他の記事を読む

中東不安定化を狙って誘発されたエジプト転覆

2013年7月18日   田中 宇

 7月3日にエジプト軍部がモルシー政権を倒したクーデターで、最も重要でしかも難解な要点は、なぜ米国がクーデターを許したかということだ。米欧などのマスコミ報道は、モルシー政権が米欧にとって有害な存在で、国内政策の面でも無能だったので、転覆されるのは当然という論調が多い。しかし実のところモルシー政権は、米欧と、米政界に強い影響力を与えているイスラエルにとって、かなり役に立つ政権だった。 (Egypt: the end of the Arab Spring

 2012年にエジプトでムスリム同胞団のモルシー政権ができたとき、米イスラエルが懸念していたことは(1)スンニ派イスラム主義のモルシーがシーア派イスラム主義のイランに接近し、1979年のイラン革命以来断絶していたエジプトとイランの国交が回復し、米欧のイラン制裁が効かなくなるのでないか(2)ムスリム同胞団は、弟分の組織であるガザのハマスをけしかけてイスラエルと戦争するのでないか(3)そこまでいかなくても、エジプトがムバラク大統領など米国の傀儡政権だった時に結んでいたイスラエルとの国交を、モルシーが断絶するのでないか・・・といった3点だった。 (US aid cut to Egypt worries Israel: Report

 実際のところ、モルシー政権はこの3点について、米イスラエルの意向に添った動きをした。1点目のイランとの関係について、モルシーは就任以来、イランと国交回復しそうな素振りを見せながら、実際の国交回復をせず、イラン側をいらだたせた。ムスリム同胞団は汎イスラム主義なので、モルシーの支持者の中にはイランとの国交回復を望む声が強い。そのためモルシーは、今にもイランと国交回復しそうなふりをしていた。だが実際は、米イスラエルの言うとおりにして、イランと国交を回復しなかった。 (Iran's Ahmadinejad seeks strategic axis with Egypt

 2点目のハマスの件でモルシーは、ハマスをけしかけてイスラエルと戦争させるどころか、逆に、ハマスに命じて、ガザにいるハマスよりも過激なイスラム主義勢力(サウジやパキスタンやリビア出身の、いわゆるアルカイダ系など)に圧力をかけて抑制し、イスラエルに喜ばれていた。ハマスはガザの統治者なので、それほど過激でない半面、ガザにはもっと過激な小規模なイスラム主義武装勢力がいくつも存在する。彼らは断続的に、ガザや、隣接するエジプトのシナイ半島からイスラエルを越境砲撃してきた。

 エジプトの前ムバラク政権は、比較的穏健な同胞団やハマスを含むイスラム主義勢力の全体を敵視していたので、軍や警察を使って手荒く取り締まる以外の有効な策がなく、シナイ半島やガザからイスラエルへの砲撃を止められなかった。対照的にモルシー政権はハマスの兄貴分の同胞団なので、身内である過激なイスラム主義勢力に対し、政治的に圧力をかけ、砲撃をやめさせることができた。

 3点目のエジプトとイスラエルの国交断絶の懸念についても、モルシーは、イスラエルとの国交の条件を再交渉していくつもりだが、国交自体を断絶することはないと当初から明言していた。イスラエルはこれらの点で、モルシー政権に満足していた。 (Four reasons why Israel may miss Morsi after all

 モルシー政権が、これらの3点に象徴されるように、米イスラエルの言いなりになっていた理由は、米政府が、モルシーに政権を渡したがらないエジプト軍部に圧力をかけ、モルシー政権を成立させた立役者だったからだ。2012年6月のエジプト大統領選挙で、モルシーは得票数が1位だったが、2位のアフマド・シャフィークとの得票差は5000票しかなかった。僅差なので、軍部は、開票をごまかして、ムバラクの側近だったシャフィークが勝ったことにしようとしていた。しかしその時、クリントン米国務長官がエジプト軍部に圧力をかけて選挙不正をやめさせ、モルシーの勝利を確定させ、モルシー政権の誕生へと導いた。 (`Sharon was about to leave two-thirds of the West Bank'

 この話は、イスラエル諜報機関モサドの幹部で、ときどき裏事情を暴露してくれるラフィ・エイタンが述べたことなので間違いないだろう。余談だが、エイタンは同時に、イスラエルのシャロン元首相が05年前後に(米国が中東の安定を崩していきそうなのを見て)、ガザと、西岸の一部からイスラエル入植者を撤退させ、イスラエルとパレスチナを分離して不安定化の悪影響を少なくしようと先見の明を持って動いていたことも指摘している(シャロンはその直後、脳溢血で倒れた。反対する右派にやられたのかもしれない)。私は当時、推論として、シャロンが先見の明を持っていることを04年ごろに書いたが、それが9年経って事実化された。 (イスラエルの清算

 モルシー政権が倒され、同胞団とハマスが反政府勢力へと下野させられると同時に、シナイ半島で過激派によるイスラエルへの砲撃が再開されている。米イスラエルから苦情を言われた軍事政権は、あわててシナイ半島に軍を増派し、ムバラク時代と同様の手荒なやり方で、過激派を抑圧しようとしている。しかし、抑制の効率はモルシー時代の方が上だろう。イスラエルは迷惑している。 (Israel Authorizes Egypt's Escalation in Sinai) (Egyptian army camp in Sinai attacked

 米政府は今回の転覆を「クーデター」と呼びたがらない。クーデターだとすると、民主主義がない国への経済援助を禁じる米国の法律に抵触し、米国からエジプトへの軍事支援ができなくなり、シナイ半島の治安が悪化してイスラエルに悪影響が出る。エジプト軍の装備のほとんどは米国から支援されたものだ。米イスラエルは、エジプトを信用しておらず、エジプト軍に、弾薬や修理部品を、イスラエルと戦争できないぐらいの少量しか渡していない。だから、米国からエジプトへの軍事支援を止めると、すぐに影響が出る。 (So Much For Mideast Democracy

 2011年にムバラク大統領に辞任するよう最後の圧力をかけてエジプト革命を成就させたのは米国政府だった。2012年の大統領選挙で、ムバラク系のシャフィーク政権を誕生させようとしていた軍部を抑止し、イスラム主義のモルシー政権を誕生させたのも米国政府だった。だからこそモルシーは、米イスラエルが喜ぶよう、イランと和解せず、イスラエルとの国交も維持し、イスラエルへの砲撃を止め、IMFの言いつけも聞いていた。 (Egypt's Coup Conundrum

 それなのに、モルシーは軍部によって転覆されてしまった。エジプト軍は装備を全面的に米国に依存している。米政府に支持されたモルシー政権を、軍部がクーデターで倒すなら、その前に必ず米政府の了解をとりつけたはずだ。米政府は、軍部を抑止してモルシーを政権につかせ、モルシーのやり方にかなり満足していた。6月18日には、駐エジプト米国大使のアン・パターソンが「選挙より街頭デモの方が良い結果を生むという考え方は疑問だ」と、反モルシーのデモをやめさせようとする演説をカイロで発している。 (Knives Come Out for U.S. Ambassador to Egypt Anne Patterson

 道理で考えると、米政府が軍部にモルシー転覆を許したのは大きな驚きだ。米国に支持されてきたモルシーは、軍部に政権を転覆されるとは思っておらず、だからこそ実際にクーデターが起きると、抵抗する準備もなく、簡単に軍に捕まって権力を剥奪された。私自身、クーデター前夜に配信した記事で、モルシーが倒れることを予測していなかった。 (裏読みが必要な各地の反政府運動) (Morsi Aide: Egyptian Army Can't Oust President Without `American Approval'

 米政府(ホワイトハウス)は、モルシー政権を支持していたが、タカ派(右派)が席巻する米議会や米大手マスコミの論調は、軍部がモルシーを転覆したことを大歓迎している。イスラエルでも、現実的にはモルシー政権が倒されたのは周辺情勢の不安定化につながり迷惑なことだが、イスラエル右派はモルシー追放を歓迎している。

 右派の要諦のひとつは「軍産複合体」だ。クーデターで下野させられた同胞団などイスラム主義勢力と、軍部の対立が激化し、エジプトがシリアのような内戦に向かいそうだとロシアのプーチン大統領が指摘している。エジプトがシリア型の内戦になると、米国の軍産複合体は双方に武器を供給することができ、儲けが増える。 (Avoid civil war, Putin tells Egyptians

 とはいえ、右派の要点は「軍産複合体」だけでない。もう一つ「親イスラエルのふりをした反イスラエル」という要素がある。イスラエルにとって今は、早く西岸の違法入植地から撤退してパレスチナ国家の建設を開始して「二国式」によるパレスチナ和平を進めねばならない時だ。国際社会のイスラエル非難が強くなっている。EUは入植地の人や産品に対する経済制裁を決めたし、IAEAではアラブ諸国がイスラエルの核兵器を査察・廃棄させる制裁案を出しそうだ。 (Unprecedented strain on Israel-EU ties) (Arabs ready anti-Israel resolution over nukes

 パレスチナ人は人口が急増しており、パレスチナ国家を創設せず、代わりに人権運動をやってパレスチナ人がイスラエル国籍を取得し、民主主義の力でイスラエルをユダヤ人の国からパレスチナ人の国に変えてしまうやり方もできると言ってイスラエルを脅している。「パレスチナ人のイスラエル」の旗まで作って公開された。 (Senior Fatah officials call for single democratic state, not two-state solution) (驚きの「一国式パレスチナ(イスラエル)国旗」

 イスラエルでは右派が政府内の住宅省などの要職に入り込み、入植地の拡大や住宅建設を勝手に進め、和平を不可能に近づけているが、ネタニヤフ首相はオバマ政権を協力させ、何とかパレスチナ和平を進めようとしてきた。交渉の進捗状況は明らかにされておらず、目くらまし的報道が氾濫しているものの、パレスチナ国家の国境策定や難民帰還問題などの難点でパレスチナ側が譲歩して、交渉が本格的に始まりそうだという報道も、エジプト政権転覆の直前に出ていた。 (Jordan: Four-sided peace summit possibly to be announced) (Abbas Scraps Demands as US Threatens to Blame Him for Peace Talks Failure

 モルシー政権のエジプトは、イスラエルがパレスチナ和平を進めるに際して重要な国だった。モルシーの同胞団はガザのハマスの兄貴分なので、分裂しているガザのハマスと西岸のファタハを、もしくはハマスとイスラエルの間を、エジプトが仲裁してきた。同胞団の政権が下野させられたことで、エジプトが中東和平を仲裁することは難しくなり、ハマスに対する手綱も失われた。 (Revolutionary standard-bearer finds ignominious end

 もし今後、エジプトがシリアのような内戦状態に陥ると、中東和平はさらに遠のく。中東では、イラク侵攻の失敗以来、米国の覇権が低下するとともに、エジプト、トルコ、イランの3大地元諸大国の国際影響力が増す地政学的な転換が起きていた。中東における米国の影響力が低下しても、エジプトやトルコがしっかりしていれば、イスラエルはこれらの国々に仲裁してもらってパレスチナ和平や、レバノンのヒズボラとの恒久停戦、イランとの和解などを進めて「アメリカ以後」の中東で、イスラエルが国家存続する道があった。

 しかし今回、エジプトの政権転覆と、今後予測される内戦的な混乱で、地元3大国のうち、エジプトが国際的に使いものにならない状況になる。トルコでも反政府運動が起きている。今のところエルドアン政権は大丈夫だが、今後反政府運動の盛り上がりでトルコでも政権転覆が起きると、中東はさらに不安定化する。これらの点をふまえて考えると、今回のエジプトの政権転覆には、米国の影響力低下後の中東における安定を崩そうとする意図と、イスラエルの国家存続を危うくしようとする意図が見える。 (Will Egypt Save Itself From Total Collapse by Going to War With Israel?

 米右派の動きとして如実だったものに、ブッシュ政権時代のチェイニー副大統領やネオコンの中東政策がある。彼らは、06年にイスラエルとレバノンを戦争させ、イランとイスラエルの中東大戦争に発展させようとしたり、06年にパレスチナでハマスが圧勝するとわかっている選挙をやらせてパレスチナ和平を困難にするなど、中東の不安定化とイスラエルの窮地を作り出した。今回のエジプトの政権転覆も、イスラエルの窮地と中東の不安定化につながるものであり、右派の戦略に合致した出来事だ。 (ハマスを勝たせたアメリカの「故意の失策」

 オバマ自身は、09年のカイロでの演説でイスラム世界と米国との協調を呼びかけ、中東を安定や経済発展に誘導しようとした。しかしオバマ政権内には、大統領の命令を聞くふりをして逆の動きをする右派が多く入り込んでおり、彼らが一方でエジプト軍部にクーデターをそそのかし、他方で情報操作によってオバマがクーデターを容認するしかないと考えるように仕向け、今日の事態を生んだと推察される。 (Does the United States not know what's happening in Egypt?

 エジプトがシリアのような内戦に陥るかどうか、まだわからない。モルシーはあっけなく権力を奪われたが、米欧は新政権に、モルシーを早く釈放するよう求めている。釈放されたら、モルシーは自分がまだ大統領であることを主張し、新たな反政府派の主導役の一人になるだろう。モルシーと同胞団は下野させられたものの、12年の議会選挙で50%以上の議席を獲得し、エジプト国民の広範な支持を受けている。これだけの支持があると、同胞団は今後、武装蜂起して軍部と内戦するよりも、政治的に戦って次の選挙で再勝利して政権に復帰する方が早道だ。エジプトはシリアのような内戦になりにくい。 (EU calls for release of Egypt's Morsi) (Egypt's Muslim Brotherhood admits it has been negotiating with army

 軍部は、エジプト人の1割程度しか支持していないリベラル派を誘い込み、リベラル派の指導者であるエルバラダイを副大統領に据えて、暫定新政権を作った。しかし暫定政権には、転覆前の政界で第2党だったムスリム同胞団と、第2党だったヌール党(サウジ発祥のサラフィー主義のイスラム主義勢力)が入っていない。2党合わせて議会の8割の議席を占めていた。圧倒的な勢力である2党が入らないと、暫定政権は米欧が認めるものにならない。軍部は、武力で権力から追い落としたイスラム主義勢力に対し、政治的に譲歩していかざるを得ない。 (Egypt's Junta Support Collapses Amid Growing Anger Over `Decree'

 同胞団は昨年、米国の後ろ盾を得て政権をとったので、米国側で右派が策略して起こしたクーデターによって簡単に権力を失った。だが今後、いずれ同胞団が政権を再獲得する時は、米国の影響力と関係なく権力を得ることになる。これは長期的にエジプトの対米従属を弱め、自決的な民主主義を強化することになる。 (Snubbed in Cairo: US Officials Greeted Coolly by Both Sides



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ