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米覇権の行き詰まり

2016年10月10日   田中 宇

 11月8日の米大統領選挙の投票日まで1か月を切り、米国を支配する軍産複合体の言いなりにならないトランプ候補を引きずりおろし、軍産と結託するクリントン候補を有利にしようとする動きがさかんになっている。10月8日には、トランプが05年に発言したひわいな会話を録画したものが、ワシントンポストによって公開された。ワシポスはトランプ敵視を以前から表明している新聞だ。 (Trump recorded having extremely lewd conversation about women in 2005

 マスコミや民主党陣営はいっせいにトランプを非難し、共和党の上院議員らも、トランプは立候補を取り下げるべきだと次々に表明した。副大統領候補のペンスまでが、トランプを非難した。新聞は、彼の選挙運動はこれで破綻したとする分析を流した。だが、草の根の支持者の間では、トランプ人気がほとんど下がっていないようだ。トランプが猥雑な発言の人であることは支持者の多くが知っている。11年前、トランプはテレビのタレントとして、他のテレビ業界人と一緒にスタジオへ移動中の車中での会話だった。 (Lewd Donald Trump Tape Is a Breaking Point for Many in the G.O.P.) (Trump Support Drops Just One Point After Video) (Surprise Poll Finds Vast Majority Of Republican Voters Support Trump After "Lewd Comments"

 共和党の議員たちがトランプ不支持を表明しても、党内民主主義のもとで、彼らは少数派でしかなく、象徴的な意味しかない。誇張報道するマスコミにとっては格好の材料だが、トランプに立候補をやめさせる力を持たない。 (Republican National Committee Begins To Redirect Funds From Trump) (The Trump tape doesn't matter

 トランプの卑猥発言公開とほぼ同時期に、ウィキリークスが、クリントンの選挙参謀であるジョン・ポデスタが送受信したメールの束を暴露した。ビル・クリントンが大統領だった時の対露関係を利用して、クリントン基金がロシアの国営企業ウラニウムワンから、企業買収絡みでキックバックをもらったことが発覚した。また、ヒラリー・クリントンが金融界からの巨額の講演料(献金)の見返りに行った非公開の講演で何を話したかも暴露された。だが、これらの件はマスコミであまり大きく報じられず、トランプの猥談の方が大きく非難された。 (Wikileaks Releases Hillary's Paid Wall Street Speech Transcripts: Hundreds Of "Sensitive" Excerpts

 10月9日に行われた、トランプとクリントンの2度目の討論会では、トランプの発言に対して司会者がさかんに介入した。シリア情勢について、トランプは、米国がISISを殺すことに消極的なのと対照的に、ロシアやアサド政権やイランがISを殺しており(評価でき)米国もロシアと一緒にIS退治をやるのが良いと指摘したが、司会者は、それを政策でないとしてさえぎった。 (Debate Moderator Feuds With Trump, Rebuts His Syria Answers) ('Let me repeat the question': Martha Raddatz jumps into relentless debate with Trump over Syria) (Presidential Debate Analysis: Donald Trump Rallies Faithful in 2nd Showdown

 9月末の1回目の討論会では、トランプの健康状態を悪く見せるため、トランプの発言の時だけ鼻をすするような効果音が主催者の音響担当者によって混入されていたと指摘されているが、2回目の討論会でも、鼻をすするような音がトランプの発言に混入されていた。米議会、マスコミなど軍産の勢力は、何とかトランプを落とし、クリントンを当選させようとしていることがうかがえる。トランプは、シリア内戦に関して(テロリストを擁護する米国でなく)テロリストをきちんと退治しているロシアやアサドやイランが正しいと語り、軍産(マスコミ)が発するウソを認めず、軍産に楯突いている。クリントンは(露企業からキックバックをもらう一方で)ロシアを敵視し、シリア内戦で悪いのはロシアだと言い続けている。 (Trump complains of `hostile questions' during debate

▼トランプは無策でも軍産を無力化できる

 トランプが当選したら軍産の危機だ。だから軍産(マスコミや議会)は、必死でトランプを蹴落とそうとしている。だが、草の根からの強い人気を維持するトランプを落選させられるかどうか怪しい。投票日が近づくにつれ、トランプ潰しの動きが露骨になり、米国の民主主義がおかしなことになっていると、より多くの人が気づくようになる。軍産の延命のあがきが、米国に対する国際信用の基盤になっていた民主主義を破壊しようとしている。 (米大統領選と濡れ衣戦争

 米国の主要な新聞100紙の中に、社としてトランプへの支持を表明したところは一つもない。いくつかの新聞は「トランプでなければ誰でも良い」と表明している(クリントン支持は17紙)。マスコミ(軍産)の本音は、クリントン支持でなく、トランプ阻止だ。「主要新聞から全く支持を得られないのは、トランプが質の低い落選すべき候補者であることを示している」という「常識的」な見方もできる。 (Newspaper endorsements in the United States presidential election, 2016) (Newspapers Shun Trump - Not A Single Endorsement From Top 100) (米大統領選挙の異様さ

 だが、より深く考えると、トランプが草の根に支持されるのは、911以来、マスコミや政界など米国の支配層(軍産)が、自分たちの権益維持のため、国際的な善悪や経済状況を歪曲し、中東の戦争や露中敵視、リーマン危機とその後の金融延命策(QEマイナス金利)、違法移民流入放置、社会保障制度崩壊放置など、間違った政策を重ね、米国民の生活が悪化し続けたからだ。多くの米国民が、マスコミや政界による歪曲やウソを指摘するトランプを支持し、マスコミや政界に支えられたクリントンと拮抗している。マスコミがトランプを嫌うのは、自分たちの歪曲やウソを指摘する危険人物だからだ。 (トランプ台頭と軍産イスラエル瓦解

 マスコミのウソや歪曲は、マスコミが始まった当初の19世紀から存在する。国体護持(国民だまし)のため、マスコミや政界のウソや歪曲は必要悪であり、従来は国民に一定以上の迷惑をかけないように行われてきた。ウソや歪曲がひどくなったのは、米国が覇権国になった第二次大戦後、持続的な低強度戦争(冷戦、テロ戦争など)によって米国の権力を維持したい軍産複合体が無茶をするようになったからだ。

(戦争の強度を上げすぎて失敗させた)ベトナム戦争やイラク戦争、米中和解、冷戦終結、(バブル崩壊の意図的な悪化策としての)リーマン危機などからは、軍産支配を打破しようとする(隠れ多極主義の)勢力が米中枢にいることを感じさせ、彼らと軍産との暗闘も、軍産の無茶に拍車をかけ、ウソや歪曲の激化になっている。ウソや歪曲の激化は、軍産支配や米国の覇権そのものを危機にさらし、行き詰まらせている。その一つの象徴が、今年の米大統領選挙であると言える。 (ニクソン、レーガン、そしてトランプ

 トランプが大統領になったとしても、それで軍産が無力化されるわけではない。米議会やマスコミは、依然としてトランプ敵視のままだろう。議会は、トランプの新たな政策を超党派で阻止する傾向になり、マスコミはトランプの揚げ足取りに終始するだろう。トランプは、レーガンのように、反軍産なこと(冷戦終結など)をやりつつ軍産に好かれて2期やる大統領になりたいようだが、当時の米国は覇権の主流を軍事から金融に切り替えて成功したのと対照的に、今の米国は金融も崩壊寸前で、状況が全く異なる(トランプの斬新性と、米国の政治伝統が斬新性を好むことから考えて、当選したら2期やりそうな感じもするが)。 (優勢になるトランプ

 とはいえ、軍産の無力化を手がける大統領は、トランプが初めてでない。ブッシュ政権は、イラク侵攻で、国際信用力や派兵余力などの軍産の力を浪費した(ネオコンはそれを意図していたのだろう)。オバマは、核協約を結んでイランを強化して中東支配に乗り出すよう誘導したり、13年にシリア空爆を途中で放棄して中東での米国の信用を(わざと)落とした挙句、ロシアを説得してシリアに軍事進出させ、中東の支配権を露イランに与えたりした。いずれも、米国の軍事覇権を低下させ、軍産の力を削いでいる。軍産は、オバマがイランやシリアに関して行った「へま」を批判し続けている。トランプは、オバマの「へま」を継承・拡大していけば、軍産をさらに無力化できる。議会の協力は、それほど必要でない。 (シリアをロシアに任せる米国) (米英覇権を自滅させるシリア空爆騒動

▼中東も中国包囲網も金融も行き詰まり

 シリアでは、ロシアとアサドの軍がアレッポのテロ組織を猛攻撃しており、米政界では、米軍もアレッポを空爆するなどして露アサドを阻止せよという主張が出ている。しかし米政界は、核戦争に発展しかねないので、ロシアと戦争したがらない。米軍は、すでに9月末にアサド軍を空爆しているが、これを継続的にやるとロシア軍が介入してきて米露戦争になる。だから米国はシリアを空爆できない。シリアはロシアのものになってしまっている。シリアにおいても、米国の覇権は行き詰まっている。米政界の人々(議員、シンクタンク、マスコミ)も、それを知りつつ「空爆しろ」と口だけ動かしている。トランプは、10月10日の討論会で、シリアはすでにロシアのものなので空爆できないと述べている。この点に関し、米政界の人々は歪曲的だが、トランプはそうでない。 (シリアでロシアが猛攻撃) (Pentagon Begins Low-Intensity, Stealth War in Syria) (Moscow delivers S-300 missile system to Syria for defense of Russian naval base

 米国覇権の行き詰まり見て、同盟国だったトルコやフィリピンの大統領が、米覇権からの離脱によって自分の権力を強化することを試みている。これも、米国の覇権の行き詰まりを象徴している。彼らの成功を見て、真似をする権力者が他の同盟国でも出てくる可能性がある。フィリピンのドゥテルテ大統領は、米国を批判する発言を繰り返すほど支持率が上がり、76%になっている。 (Popularity of Philippine President Duterte at 76%: Poll) (中東を反米親露に引っ張るトルコ

 今後米軍はフィリピンに駐留できなくなりそうだが、それは南シナ海における米国の中国包囲網策にとって決定的な打撃だ。南シナ海に近いフィリピンを失うと、米軍は遠いグアムから飛んでこねばならない。前アキノ政権時代のフィリピンは、米国の好戦策に迎合して対米従属を強め、南シナ海紛争に関してASEANで最も反中国的な国だった。 (フィリピンの対米自立

 米国は、北朝鮮政策でも行き詰まっている。実のところ、米国は、03年から北朝鮮の核問題の解決を中国に任せており、北に対して何もできない状態に自国を追い込んで久しい。対北政策における米国の行き詰まりは10年以上前からのことだ。だが、米政府やマスコミは、米国が北に核廃棄させる意志や方法があるかのように言い続け、日本の政府やマスコミもその線で他力本願を演じ続けてきた。トランプもクリントンも、北の核は中国が解決すべき問題と言っており、今後もこの傾向が続く。

 金融面も行き詰まり感が強まっている。米欧日は金融システムが「超緩和中毒」になっており、超緩和策(QEやマイナス金利)を縮小すると金融が破綻する(米国はドルの強さが必要なので、日欧に超緩和策を肩代わりさせている)。破綻回避には、超緩和策を永遠に追加し続けることが望ましい。だが、日銀も欧州中銀も行き詰まっている。今春来、超緩和策の追加は見送られ続けている。欧州中銀が年末にQEを縮小するかもしれないという報道が流れ、株や債券が下落した。 (Nervous markets question outlook for ECB's bond buying) (Will ECB Announce Tapering In December?) (ECB Sees Rising Scarcity of Bonds for QE Program

 先日ドイツ銀行の危険性について書いた。その後、ドイツ銀のCEO(John Cryan)が訪米して米司法省と和解金の引き下げについて交渉したものの、話をまとめられないまま帰国した。話がまとまるものとの期待から、ドイツ銀の株価は25%上がった。司法省との和解金交渉がまとまらない状態が続くと、また株が下がり、金融システム全体にとって不安が増す。ドイツ銀は資金に余裕があるはずと言われてきたが、最近、条件が悪いのに債券を無理やり発行しており、本当に余裕があるのか懸念されている。 (Deutsche Bank CEO Hasn’t Reached Accord With U.S., Bild Reports) (米司法省が起こしたドイツ銀行の危機

 10月7日には、金地金市場の暴落も起きた。ロンドン市場で金先物の巨大な売りが投じられた。株や債券など信用ベース(紙切れ)の金融市場に不安が増している今のような状態は金相場の上昇要因になるはずが、その逆になっている。金相場を先物(紙切れ)を使って急落させることで、信用ベースの金融市場を防衛(延命)させる策を、金融界(中銀群?)が採っている感じだ(金相場は円ドル相場と相関しており、日銀がやっているのかも)。金地金の買いが増え、上昇方向の相場操作力を持つようになった中国が、ちょうど建国記念(国慶節)の連休だった時を狙って暴落を引き起こしている。 (One Very Simple Reason For Why Gold And Silver Were Massacred This Week

 暴落によって、金地金に向かいそうな投資家の気持ちを潰さないと、紙切れ市場から地金市場に資金が移りかねないので、先制攻撃で地金相場を暴落させたと考えられる。本質的に、危ないのは地金でなく債券の方だが、地金潰しはこれで終わりと考える根拠はなく、今後まだ何度か繰り返し潰されるかもしれない。最終的には、QEによって大膨張した債券バブルがいずれ大崩壊せざるを得ず、その時に地金が急騰する(政治的に地金取引が禁止・制限されなければ、の話だが)。 (さよなら先進国

 などなど、上記のすべての動きは「米国覇権の行き詰まり」を示すものだ。覇権の「崩壊」の前に、方向感にとぼしい「行き詰まり」の感じが強まっている。何が起きているのか、俯瞰的に見ないとわからない。マスコミは解説部分の歪曲がひどくなり、意図的に間違った意味づけやシナリオを描いてみせるインチキ解説に出くわすことが増えている。金融や景気動向、シリアなど対露関係が、とくにひどい。インチキ解説の増加は「軍産の行き詰まり」を示している。



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