米中関係と靖国問題2001年8月7日 田中 宇ブッシュ政権の誕生以来、アメリカの政権中枢で続いていた権力闘争に最近、決着がつきつつあるようだ。これまでは、チェイニー副大統領やラムスフェルド国防長官といった「右派」がブッシュ政権の外交政策などの決定権を握り、中国敵視政策や、地球温暖化に関する京都議定書を破棄に追い込もうとする動きなどを展開していた。 だが7月に入って、パウエル国務長官に代表される「中道派」が力を増し、政策の転換を進めている。一方、一時はブッシュ以上に影響力が大きく、マスコミから「影の大統領」とまで言われた副大統領のチェイニーに与えられる仕事は減り、政治献金してくれる人々のお相手などをさせられているという。 右派は軍事面を重視する外交戦略を好み、国際機関などアメリカ以外の支配力が国際政治の世界に登場することを嫌うのに対し、中道派は経済(米企業の儲け)を重視し、世界との関係を急に悪化させないで持続的な外交関係を持とうとする傾向がある。 ▼チェイニーは用済みか? チェイニーは、ブッシュ側近の中では、ワシントンの政界内情に詳しい数少ない人物のひとりで、テキサスから上京してきたばかりのころのブッシュにとっては非常に役立つ人材であった。だが就任から半年以上たち、すでにワシントンの様子も把握したブッシュにとっては、チェイニーはもう「用済み」になりつつある、という分析も見かけた。(The Economist 「The incredible shrinking VP」) なぜ米政権内で右派が力を失ったか、背景はまだ明らかになっていない。中国だけでなく、ヨーロッパやロシアとの関係も悪化し、京都議定書問題などを通じて日本との関係も悪くなりそうで、予想以上に右派の外交政策が世界から敵視されていることが分かったためかもしれない。 理由は不透明だが、アメリカの方針転換はいくつかの出来事から感じられる。たとえば、2008年のオリンピックが北京で開かれることが7月に決まるとき、アメリカでは、中国に対して強硬な姿勢をとることが多い連邦議会でさえ、北京開催に反対する動きをほとんど見せなかった。 東京五輪で日本が先進国の仲間入りし、ソウル五輪で韓国が先進国入りしたように、北京でオリンピックを開くことは、中国が他の先進国と肩を並べる時代がきたことを世界が了承するという意味がある。そのためアメリカが北京五輪の開催を容認したことは、中国敵視政策を引っ込めつつあるように感じさせる。 またアメリカは中国のWTO加盟についても、同様に容認している。またロシアに対してもミサイル防衛問題など軍事的な交渉を開始し、今年初めに「スパイ容疑」でワシントン在住のロシア外交官を大勢追放したころの険悪さはすでにない。 アメリカの中国敵視政策は、日本にも大きな影響を与えていた。以前の記事「アメリカのアジア支配と沖縄」 や「アメリカが描く第2冷戦」にも書いたが、アメリカが中国を挑発し、対峙する際、米軍基地を抱える沖縄を中心に、日本が「槍の穂先」のような使われ方をする態勢ができ始めていた。そのアメリカが対中政策を穏健化することは、日本にも影響を与えることになるだろう。 ▼中国の靖国批判は対米牽制? 日本について、アメリカの中国敵視政策との関連で気になることの一つは、小泉首相の靖国神社参拝や憲法改訂論議についてだ。 首相が靖国神社参拝が問題になったのは、1985年の終戦記念日に中曽根首相が「公式参拝」を行ったときからだが、これは中国政府の強い反発を受け、翌年以降、終戦記念日の参拝は行われなくなった。現職首相としてはその後、1996年には橋本首相が自分の誕生日に参拝しているが、これは「参拝したいが中国からの批判も避けたい」という意図からの観測気球的な意味があったようだ。 中曽根首相より前には、鈴木、福田、三木といった現職首相が終戦記念日に参拝しているが、そのときは中国政府は目立った批判をしていない。中国が85年の中曽根氏のときだけ強く非難した背景には、当時、アメリカのレーガン政権との間で日米の軍事関係が強化され、自衛隊を正規軍に近いかたちにして米軍とともに戦える軍隊にしようとする動きが始まっていたことが関係していたと思われる。 中国は表向き「日本が再び戦前の軍国主義に戻る」ことを批判しながら、実は中国が台湾を侵攻したり、東アジアを支配する国となったりすることを妨げているアメリカのアジア支配を阻む目的もあったに違いない。 中国共産党にとって、抗日戦争に勝ったことは、中国の人々から支持されるようになった原点であり、それだけに今でも中国の上層部は共産党に対する求心力を回復するための道具として「反日」を使うことが目立つ。靖国参拝に対する中国の批判は、そういった状況とも関係している。 軍隊というものはどこの国であれ、死に直面する兵士たちを支える精神的な支柱が必要だ。「愛国心」や「正義を守る」ために出陣するという意識である。そして日本の場合、自衛隊を正規軍に近づけるにあたり、靖国神社が支柱として強化される必要があったのではないか。過去の「侵略戦争」ではなく、今後行われるかもしれない「国際貢献のための派兵」で死んだ人も靖国神社にまつる体制を作ることで、靖国神社の持つ意味を一新しようということだ。 (とはいえ私としては、靖国神社が明治以後の日本の「近代化」を成し遂げるために必要な仕掛けの一つとして作られたことを考えると、日本の「近代化」がすでに完成している今後も同じ仕掛けが良いとは思えない。今後、近代化以降の日本人の精神を支えるための仕掛けが必要になるとしても、それを靖国神社の「バージョンアップ」で作ろうとすることには無理がある。靖国神社は国民の間でマイナスイメージが強くなりすぎていると感じられる。明治維新で作られた体制を維持発展させるより、新たな維新のようなものが必要だと思う。どういう維新が良いか私には提示できないのではあるが) ▼パールハーバーは瓶のふた 中曽根氏の参拝から16年たち、今また小泉首相が終戦日に靖国に参拝する意志を表明している。靖国参拝のほか、小泉首相が掲げているのは、日米の軍事関係を強化する中で自衛隊を正規軍に近づける政策、首相公選化と憲法改訂など、師と仰ぐ中曽根氏が掲げていた方針を踏襲する政策が多い。 そして奇しくもアメリカでも、レーガン大統領が強く固執した戦略防衛構想(SDI)の発展型であるミサイル防衛構想に固執するブッシュ大統領の政権が生まれ、日米関係を強化しようとしている。日米の政界で昨今起きていることは、ある種「歴史の繰り返し」である。16年前と今が違うのは、この間に経済の国際化が急速に進んだ結果、経済関係からみてアメリカが中国と手を切ることができなくなってしまっていることだ。だから、ホワイトハウスの主力が「軍事派(右派)」から「企業派(中道派)」に代わったのかもしれない。 こうした「歴史の繰り返し」の中で考えると、日本が親米・反中国の「槍の穂先」になるつもりなら、中国の非難を押し切って首相の靖国参拝が復活することは、日本にとって非常にリスクは大きいものの、アメリカには喜ばれることかもしれない。 しかもアメリカでは、日本にあまり勝手なことをさせいよう、裏の手も打っている。映画「パールハーバー」で日本の「過去の悪事」をアメリカ人(とその他世界の人々)に改めて知らせておくとか、昭和天皇には大きな戦争責任があったと主張する本「Hirohito and the Making of Modern Japan」(昭和天皇と近代日本の形成)にピューリッツァ賞を与えるといったことなどに、そうしたにおいを感じる。この本の著者のビックス氏は、最近さかんに小泉首相の靖国参拝を非難している。これらは、日本がアメリカに従わず独走し始めたときに「瓶のふた」として機能することになる。 アメリカでは、中道派に近いワシントンポストなどの新聞は、以前から小泉首相の靖国参拝表明を批判するトーンの社説を載せていたものの、右派に近いウォールストリート・ジャーナルなどはそのテーマには触れていなかった(私が気づいた範囲だけだが)。それが8月3日になって、ウォールストリート・ジャーナルも首相が靖国に参拝すべきではないとする社説「Raising the Dead」を出した。 このことと、ホワイトハウスの内情の変化との関係は不明確ではあるのだが、土壇場で首相が参拝を取りやめることになれば、日本の戦争責任問題を重く受け止める日本国内の世論が強くなったことに加え、アメリカ政府の戦略転換の影響もあるといえるかもしれない。
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