イランの台頭と中東政治の行方2014年6月22日 田中 宇6月17日、英国政府がイランとの国交正常化を発表した。英国は2011年にイランの首都テヘランの英大使館が地元の学生ら群集に襲撃されて以来、イランとの国交を格下げし、事実上の国交断絶状態を続けていた。国際政治的に見ると、英国がイランと国交断絶したのは、米国がイラクから軍事撤退する代わりにイランに対する核兵器開発の濡れ衣を強めた時期で、米国がイランとの敵対を強めるのに合わせ、英国もイランと国交断絶していた。 (British embassy reopens in Tehran as Iraq crisis helps thaw Iran relations) (米軍イラク撤退で再燃するイラン核問題) しかし今、スンニ派武装勢力が、イラク西部のスンニ派地域をシーア派主導のマリキ政権から奪取して支配し始め、マリキが首都バグダッドを防衛するためにイランに軍事支援を要請し、イラク(中央政府)に対するイランの影響力が急に拡大している。米国はマリキからの支援要請を事実上断っており、イラクに対する米国の影響力低下が顕在化している。 (隠然と現れた新ペルシャ帝国) 米国は、シリアやアフガニスタンの安定にも貢献できなくなっており、米国以前に中東を支配していた英国がこれ以上、米国に追随した中東政策を続けても意味がなくなっている。半面、英外相が「イランは中東の安定に貢献できる」「イラクやアフガニスタンなどを安定させることについて、イランと英は利害が一致している」と表明しているとおり、中東では米国に代わってイランの影響力が拡大している。英国の対イラン国交正常化の裏に、このような背景がある。マスコミでは、今回のイラクの混乱でイランが漁夫の利を得て台頭しているという視点があまり載らないが、英国の動きを見ると、イランの台頭が感じられる。 (Britain rebuilds diplomatic ties with opening of Tehran embassy) まだ見通しがつく情報がないが、間もなく開催される、イラン核問題を恒久解決するためのイランと米露中英仏独との交渉がまとまりそうなので、地政学的変化に敏感な英国が、その前にイランとの関係正常化に動いたのかもしれない。イラン側は、イラクの危機の解決にイランが協力する見返りに、米国がイランとの核交渉の妥結に同意する連動があるかもしれないと言っている。(米国務省は、そういった連動を否定している) (US, Iran, longtime enemies, working toward nuclear deal, even talking about stabilizing Iraq) (Iran, Sextet start drafting final deal) 米国の政府や政界は、イラクに対する自国の影響力が急速に低下する中で、イランとの関係を強めるイラク政府を支援すべきかどうかをめぐって紛糾している。米国は06年以来、マリキ首相を支援し、選挙不正も容認してきたが、マリキがイランへの依存を強めた今になって、オバマ政権は、マリキは権力欲が強すぎると言って、マリキを辞めさせる策に転じ、イラクの他の政治家たちに、新たな連立政権を組んでマリキを追放するよう要請していると報じられている。 (White House Wants Maliki Out as Iraq PM) マリキの与党ダワ党(親イラン)は、今年4月の議会選挙で勝ったばかりで、イラク政界で他を圧倒している。イラクが分裂してクルド人やスンニ派が中央政界を見放すとともに、多数派のシーア派はイランに頼ってスンニ派武装勢力と戦うために結束している。そんな中で、米国が望むマリキ追放の動きが成功するはずがない。マリキは権力を持ったまま、米国との関係を切ってますますイランに頼るだろう。 (Washington's Rats are Abandoning Maliki) (US wants Iraqi Prime Minister Maliki to `go') 米国がマリキの代わりにアハマド・チャラビを大統領にしたがっているという説も出てきた。駐イラク米国大使が、チャラビに会いに行ったという。チャラビはネオコンの人脈に属し、米国がイラク侵攻の大義とした「イラクは大量破壊兵器を持っている」という間違った情報を米当局に注入してフセイン政権を倒し、その後イラクの国会議員になり、米国と反目してイランに接近した人だ。もともとイランのスパイだったという説もある。米国がマリキを辞めさせてチャラビを首相に据えたとしても、イラクの政権が親イランであることに変わりない。米国は昔からイラクで大間抜けなこと(もしくは隠れ多極主義的な利敵行為)ばかりやっている。 (Challengers Emerge to Replace Divisive Maliki) (Can Ahmad Chalabi Take Over Iraq?) (米軍撤退を前にイラク人を怒らせる) 米政府はイラクに300人の軍事顧問団を派遣する。これだけ見ると、米国がイラクに軍事関与を続けるかに見える。しかし、米国が顧問団を派遣する理由は、米軍が最近のイラクに関する諜報情報を全く持っていないので、米空軍がスンニ過激派の拠点を空爆したくても、どこを空爆して良いかわからないからだ。彼らは、空爆すべき対象を確定するための諜報要員として派遣される。 (300 U.S. advisers heading for Iraq, but what will they actually do?) 米軍征服組の最高位であるデンプシー統合参謀本部長は、空爆すべき対象について十分な情報がないので、イラクのスンニ過激派の拠点を空爆することができないと発表している。この情報不足を解決するため、これから300人を派遣して情報集めするという話だ。 (US lacks intel to strike ISIL: Dempsey) これは、まるで笑い話だ。米国は03年から11年まで何兆ドルもかけてイラクを軍事占領し、傀儡政権を置いた。米国は、イラクに関する詳細な諜報情報が恒久的に入る仕組みを残して去るのが常識だ。しかし今、米国はイラクに関して情報を持たず、あらためて泥縄で300人の要員を派遣してゼロから諜報集めをするという。米国のイラク戦争は、戦略的な基本を全く欠いた、大馬鹿な行為だった。内戦状態で、反米感情が強い今のイラクで、300人ぽっちの米国人がのこのこ出かけていって、何の情報を集めるつもりか。うまくやれたとしても、意味のある情報が集まるまでに何年もかかる。 (Obama to send 300 `military advisers' to Iraq) 米与党の民主党議員たちは、オバマの諜報要員派遣に反対している。米軍内にも「米空軍がISISの拠点を空爆すると、米軍がイランの軍勢を支援するための軍隊に成り下がるので反対だ」という意見が強い。 (Petraeus: U.S. Must Not Become the Shia Militia's Air Force) 03年の米軍侵攻まで、イラクに対する諜報活動はCIAが担当していた。03年の侵攻後、諜報担当は国防総省に集約され、CIAはすべてイラクから外された。11年のイラク撤退時、米軍は諜報部門を含む全ての機能を撤退したので、それ以降、米国はイラクでの諜報機能をすべて失った。イラクが大量破壊兵器を持っているというウソをでっち上げ、無理矢理にイラクに侵攻し、その後の占領戦略で失敗して占領の泥沼に陥らせたのは、国防総省に巣くっていた詭弁屋のネオコンやタカ派だった。 (諜報戦争の闇) この経緯から、オバマは詭弁屋たちに不信感を持ち、国防総省が何と言おうがとにかくイラクから全撤退せよと命じた。諜報部門だけは残した方が良いという意見も無視され(もし残していたら、諜報部門の名目で数万人が残って撤退にならず、占領の泥沼から抜けられなかっただろう)米国はイラクにおける諜報機能をすべて失った。 米国は占領時代、バグダッドに世界最大の大使館を作り、今も5千人が勤務している。諜報部門の米軍が撤退したので、大使館も図体が大きいだけで戦略機能は低い。しかし、シーア派とスンニ派の内戦になったら米大使館は両派から攻撃目標にされかねないとの懸念から、米政府はバグダッドの大使館を守るために250人の海兵隊を派遣することにした。巨大な大使館は、米国にとってお荷物になっている。 (Keeping America's Baghdad Swimming Pools Safe From Fanatics) 最近の記事に書いた、ISIS(イラクとシリアのイスラム国)などスンニ派組織が陥落したモスルが意外と安定しているという話は、その後、確実さが増している。FTによると、モスルを統治しているスンニ派組織は、禁酒令を敷いて市内の酒屋を破壊したものの、女性の服装に対する厳しい取り締まりや、一般市民に対する暴行は行っていない。市場での値上げに対する取り締まりが行われ、物価も上がっていないという。イラク中央政府が、モスルへの電力供給を止めたので停電が起きているが、全体的にモスルは良い状況にあるとFTが報じている。モスルは今後ずっとスンニ派組織の統治下に置かれる可能性が増している。 (Fuel shortages and power cuts dominate Isis-controlled Mosul) (隠然と現れた新ペルシャ帝国) ISISは一昨年から毎年、その1年間で自分たちがどこでどんなテロをやったか、どこで何人殺したかといったテロの年次報告書を発表している。またISISは、ユーチューブなどネットを積極利用して残虐なテロの光景の映像を広報し続けており、その結果ISISは残虐な組織だという印象が世界的に定着している。年次報告書やユーチューブなどの積極利用からは、ISISが意図的に残虐に見せたいと考えていることがうかがえる。対外的に残虐な悪い印象を流布する一方、自分らが占領したスンニ派地域の住民に対しては、良い印象を持ってもらえる行政をやっている。これは、従来の「アルカイダ」と全く異なるあり方だ。 (Selling terror: how Isis details its brutality) ISISは、イラクとシリアの国境地帯のいくつかの町を攻撃して陥落し、すでに統治しているイラク西部とシリア東部をつなげ、この地域のイラクとシリアの国境線をなくして統一的な支配地域を作ろうとしている。モスル陥落がISISのシリアでの状況にどう影響するか不透明だったが、どうやらISISはイラク西部を陥落したことで強化され、シリア東部に対する支配も強めていきそうだ。シリアがISISとアサドに二分された状態が長く続く見通しが強まっている。 (ISIS `has become a single entity in Syria, Iraq') シリアは6月3日に大統領選挙を行い、現職のアサド大統領が再選された。この選挙について、米国が派遣した監視団が先日、国連で記者会見し、選挙は不正が少なく正当なものだと述べ、米国がアサドの勝利を認めた。アサド敵視を続けるとISISを有利にしてしまうこともあり、米国は今後しだいにアサド政権への敵視を弱めていきそうだ。アサド政権が国際的に容認されるほど、イランに有利になる。しかもISISに国土の一部を占領されている限り、アサド政権は国土を統一できず、イランに対する依存を続けざるを得ない。 (US observers: Assad victory legitimate) アサド政権のシリア政府軍は、内戦の長期化で疲弊し、兵力数も減っている。政府軍が反政府側から都市を奪還しても、その後の治安維持に必要な兵力数を確保できない。アサド政権は国内を安定するため、レバノンのシーア派武装組織ヒズボラ(5千人をシリアに派兵)や、イランがイラクから呼んできた2-3万人のシーア派民兵など、イラン系の軍事勢力に頼るしかない。モスル陥落後、イラクのシーア派民兵はいっせいに自国防衛のためイラクに帰国したが、今後イラク側が安定したら、再びシリアにイラクのシーア派民兵が戻るだろう。 (Why ISIS gains in Iraq are reshaping Syrian regime's war strategy) イラクがシーア、スンニ、クルドの3分割、シリアがISISとアサドに2分割されたまま、米国(米欧)がこの状況に介入する意志を失っていきそうな半面、イランがイラクとシリアの分裂状態を保持しつつ両国への影響力を行使し続ける「新ペルシャ帝国」が、しだいに明確化している。このイランの台頭に対し、米欧や中露、周辺のサウジアラビア、イスラエル、トルコがどう対応するかが、今後の注目点になる。今回の記事の冒頭に書いた、英国のイランとの外交の正常化が、対応の表れの一つだ。トルコもイランとの関係を改善している。サウジアラビアとイラクの間に挟まったクウェートの首長も、先日イランを初めて訪問した。 サウジアラビアに関しては、サウジと隣接するバーレーンとイエメンで、イランがサウジの利益を尊重する行動をする見返りに、イラクとシリア、レバノンにおけるイランの優勢をサウジが認めるかたちでの談合が行われるのでないかという見方が、米国の分析者から出されている。 (ISIS 'Achievements' in Iraq and Syria a Gift to the Iranian Negotiator?) バーレーンは住民の多数派のシーア派が、スンニ派の君主に対して民主化を要求する反政府運動を続けており、サウジは君主を支援している。君主が倒されると、バーレーンはシーア派主導の、親イラン反サウジ的な国になるだろう。イランがバーレーンのシーア派に対する隠然とした支援をやめ、サウジに恩を売ることができる。内戦が続くイエメンでも、シーア派勢力が反サウジ的な活動を続けており、イランがサウジに協力すると、サウジにとって国境地帯の安定化につながるのでうれしい。 (Iran Rejects Yemeni Officials' Interference Claims) 同じ分析者の記事は、イスラエルとイランの関係について、もともとイランとイスラエルは、自分らより大きな勢力であるアラブ(スンニ派)を分断し弱体化しておくために(諜報的に)共闘してきたと書いている。すでに1980年代の「イラン・コントラ事件」で、イスラエルが79年のイスラム革命以来、イランに武器をこっそり輸出していたことが暴露されている。イランとイスラエルは表向き仇敵だが、対アラブで共闘しているという味方だ。米国がマリキの代わりにイラクの首相に推しそうだというアハマド・チャラビは、イランのスパイであると同時にイスラエルのスパイ(ネオコン)でもある。 イスラエルが国境を接するレバノンのヒズボラとずっと戦っており、ヒズボラはイランから支援されている。イスラエルとイランが裏で密通しているとしても、それは強い関係ではないとも考えられる。しかし、レバノンやシリアといったイスラエルの北隣でイランの影響力が強くなり、イランの影響圏とイスラエルが隣接していきそうな中で、イランとイスラエルに共謀する部分があることは、両国がイランとサウジのように、戦争を避けて折り合う可能性があることを示している。 たとえば、イスラエルが占領しているゴラン高原をシリアに返還し、シェバファームをレバノンに返還することで、イスラエルとシリア、レバノンが敵対をやめるというシナリオが以前から何度かイスラエル政界で取り沙汰されている。イスラエルがパレスチナ国家の創設を認めない限り、イランがイスラエルと国交を正常化することは考えられないが、両国が敵対を緩和して共存することはできる。イスラエルは米国の後ろ盾を失って弱体化しつつあるが、イランとしてはイスラエルを潰しにかかるより、イスラエルの存続を黙認して恩を売り、イスラエルとイランでアラブ(スンニ派)の台頭を防ぐ方が国益になる。
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