較的裕福なアルマンスール地区の諜報機関の拠点を査察したことがあるが、そこで見たのは、体育館のような広い部屋の床に描かれた近隣地区の巨大な地図だった。その地図上の一軒ごとの家屋やビルの場所には文書入れのケースが置かれ、5階建てのビルなら5個のケースが積み重ねられ、各ケースの中に各フロアに住んでいる各個人の経歴や素行を記載した調査票(戸籍)が束になって入れられていたという。

 イラク政府は、以前からこうした詳細な住民管理を行っていたため、政権を強く支持する人がどこに住んでいるか把握していたから、政権幹部や諜報部員をかくまってくれる場所を探したり、ゲリラ戦に協力してくれる市民を見つけるのは難しくないはずだ、とリッターは分析している。

 私が今年1月、戦前のイラクに行ったときには、バグダッドに駐在しているルーマニアの外交官が「イラク当局の住民監視は(秘密警察が強かったことで知られる)チャウシェスク時代のルーマニアよりもはるかに徹底している」と驚嘆していたという話を聞いた。

 イラクだけでなく、アラブ社会は全体的に地縁・血縁が非常に強い「部族社会」の傾向があり、コミュニティの指導者を通じた住民管理がやりやすい。東欧では、個人主義を重んじるヨーロッパ的な「市民社会」の傾向が中東よりも強いから、チャウシェスクよりフセインの秘密警察の方が強力だったというのは理解できる。

▼イラク戦争はまだ終わっていない

 こうした要因に加えて、イラクは1991年の湾岸戦争以来、アメリカから政権転覆作戦を何度も仕掛けられ、米軍が侵攻してくる可能性も常にあるという準戦時体制だった。そのため、諜報機関はフセイン政権の最重要機関となり、諜報機関さえ生き残っていれば、フセイン政権そのものも生き残っているという状態になっていた。

 実際に米軍が侵攻してくる何年も前に、政府が崩壊してゲリラ戦が必要になった場合に備えるかのように、諜報部員たちが即席爆弾の製造技術を学んでいた理由も、準戦時体制だったことを考えると説明がつく。フセイン政権は、米軍が攻めてきたら諜報機関が即席爆弾を作り、政権支持者を地下で組織してゲリラ戦をさせ、米軍に対抗しようと前々から考えていた可能性が大きい。

 そう考えると、米軍がバグダッド市内に入った4月上旬にフセイン政権が忽然と姿を消したことは不思議ではなくなる。それは、諜報機関を核にしたフセイン政権が、地下に潜って米軍と戦い続けることを決定し、実行したということだった、と考えられる。米軍の侵攻によって崩壊したのはフセイン政権の表の部分で、裏の部分はまだ生き残っている、ということだ。

 だとすれば、今回のイラク戦争はまだ終わっていない。3月20日開戦後の3週間は正規戦で、その後はフセイン政権が地下に潜って非正規戦(ゲリラ戦)に移行し、ずっと続いていることになる。

▼自爆テロリストは便利な道具?

「イラクで米軍や国連を攻撃しているのは誰なのか」ということに関しては、アメリカ政府は明確な説明をせず、ラムズフェルド国防長官はテレビインタビューで敵の正体は何かと尋ねられ、よく分からないという趣旨の答えをしている。アメリカの新聞では「アルカイダとフセイン政権の残党がゆるやかに結びついた勢力がやっている」とか「小さなゲリラ攻撃はフセインの残党が、大きな自爆テロはアルカイダがやっている」など、ばらばらな説明が試みられている。(関連記事

 リッターは前出の記事の中で「外国勢力(アルカイダ)がイラクにやってきて攻撃に参加しているとしても、それはフセインの地下勢力の管理下にあるのではないか。しかも、外国勢力はイラク側にとっては役に立つ道具にすぎないはずだ」と書いている。私にも、この視点は当たっていると思われる。

 フセイン政権は、外国人を道具に使う戦略を持っていた。開戦前、人権意識に駆られて外国からイラクに集まった「人間の盾」の人々に対し、西欧的な「人権」の概念を重視していないフセイン政権は、自由な行動を許さない一方で、米軍の侵攻を止めるための「盾」として便利に使おうとした。今年1月に私がイラクに行ったとき、仏教のお坊さんに同行したのだが、イラク側は「日本の仏教徒もイラクに味方している」と誇示するための道具として私たちを使い、普通はなかなかおりないビザをすぐ発給した。(関連記事

 同様に、フセイン政権の本質的な部分がイラクで生き残っている限り、彼らから即席爆弾を受け取って米軍を攻撃する原理主義者がいても、それはイラク人に代わって命をかけて自爆テロをやってくれる便利な道具にすぎない、と考えられる。フセイン政権は社会主義系の政権で、ライバルであるサウジアラビアが発祥のイスラム原理主義が掲げる宗教主体の考え方を嫌っていた。

▼米軍の疲弊を待ってゲリラ戦を激化

 リッターや私の見方が間違っていないとすると、ブッシュ政権はイラクの現状を見誤っている。敵が誰なのか認定できていない米軍には、さらなる泥沼化と敗北的な撤退しか道が残されていないことになる。

 そもそもリッターらの報告により、アメリカ政府はフセイン政権が1996年からゲリラ戦の準備をしていたことを知っていたはずである。また、息子のイラク侵攻に反対していたパパブッシュ元大統領は開戦前「サダムを逮捕または殺害しようとイラクに侵攻しても、多分サダムは捕まらず、イラクを占領統治せざるを得なくなったわれわれは、出口の見えない泥沼にはまるだろう」と警告を発していた。パパがここまで分かっていたのだから、米政府はフセイン政権の本質を十分知っていたと考えるのが自然だ。(関連記事

 つまり、米政府は「イラクに侵攻すると泥沼化する」と分かっていたのに侵攻したことになる。イラク開戦前、米上層部では、パパブッシュその他の中道派はイラク侵攻に反対していた一方、チェイニー、ラムズフェルド、ウォルフォウィッツらのタカ派とネオコンは「何が何でもイラク侵攻したい」という感じで「イラクは911実行犯とつながっている」「大量破壊兵器を持っている」「中東を武力で民主化するのだ」など、間違いを指摘されると次々と別の理由を持ち出す詭弁の力を使い、イラク侵攻の必要性をブッシュ大統領と米国内世論に訴え続け、侵攻を実現させた。

 故意と思える泥沼化戦略は、イラク侵攻後も続いている。フセイン政権が消滅した後、バグダッドの各役所のビルで略奪や放火が起きた。これは、統治に必要な情報をアメリカに渡さないようにするためのフセイン側の戦略だったと思われるが、米軍は放火略奪される役所の前を通っても知らんぷりだった。イラク統治を順調に進めるには、住民票、公務員の名簿、自動車登録などのデータベースが残っていることが必要だったが、これらのほとんどは破壊された。その結果、自爆テロで使われた自動車のナンバーや車体番号が分かっても、こうした情報が捜査の役に立たないという現状が生まれた。(関連記事

 また米当局は、頻発するテロに対する捜査の手伝いをさせるため、イラクの旧秘密警察(ムカバラト)の要員を雇用するようになった。フセイン政権にはいくつかの諜報機関があり、ムカバラトはその一つである。フセイン政権が地下化して残っている中では、ムカバラトも当然地下組織として残っているはずだから、その要員を雇用してテロ捜査をするというアメリカの戦略は、とんでもない大間違いである。(関連記事

 加えてイラク駐留米軍は、テロ退治の名を借りた無差別発砲や、検問所の所持品検査で市民の持ち金を強奪するなど、一般市民をわざと怒らせるような行為を続けている。イラク人が地下化したフセイン政権を支持するように仕向けるかのような動きを、米軍自体が行っている。(関連記事

 米軍による統治が始まって数カ月たつと、しだいにイラク側からのゲリラ攻撃は巧妙になった。まるで、駐留米軍が十分にイラク国民に嫌われ、米軍兵士がかなり疲弊し、米国内で厭戦気運が高まっていくのを待っていたかのように、米軍に対する攻撃が強化洗練されている。これも、フセイン政権が最初から考えていたゲリラ戦の戦法だったのかもしれない。イラク戦争は終わっていないどころか、アメリカ側がどんどん不利になっていると感じられる。

▼誰がアメリカを罠にはめたのか

 泥沼のゲリラ戦にはまることを知りながら、あらゆる反対や説得を押し切って、米軍をイラクに侵攻させたブッシュ政権のタカ派は、自国に対する重大な背信行為を行ったことになる。タカ派の中でも、戦争の泥沼化を予想できず「中東を民主化するのだ」と本当に思っていた単に無能な高官もいたかもしれない。だが、タカ派の全員がそう思っていたということは、あり得ない。

 中道派からの警告を「あいつらのいうことは聞かない方が良い」といって無力化し、無能な高官たちが泥沼化の危険に気づかぬよう、故意に背信行為を行っていた者がいたはずだ。そうでなければ、ブッシュ大統領が経験豊かな父親の警告を無視するという結果にはなりにくい。タカ派の中で最も詭弁を弄していたのは、ウォルフォウィッツ、パール、ボルトン、フェイスといったネオコンの人々であり、故意性が最も高そうなのは彼らである。ネオコンの多くはイスラエルとの結びつきが強いが、イスラエルはアメリカよりずっと熱心にアラブ人の特性が研究し、フセイン政権の動静についても良くウォッチしていた。

 政権中枢の動きの詳細が秘密になっている以上、誰がアメリカをイラクの罠にはめたのか、確定的なところは分からないが、同様に分析が難しいのが「なぜ自国を罠にはめる必要があったのか」ということである。この問いは、私の最近の記事の中でしばしば出てきており、なかなか解けないのだが、最近はイラク戦争とベトナム戦争の状況が似てきていることから、ベトナム戦争という故事から何かヒントが分かるのではないかと思い始めている。このことは、もう少し研究してから書きたい。



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