さらに弱くなる日本2013年7月20日 田中 宇ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)に、日本の財政について興味深い記事が載った。日本政府は、7月14日の閣議で、経済テコ入れを優先するため財政赤字(公的債務)の総額を減らす努力を2020年まで行わず、21年から赤字削減に努力することを決めた。しかし日本政府は、累積財政赤字に関する長期予測を2023年の分までしか持っていない。2024年以降の日本の財政赤字がどうなるか、日本政府はまったく予測を立てていない。同記事はそう指摘している。 (Firing Blind in Tokyo) 日本政府の累積財政赤字はGDP比220%で、先進諸国の中で最悪だ。それなのに政府は、景気回復を優先するとの口実で、2020年までは財政赤字の削減努力をせず野放図に赤字増を続け、21年から努力を開始するものの、24年以降の分については赤字予測すら立てていないで不明確なままだ。財政赤字の長期展望について、民間の研究者は予測を出しているが、日本政府自身は何も予測していない。景気が悪いときに財政緊縮策を一時的にやめるのは納得できるが、緊縮策を再開した後にどう緊縮していくかという長期展望を立てないのは危険だとWSJは警告している。10年後までしか考えていない日本と対照的に、米国のCBO(議会の予算事務局)は75年先までの財政予測をしている。 WSJによると、三菱総研は長期予測を出している。総研は、日本の累積財政赤字が、2015年のGDP比193%から、2030年に同270%に増えると予測している。しかもこの予測の前提は、10年もの国債金利が2%以上に上がらない場合だ(今は0・8%台)。日本国債に対する信用が低下して売れ行きが悪化し、同金利が2025年以降に3・4%に上がると、2030年の赤字はGDP比300%に、5・4%に上がると350%になる。日本の財政赤字が300%以上になると、財政破綻や金融危機が起きる危険が増すと指摘されている。 (Jim Rogers on bond bubbles, buying gold and the Japan disaster) 今はまだ日本国民の貯蓄率が高いので、日本人の貯蓄が金融機関を通じて国債購入に回り、日本国債の9割以上が国内の買い手だ。しかし貯金が多いのは、雇用が安定して貯蓄が比較的容易だった終身雇用時代を生きた中高年(団塊の世代)だ。今の若年層は、雇用が不安定で貯金が少ない。日本の貯蓄総額は減少傾向にあり、国債を国内の買い手でなく、外国人投資家に売る比率が高まる。国内の金融機関は日本政府の監督下にあるので買った日本国債を売らないが、外国人は国債を安く買いたたこうとして債券相場を揺るがし、国債金利を引き上げかねない。GDP比350%という返済困難な財政赤字は、非現実的な数字でない。この件は、以前の記事にも書いたことがある。 日本政府が財政赤字の長期予測を出していないと指摘するWSJの記事を読んで私は「やはり日本政府(財務省、官僚機構)は、財政赤字を意図的に増やしてきたのだな」と感じた。私は以前から、質素倹約を重視する日本人の民族的気質と、ここ20年ほどの財政赤字の野放図な拡大は矛盾していると考えてきた。世界的に日本人と並んで質素倹約を好むドイツ人は、EUの緊縮政策を先導しており、民族的な気質と政府の言動が一致している。 日本政府が1980-90年代以降、財政赤字を意図的に増やすようになった背景には「対米従属」の国是があると私は推察している。70年代から米国が財政赤字拡大の体質になり、経済大国となった日本が強い財政を持っていると、日本が米国より健全になってしまい、日本が米国の下位に居続ける日本の対米従属の国是が維持しにくくなる。だから日本の官僚機構は、過疎地での(地元の雇用の一時的な増加以外に意味のない)無意味な公共事業の大盤振る舞いや、90年代の不動産金融バブル崩壊の悪影響を長引かせて「失われた20年」を演出したりして、日本の財政や金融の体質を意図的に弱くしてきた。そのような私の分析をふまえると、日本政府が10年以上先の財政赤字の予測を出さず、赤字が減りにくい状態を作っているのは納得できる。 (経済覇権国をやめるアメリカ) 明日の参議院選挙で、自民公明の連立与党が衆参両院の過半数を制すると予測されている。参院選挙は「アベノミクス」に対する国民の信任とみなされるだろう。アベノミクスの3本の矢の1本目が、財政赤字を増加させて大きな景気対策をやることだ。短期的に、日本人の何割かは懐が豊かになり、歓楽街の人々も喜んでいる。しかし長期的には、日本の財政破綻や金融危機のリスクが増している。そして、このリスクは官僚機構にとって意外なことでなく、日本が対米従属を維持するために米国にひけをとらない弱い財政体質を持つための隠れた政策の「成功」を意味している。 アベノミクスの2本目の矢である日銀の量的緩和策(円を大量発行して国債などを買い支える)も、米国債の崩壊を買い支えによって止めている米国連銀の量的緩和策(QE3)を支援するためのもので、対米従属の国是に沿っている。 (米国を真似て財政破綻したがる日本) 3本目の矢である経済構造改革については、安倍政権がまだ内容を明確にしていない。そのため、むしろ米国のWSJ紙などが「日本は米企業のためにもっと市場を開放せよ。そうでないと改革と呼べないぞ」といった我田引水的な論文を載せ、日本に圧力をかけている。ジョージ・オーウェルの「1984」的な「腐敗こそ改革」である。 (Mr. Abe's Missing Arrow) とはいえ、オバマ政権が米大手企業の言いなりになってアジア諸国に市場開放を迫ってくるTPPが「すばらしき自由貿易圏」で、日本も万難を排して参加せねばならず、「日本の農業は必ず守ります(という名の『百姓は黙ってろ』)」的な発言が席巻する状況には、オーウェルもびっくりだろう。最近「日本を取り戻す」という文字が踊るポスターがあちこちに貼ってある。だが今の政策は、矢の3本とも、長期的に「日本をより大きく失う」方向に飛んでいる。もともと何も「取り戻す」必要がなかったのに、無意味なもめ事が誘発され、そのあと「取り戻す」押し売りが来て、結局は「失うことこそ取り戻すこと」になる。これまた末世のオーウェル的だ。 (尖閣で中国と対立するのは愚策) (Ford lashes out at Japan's entry into TPP trade talks) 参院選挙で衆参両院の多数派を自公がとり、安倍首相の人気が続いている間に、消費税の値上げを実行しようと、官僚機構(財務省)が安倍を操作している。消費税を引き上げて税収を増やし、財政赤字削減に役立てようとしている。しかし、消費増税による国内消費の減退は、景気を悪化させ、政府が目標としているデフレの解消も遅れ、悪影響が大きい。 (Japan is not ready for the fourth of Shinzo Abe's arrows) 欧州や中近東、中南米などでは、消費税が20%近い高率の国が多いが、これらの国々の町には、飲食店やコンビニなど、小売り店が、日本など東アジア諸国よりずっと少ない日本など東アジア諸国の市民は、店が多いので、少額の買い物や外食を頻繁に行っている。このような日本の東アジア的な消費文化のもとで、消費税を10%、15%と上げていくと、それによる消費減退の悪影響は、他地域の諸国に比べて大きいことが懸念される。 衆参両院を制した安倍政権が進めそうなもう一つのことは憲法改定、憲法9条の撤廃だ。これも、対米従属から派生している現象だ。米政府は、日本政府が「思いやり予算」などの財政措置によって、在日米軍の駐留費を出してくれる限り、タダ飯を食えるので沖縄に軍事駐留しようと考えている。ただし、在日米軍は、有事の際の日本の防衛を担当しない。80年代まで、米軍は日本の有事防衛を担当する気があったようだが、90年代以来、米国は日本に防衛的な自立を求め、ここ数年、米国の財政難とともに、その要求が強まっている。それに加えて米国は日本に対し、日米同盟を維持したいなら、米国の海外派兵に日本が(金銭的にでなく)軍事的に協力せねばならないという要求を強めている。米国の圧力を受け、日本政府は、憲法9条の考え方を廃棄し、米国の求めに応じて日本の軍隊が、米軍の指揮下で自由に海外派兵できることを目標にしている。ニューヨークタイムスが示唆するとおり、沖縄は日本から独立する道を探るしかないのかもしれない。 (In Okinawa, Talk of Break From Japan Turns Serious) 日本政府は軍備増強に力を入れている。だが、国民生活や国家を外国からの破壊から守るために必要な事項のうち、軍事的なことは、ごく一部にすぎない。軍事の前に外交、外交の前に国際的な経済と政治の構造分析が必要だ。日本では、軍事的なことを叫ぶ人が非常に多い半面、外交技能や国際情勢分析の深化について語る人が非常に少ない。ドルや米国債が、バーナンキの発言ひとつで崩れかねない、非常に不安定な状態になっていること、中東情勢から気候変動までの国際政治の多くの分野で、米国の統制力が弱まり、中露などの主張を抑止できなくなっていることなどを見れば、対米従属一本槍の今の日本の戦略に問題があることは容易に感じ取れる。それなのに、日本を守る策として、中国の軍事的脅威に対抗するという口実の軍事増強だけがもてはやされている。官僚機構の一部であるマスコミが衆愚的な策を続けているため、日本人の思考能力が急速に退化している。 (Japan and China Make Smartphones, Not War) 先日、フランスのファビウス外相がメキシコを訪問し、5年前のひとつの刑事事件を機に悪化したままだった両国の関係を改善させた。その訪問時に仏外相は演説で「世界は(冷戦中の米ソ)2極体制から(冷戦後の米単独覇権)1極体制を経験した。今、仏墨両国は、世界(の各地の極)が対等に均衡する多極型の世界ができることを望んでいる」と述べた。 (France's foreign minister, in Mexico to bury hatchet, says U.S. no longer dictates world events) 思い返せば、リーマンショックの直後、基軸通貨としてのドルの機能の喪失を前提に、G7の機能をG20に移すことを提唱し、米国に了承させたのはフランスのサルコジ大統領だった。さすがフランスは、世界の覇権動向を見ている。フランスは、米国が(意図的に)失敗させている麻薬戦争の悪影響で政治や社会が崩れているメキシコに「ドルや米国債が崩壊しそうなので(崩壊後?)一緒に多極型世界を作ろう」と呼びかけに来た。メキシコは、フランスが発する地政学的メッセージを理解しただろう。 (「ブレトンウッズ2」の新世界秩序) しかし、仏外相が日本に来て同じ呼びかけをするとは考えられない。日本の官僚機構はそれに呼応しないし、その手のことを何も知らされていない国民は、地政学的な呼びかけを理解できない。地政学的な転換をクーデター的に試みた鳩山政権はすぐに潰され、鳩山は頭のおかしな人というレッテルをマスコミに貼られた。鳩山のクーデターに驚愕した官僚機構が、全力で対米従属の体制を建て直した結果として存在するのが、今の安倍政権だ。 (多極化に対応し始めた日本) 日銀や日本政府が円や国債の大増刷をやり、自らを危険にさらしつつ米連銀の量的緩和策をやって、それでドルと米国債が危機を脱して復活するなら、日本は、復活した米国に対米従属し続けられ、なおかつ日本が米国より弱い状態になるので、日本が米国覇権のためにすすんで人柱になって自滅することも(少なくとも官僚機構にとっては)意味がある。だが、日本が自滅的にドルと米国債の身代わりの人柱になっても、米国が延命できる期間がやや伸びるだけで、復活への転換につながらないだろう。長期策として、米国が経済システムを転換して復活をめざすなら、先進国である日本でなく、新興市場国で発展の余地が大きい中国と組み、中国の経済成長を内需主導型に転換するのを助けた方が良い(日本も)。 (BoJ says Japanese economy is `recovering') 米政府は昨年から「景気はゆるやかに回復している」と言い続けているが、景気回復の要となる雇用は回復していない。雇用統計上は回復が示されているが、それは職探しをやめて雇用統計から外れる人が増えるようにしむけた結果だ。米国の「景気回復」は当局と金融界とマスコミが作ったイメージで、金持ち以外の米国民は景気回復を実感できていない。金持ち以外が景気回復を実感できていないのは、日本も同様だ。最近、日銀が景気回復を宣言したが、これは米国を真似て、当局とマスコミなどが作ったイメージであり、時期的に見て選挙対策と疑われる。
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