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サウジとイスラエルの米国離れで起きたエジプト政変

2013年8月23日   田中 宇

 エジプトで8月15日、政権を持つ軍部が、反政府運動を強めたムスリム同胞団への弾圧を強化し、同胞団を支持する市民らを大量に殺害した。軍政の発表で600人、同胞団の発表で2千人が死亡した。 (Egypt's Tragedy: Military Dictatorship Takes Shape on Nile

 イスラエル諜報機関系のニュースサイト「デブカファイル」は8月2日、エジプト軍政の最高権力者であるシシ国防相が、大統領になる意志をかため、8月15日から選挙運動の準備を開始する予定だと報じた。私は当初この報道を読んで半信半疑だったが、その後の展開はこの記事に近いものになっている。8月15日にシシら軍事政権が同胞団に対する弾圧を開始し、8月21日にはシシが初めて軍服でなく背広を着て登場する写真が公開された。 (Egypt’s military strongman Gen. El-Sisi will run for president

 エジプトで長く独裁を続けたムバラク元大統領も、軍人出身で、大統領になるにあたって、おおやけの場に出るときの格好を軍服から背広姿に替えている。ムバラクを踏襲したシシは、デブカファイルの報道通り、早ければ今年末に大統領選挙をやって自ら大統領になるつもりのようだ。 (Al-Sisi appears in official suit

 シシはムバラクの忠実な後輩だ。シシは、自ら大統領になることを決め、同胞団への弾圧を強めた後、司法当局(判事の多くはムバラク時代からの続投だ)に圧力をかけてムバラクの容疑の一部を不起訴にさせ、ムバラクを監獄から釈放して病院に入れた。ムバラクを憎んでいるエジプト国民が多いので、すべての容疑を却下させることができないものの、軍事政権は、できる限りの範囲で、ムバラクへの忠誠を示した。 (Mubarak to be put under house arrest

 すでに書いたように、8月15日以降に軍事政権が殺したエジプト市民の数は600人とも2千人とも言われ、何人殺されたか不明なままだ。殺された総数がわからず、当局と反体制派の概算が大きく食い違う状況は、1989年の北京での天安門事件に似ている。天安門事件後、米欧は中国に厳しい経済制裁を科し、制裁は10年近く続いた。しかし今回のエジプトに関して、米欧はあいまいな態度をとり「クーデター」「弾圧」「虐殺」といった言葉を意図的に使わないようにしている。 (Cultivating Extremists in Egypt

 民主的に選挙で選ばれたムスリム同胞団のモルシー政権を軍が武力で倒したのだから「クーデター」以外の何者でもない。同胞団支持者が反政府運動を起こすのは当然で、それを弾圧して多数の市民を殺害した軍事政権の行為は「虐殺」だ。だが、米英マスコミはそれらの言葉を使われず、エジプト軍政への批判記事も少ない。 (Egypt: resentment towards Brotherhood fuels crackdown support

 逆に米英マスコミには、同胞団の政権は無能だったとか、野党(リベラル派)の意見を無視して議会の数の力でイスラム化への憲法改定を押し進めようとした同胞団が悪いんだといった論評が目立つ。野党を無視して数の力で改憲するのが悪だとしたら、日本の安倍政権も悪である。与党が数の力で政策や体制を変えられるのが民主主義だ。米欧マスコミの記事の偏向ぶりからは、米欧のプロパガンダ機能(報道の根幹に位置する戦争報道や、国家的な価値観の植え込み)を握る部門が、エジプト軍政を支持し、同胞団敵視に回っていることがうかがえる。 (Stability, not an election, is what Egypt needs now

 2011年にムバラクの軍事政権が民主化運動(アラブの春)で倒され、同胞団のモルシー政権ができたとき、米政府は、民主化運動や同胞団政権を支持した。米国が民主化と同胞団を支持し、ムバラクを辞任させた。米国のこの態度があったので、エジプトの軍部は政権交代に反対せず、モルシーの政権を認め、その傘下に入った。その後、現在に至るまで、米国の基本的な態度は変わっていない。米議会では共和党を主導するマケイン上院議員らが、エジプトへの軍事支援を打ち切るべきだと主張している(マケインは最近イスラエルから圧力をかけられて態度をあいまいにしたが)。 (John McCain hides a story) (McCain and Graham flipflop on aid to Egypt? after AIPAC speaks up

 マケインらは、テロ戦争やアフガン戦争、イラク戦争、中東民主化を強く支持してきたタカ派で、彼らの意見はこれまでずっと、米英マスコミの主力の論調と一致していた。タカ派は、米欧のプロパガンダ機能を握る勢力だった。彼らは、中東民主化の一環として、エジプトの同胞団政権を事実上支持してきた。しかし今回、マケインらタカ派は、親同胞団・反軍政の従来通りの姿勢だが、プロパガンダ機能の方は軍政支持・同胞団批判に転じている。何があったのか。 (Republican lawmakers split on cutting U.S. aid to Egypt

 プロパガンダ機能を握る勢力は、もともと(18世紀から)ユダヤ人のネットワークである。米国のプロパガンダ機能は1960-70年代、米ソ和解やベトナム戦争失敗で弱体化した米国の軍産複合体に、イスラエル右派(ネオコン)が入り込んで立て直して以来、イスラエル右派と軍産複合体が混じり合って「タカ派」となっている。今回のエジプトの事態でうかがえるのは、イスラエルが隠然と米国の右派から少しずつ距離を置き、イスラエル国内でも右派が現実派に転換し、同じく米国から距離を起き始めたサウジアラビアと結託し、エジプトの政権再転覆の黒幕として機能していることだ。 (Obama Policies Turning Egypt Against U.S.

 今回のエジプト転覆の黒幕の中心は、イスラエルよりむしろサウジアラビア王政だと考えられるので、そちらから説明する。ムスリム同胞団は、アラブ各国に支部を持つ国際組織で、アラブ全体をイスラム主義の共和制で国家統合していこうとする、いわば国際共産主義運動の、共産主義をイスラム主義に置き換えた運動だ。ムハンマドが作った最初のイスラム帝国の版図の再現をめざすイスラム復興運動である。 (How to read Saudi Arabia's Egypt play

 ムスリム同胞団がエジプトの政権を長くとると、彼らは他のアラブ諸国の同胞団を隠然と支援し、各所で王政(サウジやペルシャ湾岸諸国、ヨルダン)や独裁政権(シリア)を倒そうとするだろう。アラブ諸国の王政の盟主であるサウジ王政は、これを看過できない。しかしサウジは対米従属なので、米国がエジプトの同胞団政権を支持する以上、とりあえずは黙っていた。 (And now, a message from our (Saudi) sponsors

 サウジのアブドラ国王は、7月初めにエジプトの軍部がクーデターで同胞団のモルシー政権を倒した時、真っ先に軍政支持を表明した。サウジ国王はめずらしく自国のテレビに登場し、エジプト軍政への支持を表明した。米国がエジプトへの経済支援を打ち切るなら、その分をサウジが穴埋めする方針も打ち出した。サウジ王政が、モルシー政権が続くほど権限を削られていくエジプト軍部にクーデターの挙行を持ちかけ、政権転覆が具現化したと考えられる。 (Saudi King Offers Support to Egyptian Military) (Saudi Arabia Will Cover Any Western Aid Cuts to Egypt Junta

 米国の議会やマスコミでは911以来、サウジを、オサマ・ビンラディンを生んだ国として敵視する傾向がある。クーデターの黒幕がサウジだけだったなら、米国の政界やマスコミがクーデターを強く批判し、エジプト軍政に圧力をかけてモルシーを釈放させて大統領に戻しただろう。しかし、ここでイスラエルが登場する。 (Arab perceptions of U.S. weakness may lead to unlikely new alliances with Israel

 米国のタカ派の間からは、ここ数年、イスラエルをイランやヒズボラと戦争させようとする動きが断続的に起きている。もともと、イスラエルがイランを先制攻撃し、米国をイランとの戦争に引きずり込む策を、米国のタカ派とイスラエルが共同で考えていた。その策の具現化として、イスラエルは06年にレバノンのヒズボラに戦争を仕掛け、これがイランとの戦争に発展しかけた。だが、イラクとアフガンへの侵攻で懲りた米軍など米国側が、消耗戦になるのでイランと戦争したがらず、イスラエルだけで戦えという話になり、はしごを外されたイスラエルは、1カ月後に停戦せざるを得なかった。 (`Israel behind Egypt coup' - Turkish PM

 米国のタカ派や「イスラエル右派」を自認する勢力の中に、イスラエルのために働く姿勢をとりつつ、イスラエルを自滅的な戦争に引きずり込もうとする勢力がいるように見える(スパイの中のスパイという感じで実体の見極めが困難だ)。彼らの背後にいるのは聖書の「ハルマゲドン」を起こしたいキリスト教勢力なのかもしれないが、この米国の「親イスラエルのふりをした反イスラエル」の勢力がいるため、イスラエルは、米国を牛耳って中東の敵対勢力を封じ込める策をとれなくなった。かといってイスラエルは、アラブやイランといった敵側との和解もできない。親イスラエルのふりをした勢力は、強度の反イスラム・反アラブ・反イランであり、彼らは米イスラエル両方の政界を席巻し、イスラエルがパレスチナ和平を皮切りにイスラム側と和解するのを許さない。

 しかし、そうこうするうちに、米政府はリーマン危機以来の財政力の浪費によって財政難となり、軍事的に中東を支配することができなくなり、イスラエルの面倒を見きれなくなった。8月から、イランの政権が好戦的なアハマディネジャドから現実的なロハニに代わり、核兵器開発の濡れ衣を解いてイランを許そうという国際的な動きが始まりそうだ。イスラエルは、米国の軍事力に頼る国家戦略に見切りをつけ、パレスチナ和平交渉を再開した。イスラエルは、米国の仲裁を受けず(米国を立てるため、初回の交渉だけ米国でやった)、直接パレスチナ側と交渉している。 (Israelis, Palestinians at odds over U.S. envoy's role in peace talks

 イスラエルがパレスチナ問題を解決したいなら、パレスチナ人とだけ話してもダメだ。パレスチナ人を資金面で支えているサウジアラビアと話をつけねばならない。ここにおいて、イスラエルとサウジの利害が合致する状態が生まれた。イスラエルは、プロパガンダ機能への働きかけを通じて、米欧など国際社会の論調を操作できる。イスラエルは、パレスチナ国家の創設を認めてパレスチナ問題を解決するから、アラブ諸国がイスラエルとの関係を敵視から協調に転換するよう誘導してくれとサウジに頼み、サウジは、その件を了解するから、代わりに米欧のプロパガンダをいじってエジプトのクーデターを支持するように誘導してくれとイスラエルに頼んだのでないか。

 今回のエジプトの件は、米政界の動きだけで説明がつかない一方、サウジとイスラエルが何らかの協調をしたと考えるなら、上記のように、納得のいく説明がつく。イスラエル諜報機関のメディア「デブカファイル」が8月15日の弾圧開始を的確に予測していたのも、イスラエルが黒幕として存在していると考えると納得できる。

 イスラエルにとっては、エジプトが安定した政権でイスラエルとの国交を保っていれば良い。同胞団のモルシー政権は、イスラエルとの国交を保っていたし、弟分の組織であるガザのハマスに圧力をかけてイスラエルへの攻撃を止めさせ、パレスチナとイスラエルを仲裁する姿勢も見せていた。同胞団は、長期的に、米国の覇権が衰退した後、イスラエルを潰す策動を考えているかもしれないが、短期的には、イスラエルに不都合な政権でなかった。イスラエルがエジプト軍政を積極的に支持する背景には、サウジとの関係を好転させて中東和平を進めたい意図がある。 (`Back Egypt or risk peace talks,' says Israeli official to US

 今回のエジプトの政権再転覆は、中東情勢を超えた、世界的な地政学的転換になりそうだ。7月のクーデター後、ロシアのプーチン政権が、エジプトの軍事政権を支持し、米国がエジプトへの武器供給を絶つなら、その分をそっくりロシア製の武器で穴埋めしてあげると伝えていたことが、最近になって報じられている。米国から資金と武器の供給を止められても、代わりにサウジの資金とロシアの武器を得られるので、エジプトの軍事政権は、同胞団寄りの態度をとる傾向が強い米国との関係を軽視するようになった。 (Egypt, U.S. on Collision Course) (New `Cold War' between Russia and America in the Land of Pharaohs

 オバマ政権は、エジプトへの経済支援を打ち切るべきだという議会などからの要求に対し、ほとんど何の反応もしなかった。経済支援を打ち切るぞと口だけでも言ってしまうと、ロシアに付け入れられてしまうので、何も言えなくなっている。 (Egypt: Paging Samantha Power!) (Reluctance to suspend Egyptian aid exposes White House rudderlessness

 米政府はすでにエジプトへの経済支援を秘密裏に停止しているという指摘が、米議会上院の内部から出ている。このことからうかがえるのは、エジプトのクーデターより前に、サウジが、米国の財政緊縮に貢献するため、米国からエジプトへの経済支援を肩代わりする伏線を張っていたのでないかということだ。米国が、ひそかにサウジにエジプト支援を肩代わりしてもらっていたとしたら、クーデターが起きても、経済支援打ち切りにまったく言及できなくて当然だ。 (US reportedly secretly suspends aid to Egypt

 ロシアにとってエジプトの軍政支持は、エジプトを米国の陣営から引き剥がせる利点のほかに、サウジやイスラエルに恩を売れる意味がある。特にロシアとサウジは、シリアの内戦において、ロシアがアサド政権を支援し、サウジが反アサドの反政府勢力を支援して対立してきた。シリア内戦はアサドの国軍が優勢になっている。もしかするとロシアはサウジに対し、エジプトで軍事政権を支援してやるから、代わりにサウジはシリアの反政府勢力への支援をやめてくれと要求したのかもしれない。 (World learns to manage without the US

 こうした露サウジの交換条件が具現化すると、延期され続けてきたジュネーブ和平会議が開かれ、シリア内戦は終結に向かう。サウジがシリアの反政府勢力への支援をやめれば、カタールやトルコも反政府勢力を支援しにくくなり、劣勢が増す。米国やNATOは、占領の泥沼に陥るのでシリアに軍事介入したがらない。アサド政権を容認して内戦を終わらせるしかない。米欧マスコミは最近再び「アサド政権が市民に化学兵器をまいた」とするプロパガンダを流しているが、こうしたウソは、米欧の政府やマスコミへの国際信用をますます失墜させ、逆効果だ。 (Russia suggests Syria `chemical attack' was `planned provocation' by rebels

 エジプト軍政が同胞団への弾圧を強めた8月15日、国連安保理で常任理事国の米英仏が、エジプトを制裁すべきかどうかを議論しようとしたが、残る2つの常任理事国であるロシアと中国が、強く反対したため、議論そのものが行われなかった。ロシアだけでなく中国も、サウジに恩を売って、エジプト軍政を支持している。世界に中国製品を売り込むとともに石油ガスの利権をあさりたい中国は、民主化や人権でなく、経済的な世界の安定を重視しており、エジプトが安定するなら軍事政権でかまわない。 (Russia, China block Security Council debate on Egypt) (Pharaoh al-Sisi sits tight

 ロシアとサウジ、そしてイスラエルが手打ちすると、核兵器開発の濡れ衣をかけられているイランの問題も、解決の方に動き出す可能性が増す。イスラエルは今でこそ、米国の覇権を頼ってイランを非難し続けているが、米国の影響力が低下していく中で、イスラエルは、いずれかの時点でイランと和解せねばならない。その場合イスラエルは、米国でなく露中に頼るのが効率的だ。 (US Conspicuously Absent From Post-Arab Spring Mideast

 サウジも、イランとの和解が必要だ。サウジの隣のバーレーンで、多数派だが貧民が多いシーア派が、少数派だが権力を持っているスンニ派王政(君主)による弾圧に反対し、反政府運動を続けている。シーア派の背後にイランがいると考えられる。米国は「民主化」を理由にスンニ派王政に圧力をかけ、事実上イランを支援している。バーレーンの民主化運動が成就して君主が追放され、シーア派の政権ができると、次は隣のサウジ東部で、多数派であるシーア派が権利向上を求める反政府運動や分離独立運動を強める。 (バーレーンの混乱、サウジアラビアの危機

 サウジの大油田はすべて東部にある。バーレーンの「民主化」を求める米国は事実上、サウジの混乱を扇動している。サウジが米国に見切りをつけるのは、米国がバーレーンなどで、サウジ王政の転覆をめざす活動に事実上加担しているからだ。サウジは、米国でなく露中を仲裁役にしてイランと交渉し、サウジなどアラブ諸国が米国主導のイラン敵視から一線を画す代わりに、イランはバーレーンの反政府運動から手を引くことを求める必要がある。 (米覇権後を見据えたイランとサウジの覇権争い

 エジプト政変の背景分析はあまり出てこないので、まだ分析が難しいが、今回書いたように、どうも米国の覇権体制が崩れて多極型の体制になりつつあることと関係しているようだというのが見えてきた。これは、パレスチナやシリアやイランの問題の転換に連鎖していきそうだ。911以来、世界の体制が、中東の問題を皮切りに転換していることを、あらためて思い起こさせる。



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