テロリスト裁判で見える戦争の裏側2003年10月28日 田中 宇911事件の「20人目のハイジャック実行犯」といわれたザカリアス・ムサウイが2001年12月に起訴されたとき、アメリカのマスコミや司法関係者の多くは、裁判は短期間で有罪判決に至り、ムサウイは死刑に処せられるのだろうと予測した。 ムサウイは911直前の2001年8月に逮捕されたが、逮捕に踏み切った現場のFBI担当官たちが捜査に積極的だったのに対し、中央のFBI本部は消極的で、そのことが911の発生後「FBI本部が現場に十分な捜査をさせていたら911は防げたのではないか」というマスコミからの批判につながった。アシュクロフト司法長官は「ムサウイは911の謀略の中心人物であり、事件直前に逮捕されていなかったらハイジャックの実行犯グループに加わるはずだった」と述べた。裁判が始まったら、ムサウイの犯罪性が次々と明らかになると皆が信じていた。(関連記事) ところが現実は、そんな予測を大きく裏切った。起訴から2年近くたった現在も、ムサウイの裁判は本格的な審理に入っていない。原因はムサウイが申請し、裁判官が認可した証人尋問を米当局(検察)側が拒否しているためで、事態は検察にとって不利な情勢になっている。裁判はムサウイを死刑に導くどころか、逆に窮地に追い込まれた当局(FBI)が「ムサウイは911事件の謀略に参加していない」と認める状態にまでなっており、ムサウイは無罪になる可能性が増している。(関連記事) ▼「次のテロ」に参加するはずだったムサウイ ザカリアス・ムサウイはモロッコ系のフランス人で、イギリスの大学院を終了した後、2001年春にアメリカに渡り、ミネソタ州のフライトスクールで飛行機の操縦を学び始めた。ムサウイはフライトスクールの教官に対し「ジャンボ機の操縦を学びたい。難しい離着陸の操縦技術は要らない。飛行中の操縦だけを学びたい」と要求した。ハイジャックのための技能を取得したいのではないかと不審に思った教官が地元のFBIに通報し、ムサウイはパスポートの不備を理由に2001年8月上旬に別件逮捕され、911当日を獄中で迎えた。 起訴されたムサウイは、本格的な審理に入る前の罪状認否の公判の法廷で、アメリカとイスラエルに対する憎しみを感情的に述べ、自分はアルカイダのメンバーで、オサマ・ビンラディンに対して忠誠を誓っていると語った。 そして、いったんは起訴状に書かれた6つの罪のうち、ハイジャックを企てたことなど4つの罪について認めた。だが、公選弁護人を「イスラム教徒でない。信頼できない」という理由で解任していたムサウイは罪を認めれば死刑にならずに済むと勘違いしていたようで、裁判官や検察側とのやり取りから、罪状を認めれば逆に死刑になる可能性が大きくなると分かると、一転して罪を否定した。 ムサウイは、2回にわたって開かれた罪状認否の法廷の最後の方で「私が(他のアルカイダのメンバーに)泊まる場所を用意してやったり、訓練を施したことがあるという、彼ら(検察側)の主張については、そのとおりだと認めることができます。しかし(911でハイジャックされた)飛行機に私が乗る予定だったということはありません」と述べた。つまりムサウイは、アルカイダとしてテロの準備に荷担したことはあるが、それは911事件のためのものではなかった、と主張した。(関連記事) ムサウイは、アルカイダが911以外にも大規模テロを計画していたことを明らかにし、自分はそちらに参加する予定だったと示唆した。だが、検察側はこのことを全く問題にせず「ムサウイは911に参加する予定だった」という主張だけを繰り返した。主張を無視されたムサウイは今年4月、この件を明確に述べた文書を裁判所に提出した。 それによると、ムサウイは2000年にマレーシアで開かれたアルカイダの秘密会議に参加し、その席上、飛行機をハイジャックしてホワイトハウスに突っ込むのが夢なのだと語った。ムサウイがあまりに赤裸々に語るので、会議の主催者は、ムサウイがテロ計画を外部の人間に口外するかもしれないという疑念を持ち、彼を911の実行メンバーに入れず、911の実行後に予定されている次のテロ計画の方に参加させようと考えたという。(関連記事) ムサウイが裁判所に提出した報告書は、そのような経緯を説明した上で、ムサウイ自身が911の計画から外されていたことは、マレーシアでの秘密会議に参加していたアルカイダやジャマ・イスラミヤ(インドネシアを中心とするイスラム主義組織)の幹部らに証言してもらえばはっきりする、と主張し、アルカイダ幹部ら数人の証人尋問を裁判所に請求した。 ムサウイの裁判は、彼が911のテロ計画に参加したことを罪状としており、ムサウイは自分が911には参加していないことを証明することで重罪を免れようとする法廷作戦を展開した。 ▼ムサウイの暴露を無視する米当局 ムサウイが911の次に計画されている大規模テロに参加する予定だったということは、フランス当局の調査からも明らかになっている。ムサウイはフランス生まれで、仏当局は彼が20歳代のときからテロ組織との関係を疑っており、監視を続けていた。 仏当局によると、次の大規模テロは当初、2002年初めに実行する計画で、アメリカでハイジャック機による911型の破壊テロを行うと同時に、欧州、中東、アジアのアメリカ大使館を爆破する、という構想だった。ムサウイはこの同時多発テロ計画の中で、アメリカで旅客機をハイジャックしてホワイトハウスなどに突っ込む実行犯になる予定だった。(関連記事) ムサウイが参加したという2000年のマレーシアのテロリスト秘密会議は、以前からあちこちで報じられており、この裁判で突然出てきた話ではない。それらの要素を総合すると、ムサウイが「次のテロの実行犯になる予定だった」と主張していることは法廷戦術としてのウソではなく、事実であると思われる。 私は、今回調べてみるまでムサウイがここまで赤裸々にテロリストとしての自分の行動や予定を明らかにしているとは思っていなかったので驚いたが、それ以上に驚きだったのは、ムサウイがこれだけ明らかにしているのに、アメリカの検察当局は、ムサウイを「次のテロ計画」との関係で追起訴せず、911との関係だけにこだわり続けていたことだった。アメリカを中心とする世界のマスコミも、ムサウイが次のテロ計画について明らかにしたということをほとんど報じなかった。 ムサウイは本来「次のテロ計画」を企てた罪で裁かれ、そのテロ計画の実態が裁判を通じて世界の人々に対して明らかになるのが望ましい展開だったと私には思われる。そうすれば、アメリカのテロ戦争に対して世界の人々が抱いている不信感を払拭することもできたはずだ。だが現実はそうならず、逆に当局は裁判を打ち切りにしようとしており、ムサウイが無罪になりそうな方向に進んでいる。 ムサウイは、自分が911に荷担していないことを証明するため、すでに逮捕されている数人のアルカイダ幹部を順番に法廷に呼んで証言させたい、と裁判所に求めた。検察側は「アルカイダ幹部たちを公開の法廷で証言させると、何を言い出すか分からず、テロ捜査に悪影響が出る」として反対した。裁判官は「ムサウイと他のアルカイダ幹部をテレビ電話でつないで証言させ、画像や音声を公開する前に途中で裁判官や検察がチェックし、問題がある発言はその場で非公開にすれば、ムサウイと他のアルカイダ幹部が自由に会話することも阻止できる」という打開案を出した。 ところが、検察側は「今後起訴されるテロリストたちがこの法廷戦略を真似しかねない」と主張し、この打開案にも反対したため、裁判官は「検察が裁判の進行を妨害している」と認定するとともに、ムサウイが証人申請した数人のアルカイダ幹部のうち2人の分を認めた。これに対して米当局は大慌てとなり「ムサウイに対する訴えが棄却されて無罪になったとしても、絶対にアルカイダ幹部の証人尋問は認められない」と主張し始めた。(関連記事) FBI内部からは「ムサウイが911に荷担していないというのは、実はずっと前から分かっていた」などという発言も出てきた。もう裁判なんかしなくて良い、ということである。「ムサウイはアルカイダの中でも小物だから有罪にならなくても良いのだ」という発言も出てきたが、マレーシアでのアルカイダの秘密会議に出席したと自ら明らかにしているムサウイについて、小物だから無視して良いというのはでたらめな話である。(関連記事) ▼死刑より重い「グアンタナモ行き」 アルカイダ幹部が公開の法廷で証言することを米当局が徹底して嫌がるのは、常識では理解しにくい。検察側は、アルカイダ幹部を法廷で証言させるのではなく、以前に捜査当局が幹部たちを聴取して作った調書なら提出しても良い、と提案した。しかし裁判官は「調書を提出できるのなら、制限つきで証言させても良いはずだ」と言って却下した。裏を返せば、この裁判官の判断は、調書は当局の意に沿って容疑者の発言のニュアンスなどが作り替えられている懸念がある、ということを表している。隠せば隠すほど、当局の方が怪しまれることになった。(関連記事) 米当局がアルカイダ幹部の法廷での証言を何とか阻止しようとするのは、実は当局がアルカイダを自由に泳がせているのが暴露されてしまうのを恐れているからかもしれない。911以来続いている「テロ戦争」は、テロ退治という名目で米当局が、米国内外の人々を裁判なしに逮捕拘留でき、米国内の民主的な手続きを無視でき、他国の主権を理由なく侵害できるという体制を生み出している。テロ戦争が続く限り、米当局にとって便利なこの体制が続けられることになる。テロ当事者に下手に証言されると、せっかくの便利な体制が壊されかねない。 司法省のアシュクロフト長官は、ムサウイが無罪になったら、即刻再逮捕して次は非公開の軍事法廷で裁くかもしれないと述べた。911事件の容疑者としてアメリカで裁判にかけられたのはムサウイだけである。19人のハイジャック実行犯は死亡しているし、他の容疑者たちは拘留されたものの、裁判になっていない。彼らは、キューバにあるグアンタナモ米軍基地に作られたテロ戦争用の特別収容所や、米国内の米軍基地などに、秘密裏にしかも無期限に拘留され続けている。 裁判官が無罪を言い渡しても、それでムサウイが釈放されて米当局に都合の悪いことを自由に言えるようになるわけではない。むしろ逆に、外部の目に触れないまま無期限に拘留されるグアンタナモ収容所のような場所に入れられるだけだ。テロ当事者に下手に証言されるより、さっさと裁判を終わらせてムサウイをグアンタナモに永遠に閉じこめてしまった方が良い、と米当局が考えたとしても不思議ではない。(関連記事) 米国民が911で味わった恐怖を忘れ、政府の民主主義破壊行為に文句を言うようになったら、ひそかにムサウイをグアンタナモから米本土に戻し、改めて旅客機ハイジャックしてもらって「次のテロ」を起こさせることもできる。ムサウイを死刑にしたら次のテロが起こらずテロ戦争が終わってしまう。これは、米当局にとって望ましいことではない。推論を進めていくと、そんな風にも考えられる。(関連記事) ▼米政府はなぜ民主主義を破壊するか 911をめぐっては、事件当日の防空体制があまりにお粗末だった(故意に防空をしなかったように思われる)という疑念もある。19人のハイジャック犯のうち15人を占めるサウジアラビア人について、米当局はどこの誰かということも確定していないという問題もある。(米当局はサウジ当局の非協力が原因だとしているが、イラク戦争以来、サウジ側はアメリカに対してかなり従順になっており、この主張は納得できない)(関連記事) 今年9月初めには、最近までイギリス政府の大臣をしていた英労働党の幹部が「アメリカの首脳たちは、アメリカの世界支配を強化するために911事件の発生を容認した」と主張する論文を発表している。(関連記事) これらのことを合わせて考察すると、もはや「911は米当局の自作自演だった部分がある」と考えることは、根拠のない「陰謀論」ではなく、むしろ「政府の間違った行為を防ぐための、国民として健全な疑念」となっていることが感じられる。いまだにこうした考え方を陰謀論扱いする人々がアメリカにも日本にも多いだろうが、そういった人々の多くは、米政府が発するプロパガンダを軽信する人々であると思われる。テロ戦争の本質をつかもうと調べる人々に対して陰謀論者のレッテルを貼るのは、米当局の戦略でもある。陰謀論だと切り捨てて思考を停止する前に、いろいろ調べてみることをお勧めする。日米のマスコミ内にも軽信が蔓延しているので、日本語で読めるものは少ないのであるが。 (「米政府がいくらおかしくなっても、日本はそれに従属するのが良いのだから、庶民に余計なことを知らせない方がいい」という考え方は、日本の上層部が考える国家戦略の選択肢としてあり得るかもしれないが、そのことと「米政府はおかしくない」と考えることとは別のことだ) 一方、米政府がテロ戦争を通じて民主主義を破壊し始めていることが確認されたとしても、米政府がなぜそんなことをしたいのか、という疑問が残っている。私たちは「人類にとって最も良い社会システムは民主主義体制である」と教えられてきたし、アメリカのエリート層のほとんども、それを信じていると思われる。それなのに、アメリカ政権中枢の人々は、世界の民主主義の模範を自負してきた自国の民主主義を自ら壊し続けている。 イラク戦争だけなら「政権内のネオコンがイスラエルのために独走した」という解説も可能だが、イラク統治が泥沼化してネオコン批判が強まっても、テロ戦争全体を続行するという米政府の方針は変わっておらず、これはネオコンと中道派との対立とは関係なく、米政府全体の方針になっていることだと感じられる。アメリカが自国の民主主義と世界の国家主権を破壊する行為は、今後も続けられることが予測される。アメリカは、なぜそんなことをするのか。 その理由として、今のところ私の頭の中にある仮説は3つある。一つは「軍産複合体」「金融大資本」「イスラエル=シオニスト」など米国内で権力を持つ一部の勢力が、自らの保身や利権拡大のためにやっているという考え方。アメリカの左派(良心派)には、この仮説を採る人が多い。 もう一つは「民主主義は、もはや国家を運営するための最良の手段ではない」という考え方がアメリカの上層部にあるという可能性。「民主主義は制限されるべきだ」という考え方は、米政府がベトナム反戦運動に手を焼いた1970年代以降「三極委員会」や「外交評議会」など米政権中枢と密接に結びついたシンクタンクから何回か提案されている。 三つ目の可能性は、アメリカ経済の凋落防止やドル本位制の維持といったアメリカの「国益」を守るため、テロ戦争のようなやり方が不可欠だったという考え方だ。アメリカが自国の没落につながりかねないテロ戦争を始めねばならなかった理由については、まだ私も納得のいく答えを得られていない。
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