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中東分割支配の主役交代

2014年6月25日   田中 宇

この記事は「イランの台頭と中東政治の行方」の続きです。

 イラク第2の都市モスルなど、イラク西部のスンニ派地域を占領した過激派武装組織「イラクとレバントのイスラム国」は、6月10日にモスルを陥落した後、バグダッドに進軍するかまえを見せていたが、その後バグダッド攻略の動きをほとんど止め、代わりにイラク西部の対シリア、対ヨルダン国境地帯を攻めている。6月22日には、イラクとヨルダンの唯一の国境検問所である、砂漠の中のトゥライビル検問所(のイラク側)がISISに奪われた。 (ISIS Seizes Iraq's Lone Border Crossing With Jordan

 同時にISISはイラクとシリアの国境検問所も次々と陥落しており、両国間の検問所のうち、クルド人が管理している最も北の検問所以外は、すべてISISの手に落ちた。これらの検問所は広大な砂漠の真ん中にあり、検問所からイラク側に入ったいくつかの町はすでにISISの手に落ちていたので、国境検問所の陥落は時間の問題だった。検問所の陥落が重要なのは、検問所の実際の管理が奪われたことよりも、ISISが中東の国境線を壊し、20世紀初頭に英国がフランスなどを誘って中東の各所に人工的な(諸民族の状況を無視した)国境線を引いて中東(特に地中海岸のレバント地域)を分割支配してきた体制を壊すと言っていることとの関係だ。 (Iraq Isis Crisis: Is Jordan Next?

 18−19世紀に、軍事力と経済力が急拡大した産業革命と、大衆を「国民」と持ち上げてタダ働き(納税、兵役)させることで国力の大増進に成功したフランス革命(国民国家革命)によって、欧州諸国が世界でダントツに強い勢力になるまで、欧州キリスト教世界は、中東イスラム世界と互角か、中東の方が強かった。中東は、欧州にとって警戒すべき脅威だった。古くは15世紀からのスペインやポルトガルなどによる「地理上の発見」も、イスラム帝国に対抗するための戦略の結果だった。 (覇権の起源) (世界史解読・欧州の勃興

 だから、産業革命と国民国家革命で強くなった欧州は、中東最後の帝国だったオスマントルコが第1次大戦に破れて崩壊した際、二度と中東が結束した強い勢力にならないよう、中東の最大勢力であるアラブ人の中心地域(地中海岸の地域、レバント)を、いくつもの小さくて無理矢理作った国家(なんちゃって国民国家)に分割した。英国はフランスを誘い、1916年のサイクスピコ条約によって中東を南北に二分し、それぞれが内部をさらにいくつもに分けた。仏側はシリアとレバノンになり、英側はイラク、ヨルダン、イスラエル、パレスチナになった。 (イスラエルとロスチャイルドの百年戦争) (フランスの変身

 これらの国々のうちイスラエル以外は、すべてアラビア語が公用語でスンニ派が多数派であり、人々は、大昔から1910年代まで同じアイデンティティを持っていた。しかし英仏に分割されて「独立」した後は、英仏の傀儡だった人々が独裁者や国王になって、それぞれが別々の、根拠が薄くて成功する見込みが低いナショナリズムを推進し、うまくいかないので独裁制でごまかしつつ、互いに反目した。各国の統治者は、国境を超えてアラブ人を結束させようとする汎アラブナショナリズムやイスラム主義(ムスリム同胞団など)を、各国個別の国家建設への脅威として弾圧した。

 ヨルダンの国王(ハーシム家)は、メッカの知事だった一族を連れてきて英国が据えたものだし(当初はイラク国王と兄弟どうしだった)、シリアのハーフェズ・アサド大統領は、仏統治下で治安維持担当をしていたアラウィ派の指導者だった。アラウィ派は、非スンニ(広義のシーア派、山岳密教系)のイスラム教徒で、シリアの人口の1割強しかいないが、団結した少数派であるがゆえに、多数派のスンニ派を監視する治安担当としてフランスから重宝され、今に至るまでアラウィ派がシリアを支配している。イラクはシーア・スンニ・クルドの3派が常に対立する構図だし、レバノンも数派の対立構造だ。パレスチナ問題も永久に解決しない状態だ。 (シリア虐殺の嘘

 このように、いまの中東諸国、特に英仏によって分割されたレバント(地中海地域)は、今の国境線と各国の体制が続く限り、結束した強い勢力になれない。昨今の中東の問題や人々の苦しみの多くは、サイクスピコ条約など英国主導の中東分割支配策に起因している。だから、ISISが掲げる「サイクスピコ条約体制の破壊」「レバントの国境線を消滅させ、統一した(アラブの)イスラム国家(カリフ)を作る」といううたい文句は、多くのアラブ人の支持されうる。米欧ではISISの残虐性が強調されているが、中東では、ISIS支配下のモスルが陥落前より安定していることの方が注目される。ISISの台頭は、北アフリカなどイスラム世界の各所の人々を感化し、2010−12年の「アラブの春」の再来をもたらすかもしれない。 (Iraq likely isn't the last stop for ISIS

 このような中で、ISISがヨルダンの国境までやってきた。ISISは総勢1−2万の軍勢で広大な領域を支配しており、ヨルダンに攻め込む余裕がない。しかしヨルダンには、ISISのスローガンに強く呼応するイスラム主義の人々が多くいる。もともとISISの源流はヨルダン生まれの過激派アブムサフ・ザルカウィが米軍侵攻後のイラクで結成した組織なので、ISISはヨルダンのイスラム主義者とつながりがある。ISISは、この人脈を使ってヨルダンでテロを多発させると予測されている。 (Isis aims to erase regional borders

 ISISがイラク・ヨルダン国境に到達した後、ヨルダンで最も早くISISへの支持を公言したのは、ヨルダン南部の町マアンの勢力だった。マアンは、ヨルダンが1920年代にハーシム家の王国になる前からヨルダンに住んでいた諸部族の中心地で、ハーシム家の統治への非服従や、英国が傀儡のハーシム家を据えてヨルダン(最初は西岸を含むトランスヨルダン)を創設したことへの反対が百年くすぶってきた町だ。

 マアンは、アンマンよりずっと古い町だ。ハーシム家は、自分らが来るまでのヨルダンの歴史を無視するため、小さな村でしかなかったアンマンを首都にして、パレスチナ難民を市民にしてアンマンを急拡大した。マアンの人々は、自分たちの町を、イラクでシーア派主導の中央政府に反逆し続けるスンニ派の町ファルージャにちなんで「ヨルダンのファルージャ」と呼び、ハーシム家のヨルダン国家の破壊を呼びかけるISISを支持する集会を開いた。 (ISIS: Iraq today and possibly Jordan tomorrow

(ISISの和訳名は「イラクとレバントのイスラム国」「イラクとシリアのイスラム国」の2つがあるが、ここにおける「シリア」は、今のシリア国家のことでなく、近代以前のシリア地方を指し、今のシリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、パレスチナであり、レバントと同じものだ)

 ヨルダンの人口の7割ほどがパレスチナ人だ。第2次大戦直後のイスラエル建国以来繰り返された中東戦争によって故郷を追われ、ヨルダン国籍を取得した彼らは、マアンの諸部族など先住者群(ヨルダンの人口の2割ほど)と同様、ハーシム家やヨルダン国家体制との精神的なつながりが薄く、ハーシム家が米英の傀儡であることを皆が知っている。ヨルダンは、中東の分割支配戦略の申し子のような国だ。

 ここにイスラム主義の国ができることは、米英も、西隣のイスラエルも、東隣のサウジアラビアも望んでいない。ヨルダンは資源も産業もほとんどないが、人口が5百万人と少ないので、米国やサウジからの経済支援を受けて経済を回し、ハーシム家の統治を維持している。イラク侵攻前は、ヨルダンが消費する石油の全量を、イラクのフセイン政権が無償援助していた。当時のイラクは、米欧から経済制裁されて石油を輸出できなかったので、ヨルダンに消費量よりかなり多い石油を与え、ヨルダンが余った石油を輸出し、その代金をイラクに戻すことでイラクの石油輸出が成り立っていた。米国もこの抜け穴を知っていたが、ヨルダン国家の存続を重視して黙認していた。フセイン政権が倒された後、イラクの代わりにサウジがヨルダンに石油を無償援助している。

 もしハーシム王政が倒された場合、その後のヨルダンにできるのは多分イスラム主義の政権になる。ヨルダンでも最大野党であるムスリム同胞団(ハマス)系統の国だ(ハマスは同胞団のパレスチナ支部)。同胞団とISISは方向性が似ている。ハーシム王政の崩壊は、ヨルダンにのハマス化であり、新政権はイスラエルを敵視しつつ、ヨルダン川西岸のパレスチナと合併しようとするだろう。今は西岸とヨルダン(ヨルダン川東岸)の細長い国境線をイスラエル軍が掌握しているが、新政権はイスラエル軍にヨルダン河畔地域からの撤退を求めるだろう。この展開はイスラエルにとって脅威だ。

 ISISやハマスはスンニ派だが、スンニ派の盟主であるサウジアラビア王政の味方でない。サウド家はサウジアラビアを私物化する独裁政権であり、スンニ派のイスラム主義者たちは(サウジから金をもらっていない限り)サウド家を敵視している。だからサウジ王政も、ヨルダンのハーシム王政が倒されることを望まない。この点でサウジとイスラエルの国益が合致している。今後、米国が中東から撤退する傾向が続き、ヨルダンに対する米国の支援も減るだろうが、その場合、ヨルダンの財政はサウジが、軍事はイスラエルが支援するかたちでハーシム王政を延命させるだろう。サウジとイスラエルはすでに、同胞団政権をクーデターで潰したエジプトの軍事政権も共同で支援している。ハーシム王政は正統性が非常に弱く、傀儡性が露呈しているが、地政学的に絶妙なバランスの上にあり、簡単には倒れない。

 米国の覇権衰退の中でのISISの拡大は、ヨルダンにおいて、サウジとイスラエルの隠然とした協調関係を強める。同様に、シリアやレバノンでのISISの拡大は、イランとイスラエル、イランとサウジの隠然とした協調関係を強める。シリアのアサド政権は、ゴラン高原をイスラエルに奪われたままの状態を維持してきたが、もしISISがアサド政権を倒してシリアの全域を支配したら、ISISが次にやりたがるのはゴラン高原をイスラエルから奪還することだろう。イスラエルはISISとの泥沼の戦争に巻き込まれかねない。

 ヨルダン同様、レバノンでも、ISISは情勢不安定化策として爆破テロを増やそうとしている。ヨルダンで最大の軍事勢力は、政府軍でなくシーア派のヒズボラ民兵団(イラン系)だが、不安定化がひどくなると、ISISなどスンニ派武装勢力とシーア派のヒズボラの内戦が再発する。レバノンでもシリアと同様、ISISによって事態が不安定化すると、ISISが南隣のイスラエルを砲撃するだろう。外来のISISより、土着のヒズボラの方が、政党も持っており、はるかにまともだ。イスラエルは、ヒズボラの上位にいるイランと協調する必要に迫られる。

 ISISは総兵力が2万人を超えず、強い勢力でない。旧バース党勢力と組んでいる本拠地のイラク西部と、内戦で混乱しているシリア東部以外の地域に拡大していく可能性は低い。ISISがもたらす広域の影響は、もっと概念的な、政治運動や外交、諜報の分野で大きい。サイクスピコ条約で作られた国境線の改変は、実際のところ起こりにくい。起きそうなことは、国境線の改変でなく、サイクスピコ条約で作られた中東諸国の国際政治システムを維持する主役が、米英から、イラン、サウジ、イスラエルといった地元の有力国に交代するという、裏の支配構造の転換(覇権の多極化)だ。

 中東の国際政治において、アラブの諸国や諸勢力は依然として受け身だ(国際政治上、今のアラブと日本は似ている)。今の最大の勢力はサウジアラビアだが、王政の保身を優先し、中東全体のことを考えた動きをしておらず、盟主と呼べない。かつて大きな勢力だったエジプトは、11年の同胞団政権の登場を機に、アラブ統合の盟主になるかと思われたが、結局、サウジとイスラエルが支援した軍部のクーデターで潰された。 (エジプト革命の完成と中東の自立

 ISIS台頭の危機も、アラブの統合の起爆剤にならず、ISISを封じ込めようとするイスラエルとイランが協調し、サウジにも協力させて、アラブ諸国の分断統治を米英から引き継ぐだけに終わりそうだ。おもて(実際の政界)のアラブ統合運動がダメだから、うらで幻影のアラブ統合運動としてISISが出てくる。アラブはこの先も、弱くて分裂したままだろう。それをしり目にイランが台頭し、イスラエルが延命する。私は、アラブが統合して強い勢力になるのを期待してきたが、この先もしばらくは望み薄だ。



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