他の記事を読む

米国債を大量売却し始めた中国

2015年8月30日   田中 宇

 中国政府が、かつてない速度で米国債を売っている。中国の中央銀行である人民銀行は、8月の1カ月間に1千億-1500億ドル規模の米国債を売ったと概算されている。人民銀行はそれまでも、ドル高元安を止めるために、今年1-6月に約1千億ドルの米国債を売ったが、8月は1カ月間で、それまでの半年分の米国債を売ってしまったことになる。 (Brace for Quantitative Tightening, As China Leads Forex Reserves Purge) (From China - quantitative tightening

 人民銀行は8月11日、人民元の対ドル為替レートの決定方法を変更することで人民元を切り下げた。米国の連銀(FRB)が6年ぶりに利上げする意志を強め、ドル高の傾向が強まる中で、中国が元ドル相場を横ばいに維持するのが難しくなった末の元切り下げだった。その前後から、市場では元売りドル買いの圧力が高まり、放置すると元の対ドル為替がどんどん下落しかねなかった。人民銀行は、外貨準備として膨大に備蓄している米国債の一部を売る、ドル売り元買いの市場介入をすることで、8月11日以降、元ドル為替を横ばいに維持している。しかし、横ばいを維持するために売らねばならない米国債が、前代未聞の規模にまで増加している。 (人民元のドル離れ) (新興市場バブルの崩壊) (Catch-22 for Zhou as Yuan Support Means Quantitative Tightening

 中国の巨額の売りは、米国債の金利を押し上げ要因だ。しかし同時に、米国の株価が急落し、高リスクの株式から低リスクの米国債へと資金を逃避する流れが増え、国債金利の押し下げ要因となってバランスしているため、米国債金利は上がっていない。中国政府は、米国債を売る前に、米政府に相談して了承を得たという。元ドル為替安定のためやむを得ないと米政府も判断したのだろう。 (It's Official: China Confirms It Has Begun Liquidating Treasuries, Warns Washington

 米国の株価急落は一段落したが、中国の株価は今後も下落すると予測されている。バンカメは、上海の平均株価が今後さらに35%下落すると予測している。中国当局は市場への資金注入で株価の下落を止めているが、このやり方は金がかかりすぎ、1-2カ月しか続けられない。中国政府は株価対策を縮小せざるを得ず、そうするとまた株が暴落する。 (Chinese Stocks To Plunge Another 35%, BofA Says

 中国の株が下がるほど、世界から中国に投資されていた資金が流出し、元安ドル高の圧力が強まる。人民銀行が元安を止めるには、総額1兆ドル強の、手持ちの米国債のすべてを売らねばならないと概算されている。中国は03年以降、貿易黒字を使って米国債などドル建て資産を買い貯め、昨年のピーク時に総額4兆ドル近くの外貨資産を貯めていた。 (Why QE4 Is Inevitable

 中国の米国債売りは、米連銀がドルを過剰発行して米国債を買い支えていたQE(量的緩和策)の逆回しだ。米連銀は、リーマン危機後に痛んだままの債券金融システムを延命するため、昨年までに3回のQEを行い、合計で3兆ドル近くを買い支えた。中国人民銀行も同時期に、国内の民間輸出企業が貯め込んだドルを、人民元を発行して買い上げ、そのドルで米国債を買っていた。中国は、南シナ海問題などで米国から敵視されていたのに、米国を助けることになるQEをずっと続けていた。

 今の中国は逆に、米国債を大量売却しており、これまでに進めたQEを巻き戻し(清算)していることになる。ドイツ銀行の分析者は、今の中国の行為をQE(Quantitative Easing)と反対のQT(Quantitative Tightening)と呼んでいる。1兆ドルのQTは、10年もの米国債の利回りの2%上昇に匹敵すると概算されている。利回りが上がるほど債券の信用が下がる。 (Deutsche Bank: It's Chinese 'Quantitative Tightening' That's Been Slamming Markets Around the World - Forget QE. Now it's all about QT

 中国が、米国を助けていた米国債の買い貯め(QE)をやめて、逆に米国債の大量売り(QT)を始めたことは、米国や日本にとって大きな脅威だ。中国がやめた分のQEを、誰かが代わりにやらないと、長期的に米国債の金利が上がり債券金融システムが崩れかねない。米国は昨年、QEをやりすぎて続けられなくなり、日本(とEU)に肩代わりさせて、何とか危機を先送りしている。米連銀はドル蘇生のため、日欧にQEを肩代わりさせて自分だけ利上げをもくろんでいる。米連銀は、株価が下がっても、まだ9月の利上げをあきらめていないようだが、中国のQT開始は、利上げをますます困難にする。株が暴落した中国を「ざまあみろ」と冷笑している場合ではない。中国株の暴落は、日本が無理なQEを拡大することにつながる。 (Devaluation Stunner: China Has Dumped $100 Billion In Treasurys In The Past Two Weeks

(日銀の黒田総裁は、中国は株が暴落しても今年の実体経済の成長が6-7%を維持するので、日本から中国への輸出が減って日本経済が不況に突入することはないと発言した。実のところ、中国の経済成長は今年から来年にかけてかなり減速しそうだ。黒田の発言は、日本株の再急落を防ぐための歪曲発言のようだ。嫌わねばならない中国を歪曲的に賛美しなければならないこと自体、日本経済がいかに中国に依存しているかを物語っている) (BOJ's Kuroda says China slowdown unlikely to hit Japan exports much

 中国以外の新興市場諸国も、投資資金の流出による対ドル為替の下落を防ぐため、中国同様、米国債を売り払う傾向だ。今月、中国(千億から1500億ドル)を含む全世界で合計2千億ドル分の米国債が売られたと概算されている(確定的な指標がないので推定で概算するしかない)。米国債の売りが中国に次いで激しいのはサウジアラビアで、今年に入って600億ドルの外貨資産を売った。サウジは、米国のシェール産業を潰すために世界的な石油安を引き起こし、自国の財政もきつくなって、貯め込んだ米国債を売り始めている。 (Here's How Long Saudi Arabia's US Treasury Stash Will Last Under $30, $40, And $50 Crude

 米国債の保有額は、中国が世界一、サウジが世界第3位だ。1位と3位が、米国債の買い手から売り手に転じている。中国からの資金流出も、サウジと米シェール産業の戦いも、まだまだ続くので、米国債がいずれ危機に陥っても不思議でない。 (Saudi foreign reserves fall slows in July after bond sale

 中国もサウジも、やむなく米国債を売却しているかたちになっているが、実のところ両国とも、米国債を貯め込む必要性が低下している。「やむなく」を装って国債相場を下げないようにしつつ、手持ちの米国債を売り抜けようとする戦略かもしれない。中国を筆頭とするBRICSは、ドルでなく自国の諸通貨で貿易決済する体制を強化している。BRICSは、ドル基軸制を守る国際機関であるIMF世銀体制からも自立しつつあり、BRICS開発銀行やAIIBなどを創設し、独自の国際決済システムを構築している。中国やサウジなど新興諸国は、貿易がドル建てのみで貿易の儲けで米国債を買うしかなかった従来の体制から離れつつある。

 そう考えると、最終的に中国やサウジが米国債保有の大半を売る気だとしても不思議でない。今のところ米国債相場はむしろ上昇傾向で、中国やサウジはうまく米国債を売り払えるかもしれない。だが、保有額が世界第2位のわが日本は、対米従属一辺倒であるだけに、中国などの米国債売りのためにQEを拡大してやり、米国債が危機になっても手放さず、紙切れを握りしめていることになりかねない。 (多極化への捨て駒にされる日本

 米政府は今年3月から5カ月間、米国債の発行総額を増やさない状態を続けている。満期がきた国債と同額の新規発行はできるが、純増は許されない。これは、米議会の多数派が共和党に握られており、共和党が「小さな政府主義」で、法定上の米国債の発行総額の上限(現在約18兆ドル)を引き上げることを拒否していることが表向きの理由だ。実のところ、米政府と議会は、この政治対立によって米国債の発行総額を増やさないことで、需給逼迫の状況を作り、米国債の潜在的な信用が低下しても、金利が上がらないようにしている。国債発行が制限されているので、米国はインフラ整備もままならない。米国債の潜在的な危機は拡大している。 (150 Days: Treasury Says Debt Has Been Frozen at $18,112,975,000,000

 ブルームバーグ通信によると、米国では直近のデータである7月分で、個人投資家が、株式投資信託から6・5兆ドル、債券投信から8・4兆ドルの資金を引き上げている。通常、株投信から引き上げられた資金は債券投信に流入する。両方からの資金流出は異常であり、08年のリーマン危機以来のことだ。米国民は全体として、金融投資の全般に対してリスクが大きすぎると考え始めている。金融システムは、QEやゼロ金利など過剰な緩和策で何とか延命しているだけで、いつ崩壊が顕在化しても不思議でない。米国も、最近の株安は一過性のものでなく、いずれ再発する可能性が高い。FTのようなマスコミですら、株の下落傾向が今後長く続くと書いている。 (Fed Up Investors Yank Cash From Almost Everything Just Like 2008) (US approaches a true bear market

 今回の中国の株暴落や元切り下げは、受動的な動きでなく、中国政府が能動的にやっている経済構造の大転換であるという見方がある。これについては次回に書く。

【続く】



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ