他の記事を読む

イランが初めてイスラエルに反撃。米の衰退を象徴

2021年7月31日  田中 宇

7月30日、イランが初めてイスラエルに反撃した。これまでイスラエルは、公海を航行中のイランのタンカーなど合計数十隻の商船を、爆弾を積んだ無人機などで攻撃してきた。またイスラエルは、シリアやイラクに駐留するイラン系のシーア派民兵団(イランからの派兵でなく、地元のシーア派勢力がイランから軍事支援を受けて武装しているもの)の武器庫などを戦闘機や無人機で空爆し続けてきた。だが、これまでイランは一度もイスラエルに反撃したことがなかった。(イランから支援されているシリアやレバノンの民兵団や、ガザのハマスが、イスラエルからの攻撃への報復として、ミサイルや無人機を撃ち込むことはよくあるが)。 (Informed sources: Raid on Israeli-managed vessel was retaliation for Israeli raid on Syria) (Iranian State Media Calls Attack On Israeli-Managed Ship "Retaliation"

今回は史上初めて、イラン側(革命防衛隊もしくはその傘下のシーア派民兵団)が、イスラエル側(オマーン沖にいた民間のタンカー)に報復攻撃した。イラン政府は今回の攻撃を自分たちの仕業と正式に認めていないが、イランの国営メディア(アラビア語の国際放送テレビAl-Alam News)が、今回の攻撃について、イスラエルが7月19-22日にシリアのシーア系民兵団の施設(軍事空港)を攻撃したことへの報復であると報じ、イラン側がイスラエルの船を攻撃したことを認める報道をした。イスラエルでは、ガンツ国防相が軍幹部を集めて緊急会議を開いた。 (Iran TV report says attack on “Israeli ship” was revenge for Syria raid

爆弾搭載の無人機で攻撃されたタンカー「Mercer Street」はリベリア籍船で、イスラエルの富豪(Eyal Ofer)が持っている商船会社ゾディアック(Zodiac Maritime)が運航していた。 If Israel accuses Iran of doing something, Israel is likely already doing it

イスラエルは以前からイランのタンカーや貨物船を、地中海や紅海などで攻撃しまくってきた。今年3月、米WSJ紙が「イスラエルはこれまでに12隻のイラン船を攻撃した」と報じたところ、イスラエルのマスコミが「いやいや12隻でなく数十隻だ」と「訂正」するなど、戦前の日本軍の中国での「百人斬り」みたいな喧伝になっていた。3月末に「イスラエルの貨物船をイランがミサイル攻撃した」という話が報じられたが、根拠の薄いガセネタだった。ガセネタまで軍産イスラエル側にばらまかれ、イランはやられっ放しだった。 ("Iranian Missile" Fired On Israeli Cargo Ship In Arabian Sea: Report) (Much More Than 12: Israel Attacked Dozens of Tankers, Iran Lost Billions

それが今回、イラン側が初めてイスラエルへの報復攻撃を認知・報道し始めた。なぜこの転換が起きたのか。最大の理由は「米軍の中東撤退」による「米国の中東覇権の衰退」だ。前回の記事に書いたとおり、米国はアフガニスタンから撤兵し、代わりに中国ロシアイランがアフガニスタンの面倒を見る流れになっている。米軍はイラクからも撤退していく。米バイデン政権は「撤兵でなく駐留米軍の看板を戦闘要員から支援要員に替えただけだ」と言っているが、その後もイラクのシーア派民兵団は駐留米軍への敵視や攻撃を続けており、米軍がイラクに居づらくなって撤退していく流れは変わっていない。 (中露のものになるユーラシア) (No, the U.S. military is not ‘leaving’ Iraq

バイデン政権就任後、中東全域で、米国の撤退とイランの影響拡大が加速している。米国はイスラエルが強さを保つための唯一の後ろ盾であり、米国の中東撤退は、イスラエルの弱体化とイランの強化を引き起こしている。新事態を受けて、3月にはイスラエルに攻撃されっ放しだったイランが、アフガニスタンとイラクからの米国の撤兵の進行が公然化した今回のタイミングで、イスラエルに史上初の反撃を開始したのだろう。以前なら、イランがイスラエルの商船を攻撃したら、米軍がイスラエルに替わってイランに百倍返しの反撃を行って「中東大戦争」になっていたはずだ。だが今回、米軍は反撃せず、イランがアラビア語で中東全域に「イスラエルに反撃してやった。すごいだろ。アラブ人もやってみろよ」と言わんばかりに、凱歌的な犯行声明を放送した。サウジのMbSを筆頭に、アラブ諸国は驚愕しつつ縮こまって沈黙している。痛快だ。米イスラエルが中東で勝手な戦争を展開する時代は終わった。 (Iranian State Media Calls Attack On Israeli-Managed Ship "Retaliation") (US Forces Are Under Constant Rain Of Fire In Both Syria And Iraq

イスラエル船がイラン側から攻撃された時、近くの海域に、米第五艦隊の軍艦がいた。米軍艦は現場に急行し、イスラエル船の消火や救護活動を行い、近くのアブダビ港までイスラエル船を護衛して送り届けた。米軍がやったことはこれだけだ。中東大戦争はもう起こらない。米政府は今のところイランを非難する声明も出していない。バイデン政権は、イランとの核協定の再交渉を成功させたいので、最近できるだけイランを非難しないようにしている(という建前で、イランに対して寛容な対応をして台頭に誘導する隠れ多極主義的な策をとっている)。米国が動いてくれないので、イスラエルがイランにやられっ放しになる新事態が始まっている。米国の後ろ盾を失ったイスラエルは、イランよりも弱い国に成り下がりつつある。周りは敵ばかり。どうするの?? (First Iranian kamikaze drone against Israeli tanker. As tension rises, Gantz vows “appropriate response”) (US rebranding Israel ties because of repeated humiliations, says analyst

今回イランがイスラエルに史上初の報復攻撃を挙行した背景には、別の事情もある。それは、米国に替わって中東の覇権国(の一つ)になりつつあるロシアが、イスラエルのやり放題のイラン側への攻撃を許さない方針に転換したことだ。7月19-22日にイスラエルがシリアの政府軍やシーア派民兵団の軍事拠点を相次いで空爆した時、シリアに防空網を構築してあるロシア軍は迎撃ミサイルを発射してイスラエル側が発射してきたミサイルのかなりの部分を撃ち落とした。そしてその後、ロシアは初めて、イスラエルがシリアをミサイル攻撃してきたことと、ロシア軍の迎撃ミサイルの稼働を発表した。 (Russia Moving To Curtail Israeli Airstrikes On Syria

ロシアは、シリア政府から頼まれてシリアの防空体制を握っているのに、それまでイスラエルがシリアを攻撃してもほとんど黙認していた(ロシア軍が脅威を受けた時だけイスラエルに抗議・制裁していた)。ロシアは、覇権国である米国と、米国を傀儡化してきたイスラエルに配慮してきた。しかし、バイデン政権になって米国が中東からの撤退色を強め、6月16日のジュネーブでの米露首脳会談で中東の覇権運営について何らかの話し合いが行われた後、おそらくロシアは米国の了解のもと、イスラエルのシリア攻撃を黙認するのをやめた。そして、7月19-22日にイスラエルがシリアを攻撃した際、ロシアはそれを即時に全部把握して迎撃をおおむね成功させていたことを、事後に世界に対して発表した。ロシアのこの手の発表は初めてだった。 (Moscow’s changed line on Israel’s Syria raids followed first Putin-Biden summit

米軍はまだシリアに少数だが駐留し続けている。表向き、バイデン政権は「シリアにずっと米軍を駐留させる」と言っている。しかし、それは見かけの話に過ぎない。バイデン政権は、シリアの安全保障の運営をロシアに任せることを、米露首脳会談などの場で、ロシアに対して非公式だが明確に伝えている。シリアだけでなく、イランやイラクやアフガニスタンに関することも、米国は手を引いてロシア(や中国)に任せることを、露中イラン側に伝えているはずだ。だからイランも動き出し、7月19-22日にイスラエルがシリアのイラン系民兵団を攻撃した報復として、7月30日にイランがオマーン沖にいたイスラエル商船を攻撃した。当選ながら、米国は沈黙したままだ。イスラエルが米国の後ろ盾を失ったことが、これで示された。 (Biden Administration Has No Plans to Pull Troops Out of Syria) (US Wants Nuclear Deal Done Before Iran’s New President Takes Office

バイデンの米国は、中東の覇権を放棄して露中イラン側に移譲すると同時に、イスラエルを見捨ててロシアに任せたことになる。ロシアは、とりあえずイランがイスラエルに対して今回の初の報復攻撃を挙行することを黙認した。今後はどうなるだろうか。イスラエルは、どう対応していくのか。これはイスラエルにとって史上最大の存亡の危機だ。最悪の事態は、シーア派やハマスなどイラン系の軍事勢力が結集してイスラエルを潰すための「最終戦争」を仕掛け、世界的に孤立したイスラエルが核兵器を含む反撃を行いつつ潰れていく「サムソン・オプション」だ(最終戦争の途中でイエス・キリストが再臨する <笑)。ユダヤ人自身、こんな事態は望まない。 (Israel summons Poland's ambassador over WWII bill) (キリストの再臨とアメリカの政治

もしプーチンのロシアがイスラエルを助けて最終戦争を回避してくれるなら、世界のユダヤ人(一枚岩じゃないけど)はお礼に、ロシアが永遠に世界の石油ガス市場を支配できる体制を作ってくれるかもしれない(だから地球温暖化問題を使って世界の石油ガス利権を米欧から引っ剥がしてロシア中国に移転させているわけだ)。プーチン(や習近平)は、全力でイスラエルの滅亡を防ごうとする。イランの聖職者政権にとっても、イスラエルを潰す最終戦争をやらかして自国を含む中東全体を破壊するよりも、ユダヤ人と手を組んでイランの永久の発展を実現する方がはるかに楽しい。サウジもトルコも似た姿勢だ。誰も本気でイスラエルを潰したくない。ほぼ全員が、外交によってイスラエルと周辺勢力が和解する方向を望んでいる。 (Putin steps away from deal with Netanyahu for a blind eye on Syria air strikes) (Turkey activates military intervention pact with Palestinians

当面の最大の問題は、イスラエルの内側にある。イスラエル政界では最近まで、イスラム側との恒久対立を望む入植者らの勢力が支配的だった。最近の政権交代後、この状態が転換していくのかどうか。入植者らリクード支持者たちは、下野したネタニヤフ前首相を押し立てて政権奪還を狙っている。トランプがネタニヤフと組んで2022-24年に復権、などというシナリオになるとイスラエルにとってまずい感じだ。イスラエルは(裏だけでも)好戦性を引っ込めて和解姿勢に転換しないと存続できない。いつ、どのように転換していくのか。その成否が、きたるべき多極型世界の完成度にもつながる。コロナで国際諜報界の動きが鈍化させられ、微妙だが大事な動きが伝わってこなくなっている。新たなシナリオが見えてきたら、いや何も見えてこなくても推論をたくましくして、この問題について書いていく。 (Netanyahu lays out plan to regain power



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ