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NAFTAを潰して加・墨を日本主導のTPP11に押しやるトランプ

2017年10月20日   田中 宇

 10月11-12日、米国、カナダ(加)、メキシコ(墨)の貿易担当相が米国に集まり、3か国の自由貿易協定であるNAFTAの改定交渉を行った。米国は、自国の貿易赤字を減らし、国益を増大させるためと称して、3つの根本的な規則の改定を求めたが、カナダとメキシコは3点とも拒絶し、交渉は頓挫した。 (NAFTA talks bog down over U.S. demands as latest round concludes

 米国が求めた3点は(1)一か国でも存続を望まない状態が続いた場合、5年後に自動的にNAFTAの全体が失効する「日没条項(サンセット条項)」の新設、(2)自動車や工業製品を米国に無関税で輸出できる条件(米国からの部品の調達率)を厳しくしたり、メキシコとカナダの企業が米政府から受注できる総額を減らしたりして、米国の貿易赤字を減らす、(3)自由貿易に反する政府の政策を、企業や投資家が提訴して無効にできる国際法廷の制度であるISDS(投資家と国家間の紛争処理機構)を廃止する、の3つだ。 (Donald Trump’s poisoning of global trade

 NAFTAは、長い国境で接している北米の3か国を、経済的に一体のものに市場統合していく目的で94年から続いており、3か国の中で国際展開する企業は、NAFTAが永久に続くことを前提に、原材料の調達場所、部品製造の場所、想定される市場など、企業活動の根本的な戦略を立てている。(1)が導入されると、NAFTAが失効する可能性が高くなり、NAFTAが永久に続くものから、いつ廃止されるかわからないものに変質する。企業にとって、NAFTAの存続を前提に投資して事業することのリスクが上がり、3か国間の経済活動が低下する。 (US Proposes "Sunset Clause" That Would Kill NAFTA After 5 Years

 部品の現地調達率の引き上げを求める(2)は、これまでの現地調達率の規定に基づいて3か国内で展開してきた企業に、事業の練り直しを強いることになる。トランプは新たに、部品の半分以上が米国製でない自動車は、米国に無関税で輸出できないという新条項の追加も求めている。これは、賃金が安いメキシコで部品を作る傾向を強めてきた多くの自動車メーカーに大打撃となる。またトランプは、カナダとメキシコの企業が米国の政府調達に参加できる総額を90%減らそうとしており、これも加・墨には受け入れられない。 (Canada says 'hard no' on Trump change to NAFTA dispute resolution

(3)のISDS条項は、NAFTAを皮切りに、TPPや米韓FTAなど、近年締結された自由貿易協定の多くに組み込まれている。一般に、米国などの大企業の顧問弁護士を長くつとめたような巨悪的な弁護士たちが「裁判官」になり、各国政府の消費者保護、勤労者保護、環境保護、国民の健康保護などを目的とした政策を破壊するために大企業が提訴した訴えに対し、大企業の利益になるかたちで判決を出し、各国政府の政策を「非関税障壁」とみなして無効にするのがISDSだと考えられている。ISDSは、国際的な大企業の「御用法廷」が、国家主権を棄却してしまう「大企業覇権体制」のはしりともいえる。昨年までのTPP反対運動でも、ISDSが槍玉に挙げられていた。 (大企業覇権としてのTPP

 ISDS条項を廃止しようとするトランプは、反米的な市民運動家と同じ立場にいる。トランプがISDSを嫌う(表向きの)理由は、カナダ・メキシコ勢が米政府の政策をくつがえすことを許せないからだが、実のところ、ISDS条項を使ったNAFTA内の裁判(裁定)において、米政府は負けたことがない。トランプのISDS敵視の本当の理由は、米国勢がISDSの国際法廷を通じて他国の内政に干渉できる米覇権体制を好まない、という「覇権放棄戦略」に基づくものだろう。 (House Democrats Call for Change in NAFTA) (Trump to unveil NAFTA proposals that throw the deal into peril

 トランプは、大統領就任前から、NAFTAやTPPといった多国間の自由貿易体制に反対し続け、就任日にTPPの交渉から離脱し、その後はNAFTAにいちゃもんをつけて廃止しようとしている。トランプ就任後、NAFTAの改定交渉は4回行われた。来夏にメキシコ大統領選があるのでその影響を受けぬよう、当初は今年末までに結論を出す予定だったが、トランプの要求が厳しすぎて加・墨が交渉に全く乗れず、来年にずれ込むことになった。 (Trump’s NAFTA plan is now clear, and Canada has to ride it out

 トランプは「加・墨が要求を飲まないななら、米国はNAFTAを離脱するかもしれない」と言っている。加・墨は、トランプの厳しい要求を飲んで自国経済の損失とNAFATの弱体化を容認するか、要求を拒否して米国の離脱、NAFTAの解体を受け入れるか、どちらにしても自滅的な選択を迫られている。 (Canada, Mexico to firmly reject US NAFTA proposals but will offer to keep negotiations going: Sources

 トランプがもともと得意としていた交渉術は、途方もない要求を出す一方で、そこそこ自分の得になる落としどころを別に用意して、交渉の最後に途方もない要求を引っ込めて落とし所に着地するやり方だ。今回のNAFAT再交渉で、トランプが加・墨に示した3つの厳しい要求は、上記のトランプ交渉術の「途方もない要求」にあたると考えられなくもない。だが問題は、もう4回も交渉をしているのに、トランプが交渉術の「落としどころ」にあたる、加・墨が受け入れられる範囲の要求を別口で何も出さず、示唆すらしていないことだ。 (Trump Sets Nafta Goals: Dilute Pact’s Force, Loosen Regional Bonds

 このままだと、加・墨は3点の途方もない要求を受け入れられないまま交渉が破綻して終わり、米国が離脱してNAFTAが終わりになる(加・墨だけで継続しても無意味)。トランプは就任初日にTPPを離脱しており、この分野で思い切った行動をする実行力があることを、すでに世界に示している。NAFTA再交渉のトランプの目的は、加・墨に新たな譲歩をさせることでなく、NAFTAを潰すことでないかと考える関係者が増えている。 (Will Trump Blow Up NAFTA?

▼NAFTAが終わるとメキシコの経済発展も終わる

 NAFTAが終わりになった場合、米国とカナダの貿易は、NAFTA以前に存在していた2国間の自由貿易体制に戻る。何とかやっていけるが、関税などの経費が上がる。特にカナダの農産物は、米国市場に出せないと、ほかに大量消費してくれる輸出先がなく、行き詰まってしまう。 (NAFTA’s potential end is a wake-up call for Canada

 メキシコは、NAFTAが終わると、カナダよりずっとひどいことになる。94年にNAFTAが始まった後、米国市場で売る自動車の組立や部品製造を、人件費の安いメキシコで作る日米欧のメーカーが増えた。メキシコは製造業が急成長し、雇用が急に増え、所得増によって中産階級の階層が大きく育った。国民の多数が貧困層から中産階級に上昇すると、消費が増え、旺盛な消費に応えるためのサービス業など各種産業が拡大し、経済的に有望な新興諸国になる。メキシコはこの20年あまり、NAFTAのおかげで国民が豊かさを享受できる国になってきていた。NAFTAが終わると、この豊かさも終わってしまう。 (Nafta Demise Emerges as a New Risk for Investors

 トランプの3点要求の(2)の、自動車部品の米国製造比率を上げる件は、メキシコの20年間の成功を破壊しようとするものだ。トランプは、メキシコから米国への出稼ぎ目的の違法移民流入を止めようとするなど、メキシコが米国のおかげで豊かになっていく状態を「米国の損失」ととらえ、阻止しようとしている。NAFTAを終わりにしたがるのも、メキシコ潰しが目的だろう。 (On NAFTA, Donald Trump's most dangerous opponents are at home

 NAFTA以前に米国とメキシコの間に自由貿易協定はなく、NAFTAが終わると米国はメキシコからの輸入製品への関税を引き上げる。メキシコでは、対米輸出品を作っていた工場が閉鎖・縮小され、失業が増え、中産階級が貧困層に逆戻りする。来夏、メキシコで大統領選挙がある。トランプがNAFTAを潰すと、左翼でトランプ敵視のロペス・オブラドール(Lopez Obrader、AMLO)の人気が高まり、トランプと何とかうまく付きあおうとしている現職で中道のペニャニエトを破り、反米左翼的な政権を作って米国との対立が深まる事態になる。 (Mexico Front-Runner Rips Trump, Can't Wait to Redo Nafta

 米国の財界は、NAFTAの存続を求めている。NAFTAがなくなると、米国の企業がメキシコに投資した巨額資金が無駄になる。トランプが大企業の利益を守るために大統領になったのなら、NAFTAを潰そうとしないはずだ。トランプが大統領になった目的が、企業利益のためでなく、米国覇権放棄のためであるなら、NAFTA潰しや、メキシコを反米左翼(中南米の対米自立、親中国、親ベネズエラ?)の方向に押しやるトランプの言動が納得できる。トランプは、戦争や不安定化によってしか世界を支配できない軍産が米国の世界覇権を握っている状態を解体し、長期的に世界を非戦化・安定化しようとしていると考えられる。それを、短期的に正反対な、軍産よりも好戦的な姿勢をとることで実現しようとしている点が興味深い。 (田中宇史観:世界帝国から多極化へ

▼NAFTAが終わりに近づくほど期待が高まるTPP11

 これまで米国一辺倒で貿易を考えてきたカナダとメキシコは、NAFTA(米国市場への有利な輸出権)を失うかもしれない今の事態になって、いまさらながらに、米国以外の市場の開拓を急ぎ始めている。そこで出てくるのが、わが日本がもぞもぞと推進している「TPP11」だ。TPPは、日米と加・墨や豪州、東南アジア、南米の12カ国で自由貿易圏を作る計画だったが、今年初めトランプの米国が離脱していったん破綻した。巨大な米国市場への参入拡大を期待してTPPに参加した国が多く、米国抜きのTPPなど意味がないと、その後しばらく言われていた。だが今春以降、豪NZの誘いに日本が乗り、米国抜きのTPP「TPP11」が画策され出した。 (Mexico, Japan to accelerate effort to salvage TPP without U.S.

 TPP11に対する豪NZの最大の目当ては、日本への農産物の輸出増(オージービーフが日本の店頭でアメリカンビーフを押しのける)であろうが、そうした個別国の思惑を超えて考えても、米国以外の11カ国でアジア太平洋広域の自由貿易圏を初めて作ることは、実利的な意味がある。対米従属一辺倒でやってきた日本にとっては、日本独自(米国抜き)のアジア太平洋への主導性の初の発露として、きたるべき(トランプが米国覇権体制を解体した後の)多極型世界における日本のあり方の先駆になりうる事業だ。 (日豪亜同盟としてのTPP11

 加・墨のうち、カナダは、豪NZと同様、日本への農産物の輸出増が、TPP11参加の最大の目当てだ。メキシコは、近年得意とする分野が自動車などの部品製造や加工組立であり、日本の得意分野と同じになってしまうので、メキシコの自動車部品を日本に売り込めず、その点でTPP11に入る利得がない。むしろメキシコは最近、欧州や中国との経済関係を強めようとしている。しかしメキシコにとっても、アジア太平洋の初の広域貿易圏となるTPPに入ることは、長期的な意味がある。 (A TPP without the U.S. would be a better deal for Canada

 日豪などは、11月にベトナムで開くAPEC首脳会議の場を借りて、TPP11に調印する構想を出している。だがカナダとメキシコにとって、トランプとNAFTAの再交渉がまとまる前にTPP11に調印することは、トランプに喧嘩を売ってしまうことになる。加・墨の求めに応じて、来春NAFTAがどうなるかわかるまで、TPP11の調印を先送りすることが検討されている。いずれ米国主導のNAFTAがなくなり、日本(日豪)主導のTPP11が発足する可能性が高い。これはトランプの覇権放棄・多極化戦略の一つである。 (TPP without the U.S.: a dangerous sideshow for Canada while NAFTA still in play



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