金融世界大戦の実態2014年5月16日 田中 宇この記事は「バブルな米国覇権を潰しにかかるBRICS」の続きです。 今年3月中旬、世界各国の中央銀行が米連銀(FRB)に預けている米国債の残高が1週間で1040億ドルも減る動きがあった。米連銀は、基軸通貨ドルの発行者として事実上、世界の中央銀行の中の中央銀行であり、世界中の中央銀行が米国債を連銀に預けている。その総残高は3兆ドルを超えるが、毎週発表される総残高はここ1年ほど、週に200億ドル程度の増減しかない。 (NY Fed Custody $104 Billion Treasuries) ところが3月13日に発表された残高は、前週比1040億ドルも減っていた。どこの中央銀行が売った(もしくは連銀口座から別のところに米国債を移した)のか発表されていないが、この時期にウクライナ危機で米国から経済制裁を受ける可能性が急増したロシアだろうと推測されている。ロシアはそれまで1400億ドル近い米国債を米連銀に預託しており、その大半が引き出されたことになる。 (Foreigners Sell A Record Amount Of Treasurys Held By The Fed In Past Week) (Fed Custody Holdings Record Decline Fuels Russia Speculation) 米連銀は、08年のリーマン危機以来、部分的凍結状態が続く債券市場を下支えするため、昨秋まで毎月850億ドルずつドルを刷って米国債を買い支えるQE3(量的緩和策)をやっていたが、ドルの過剰発行による悪影響が懸念されたため、毎月の米国債買い支えの額を、昨年末から650億ドル、今年3月から550億ドル、5月から450億ドルに減らす縮小策を続けている。 (バブルでドルを延命させる) QE縮小の中で、ロシアが1千億ドル前後の大量の米国債を売却(または移動)したことは、一時的な米国債の金利高騰(価値下落)を招いても不思議でなかった。だが実際には、米国債の金利はほとんど動かなかった。連銀がQE縮小を開始した直後の昨年末には、中国が、同国として史上最大の480億ドルの米国債を売却した。だがこの時にも、米国債金利は大して変わらなかった。QEによる買い支えが減り続けているにもかかわらず、米国債の価値は上がっており、指標となる10年ものの利回りは、昨秋の3%近くから、今では2・5%台まで下がっている。 (China Sold Second-Largest Amount Ever Of US Treasurys In December) (Benchmark bond yields slide to 2014 lows) こうした反直感的な動きには裏があった。米連銀は昨年末以来、EUに頼んで、EU本部があるベルギーの中央銀行の名義を借り、ベルギーにある国際債券決済所「ユーロクリア」で、毎月約300億ドル分の米国債を買い続けている。ベルギーの中央銀行は昨年末以来、連銀に預けている米国債の残高が1500億ドル以上増えた。ベルギーのGDP(4800億ドル)の3分の1にあたる巨額だ。ベルギーは経常収支が赤字で、通貨がユーロなので勝手な増刷も許されておらず、そんな巨額の米国債を買う金などない。ベルギーの米国債の保有増分は全額、米連銀による買いだと推測されている。 (The Fed Is the Great Deceiver) 要するに米連銀は、昨年末来、表のQEで毎月の米国債の買い支え額を合計400億ドル減らす一方、裏で毎月ベルギーで300億ドルの米国債を買っている。連銀は国際信用を守るため、ドルの過剰発行であるQEを縮小す姿勢をとらねばならない。しかし本当にQEを減らしたら、米国債の信用が落ちて金利高騰の悪夢になる。だから連銀は、表向きQEを減らしていると言いつつ、裏で他国の名義を借りて米国債を買い支えている。連銀は、この手の「裏QE」とも言うべき隠れた買い支えをほかにもやっているかもしれず、それらを合わせると、中露が米国債を売り放っても金利の上昇を防げる。 (What The Heck Is Going On With US Treasuries In Belgium?) 米国は、米国債とドルの信用失墜を「裏QE」で防ぐ一方、ロシアに対する金融制裁を強めている。2月のウクライナ危機発生来、ロシアからの資金逃避が発生し、S&Pはロシアをジャンクの一歩手前まで格下げした。米欧投資家がロシア国債を買わなくなって金利が上昇し、上昇が不満なロシア政府は2月下旬から国債の入札を停止している。 (S&P Downgrades Russia to BBB-Minus, One Notch Above Junk) (Russia puts stop to debt sales as Ukraine crisis escalates) ロシアは石油やガス、金地金を産出する。露政府はその売却代金(輸出企業からの税金)を大きな財源にしており、国債を発行しなくても何とかやっていける。その点を突こうと、4月中旬、オバマ大統領がサウジアラビアを訪問し、産油余力が巨大でOPECの盟主であるサウジ王政に対し、国際市場で原油を売って相場を引き下げ、ロシアの原油収入を減らす策略に協力してくれと頼んだ。このやり方は、1980年代に米国がサウジに頼んでやらせ、ソ連の財政破綻と国家崩壊、冷戦終結につながった策だが、今回はうまくいかなかった。 (Obama wants Saudi Arabia to destroy Russian economy) サウジ王政はここ数年、米国がシリアのアサド政権を転覆したり、イランに対する制裁を強めることを望んできた。だが米国は昨年来、シリアを空爆すると言ったのにやらず、イランに対しても和解策に転じてしまい、外されて不利になったサウジ王政は、オバマに対して怒っている。シリアでもイランでも、米国が譲歩した分、ロシアの影響力が増しており、今後アサドやイランとの関係修復が必要なサウジは、ロシアと敵対したくない。オバマから対露制裁への協力を頼まれても、サウジ王室は受け入れなかった。 (Saudi Arabia: The US President's Futile Trip) このようにウクライナ危機による米露対立は、軍の動きよりも、米露双方の金利や財政状況、原油相場などの金融戦争の面が重要だ。同様に、金相場の動きも米露対立の重要な側面だ。金地金は、世界的な富の備蓄機能としてドルや米国債の対極にある。ドルの信用が下落するほど金の価値が上がるが、米英の金融界や米連銀は、先物市場を使って金相場を不正に操作して引き下げ、ドルから金への富の移動を防ぎ、ドルを延命させてきた。しかし最近、この不正が国際的に問題になり、いずれ不正操作がなくなって金相場が高騰する可能性がある。 (金地金不正操作めぐるドイツの復讐) これは、金地金の大産出国であるロシアにとって、金の産出収入の増加と、ドル崩壊による米国の覇権喪失という2つの面で有利だ。 (Russian Sanctions Could See Gold Prices `Explode') 金相場の不正が行われている市場の一つはロンドン市場で、そこでは米欧の大手銀行4行が毎朝、その日の金価格の値決め作業(London Gold fix)を行って金の価格を決定しており、この作業の中で4行が価格を引き下げてきた疑いが持たれている。金と同じやり方の値決め作業(London Silver fix)で毎日の相場を決めている銀の相場でも、相場の不正操作が行われていると指摘されてきたが、銀の値決め作業のシステムは今年8月に廃止されることが最近発表された。 (The Beginning Of The End Of Precious Metals Manipulation: The London Silver Fix Is Officially Dead) ロンドンの金の値決めシステムは4行の銀行が参加しているが、銀の値決めシステムは参加銀行が減って2行しか残っておらず、値決め制度としての問題が金よりも大きいため、金より先に銀の値決め制度が廃止されることになったようだ。銀だけでなく、いずれ金の値決めシステムも廃止される可能性がある。ロンドンの値決めシステムが失われても、ニューヨークの先物相場があるので、引き続き不正操作の場が残っているが、先物相場は不正操作の効果がロンドンの「現物」市場よりも低い。金銀相場の不正操作が行われなくなると、ロシアは米英との金融戦争に勝てる可能性が増す。 (Silver fix is broken) ロシアにとって、米英との金融戦争における最大の味方は中国だ。ロシアは、米欧から制裁されて資金を絶たれても、中国から投資を受けられる。プーチン大統領が近く中国を訪問し、ロシアが中国に石油ガスの輸出を増やし、中国がロシアへの資金の投資を増やすかたちでの関係強化が行われる。こうした中露の関係は、企業の儲けのためというより、国家間の長期の相互利益のために行われる政治的な色彩が強い。 中国からの投資がある限り、ロシアは米欧の制裁を恐れる必要がないし、中国に石油ガスを売れる限り、ロシアはEUに対し、制裁するなら石油ガスを売らないぞと脅せる。中国は、ロシアほど米欧から敵視されていないが、米国が日本やフィリピンなどをけしかけて中国包囲網を作っていることに脅威を感じ、米国が発するドルや債券バブルの不健全性も懸念している。中国が直接に米国と対峙すると、経済制裁など不利益を受けかねないが、ロシアが中国の代わりに米国と対峙し、中国がロシアを資金面などで支援するかたちなら、中国自身の不利益が少ないまま米国の覇権を崩せる。ウクライナ危機は、このような中国のロシアを使った「金融代理戦争」を急進させている。 中国は世界最大の米国債保有国であり、最終的には、中国が米国債を買わなくなったり売り放ったりして、米国債の買い手が(米連銀自身以外に)いなくなり、米国債とドルの米国覇権が崩れていきそうだ。米国の覇権が崩れると、日本や東南アジア諸国など対米従属の国々も無力になって中国に敵対しなくなり、アジアにおける中国の地域覇権が確定する。米国が中国包囲網政策をやらず、中国と協調を続けていたら、米国の覇権が崩れることもなく、日本も対米従属を続けられたのに、米国は不必要に中国を敵方に追いやり、ロシアとの結束を強めさせ、米国自身の覇権を崩す道を歩んでいる。 国際社会において、中国は今後さらに優勢になるだろう。中国が「金融代理戦争」の駒として使えるのはロシアだけでない。中東では、大産油国だが米欧から制裁されてきたイランが、中国の代理勢力だ。イランは、いずれ核問題が和解して国際社会に本格復帰すると、国際社会において米欧覇権を崩して多極化を目指す動きを強めるだろう。ロシアとイランは似た境遇にある。エチオピアやナイジェリアなどのアフリカ諸国も、中国の代理勢力になりつつある。 ウクライナ危機発生後、ロシアと中国が結束し、BRICSや途上諸国を巻き込んでドルや米国債の面から米国の覇権を崩そうとする「金融世界大戦」が始まっている。「大戦」とは、世界的な覇権をめぐる世界規模の戦争のことだ(二度の大戦は、英国が持っていた覇権を日独などが剥奪しようとした戦争。英国は、米国に覇権を渡す見返りに参戦させて戦勝した)。 (内戦になりそうでならないウクライナ) 今回の大戦は、BRICSなどが中露主導で、米国から覇権を奪い、自分らで多極型の覇権体制の新世界秩序を作ろうとする動きだ。兵器を使った従来型の軍事戦争でなく、ドルの覇権を守るか崩すかといった金融戦争が中心となっている。今起きているのは「金融世界大戦」だ。こんご従来型の軍事戦争としての世界大戦が起きる可能性もゼロではないが低い。発火点のウクライナでさえ、戦闘は限定的にしか起きていない。
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