金相場引き下げ策の自滅的な終わり2021年5月27日 田中 宇オルトメディアの界隈で最近「金の信用取引に対するバーゼル3の適用開始で、来年にかけて金相場が高騰するのでないか」という予測が出回っている。「バーゼル3(Basel III)」とは、主要国(G10など)の中央銀行が集まって世界の金融機関の経営を健全化するための規則・基準を決める「バーゼル銀行監督委員会」が作った基準の第3弾のことだ。バーゼル1は米英主導の世界的な金融自由化(債券金融システムの拡大=巨大なバブル膨張)が始まった直後の1988年に策定、バーゼル2はリーマン前の金融バブル化がひどくなった2004年に策定された。バーゼル3はリーマン危機後の2010年に策定され、2027年までに完全実施の予定だ。 (Basel III & The New Role For Gold) (Basel III Could Be Gold's Best Friend) ハーゼル3では、金融機関によるコモディティ(金や銀や穀物など)の信用取引について、建玉の85%に相当する現物の地金を保有して紐つけることで、この建玉を優良資産(ティア1、RSF)として決算に計上できると定めている(NSFR)。現物に紐付けられていない売り建玉は優良資産として認められず、不良債権として扱われるので、金融機関はバーゼル3の適用後、紐付けなしの金銀などの空売りをやれなくなる。世界に先駆けて、EUでは6月28日からこの項目(NSFR=安定調達比率)の適用が開始される。英国では来年元日から適用される。(もともとの適用開始予定はもっと早かったがコロナ危機を理由に延期されていた) (The End Of Paper Gold & Silver Markets) (As of last April 1, Gold’s status as a Tier 1 asset has been restored) これが適用されると劇的に様相が変わるのが、世界の金相場を主導するロンドンの金市場だ。ロンドン(など世界の多くの)金地金市場は、取引のほとんど(9割以上?)が現物をともなわない紐付けなしの信用取引だ。ロンドン(とNY)では以前から、銀行などが紐つけなしの信用取引を使って金相場を引き下げ、金地金の価格上昇を妨害してきた。金相場の上昇抑止策は、ドルが不換紙幣になった1971年のニクソンショック直後から、不換紙幣のマイナス面を覆い隠すために行われていた。 (操作される金相場) (暴かれる金相場の不正操作) この相場抑止策がなかったら、リーマン危機後に米欧日の中銀群がQE策でドルなどを過剰に発行した際、過剰発行によるドルなどの信用低下を懸念した投資家が、ドルの究極のライバル資産である金地金を買い増し、金相場がもっと高騰していたはずだ。現実には、金相場が上がるたびにQE資金を注入された民間銀行群が信用取引で金を売り放って相場を反落させて上昇を防ぎ「金は上がらないから買っても仕方がない」と投資家に思わせ、ドルを防衛する策略が展開されてきた。ロンドン金市場での民間金融機関による紐付けなしの信用売りのおかげで、ドルはいくら刷っても減価せず延命してきた。金地金は価格上昇を妨害されて無力化され、この50年間を幽閉状態で過ごしてきた。 (金相場抑圧の終わり) (金相場の引き下げ役を代行する中国) ところが今回、ドル延命に必須なツールである、金融機関による紐付けなしの信用取引が、バーセル3によって事実上禁止されてしまう。ロンドンなどで金の売りが激減し、下落要素が消えた金相場がこの間に上がるはずだった上昇分を取り戻して大幅に高騰する。ロンドンの金取引に参加する金融機関などで構成される「ロンドン貴金属市場協会(LBMA)」は、「バーゼル3のNSFRが予定通り適用されると、建玉を解消し切れない金融機関が破綻するなど、ロンドン金市場が大混乱に陥る。適用をやめてほしい」という要請を、5月初めに英政府の健全性監督機構(PRA)に提出した。LMBAは、金地金を幽閉してきた「牢屋の看守」だった。看守の上司である中銀群(お上)が、幽閉は不健全だからやめろと言ってきている。LBMAが「そりゃまずい。やめたほうが良いですよ」とお上(英中銀)に忠告して当然だ。しかし、忠告は無視されている。 (THE IMPACT OF THE NSFR ON THE PRECIOUS METALS MARKET) (Basel 3 rules will wreck gold price suppression, LBMA warns Bank of England) EUも英国も、現時点で適用延期の発表をしていないので、予定通り6月末と来年1月から適用しそうだ。EUの適用は、欧州の銀行がロンドンでの金の売り取引を縮小する程度の影響だが、英国の適用は、ロンドンで金取引のほとんどに影響する。ロンドンの金相場引き下げの機能が消失する。金相場は、意外な展開や新策略開始がない限り、これから年末にかけて上昇していくか、もしくは年末まで価格抑止が続いた後に急騰すると予測するのが自然だ(そうでないという予測もあるが、根拠が深そうに見えない)。米国や新興市場でのインフレ激化も金相場の押し上げ要因だ。ドルの究極のライバルとして金地金が復活していく。米連銀など中央銀行群がQEの資金を金市場に注入して金相場の上昇を防ごうとしても、中銀群自身が作ったバーゼル3の規制により、注入を担当していた民間金融機関が動けなくなる。自滅的な構図が具現化していく。 (Will the LBMA receive an exemption from Basel III rules?) (Basel 3 Rules May Not Hamper Gold Price Suppression Much) なぜ中銀群(バーゼル委員会)は、金地金の幽閉状態を解除するバーゼル3の規制を実施するのか。現物の紐つけなしの金の売りは確かに高リスクだが、この売りは、中銀群の「ご本尊」である基軸通貨の米ドルを守るための行為だ。ご本尊はこの20年ほど(IT株バブル崩壊前以降)債券金融システムのバブル膨張や、それを延命させるためのQEのやりすぎによって、潜在的に大幅な弱体化をしている。「野蛮な敵」である金地金の幽閉を解いて蘇生させると、金の高騰、ドル備蓄需要の減退、金利上昇など、ドルの弱体化が顕在化し、ドルの傘下で反映してきた民間金融機関の全体も破綻してしまう。ドルの防衛、というより延命のためには、ロンドンでの金の売りを続けさせねばならない。不健全だというなら、そもそも金ドル交換停止などやるべきでなかった。金売りはドルの「原罪」だ。バーゼルの金信用売りの禁止は、米民主党が子供たちに「白人は生まれながらに差別主義者だ」と教え込むのと同じぐらい馬鹿な行為だ(民主党の愚策は、野蛮な敵であるトランプを蘇生させる)。 (Gold And Basel III: What To Consider) オルトメディアの分析者の中にも「なぜ中銀群は自滅的な金売りの禁止をやるのか」と問うている人がいる。一つの説明は「中銀群のバーゼル委員会の人々は、自分たちの策の自滅性に気づいていないのだ」というものだ。そりゃないだろ。これまで何十年も微妙な金融政策をやり抜いてバブルをうまく膨張させてきた。中銀群の上層部は馬鹿でない。彼らは世界経済を運営する資本家の代理人たちである。確かに、債券金融システムの自滅を加速したリーマン倒産容認や、リーマン後の金融延命のために、最終的な金融大崩壊につながるQEを使うといった巨大な愚行もあった。しかし逆に言うと、今回の金売りの禁止は、リーマン倒産やQEの延長としてのドルを自滅させる行為だ。中銀群は自滅性に気づいていないのでなく、中銀群上層の内部に、うまい金融政策をやる人々と、わざと自滅策をやる人々が混在している。 (Macleod: The End Of The LBMA Is Nigh) もうひとつの説明は「EU(1万トン)は米国(8千トン)より大量の金地金の現物を持っている。EUは財政破綻寸前で、自分たちを延命させるには、ドルや金融バブルが崩壊しても、金相場の高騰を引き起こすしかないんだ。EUは米国を裏切ってバーゼル委員会を動かして金の信用売り禁止を実施する」というものだ。これも、現実のEUが対米従属から脱却できていないことを考えると、ありそうもない。結局のところ私自身の分析は、今回の金売り禁止による金地金蘇生・ドル自滅に関しても「米国など覇権運営の最上層には、米単独覇権体制を自滅させて多極型に転換することで、世界の実体経済の(バブルでない)長期的な成長を引き出そうとしている多極主義者がいる」という、いつもの話になる。 (Basel III & The New Role For Gold) 金相場の上昇と対照的に、ビットコインなど仮想通貨が下落している。やはりビットコインは金地金の上昇抑止のための当て馬だった。中国は、金地金の側に立ち、「ビットコインは通貨じゃない」と宣言し続けて国内流通を抑制する策をとっている。金地金を応援し続けると、ドルの基軸性や米国の覇権が低下し、中国が台頭する多極型の世界体制になっていく。昨年来のコロナ危機も欧米を経済的に自滅させ、中国などの台頭を誘発する。全体が多極化の方向に流れている。金売りの禁止も、この流れの中にある。 (仮想通貨を暴落させる中国) 今回の件について、追加で何かわかったら改めて記事を書く。
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