クルド独立機運の高まり2014年6月30日 田中 宇6月27日、トルコの与党AKP(公正発展党)の広報官が、トルコがこれまで容認したことのなかった北イラクのクルド人国家の独立を認める発言をおこなった。広報官(Huseyin Celik)はこの日、FT紙に対して「かつて(北イラクの)クルドの独立はトルコとの戦争を意味したが(ISISの台頭とイラクの3分割によって)誰もそんなことを言えない時代になった」「クルディスタン(クルド国)と聞くと(トルコの)人々は神経質になるが、彼らはクルディスタン(クルド人)という名前なのだからしかたない(受け入れるしかない)」などとと語った。 (Turkey ready to accept Kurdish state in historic shift) (Turkey Ready To Accept Kurdish State in Northern Iraq) クルド人は総勢4千万人おり、国家を持たない世界最大の民族だ。第一次大戦でオスマントルコ帝国が負けて潰され分割された時、英米は一時クルド人が独立国家を作ることを認めたが、その後、トルコでアタチュルク将軍が革命を起こし、親欧的で反イスラム(世俗主義)のトルコ共和国を建国するめどが立ったため、英米はクルド人との約束を静かに放棄し、クルド人地域の大半は新生トルコの領土になり、残りはイラク、イラン、シリアに分割吸収された。新生トルコは、オスマン帝国時代に存在していなかった概念であるトルコ民族主義を短期間で定着させようとして、国内のクルド人の民族意識を強く弾圧して「トルコ人」に同化しようとした。 (Israel says disintegration in Iraq may lead to independent Kurdish state) トルコの隣の北イラクでも、クルド人の独立運動が根強く続き、1990年の湾岸戦争後、北イラクのクルド人は、イラクのフセイン政権への制裁を続ける米国にすり寄り、イラクから独立してクルド人国家を作ろうとした。北イラクのクルド人が独立することはトルコにとって大きな脅威で、当時のトルコ政府は、クルドが独立したらトルコ軍が北イラクに侵攻すると宣言していた。広報官が言うように「かつて(北イラクの)クルドの独立はトルコとの戦争を意味した」。 (クルドの地図) だが03年の米軍イラク占領後、クルドに対するトルコの姿勢が寛容の方向に変化した。その理由の一つは、トルコの長期政権党であるAKPが、トルコをまとめる国家戦略(国是)を、それまでの「トルコ民族主義(アタチュルク主義)」から「イスラム主義」に転換したからだ。AKPの転換の動機は、彼らがイスラム好きだったからでなく、民族主義の国是を守る口実でトルコの官僚や軍部、司法界、マスコミなどのネットワーク(エルゲネコン。日本の対米従属派にも似ている)が隠然独裁体制を敷いていたのを壊す目的で、イスラム主義の方向に国是を引っ張った。 (近現代の終わりとトルコの転換) トルコが民族主義にこだわるなら、国内のクルド人を無理矢理トルコ人として同化する必要があるが、国是がイスラム主義なら同化は重要でない。AKPのエルドアン政権はここ数年、国内のクルド人に自治拡大を認めている。クルド人は、同化政策を採るトルコ民族主義の世俗派政権よりも、寛容なイスラム主義のAKPを好み、AKPの政権が続く限りクルド人はトルコからの独立要求を放棄しそうだ。8月の大統領選挙で首相から大統領に転じようとしているエルドアンは、有権者の17%を占めるクルド人の支持を得ることに成功し、当選しそうだ。 (Slaps notwithstanding, Turkey's Erdogan seems unstoppable) (Courting Kurdish vote, Turkey's Erdogan warns against sabotaging peace) トルコがクルド人に寛容になったもう一つの理由は、米軍のイラク占領が失敗して混乱が続いたからだ。例外的に安定を保った北イラクのクルド人は、混乱したイラクの他の地域との経済関係に期待できず、隣接するトルコとの経済関係を強化せざるを得ず、トルコが北イラクを経済的に傘下に入れる傾向が強まった。北イラクのクルド地域で生産される製品の大半はトルコに輸出され、北イラクではトルコ企業の活動が盛んで、投資の大半はトルコから来た。クルド地域にはいくつか油田がある。その石油はトルコ経由で輸出され、最初はタンクローリーで、やがてパイプラインが建設された。北イラクは事実上、トルコ経済に編入された。 (Iraq Breakup Made Easier by Turkey's Detente With Kurds) 北イラク最大の油田はキルクークだが、キルクークからトルコのジェイハン港への直行パイプライン(イラク政府管轄)は今年3月、スンニ派のISISによって爆破された。その後、キルクークを自分らの領土に入れたいクルド人が、クルド地域の油田からトルコに原油を運ぶパイプライン(クルド自治政府管轄)を伸ばしてキルクークにつなぎ、この迂回路でクルド人がキルクークの石油をジェイハンへ輸出するようになった。 (With new grip on oil fields, Iraq Kurds unveil plan to ramp up exports) (Kurdish crude begins to hit the oil market) クルドが出した原油を積んだ最初のタンカーが5月にジェイハン港を出発して米国に向かったが、イラクの中央政府が米政府に要請し、取引をキャンセルさせた。タンカーは行き場を失ったが、結局クルドと親しいイスラエルがこの石油を買うことになった。キルクークからクルド経由でトルコの港に運ばれた原油は、2隻目、3隻目のタンカーを満たして輸出されており、イラク政府の反対を押し切ってクルド人がキルクークの油田を保有する事態が既成事実化しつつある。 (Oil spat puts focus on Baghdad's battle of wills with Kurd region) (As Israeli Port Accepts Kurdish Oil, Long History of Back-Channel Relations Expected to Continue) クルドの石油をめぐるこの展開は、6月10日のISISによるモスル陥落と並行して展開している。ISISがモスルを陥落したから急にイラク3分割の今の事態が始まったのでなく、それ以前から3分割への動きがあったことが感じ取れる。 以前からクルド人の原油をトルコ経由で買っていたイスラエルは、今回トルコのAKPがクルド独立容認の発言を発するのと前後して、クルド国家が独立したら喜んで承認すると発表している。イランとイラク(フセイン政権)の両方を敵視する政策を長く米国に採らせてきたイスラエルは、イランやイラクの動向を把握するため、CIAなどに混じって自国の諜報機関モサドの要員を北イラクのクルド人地域に送り込んできた。クルド人の方は、イスラム世界から同情を集めるためイスラエルとの関係を隠したがったが、クルドとイスラエルの関係は公然の秘密だった。今回もイスラエルは、クルドが独立するならぜひ首都のアルビルに大使館を置きたいと表明した。 (Israel says disintegration in Iraq may lead to independent Kurdish state) (Netanyahu calls for Kurdish independence from Iraq) 現実的には、たとえイラクにクルド国家が作られても、イスラエルと正式な国交を結ばないだろう。北イラクのクルド地域は、トルコとイランという地域大国に隣接しており、クルドが独立できるのは、トルコとイランの両方が了承した場合だけだ。イランは、自国を敵視するイスラエルの大使館が、自国のすぐ隣のクルドにできることを歓迎しない。トルコも2009年からイスラエルとの関係が冷却している。 (Triangulation: Israel-Turkey-Kurdish Oil Deal Points to Possible Alliance) イランは、イラクのクルド地域の独立について、何も示唆していない。先日、クルドのバルザニ大統領(議長)がイランを訪問し、両者が友好関係あることは確認されている。 (Kurdish Premier and Iran Discuss Iraq as Rebels Advance on Baghdad) トルコもイランも、国益から推測すると、イラクのクルド地域が独立することをあまり歓迎していないだろう。今は、クルドが国家以下の「イラクの中の自治区」でしかないので、トルコはクルドより上位の存在で、有利な立場でクルドと関係を持っている。だが今後もしクルド国家が独立して世界から認められると、トルコとクルドは対等な国家関係になり、クルドがトルコの言うことを聞かない傾向が強まる。トルコの政権は、口でこそクルド人を喜ばせようと独立容認を示唆してみせたが、本心では、クルドが国家以下の自治区のままであることを望んでいるはずだ。 イランの立場もトルコと同様だ。シーア派の国イランは、宗教ネットワークを通じて、すでにイラクのシーア派地域を傘下に入れている。イランは、イラクが統合されたナショナリズムを持つことを嫌っている。以前の記事に書いたとおり、イラク・ナショナリズムは、イランを敵視する傾向があるからだ。イラン政府は、ISISが台頭してイラクが3分割の傾向を強めるのをひそかに歓迎しているというのが私の分析だ。同時にイランは、イラクが明示的に3つの国に分割されることも歓迎しない。前述した通り、イスラエルがクルド国に入ってきて反イラン活動を強めるかもしれないし、スンニ派の国(ISIS?)がサウジアラビアなどと連携して反イラン活動を強めるかもしれないからだ。 (イラク混乱はイランの覇権策?) イランもトルコも、イラクが国際的(外交的)に統一を維持したまま、事実上3分割されている状態が続くことを望んでいるはずだ。イラク中央政府は、たとえ今のマリキ首相が米国やサウジからの圧力で辞めさせられ、アハマド・チャラビ(元ネオコン、イランのスパイ)やアデル・アブドル・マフディ(親イラン政党の幹部)が次の首相になっても、親イランの傾向が変わらないので、イラク政府自身が自国の3分割を認めることはないだろう。 (Iraqi PM Maliki facing rival Shi'ite bids for premiership) イラクの3分割が国際承認され公式化するには、安保理が主導する国連の承認が必要だ。安保理の常任理事国の中で、米国はイラクの3分割に反対している。米オバマ政権は、外交的な事なかれ主義が増しており、外交の負担が増えるイラク3分割に反対だ。ロシアは、米国が見捨てたイラクのマリキ首相に接近し、ロシア製の中古戦闘機の売り込みに成功した。マリキは「米国がなかなか戦闘機を売ってくれないのでISISが台頭した。米国が売ってくれない以上、ロシアから買うしかない」と言っている。マリキはイラク3分割に反対しているので、ロシアも反対だろう。加えてイランは、自国の影響圏であるイラクの問題を国連安保理に付託したくないはずだ。 (Is Russia Replacing US in Iraq? By Juan Cole) (Putin voices support for Iraq govt) イラク3分割は公式化しそうもないが、現実的にどんどん進んでいる。モスル陥落後、クルド人自治区や、クルドの統治下に入ったキルクークに逃げてくるスンニ派住民が急増した。クルド自治政府は、その中に避難民のふりをしたスンニ過激派が多数混じっており、今はクルドと敵対していないISISが、今後クルドを敵視し始めた場合、スンニ難民が過激派の活動を開始し、クルド地区やキルクークで爆弾テロなど行うと懸念している。この懸念を理由に、クルド自治区は、隣接するスンニ派地域からクルド地区への人々の移動を制限し始めた。これは事実上の国境線だ。 (As Militants Fight on in Iraq, Kurds Worry About `Sleeping Cells' in Kirkuk) (Iraq crisis: Kurdish authorities place tight restrictions on border crossings) クルドとスンニ派地域の境界線は延べ千キロにおよび、既存のクルド軍(ペシュメガ)だけで警備しきれない。そのためクルド自治政府は急いで国民皆兵の体制を作り、市民に軍事訓練をほどこして国境警備にあたらせている。クルドの事実上の独立は急速に進んでいる。 (Unprecedented Kurdish peshmerga deployment in Iraq) クルド人は独立傾向を強めるだけでなく、以前の親米傾向を捨て、米国の言うことを聞かなくなった。先日、米国のケリー国務長官がイラクを訪問し、バグダッドでクルド人指導者のバルザニ大統領に会おうとした。しかしバルザニはバグダッドで会うことを拒否し、クルドの「首都」であるアルビルで会いたいと逆提案した。クルド人に独立を思いとどまらせたいケリーは、やむなくアルビルまで行ってバルザニに会った。しかし、米国務長官がクルドの「首都」を訪問したことは、逆に米国がクルド独立を容認せざるを得なくなっている印象を残した。アルビルでの会談時間はわずか20分だった。ケリーはクルド人にバグダッド政府への協力を要請したが、バルザニは協力などしないと断ったのだろう。 (Erbil's `No' to the Americans) 6月29日には、ISIS(イラクとレバントのイスラム国)が国家としての独立宣言を発した。ISISの指導者アブバクル・バグダディが、イスラム世界全体の行政のトップである「カリフ」になると宣言した。カリフ職は、7世紀の最初のイスラム帝国から、1924年に滅びたオスマントルコの皇帝までが持っていた職位だ。ISISは以前から「カリフ国」を自称していた。 (ISIS Announces New State in Iraq, Syria; Names Leader Caliph) (Isis declares establishment of a sovereign state) ISISの独立宣言は米欧マスコミで大きく報じられ、いずれ昔のイスラム帝国のようにISISが中東全域を席巻するかもしれないという恐怖を煽っている。しかし、ISISの軍勢は2万人以下で、バグダッドを攻略すると宣伝しつつ、実のところ手前のティクリートにおけるイラク政府軍との戦闘で数日前から劣勢になっいる。ISISを看板とするスンニ派勢力は、すでにイラクのスンニ派地域全体を支配し、これ以上領土を拡大するつもりがないので独立を宣言したとも考えられる。 (Iraq stalled in bid to retake Tikrit) ISISを看板とする勢力は、中東全域を支配する印象を喧伝しつつ、実のところイラクのスンニ派地域のみの統治を目指している感じだ。ISISの喧伝には、米国主導の国際マスコミのプロパガンダ機能が協力している。イラクのクルド人は、何年も前から安定した行政機構や、わりと民主的な政治機構を持ち、独立する準備ができている。対照的にISISは、勢力としての実体すら不明だ。イラクの旧バース党勢力がISISを名乗っているとか、いずれイラクのスンニ内部で過激派と現実派が分裂するとの見方もある。 (Sunni Militants: `Popular Revolution' is Against Maliki) (Divergent visions could split Iraq's Sunni revolt) ISISが、他のイスラム諸国への侵略を意味する「カリフ国」の自称を捨て、イラクのスンニ派地域のみの行政や政治の機構を持って現実的になるなら、クルドと同様、いずれ世界から国家承認される可能性も少しはある。スンニのもっと現実的で穏健な勢力が、いずれISISを放逐してスンニ派地域を治めるとの予測も出ている。しかし今のところ、そのような転換は見えない。むしろISISはイラクの周辺諸国に、米国に頼らないで自国の安定を守るための新たな政策を採らせている。ケリー米国務長官らは中東各国を精力的に歴訪しているが、事態の好転に役立たず、むしろ周辺各国は米国に頼れないとの実感を強めている。 (Could Saudi Arabia Be the Next ISIS Conquest?) (ISIS has reached the border of Saudi Arabia) その一つの例は、ISISと国境を接することになったサウジアラビアだ。サウジは、シリアでも反政府活動をしてきたISISを支援してきたが、ISISがイラクのスンニ派全域を支配した今、次はサウジがISISのテロや攻撃の標的になると懸念している。敵を攻撃するテロリストを養成したら自国が攻撃されてしまう「ブローバック」が起きている。サウジ王政は最近、何度も防衛次官を更迭しており、サウジの窮地を示唆している。サウジがISISの脅威に対応するには、同様にISISと対峙しているイランやシリア(アサド政権)に対する敵視を(隠然とした)協調に転換する必要がある。 (Saudi Arabia goes on highest alert) (Saudi Arabia Sacks Another Deputy Defense Minister) ヨルダンもISISの台頭で追い込まれ、方向転換しようとしている。ヨルダン王政は、ISISと対峙する際に米国にあまり頼れないので、イスラエルに軍事支援を求め始めた。ヨルダンは従来、米英の傀儡でありつつサウジにも支援してもらい、パレスチナ人に味方してイスラエルを牽制する側だったが、米国の中東覇権が終わりつつあり、サウジも戦略的に窮するなか、ヨルダンが生き残るにはイスラエルの傀儡になるしかないのかもしれない。イスラエルでは「米国が動かない以上、イスラエル自身でISISと対峙するしかない」という見方が出ている。これは、イスラエルがアサド政権やイランと(隠然と)協調する方向だ。このように、ISISの独立は宣伝が派手だが実質的でなく、国際政治上の影響の方が大きい。対照的に、クルドの独立は地味だが実質的だ。 (US: Jordan may ask Israel to go to war against ISIL) (It's time to be proactive against ISIS)
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