ユーロもQEで自滅への道?2015年1月27日 田中 宇1989年の冷戦終結とともに始まった欧州統合は、それまで中小規模の国家が別個に対米従属の姿勢を採っていた西欧の地政学的な状況を、国家統合され対米従属の必要がなくなる超国家機関EUに転換する史上初めての壮大な政治の試みだ。EUがユーラシア西部の地域覇権を担う世界の極の一つになり、中国やロシアなどのBRICSが台頭してEUとの連携を模索し、同時に米国の単独覇権体制が金融や軍事の戦略破綻によって崩れ、世界の覇権体制が多極型に転換してきたのが、03年のイラク侵攻あたりから今までの流れだった。しかし今、EUの欧州統合の事業は、失敗させられる危機に直面している。 EUの危機は、いくつもの出来事が同時に起きている。危機の一つは、今回書く欧州中央銀行(ECB)による自滅的な金融緩和策(QE)についてだ。危機の2つ目は、先日の選挙で圧勝したギリシャの新政権が、ナショナリズムに基づいてEUやIMFから強制された緊縮財政策を拒否していることだ。ギリシャの拒否戦略がスペインやイタリアなどEUに救済されている他の南欧諸国に飛び火し、呼応してドイツや北欧でも南欧の救済を拒否するナショナリズム政党が台頭すると、EU諸国間の結束が崩れ、欧州統合が失敗に至る。 (Europe cannot agree to write off Greece's debt) 危機の3つ目は、先日パリで起きたイスラム過激派によるテロによって再燃した「テロ戦争」だ。パレスチナに対する殺戮や虐待を続けるイスラエルを、EUが経済制裁しようとしていることに対する、軍産イスラエル(米イスラエル右派)の側からの反撃と考えられる。ISIS(イスラム国)やアルカイダは、軍産イスラエルが裏から支援誘導してきた「作られた敵」だ。ISISやアルカイダにそそのかされたイスラム教徒の若者が、フランスの反イスラム雑誌やユダヤ人の商店で殺人テロをやり、フランスの言論機関がいっせいに「言論の自由を守れ」「イスラム過激派を非難せよ」と叫んで多くの仏国民がそれに乗せられ、非難の対象がイスラエルからイスラムの側に転換し、パレスチナ問題をかき消す効果をもたらした。フランスが乗せられている「テロ戦争」は、米イスラエルが出す情報やテロに欧州が振り回される構図であり、欧州が米国覇権から脱することを妨害している。 (The Uses of Charlie Hebdo) (日本も、安倍首相のイスラエル訪問を機にISISによる人質事件が起こり、米イスラエルのテロ戦争再燃に巻き込まれた。ヨルダンで投獄中のテロリスト一味の女性と後藤さんを交換する案が出て、日本政府がそれに乗ろうとしたところ、米政府が「テロに譲歩するな」と反対した。安倍首相が、国内人気取りのために米国の反対を押し切って人質と囚人の交換に踏み切ると、日米関係が悪化し、対米従属の国是が危機になる。安倍が米国の指示に従うと、人命第一の日本の世論から「安倍は米国の言いなりだ」と非難される。米国は、安倍を対米従属から振り払おうとしているかのようだ。「テロに譲歩すべきでない」とテレビで言っている「専門家」たちが日本外務省の傀儡だとわかるようになる) (安倍イスラエル訪問とISIS人質事件) 4つ目はウクライナでのロシアとの対立だ。ウクライナ東部で戦闘が激化し、NATOは「ロシア軍が東部に侵入している」と非難し、ロシアは「米国がウクライナをけしかけて戦闘させている」と非難し返した。そんな中、ウクライナ東部の戦闘地マリウポルを取材中のロシア系メディアが、ウクライナ軍の制服を着てカラシニコフ銃を持っているのに流暢な英語を母語のように話す兵士に遭遇し、米軍の諜報要員がウクライナ軍に同行して東部の戦闘地域に入っている疑いが強まった(ウクライナ軍には、ウクライナ系米国人が個人的な意志で義勇兵として従軍していると報じられたことがあるので、米軍の諜報要員でない可能性もある)。米軍は公式に、間もなく米軍部隊をウクライナ軍の訓練要員として派遣すると発表しており、米国はウクライナへの軍事介入を強めている。米国が事態を戦争に近づけるほど、EUは中立姿勢をとれなくなり、対米従属に戻らされる。 ("Out Of My Face Please" - Why Are US Soldiers In Mariupol?) (Pentagon Confirms US Troops Will Deploy to Ukraine in Spring) 出来事がどんどん起きて追いつけないので、とりあえずEU関連の地政学的な動きを箇条書きのように書いた。今回は、その中のユーロの量的緩和策の話を書く。 * * * 1月22日に欧州中央銀行(ECB)が決定した「デフレ対策」としての債券買い支え策(量的緩和策、QE)の拡大について、米欧マスコミでは「事前の専門家たちの予測は債券買い支えの総額が5500億ユーロだったが、実際に発表された総額はその倍の1兆1千億ユーロ(毎月600億ユーロで18か月)で、予想を上回る大規模さだ。大きな効果が期待できる」と評価する記事がいくつも出た。(ECBは昨秋から社債を買い支えていたが、今回対象を国債にも拡大した) (Mario Draghi's bond-buying plan outstrips expectations) (ECB launches 1 trillion euro rescue plan to revive euro economy) しかしECBの発表を詳細に見ていくと、債券買い支えの実質的な総額は、発表された額よりかなり少ないことが予想される。ECBが発表した債券買い支え総額のうちECB自身が責任を持つのは20%だけで、残りの80%は各国中央銀行が自国の国債を買い支えねばならない。(ECBが買い支えるのが8%、各国中央銀行が買い支えて損失をECBが負担するのが12%) (The ECB Releases The Details Of Its Debt Monetization And Money Printing Program) ユーロ圏諸国のうち、これまでの救済策でECBや他国に国債を買い支えてもらった国は、その分だけ自国の国債を買い支える上限額が減る。ギリシャは早くとも今年7月まで買い支えを始められないし、スペインやイタリアは買い支えの額が少ない。国債を買い支えて金利を下げたいのは、これらの南欧諸国だが、彼らは買い支えを制限されている。 (Three deft tricks that earned Draghi his `Super Mario' nickname) 対照的に、存分に買い支えができるのは、経済に余裕があり国債買い支えの救済を受けていないドイツや北欧諸国だが、これらの国々は買い支えなど必要なく、ECBのドラギ総裁がごり押しするQEに強く反対してきた。各国の中銀がどんな割合で自国国債を買い支えるのか詳細が発表されておらず、ドイツや北欧諸国が、自国に割り当てられた国債買い支えを執行したくない場合どうなるか(買い支えの強制があるかどうか)も決まっていない。今後交渉するのだろうが、ドイツや北欧がドラギの言いなりになるとは思えない。 (QE and the ECB: "Authorize" is a Slippery Word) 確定しているのは、1・1兆ユーロの総額のうちECBが責任を持つ20%、つまり2200億ユーロ(毎月120億ユーロずつ18か月)にすぎない。米連銀のQEは6年間で総額2兆ドルだった。ECBの確定分はその7分の1以下だ。日銀の現行のQEは年間80兆円(月額505億ユーロ)の規模だ。ECBの確定分は、日銀のQEの2割以下だ。ECBのQEは実質的な規模がかなり小さい。 (Goldman Puts Europe's Upcoming QE In Perspective: The ECB Will Monetize Five Times All Net Issuance) (米国と心中したい日本のQE拡大) ECBのドラギ総裁は昨夏に米連銀と会議した後、急に米国の傀儡に変身し、ユーロと欧州の国債の価値を下げてドルや米国債を守る効果があるQEを強権的に実行しようとした。ドイツと北欧以外のユーロ圏諸国の多くは、株価など金融テコ入れの効果があるQEをやりたがり、ドラギの案に賛成した。ECBの理事会を数の力で押し切られたドイツ北欧勢は、QEを見かけだけ巨額にしてユーロ安や株価押し上げの効果を残しつつ、実際のQEの額が小さくなるよう設定し、長期的に通貨を自滅させかねないQEの悪影響を小さくする玉虫色の折衷策でドラギと合意した。 (Eurozone QE set to arrive, but with conditions) (◆欧州中央銀行の反乱) (How Europe's power couple split over QE) 今の金融市場の投資家のほとんどは短期の利益だけ追究するので近視眼的だ。後でわかる実際のQEの中身が薄くても、最初の発表時に巨額なら、それで満足して株や債券に買いを入れ、ドル買いユーロ売りをする。ECBは、発表前に投資家の期待をあおる発言を繰り返し、その期待効果だけでかなり相場が上がっている。QE推進派は儲かって満足したはずだ。 (The ECB's QE Is Coming, Too Small, Late And Might Well Fail) ドラギは、1・1兆ユーロの規模をドイツから了承されながら、事前に5500億ユーロの規模とマスコミにリークして書かせ、その2倍の額を発表することで市場から好感されることに成功した。ECBのQEに関する米英マスコミの記事のいくつかは、初めの方だけ読むとQEが事前の予想を上回るすばらしいものだという感じを受けるが、記事を読み進めると、確定しているのは総額の2割にすぎないことが長文記事の後ろの方に書かれている。記事は全体としてウソを書いていない。まずいことはあまり読まれない後ろに回し、見出しを誇張しただけだ。マスコミが金融界の味方をするプロパガンダ機関であることが見て取れる。 (Mario Draghi announces 1.1 trillion euro quantitative easing programme) ECBのQEは、総額の上げ底以外にも、ドイツなど反対派が仕掛けたトリックがいくつかある。その一つは、QEでECBや各国中銀が買い支える国債の上限を、1回の国債入札の25%に設定していることだ。日銀は、日本政府が新規発行する国債をすべて買い支えている。EUは4分の1だけだ。国債発行量が少ないと、毎月600億ユーロの目標を達成できない可能性もある。EUの裁判所はQEを合法と認めたが、QEが国債価格(金利)を人為的に変えることを禁じた。国債価格に影響を与えない買い支えの上限として25%が制定された。(米連銀は6年間のQEで国債発行総額の28%を買い支えた。ECBのQEはそれに近い) (Here Are The Negatives In Today's ECB QE Announcement) 日銀は、インフレが2%に達するまでQEを無期限に続けることを決めており、最近はインフレが2%に近づかない場合QEをさらに拡大すると表明している。対照的にECBは、QEを18か月に限定するとともに、目標値を日銀と同じ2%に設定しながらも「インフレが目標値に向かっていくこと」を目標にしており、2%にならなくてもQEを終了できる。来年にかけて原油価格が超安値を脱するとインフレ率が上昇し、QEが終了に向かう。事前に「巨額のQEが必要だ」と煽る記事を書いたFTのコラムニスト(Wolfgang Munchau)は、この点を突いて「ECBのQEは不完全だ」と不満を表明している。 (Draghi's QE is an imperfect compromise for the eurozone) (Why the ECB should not water down a QE programme) (Kuroda Says BOJ to Mull Fresh Options in Case of More Easing) ECBはQEの開始時期も、発表とともに開始でなく、今年3月15日の開始とした。ドイツは、3月までの間にギリシャの新政権との交渉をまとめる時間を作った(交渉難航は必至だが)。加えて、ロシアの助けを借りねばならないウクライナの財政破綻も予測され、それによって独露関係が好転する可能性もある。(対抗して米軍はウクライナへの介入を強め、米欧とロシアの関係を悪化させている) (Here Are The Negatives In Today's ECB QE Announcement) ECBがQEを強化する理由は「デフレ(インフレ低下)がひどくなっているから」だが、ユーロ圏経済がQEを必要とする構造的(悪循環的)なデフレに陥っているかどうか疑問がある。昨年12月のユーロ圏の消費者物価は前年同月比0・2%低下し、09年以来初めてインフレ率の低下(ディスインフレ)が起きた。これが「ユーロ圏はデフレの罠に陥った」と騒がれ、ECBのQE開始論を盛り上げた。しかし、この価格低下は原油安の影響が大きく、石油を除外したインフレ率はむしろ微増の傾向だ。原油安でインフレが低下するのは当然で、QEの必要はない。それなのにドラギのECBは、ドルを救うためにユーロを犠牲にするQE拡大に踏み切った。 (Prices Fall and Worry Escalates in the Eurozone) 通貨を過剰に発行して国債やジャンク債を買い支えるQEは、金融界の損失を消す救済策であり、バブル崩壊(金利高騰)を抑止して金融システムを延命し、株価を押し上げて投資家(特に巨額投資している大金持ち)を儲けさせる効果がある。しかし、金利低下で年金生活者が苦しみ、貧富格差が拡大する。投資家が高利を求めて高リスク債券に投資するのでバブル膨張が激化し、長期的に事態をバブル崩壊に近づける。すでにQEをやっている日米では、カネあまりになっても銀行は中小企業に融資せず、景気浮揚の効果がない。米連銀や英中銀の元総裁たちが、口々に「QEは良い効果がない」と表明して警告を発している。 (Another Former Central Banker Finally Gets It: "The Idea That Monetary Stimulus Is The Answer Doesn't Seem Right") QEは経済を回復しない間違った政策だが、日欧のQEは円やユーロを引き下げてドルを延命させる効果がある。米連銀は、自分が6年間QEをやってもう続けられないので、日銀やECBにQEを引き継がせたい。ドラギはその策略にはまり、米国との関係を悪化させたくないドイツも押し切られ、ECBはQEを開始した。すでに述べたように、今のところECBのQEには多くの制限がついているが、QEはやめると株や債券の大幅下落を引き起こすのでやめられず、中毒に陥りやすい。ユーロは自滅への道をたどり始めたかもしれない。 (This Is the Beginning of the End for the Euro) EUがQEを拡大し、円だけでなくユーロまでが為替安の傾向を強めそうなため、QEをしておらず為替の高値が保たれそうなカナダドルやデンマーククローネなどに資金が大量に流入し、カナダやデンマーク、インド、ペルーの中央銀行が自国通貨の魅力を低下させようと相次いで金利を引き下げた。スイスは、この通貨引き下げ競争から離脱を決め、スイスフランが高騰した。 (Currency war: Who will be the casualties?) (◆スイスフランの転換) 各国が金利を引き下げ、QEを拡大するほど、すでにQEをやめて今年金利を上げるかもしれないと言い続けている米連銀のドルが強くなり、リーマン危機とその後のQEで自滅しかけたドルと米国債が延命する構図になっている。リーマン危機でドルを自滅させかけたのは米金融界だが、延命させているのも米金融界だ。米金融界の内部で自滅派(多極主義者)と延命派(米覇権重視派)が暗闘し、延命派が日本やEUにQEをやらせていると考えられる。
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |