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台湾選挙の興奮(2)

2000年3月20日   田中 宇

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 この記事は「興奮高まる台湾選挙」の続編です。

 3月18日の投票日が近づくにつれ、台北市内を移動する際に乗るタクシー車内の会話は、ますます政治色を帯びてきた。

 17日午後に一人で乗ったときは、私が日本人だと分かると、運転手は「陳水扁イチバン」と言って、親指を突き出してみせた。「イチバン」という日本語はヒットチャート雑誌のタイトルになるなど、多くの台湾人が知っている日本語の一つだ。

 私が「2番は誰ですか」と片言の中国語で尋ねると、彼は「総統は一人だけだ。イチバンだけで十分だ」と言って、豪快に笑った。2番目に誰を支持しているか、言わずに済ませる弁舌だろうが、うまいことを言うものだ。

▼「旗を立てていない人は全部、連戦支持」

 投票日前夜の17日夜は、主要3候補者が各地で大集会を開いた。その夜に乗ったタクシーの運転手は、川上さんから支持候補を尋ねられた際、逆に「あなたは誰を支持していますか」と尋ね返し、自分が誰を支持しているか言いたがらなかった。川上さんが「私たちは日本人で、選挙権がありません」と答えると、ようやく運転手は「私は2番です」と言った。(川上さんは私を案内してくれた人)

 「2番」というのは国民党の連戦候補のこと。台湾の選挙では、候補者に番号がついていて、人々は、やや暗示的に話したいとき、番号で候補者を語る。(1番は宋楚瑜、陳水扁は5番。3番と4番は泡沫的な候補)

 最初は慎重に話していたこの運転手は、だんだんと饒舌に連戦支持と他候補批判を展開し始めた。路上には、陳水扁の旗を立てた自家用車やタクシーが走っていたが、彼は「旗を立てていない人は全部、連戦支持だよ。陳水扁の支持者は自己顕示欲が強い人が多いので、支持者が多いように見えるだけだ。連戦支持者はそんなことはしない。投票という行動で示すだけだ。明日(の投票後)になれば、はっきりするよ」と言い放った。

 タクシーを降りるとき、思わず熱く語ったことを悔いたのか、彼は「話しすぎてごめんなさい」と言った。典型的な陳水扁の支持者は多分、こんな風に言わない。最後まで「阿扁好」などと、顔を輝かせて語り続けるだろう。(「阿扁」は陳水扁の愛称)

 宋楚瑜の集会場に向かうときのタクシーでは、運転手に「宋楚瑜の集会に行くんだね」と言われ、「でも支持者ではありません」と、安西さんが答えたところ「あなた方が誰を支持しようと、私はかまいませんよ」と静かに切り返された。この人も多分、陳水扁の支持者ではないだろう。どのタイプの人も、同じ効力の一票だという点が、選挙分析の難しいところだ。(安西さんも私を案内してくれた人)

(私の台北市内の移動はタクシーが多いが、短い距離だと200円ぐらいしかかからない。台北では、たとえばレストランの食事は、少しおしゃれなところだと一品1000円などというのもあるので、台湾の物価全体が非常に安いわけではない。日本のタクシーが行政の規制ゆえに高すぎるということか)

▼「おしゃれ」と「義理人情」の戦い

 タクシー運転手にみるように、3候補の支持者のタイプは違っている。誇張を恐れずに支持者をタイプ分けすると、陳水扁は「庶民」、連戦は「動員」、宋楚瑜は「中産階級」だと感じられた。(宋楚瑜の支持者は農村にも多いから、「中産階級」は台北など大都市だけだが)

 陳水扁支持者の「庶民」性には、2つの意味がある。一つは陳水扁が属する民進党が、少数民族や低所得者層、女性など社会的弱者が平等に生きられる社会を目標にしていることだ。

 もう一つの点は、外省人と台湾人の気質の違いに基づく。外省人は自らをエリート的な存在として見る傾向が強い半面、台湾人を「田舎っぽい」と揶揄することが多い。台湾人は自らを「義理人情を忘れない良い人」と考える半面、外省人を「カッコよく振舞いたがるすました奴ら」と批判する。

 飲食店などのうち、流行の最先端をいく垢抜けたインテリアの店は外省人が経営していることが多く、雑然としているが家庭的な雰囲気の店は台湾人が経営していることが多いとも聞いた。

 これは、中国大陸の南部と北部の気質の違いに由来する部分もあるかもしれない。「おしゃれ」は上海など北部の気質、任侠的な「義理人情」は南部の気質と思われるからだ。(台湾人の歴史的故郷は南部の福建省)

 とはいえ、若い世代はどちらの人も流行の最先端が好きだし、そもそも台湾の日常生活では、外省人・台湾人という区別自体が消えつつあるのだが、政治の分野に限っては、そうではない。

 人口比では台湾人が外省人を圧倒しているため、陳水扁を擁立する民進党は、台湾人の庶民パワーやアイデンティティを強調することで、より多くの台湾人を取り込もうとしてきた。半面、宋楚瑜や連戦の陣営は、外省人・台湾人という区分をなるべく言わないようにしていた。

▼自由に投票できる喜びに湧く人々

 18日投票日の前夜の集会めぐりでは、最初に宋楚瑜のところに行った。台北市内の中心部にある野外体育場のスタジアムが超満員で、数万人から10万人は来ていると思われた。ぎゅう詰め状態で、スタジアムの中に入ることもむずかしく、将棋倒しになるかもしれないという恐怖を、生まれて初めて感じた。

 私はその前夜、台北郊外の板橋市で開かれた国民党の連戦候補の集会に行ったが、そこではおそろいのジャンパーを着た人々がチャーターされたバスからぞろぞろと降り、会場のスタジアムに向かう光景を見た。だが宋楚瑜の集会には、そのような「動員」の人々は目立たなかった。むしろ家族連れで夜店を見に来たという感じの人々が多いように感じられた。

 人々の多くは、顔を輝かせ、小さな宋楚瑜の旗をはためかせながら、誰かが「ゴーゴー宋楚瑜」などと叫ぶと、熱烈支持という感じで、さかんにそれに唱和していた。

 私には、多くの人々が心底喜びの表情をしているのが意外だった。宋楚瑜の支持者のうち、熱烈なのは人口の15%しかいない外省人だけであり、残りの支持者は「腐敗した国民党は嫌いだが、中国からの攻撃を誘発する台湾独立派の民進党も避けたい。だから宋楚瑜が良い」とか「台湾省長時代の宋楚瑜が、町内に橋や道路を作ってくれたから支持しよう」と考える、消極的な支持者だろうと思っていた。それなのに、外省人だけでなく台湾人も、こんなに心底の喜びを表明するのはなぜなのか。

 私なりの結論は、参加者の喜びは、自分たちが自由に投票でき、選挙を通じて政治改革を進めることができることに対するものではないか、ということだった。

 台湾は今回初めて、国民党の一党支配が終わる可能性を持った選挙を経験した。人々は、国民党の圧政時代に感じてきた重荷から解放されるという喜びを感じているようだった。その喜びを維持しつつ、中国が攻めてくるという懸念も抱かせない候補が、宋楚瑜なのであろう。

▼台湾史上最大の集会

 宋楚瑜の集会が熱狂的な理由を考えつつ会場を後にしたが、次に陳水扁の集会場に行ってみると、宋楚瑜の支持者が熱狂的だという感想は、あっという間に吹き飛んでしまった。

 宋楚瑜の集会場の外は、歩道に人があふれる程度だったが、陳水扁の集会は、大通りの車道が1キロ以上にわたって警察によって車両通行止めにされ、車道いっぱいに人々があふれ、熱狂していた。

 宋楚瑜の集会場がバスケットボール場だったのに対し、陳水扁の集会場はサッカー場だった。下のフィールドから上の客席まで、すべて人がぎっしりと埋まり、入るのも出るのも一苦労だ。50万人が集まったとされるが、私がこれまでに見た群衆のうち最大のもので、台湾の歴史上、最大の集会でもあった。

 翌日の選挙の結果は、陳水扁が勝ったのだが、次点となった宋楚瑜との差は、1300万近い投票総数の2%強、30万票しかなかった。これは台湾のマスコミの予測通りだったのだが、集会の人出の差がそのまま得票差にならないことを示していた。やはり宋楚瑜に投票した人の多くは、集会には来ない「サイレントマジョリティ」だったといえる。

▼参加者が帰っても終われない国民党の集会

 この夜は、ついでに国民党の集会も行ってみた。午後11時ごろだったが、すでに終わりかけている状態で、党がチャーターした帰りのバスに乗るために、会場の入り口近くには、長い列ができていた。集会は続行中で、候補者の連戦も壇上にいたが、すでに参加しているのは数千人程度だった。

 後で聞いたら、テレビは集会場の光景を映すのに、壇上からのアングルからしか放映せず、陳水扁の集会の光景は上空や横からも撮っていたのと対照的だったという。参加者が少なすぎて、上や横から撮れなかったのであろう。(台湾ではケーブル以外の地上波テレビ3局は、いずれも国民党系)

 それでも国民党が集会を早めに切り上げなかったのは、陳水扁の集会がなかなか終わりにならず、競争上、自分たちも終わりにできなかったからだ。

 陳水扁は集会の最後の方になって、ようやく登場した。「動員」が多い国民党の集会は会場を早く去る人が多いが、陳水扁の支持者は彼本人が出てくるまで帰らない。陳水扁が登壇するのが遅いほど、他の候補の集会は閑散としてしまうという点を突き、わざと遅く登壇したのだった。宋楚瑜も対抗上、深夜12時を過ぎてから再登壇し、演説した。

 各候補の集会は、深夜12時半ごろまで続いた。選挙運動は投票日前日の夜10時までと定められており、それに違反した3候補は、選挙管理委員会に罰金10万元(30万円強)ずつを申し渡されたという。

(続く)

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