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米雇用統計の粉飾

2013年7月22日   田中 宇

 米国の雇用統計は、米経済の回復を示す指標として、米国と世界の金融関係者が最も重視している数字だ。米国政府の労働省が7月5日に発表した6月分の雇用統計は、雇用者数(農業以外)が前月比19万5千人増加した。この数字は、事前予測を4万人上回っており、米経済の回復ぶりを示すものとして報じられた。 (US non-farm payroll beat forecasts with 195,000 new jobs - as it happened

 しかし、この数字には裏があった。雇用者の全体数が19万5千人増えた一方で、その内訳として、パートタイム(週の労働時間が30時間未満)の労働者が32万2千人増えたと、米労働省が発表している。雇用者の全体数はパートタイムとフルタイムの合計数だから、パートが32・2万人増えたのに全体数が19・5万人しか増えなかったことは、フルタイムの雇用者が12万7千人減ったことを示している。(この件を報じたフォーブスは、フルタイムの雇用者が少なくとも16万2千人減ったはずだと書いている) (The Untold Unemployment Story: A Loss Of 162,000 Full-Time Jobs In June

 ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、フルタイムがパートに置き換えられた背景について書いている。オバマ政権が開始している新たな官制健康保険制度「オバマケア」(Affordable Care)では、週の労働時間が30時間以上のフルタイム従業員を50人以上雇っている企業に対し、企業が従業員の健康保険料の一部を負担することを義務づけている。逆に言うと、フルタイムの従業員を週30時間未満労働のパートタイムに置き換えれば、企業経営者は従業員の健康保険料を負担する必要がない。 (Restaurant Shift: Sorry, Just Part-Time

 オバマケアの法律に基づく義務づけ(違反企業への罰金請求)は2015年からだが、この規定が決まった昨年から、数百人以下の規模の米企業の間では、できるだけフルタイム従業員を減らし、パートに置き換えることで、健康保険料の企業負担を減らそうとする動きが広がっている。昨年までフルタイム180人とパート40人を雇っていたレストランが、フルタイム80人とパート320人の雇用に転換し、年間40万ドル(約4千万円)の保険料負担を免れた例を、WSJが紹介している。 (Obamacare - Patient Protection and Affordable Care Act

 米雇用市場では昨年、パートの増加よりフルタイムの増加の方が5倍以上大きかったが、今年は逆転し、毎月パートが9万人ずつ増える一方、フルタイムは2万人ずつしか増えていない。これは、オバマケアの規定の影響だろう。フルタイムをパートに置き換えて同じ仕事をこなそうとすれば、総雇用数は大幅に増える。だから、雇用統計は雇用増の傾向を示す。しかし、雇用の質を詳細に見ていくと、増えているのは家族を養えない低収入のパートであり、家族を養える所得水準であるフルタイムが減っている。

 米国の中小企業がフルタイムを減らしてパートに替えたくなる健康保険の規定をオバマ政権が打ち出した結果、パートが急増している。オバマ政権は、米国民と国際社会から、米経済を早く回復させろと圧力をかけられている。そして、米経済の回復を示す最も重要な数字が雇用統計だ。オバマ政権は、健康保険制度の改革という名目の裏で、雇用統計をうわべだけ実態より良く見せるフルタイムからパートへの転換を誘発し、雇用が回復しているのでオバマの経済政策は正しいという話にしているのだろう。 (Get Ready For The Next Great Stock Market Exodus

 米政府はこのほか、長期にわたって失業し、求職活動を続けている人に、求職活動をやっても無駄だと考えるように仕向け、求職活動をやめさせて「失業者」の枠外に追い出すことで見かけの失業率を低めに誘導することも、以前からやっている。米政府が「景気回復」を演出する代償として、雇用統計など米国の経済指標の信頼性が落ちている(日本も同様だろう)。米国の住宅市況が回復しているが、これも、一般市民でなく銀行界が、債券の担保となっている住宅の相場をテコ入れするために住宅を大量購入している。債券市場も「堅調」が報じられるが、実際は米連銀の買い支えだけが頼りだ。 (◆揺らぐ経済指標の信頼性) (◆金融大崩壊がおきる

 前出のフォーブスによると、米国の失業者は、アフリカン(黒人)やヒスパニックといった少数派と、若年層になるほど多い。10歳代の失業率は米国全体で24%だが、ヒスパニックでは30%。黒人は43%にもなっている。その一方で、米国の大手金融機関は、連銀の債券買い支え(QE3)などで利益を確保し、空前の利益を出している(連銀を含む金融界内部の資金移動だけで儲けが出るので人材が不要で、米金融界も解雇が多い)。米国では貧富の格差が拡大しているが、まだ経済難や失業増を理由とした大規模な暴動が起きていない。これはマスコミのプロパガンダが効いているためと考えられるが、こうした現状がずっと続くとは考えにくい。 (Wall Street returns to era of big profits) (Why Aren't Americans Fighting Back?

 雇用統計の「改善」は米経済の回復とオバマ政権の有能さを示すもので、その面で、粉飾しても成し遂げる価値があるように見える。しかしマイナス面もある。米連銀は、雇用が改善して米経済が回復基調にあるなら、ドルを大量発行して米国債など債券を買い支える量的緩和策(QE3)を縮小すると、以前から明言している。6月分の雇用統計が好転したので、9月に米連銀がQE3の縮小に踏み切るだろうと予測されている。 (Bernanke faces grilling over bond buying

 連銀がQEをやめたら債券を買い支える勢力がいなくなり、リーマン危機型の債券金融システムの崩壊が再発しかねない。連銀のバーナンキ議長も最近の議会証言で「(QEをやめて)金融引き締めに転じたら、経済は危機になる(Economy Would Tank)」と認めている。雇用統計を粉飾して改善に見せかけることは、米連銀をQEの縮小と終了に押しやり、リーマン危機型の債券崩壊を誘発している。 (Bernanke Confirms: "If We Were To Tighten Policy, The Economy Would Tank"



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