江沢民最後の介入2012年11月16日 田中 宇11月15日、中国共産党の中央委員会総会が開かれ、今後5年間(再選の可能性が強いので実質的に2期10年間)中国の最高権力を握る政治局常務委員に習近平ら7人が選ばれた。同時に、中国軍の最高権力を握る共産党中央軍事委員長も胡錦涛から習近平に代わり、習近平は、党総書記、国家主席、中央軍事委員長という中国の3強ポストを全て胡錦涛から譲られた。 トウ小平は、1987年に権力から退いた後も2年間、中央軍事委員長の座にとどまった。02年に胡錦涛へ権力を移譲した江沢民も、トウ小平の真似をしてその後2年間、中央軍事委員長の地位だけ握り続けた。だから胡錦涛も前任2人の真似をして中央軍事委員長のポストだけ握り続けるとの事前予測が多かったが、胡錦涛は先例を踏襲せず完全引退した。 (Changing of the Guard - Signs of Wrangling in China Over Top Military Post) 今回の共産党大会では、中央政治局員を引退した後の長老たちが現役の人々の政策決定に介入することを禁じる新規定も制定した。党中央ではこの10年、前権力者である江沢民が、胡錦涛の政策決定に不満を持ち、断続的に介入してきたが、今後の介入を禁じる規定が作られた。胡錦涛は自らが完全引退することで江沢民にも完全引退を迫り、自分が受けたような介入の被害を、今後の政権が被らなくてすむ体制を作った。胡錦涛は地味で慎重な人だが、党の長老政治を終わらせた人として歴史的な意味を持つかもしれない。 (Party sources: Hu Jintao to retire from ALL posts, end ex-leader interference) 11月8日に開かれた5年に一度の共産党大会で、胡錦涛は、壇上の自分とナンバー2の温家宝の間の、最前列のど真ん中の位置に江沢民を座らせ、江沢民を自分より上位に置いて敬意を表した。胡錦涛は党大会での自分の演説の中で何度も江沢民の名前を出して賛美した。これは胡錦涛と江沢民の間に合意が結ばれ、胡錦涛が江沢民に有終の美を飾ってもらったと読みとれる。 (China's Hu Jintao steps down to clear the way for Xi Jinping) 江沢民も胡錦涛も、その前の最高指導者だったトウ小平が後継者として決めた人である。市場経済化の道を定め、中国を文化大革命の混乱から高度経済成長に転換させて今の繁栄を作ったトウ小平は、20年後までの人事を決めてから引退した。江沢民も胡錦涛も、トウ小平を頂点とする中国革命を担った老幹部たちが決めた路線の中で政治をやってきた。だがトウ小平が路線を敷いた20年間は、今回の胡錦涛の引退をもって終わり、同時に長老による介入を禁じる党内規定が作られた。習近平ら今後の中国の権力者たちは、トウ小平の影響下から脱し、これまでの指導者たちより自由に中国の将来を決められるようになったと指摘されている。この変化が国際的な中国の台頭と同期している点も重要だ。 (China sets out its future) ▼慎重すぎた胡錦涛 ここまで胡錦涛を評価する論調で書いてきたが、江沢民がなぜ胡錦涛のやり方に不満を持ったかに焦点を当てると、別の評価もできる。胡錦涛と江沢民の10年の対立はマスコミなどでよく言及されてきたが、2人の権力欲がぶつかって争いになったとか、江沢民が出しゃばりで後輩の決定に口を挟みたがるといった、人間性の問題ととらえられることが多かった。しかし実際のところ2人の対立の本質は経済政策をめぐる違いであり、市場経済の導入を急ぐべきだと考える江沢民が、市場経済導入に慎重な胡錦涛に対して不満を持ち続けた点にある。 (Long Retired, Ex-Leader of China Asserts Sway Over Top Posts) 江沢民は、欧米型の市場経済を大胆に導入しようとしたトウ小平の経済路線を忠実に踏襲し、民間企業が自由に儲けて成長して国有企業をしのぐことを容認し、中国をWTOに加盟させて世界経済と密接な関係を持たせることを推進した。しかし02年からの胡錦涛は慎重な姿勢をとった。リーマンショックなどで米国の市場経済万能神話が崩れたこともあり、胡錦涛は民間企業を繁盛させるために国有企業を抑制することを嫌がり、逆に国有企業を国際化して繁栄させることを重視した。 胡錦涛政権の2期目の開始と今年からの次世代政権の体制を決めはじめた07年の前回党大会でも両派の対立が顕在化し、胡錦涛が次世代の権力者として自分の配下(共青団出身者)の李克強を推したのに対し、江沢民は自分の配下(地元上海の後輩)の習近平を推し、結局、次政権の人事は、習近平が主席(大統領格)に、李克強が首相になることで収拾した。 米国の金融危機によって民間経済や市場原理に対する信頼が崩れている世界的現状の中では、民間企業の繁茂に消極的で国有企業を優先する胡錦涛の政策が意味を持っているといえる。だがその一方で、中国の国内経済を見ると、海外からの投資を受けて輸出産業を拡大する従来の戦略が、主な輸出先だった先進諸国市場の伸び悩みによって続けにくくなっている。中国は今後、輸出でなく国内消費を拡大することによって経済成長していくしかない。その点は胡錦涛も十分承知しており、内需拡大が今回の党大会の基調方針になっている。 (Chinese Official Reaffirms `Rebalancing' of Economy) 国内消費を拡大するには、国内消費用の商品のブランドを急拡大する必要があり、国有企業に対する優先をやめて民間企業を繁盛させることが必須だ。胡錦涛流でなく江沢民流の経済政策が必要になる。もし今回、胡錦涛が一線を退いた後も中央軍事委員長に残ったり、権力中枢の中央政治局常務委員会を共青団出身者で固めたりしていたら、経済の市場化(民営化)に慎重な胡錦涛の路線が今後の10年間に続いてしまう。 胡錦涛が院政を敷くかもしれないことを阻止するため、江沢民は今回の党大会の1カ月前から、政治介入を再び強め出した。江沢民は昨年から公式の場に姿を現さなくなり、今年7月には香港のマスコミが死亡説を流したほどだった。しかし党大会が1カ月後に迫った9月末、江沢民が他の長老たちと一緒に北京の音楽会を聞きに現れたことが報道されたのを機に、党大会まで1カ月間、江沢民や他の長老たちの動静が頻繁に報じられるようになった。 (China's former leaders step into the spotlight) 江沢民は他の長老たちとはかり、胡錦涛が院政を敷かぬよう圧力をかけた。意志決定を迅速化するため9人から7人に減員した政治局常務委員に、下馬評では汪洋や李源潮といった胡錦涛派(改革派)といわれる人々が入りそうだったが、実際には2人とも選ばれず、代わりに兪正声や張徳江、張高麗といった江沢民の子分(保守派)といわれる人々が常務委員になった。 (China's leadership transition facing 'chaos') 今回選出された7人の常務委員のうち、胡錦涛と目される共青団出身は李克強と劉雲山のみで、残る習近平、張徳江、兪正声、王岐山、張高麗の5人は江沢民派と目されている。習近平は江沢民のお膝元の上海市で党書記をやった人だし、張徳江は北朝鮮国境地帯の延辺大学で朝鮮語を学んで平壌の金日成大学に留学し、90年の江沢民の北朝鮮訪問に同行して江沢民から気に入られて出世し、浙江省や広東省の党書記として経済開放策を手がけた。 (Zhang Dejiang From Wikipedia) 兪正声は青島市などで経済開放を手がけ、江沢民の腹心の朱鎔基に取り立てられて閣僚になった後、習近平の後任として上海市党書記をした江沢民派だ。兪正声はトウ小平の息子(トウ質方)の親友でもあり、彼が常務委員をしている限り、習近平政権がトウ小平のくびきから解放されてもトウ小平批判を容認しないだろう。張高麗は石油業界の出身で、同じく石油業界出身だった江沢民側近の曽慶紅に取り立てられ、深セン市や山東省の党書記をつとめた。 (Yu Zhengsheng From Wikipedia) (Zhang Gaoli) 王岐山は党中央の農村政策部門で農業金融投資機関を担当したことから金融部門に入り、中国建設銀行や人民銀行(中央銀行)の上層部を歴任し、最近は金融担当の副首相をしていた。彼が金融部門で出世できたのは、江沢民の経済担当の側近だった朱鎔基と親分子分の関係を結んだからという話で、だから江沢民派だといわれている。 (Wang Qishan - One of China's Top Future Leaders to Watch) 彼は今回、党の汚職追放事業の担当者に任命されたが、米英の経済新聞は「王岐山が金融政策を担当しないのは宝の持ち腐れ。今回の人事はひどい」と批判している。だが実は王岐山の特長は「危機対策の第一人者」であり、金融が危機なら金融機関のトップとして派遣されるし、汚職追放が大事なら反汚職担当になる。米英の経済紙は「習近平政権の上層部には大学院の学歴を持つ人材が多いので良い」などと学歴重視だが、王岐山は学校で経済を学んだ人でもない(文革で下放され大学に入らないまま党に勤務した)。王岐山が副首相として経済を担当し続けたら首相の李克強が迷惑するという分析の方が納得できる。 (New leaders dent hopes for reform) (Hu hands China's military baton to Xi) 新任の7人の権力者(政治局常務委員)のうち、習近平、張徳江、兪正声、王岐山、張高麗の5人が江沢民派で、李克強と劉雲山の2人だけが胡錦涛派だという点からは、胡錦涛が江沢民の介入に破れて中央軍事委員長に居残れず、完全引退したという見方ができる。日本のマスコミではこの見方に基づき「今後も江沢民ら長老による政治介入が続き、習近平政権は強い政策を打ち出せず失敗する(だから中国は崩壊し、日本は対米従属一辺倒でぜんぜんかまわない)」という論調が強い。だがこの見方は、日本(の官僚機構)にとって都合の良いカミカゼ的な楽観だ。マスコミは「絶対に戦争に勝つ」と報じた戦時中と同じ姿勢に隠然と戻っている。 実際には、胡錦涛も江沢民も今回で完全引退し、江沢民も習近平の政権に影を落とさぬよう、今後は再び公式な場に姿を現さなくなるだろう。米マスコミで共産党敵視の論調を展開する在米中国人学者のミンシン・ペイですら、そのように予測している。半面、日本人の中国分析家の多くは、誰がどの地位につくかという人事の表層的な分析に終始し、中国の政治的ダイナミズムを見ない傾向が強い。(日本は対米従属が国是なので、中国のことを深く分析しない方が良いということなのかもしれないが、日本人の多くは自国の政治ダイナミズムにすら気づいていない) (Former Chinese Leader Resurfaces Before Political Transition) (「危険人物」石原慎太郎) 胡錦涛派の勝利を強弁するためなのか、張徳江と張高麗を胡錦涛派に入れて数える説も出ているが、誰が江沢民派で誰が胡錦涛派かということは、もはやあまり重要でない。長老が介入する政治が終わり、習近平がフリーハンドを得たことの方が重要だ。胡錦涛は党大会の演説で2020年の一人当たり所得額を2010年の2倍にする所得倍増計画を発表した。演説は、習近平や李克強らがまとめたものを胡錦涛が読んだとされ、所得倍増は新政権の目標だ。世界不況が続く中、人民の所得を倍増させるなら、輸出依存をやめて内需拡大による経済成長に転じねばならない。党大会の胡錦涛演説は妥協の産物らしく、胡錦涛が好む国有企業重視も盛り込まれたが、所得倍増を実現するための内需拡大に力を入れるなら、国有企業の独占を抑止し、江沢民が好む民間企業の拡大容認が必要だ。 (Key points from Hu Jintao's address) 尖閣諸島問題の日中対立が激化して以来、中国では日本車の売上が急減したが、中国での自動車販売そのものは急増している。中国経済は底打ちの観を強めており、販売増の傾向は今後も続くだろう。中国の内需拡大が成功したら、この傾向はますます強まる。日本勢はそれに参加できない(対米従属が維持できればかまわないのだろうが)。 日本ではパナソニックやソニーがジャンク格に落とされようとしている。これは、日本の官僚機構をはじめとする政財官が、先進諸国の市場が衰えてBRICSなど新興市場が拡大する10年ぐらい前から展開し続けている消費の多極化傾向を軽視した(対米従属で米欧市場ばかり見ていた)長期的なつけが今になって顕在化したもので、短期的な対策で回復できるものでない。トヨタもそのうち危ないかもしれない。国内財界でのけ者にされてもインドなど新興市場に注力し、最近米国市場を見捨てたスズキなどの方が正しかった。 (China data herald end of slowdown) 米欧日では中国が国政で国民一人一票の選挙制度を導入する政治改革をしないことを批判する向きが強い。習近平政権は、従来の政権と同様、政治改革を全く進めないだろう。今回の党大会で、党内選挙で複数候補者制の党内民主主義が導入されたが、これは主に米欧からの批判をかわすためのもので、一人一票の民主主義と異なる。中国は民主主義を導入すべきだと言う人々の多くは、民主主義を導入したら中国が政治混乱して破綻に近づくと考えたうえで、中国を破綻させたいのでそのように言っている。中国に脅威を感じて破綻させたい人が米欧日に多いのはうなづけるが、同時に中国政府が自国を破綻させられたくないので民主主義を導入したがらないのもうなづける。中国は民主主義を導入しないまま国際台頭し続けるだろう。 (The World Holds Its Breath for China) 今回、中国の政権がトウ小平のくびきから脱却することは、トウ小平が打ち立てた「米国から挑発されても見過ごす」という「韜光養晦」の外交戦略を中国やめる時が近づいていることをも意味している。中国は人民元を国際化してドルの基軸性を破壊したり、国連などで米国の覇権的行為を阻止したり、尖閣諸島を日本から奪ったりするようになるかもしれない。胡錦涛が党大会で行った基調演説には、海軍力の増強が盛り込まれている。日本人が夢見る中国崩壊は起こりそうもない。日本にとって頼みの綱の米国は衰退している。日本は65年前に米国に無条件降伏したように、そのうち中国に(緩慢に)無条件降伏するかもしれない。私は、自国が中国に無条件降伏していく醜態を見たくない。 (中国は日本と戦争する気かも)
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