人民元のドル離れ2015年8月16日 田中 宇8月11日と12日、中国人民元の対ドル相場が2%弱ずつ下落し、2日合計で約4%下落した。中国は、1994年から2005年まで、元の為替を米ドルにペッグ(相場固定)し、05年以降は元の対ドル為替を少しずつ切り上げる管理相場制を採っている。元が1日に2%近く下落したのは94年のペッグ開始以来初めてだったので、世界的に大きなニュースとなった。 (China Just Devalued the Yuan. Could It Backfire?) (ドル元相場チャート) 人民元が急落した理由は、元を発行・管理する中央銀行である中国人民銀行が8月11日、元の対ドル為替相場を決定するやり方を変更したからだ。それまで人民銀行は、単に毎朝その日の為替相場を発表するだけだったが、8月11日以降、前日の相場の終値を主要銀行に提出させ、その中間値をもとに、世界経済の動きなどの要素を加味して翌朝の為替相場を決める、より透明度の高い、市場原理を加味した「中間値方式(mid-point fixing mechanism)」に変えると発表した。 (3 Experts on China's Shock Currency Move) (US stocks, yields stumble after China lets yuan fall again) 人民銀行が為替市場に介入し、相場を人為的に安定させる点はこれまでと同じだが、中間値方式は従来式より為替の変動が大きくなりやすい。8月11日に人民銀行が新方式への移行を発表したとたん、元の対ドル為替が急落した。人民銀行は市場介入したが、1日で1・9%の対ドル下落を容認してこの日の取引を終えた。相場は翌日も1・6%続落し、3日目に少し反騰していったん下落過程が終わった。 (China initiates market reforms of its currency, then backtracks) (Is The Currency War Over? China Revalues Yuan 0.05% Stronger) (Asia Inc weighs impact of renminbi devaluation) 人民銀行が為替相場決定方式を変えて元安を誘発した3日前の8月8日、中国の7月分の輸出が前年同月比8・3%減と、事前の予測を上回る大きな下落をしたことが発表された。そのため、3日後に元の急落が起こされたのは、中国政府が元安で輸出競争力を強化するのが目的だったとマスコミが報じた。 (China's July exports slump 8 percent, raises pressure for more stimulus) (Renminbi's fall could stoke US political debate) 人民銀行は昨年来、元の対ドル相場が横ばい状態になるよう管理(事実上ペッグ)している。昨年来、ドルの為替は、円など他の諸通貨に対して上昇しており、ドルと事実上の固定相場になっている元も、ドルにつられて上昇して高すぎる水準になり、中国の輸出を阻害してきた。中国政府が元を切り下げたいと考えるのは自然だ。 (A flexible yuan: The last thing China needs?) だが、もし中国政府が輸出力回復のために元を切り下げたのなら、10-20%は切り下げないと効果が出ない。今後さらなる元安が容認されるなら、輸出振興説に信憑性が出てくるが、その場合、米国の議会など政財界で中国への非難が急増し、米中関係が悪化する。中国の習近平主席は9月下旬に米国訪問を予定している。習近平が、自らの訪米前に米中関係を悪化させたいはずがない。今のタイミングで中国が元の対ドル為替を10-20%も引き下げるとは考えにくい。 (There's an important, overlooked angle to China's big move in the currency market) (China steps up currency war with dramatic renminbi devaluation_vv) IMFと中国とのやり取りを見ると、中国が元の為替相場決定方式を変えた理由は、IMFが定めている世界の主要通貨群(SDR)の中に、元を含めてもらいたいからだったとわかる。IMFは、ドル、ユーロ、円、英ポンドを主要通貨と定め、それらを加重平均したSDRという単位を、中央銀行間の取引用に使っている。戦後世界の単独基軸通貨であるドルに「もしも」のことがあったら、SDRが代わりの基軸通貨制度になると、リーマンショック直後に構想された。IMFは、どの国の通貨をSDRに入れるかを5年ごとに見直す。今年はその見直しの年だ。中国は前回10年の見直し時に人民元のSDR入りを申請したがIMFに却下された。その後、人民元は国際決済での使用を拡大し、取引も自由化されつつあるので、今年は何としても元をSDRに入れたいと中国政府は考えている。 (The Rise of the Renminbi - Will China's Yuan Become A Global Reserve Currency?) (ドル崩壊とBRIC) IMFは、広範に取り引きされ、為替相場が自由市場で決定されている通貨を、SDRを構成する通貨として認定している。中国の元は05年以降も人民銀行が毎日市場に介入し、対ドル為替が少しずつ上昇するよう(最近は横ばい状態が続くように)厳しく管理している。事実上のドルペッグが続いており、相場が自由市場で決定されていない。中国が今年、元をSDRに入れたければ、できるだけ早めに元の為替相場決定制度を自由化する必要があった。8月11日に人民銀行が為替相場決定方式を透明化して市場原理を導入した後、IMFはこれを歓迎するコメントを発表している。 (IMF says China's new yuan midpoint mechanism a "welcome step") 中国が為替決定方式を変えてから3日後の8月14日、IMFは、中国が方式を変えたのは、IMFが強く要請したからだとする内容を含んだ報告書(中国経済に関する定例の年次報告書)を発表した。それよると、IMFは何年も前から中国に対し、為替市場を自由化すべきだと忠告してきたが、今年5月、IMFの調査団が中国を訪問した際、中国側に「中国を出入りする資金の量や動きがしだいに大きくなっているので、早く為替相場を自由化しないと、当局が市場を統制できなくなる」「中国は、2-3年以内に変動相場制に移行することが可能だし、そうすべきだ」と力説した。 (IMF set stage for China currency shift) この説得を受け入れ、中国政府は、まず7月26日に為替の1日の変動幅の上限を2%から3%に拡大し、続いて8月11日に為替相場の決定方法を中間値方式に変更した。要するに、中国が元を切り下げさせたのはIMFだったことになる。 (Beijing widening of yuan trading band aimed at IMF, pushes for market reforms) 中国が今の時期に元の切り下げにつながる為替決定方式の変更を行った時期的な理由は、米国が9月17日の連銀(FRB)理事会で利上げを決めるかもしれないからだ。米国が利上げすると、ますますドルの諸通貨に対する為替が高くなり、元がドルの為替に事実上固定したままだと、元高にも拍車がかかる。その前に元の相場をやや自由化し、ドルがさらに上がったときに元が連動して上がりにくいようにしたと考えられる。 (China made its move, now it's Janet Yellen's turn in the currency war) これまで頑固に管理相場制を貫いてきた中国が、本当に2-3年内に元を変動相場制に移行できるのか、怪しい感じもする。米国が利上げした場合など、今後の数カ月内で元の対ドル為替がどの程度下がるのかも不透明だ。中国の通貨の改革はまだ始動段階なので、IMFは今年中に決定するはずだった元のSDR入りの可否の判断を来年秋まで1年延期し、来年秋、G20の輪番制の議長国が中国になったところで、元のSDR入りが決定されるかもしれないというシナリオを、ブルームバーグ通信が報じている。 (IMF Says More Work Needed on Yuan Reserve-Currency Decision) リーマン危機後の、多極型のG20サミット創設とともに、IMFは事実上G20の下部機関になったと、当時報じられていた。半面、ギリシャ危機などにおけるIMFの動きからは、IMFが今も米国の単独覇権主義(ワシントン・コンセンサス)の手先であると感じられる。内部で暗闘があるのかもしれない。IMFが多極型世界の敵でなく味方であるなら、中国の元は、今年か来年にSDR入りするだろうし、IMFの助力を受けて変動相場制を導入していくだろう。 (G20は世界政府になる) (China's Reforms Are Enough To Support RMB's Inclusion Into IMF's SDR Basket) WSJ紙は、今回の中国の動きについて、非常に興味深い記事を載せている。中国の動きは、元のドルからの独立であり、中国が戦後の米国覇権体制から離脱していくことを示しているという。WSJによると、ドルはこの30年あまり、市場原理主義のせいで高値と安値を繰り返す不安定な動きを続けてきた。中国はペッグで対ドル相場を安定させ、高度成長を実現したが、最近のドルの不安定さ(ドル高)は、中国の許容範囲を超えている。米国は、日欧とともにやったQE(量的緩和策)によって世界経済の成長鈍化を招き、今また市場を破壊する無理な利上げをやろうとしている。米欧日はQEに頼りすぎ、経済の改革を怠っている。中国はそれらに愛想を尽かし、ドルの傘下から離脱して、人民元自身を世界経済の安定役にしようと、入念な計画を進めていると、WSJは書いている。 (China Declares Currency Independence) WSJは共和党系のメディアだが、米経済学者で元国務次官補、WSJ定期執筆者のデビッド・マルパスが書いたこの論文は、共和党のタカ派が叫ぶ中国を敵視中傷する論調と正反対だ(共和党でもロックフェラー系は根強く親中国だが)。QEを悪政と断罪しているのも興味深い。 (David Malpass - Wikipedia) (David Malpass: The World's Monetary Dead End - WSJ) 地政学分析者のペペ・エスコバルも、人民元をめぐる最近の中国の動きは、為替の自由化や変動相場制の導入を通じて、元を国際基軸通貨にするための、長く複雑な戦略の始まりなのだと指摘している。元の大幅安は、元の国際利用を拡大して基軸通貨にしていく戦略に反するので、元安傾向はそれほど続かないだろうとも書いている。 (Latest Currency 'War' is All About) 元の相場の安定や為替安は、中国の輸出産業にとって有利だ。中国経済の主導役が輸出産業だった従来は、固定相場制の維持や切り下げが中国経済の浮揚策として有効だった。だが、工業部門が中国のGDPに占める割合は低下し始めている。今後しだいに、中国は固定相場制を維持する利得が減っていく。中国自身は、固定相場制からの離脱をゆっくりやろうと考えていたが、ドル崩壊を懸念するIMFに急かされ、前倒しすることにした。 (Is China ready to give up renminbi's peg to dollar?) 元の対ドル相場は、昨年までの20年間に上昇圧力が強く、米国がドルの覇権を維持するためQEをやめてドル高策に転じた昨年からは反転して下落圧力が強くなった。人民銀行はこれらの圧力を為替介入で止め、相場を管理していた。昨年までの元高傾向を止めるため、人民銀行は20年間、ドル買い元売りを続け、その結果中国は4兆ドル近くの米国債を貯め込んだ。しかし為替が自由化されていく今後、中国はもう米国債を買う必要がなくなり、貯めておいた米国債を売る(代わりに人民元の基軸性の強化策として金地金を買い増す)傾向が強まる。中国の為替自由化は、長期的に米国債を不利にする。 (Is This The Real Reason Why Washington Fears China?) 人民銀行は先月、6年ぶりに金地金の保有量を発表し、世界を驚かせた(保有量は6年間で6割増えて1650トンになったが、地金輸出入や生産の量から概算した3千トンという数字よりずっと少なかった)。またしばらくは人民銀行が地金保有量を発表することはないだろうと思われたが、意外なことに人民銀は1カ月後の8月14日、月次の地金保有量を発表した(前月比19トン増)。人民銀が地金保有量を月次で発表するようになったことも、元の金本位制や基軸通貨化を意識した動きと考えられる。 (China Surprises for a Second Time This Week With More Gold Data) (金暴落はドル崩壊の前兆) (金本位制の基軸通貨をめざす中国) IMFだけでなく、米政府の財務省も、中国が為替相場の決定方法を改革したことを賞賛するコメントを発表した。米政府はIMFと同様、以前から中国に為替の自由化を強く勧めており、その意味で米財務省のコメントは理が通っている。 (Wednesday's China shockwave: Yuan devalued 1.6%; IMF support, US Treasury cautious) (Signs of pushback on US interest rate rise call) しかし元の切り下げは、中国への輸出で儲けている米国の多国籍企業の業績を悪化させ、米経済にマイナスだ。他の新興市場諸国の通貨安、日本や欧州のQEの加速、石油や鉱物などコモディティ価格の下落などにつながり、米国と世界のデフレ傾向を押し進めるので、米連銀は利上げしにくくなる。米国が利上げする可能性は、50%超から30%台に低下したとみられている。 (China devaluation sends oil to 6-year low) (Currency war? How China devaluation may impact Fed) (China puts September Fed rate lift-off in doubt) 加えて、中国の為替自由化は、元をドルと並ぶ基軸通貨に仕立てていこうとする中国の戦略の一環なのだから、長期的に米国の脅威になるものだ。国防総省は以前から、米国の覇権に対抗してくる国を潰すことを戦略にしている。米財務省やIMFが人民元の自由化を支援・賞賛するのは、隠れ多極主義的な行為だ。 日本政府は、元の切り下げに対抗し、日銀にQEを拡大させることを模索している。日本やEUがQEを拡大すれば、米連銀が利上げできなくても、ドルや米債券金融システムを延命させる力になる。QEの拡大は、金地金相場を再下落させる先物資金の拡大にもなる。しかし長期的には、日本の財政破綻を早めることになるし、米連銀が利上げできないことが確定していくと、それ自体がドルや米国債に対する信用を失墜させる。ドルや円が崩壊し、対照的に人民元やBRICSの諸通貨が(いずれユーロも)力を持つ多極型の新世界秩序の出現へと、事態は近づいていく。 (Japan Escalates Currency Race-To-The-Bottom Rhetoric)
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