経済自由化路線に戻る北朝鮮2012年7月20日 田中 宇北朝鮮の労働党政治局は7月15日、北朝鮮の軍人の最高位である参謀総長だった李英鎬(リ・ヨンホ)を解任した。李英鎬は、昨年末に死去した前最高指導者の金正日と親しい関係を持ち、金正恩の後見人の一人であり、金正日から金正恩への父子権力継承を進める役割を持つと考えられていた。それだけに、李の更迭は意外さをもって報じられた。北朝鮮当局は2日後の7月17日、玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)大将を次帥に昇進させており、玄永哲が後継の参謀総長になるようだと報じられている。玄永哲は国際的にほとんど無名で、経歴に不明な点が多い。 (N. Korea Names Hyon, Army Chief in Power Shift) 権力継承を裏で率いていたはずの李英鎬が解任されたことは、北朝鮮の中枢で権力闘争が起きていることを示している。金正恩政権の後見人としては、軍を代表する李英鎬のほかに、中国式の経済改革を進める役目をしていた張成沢と金敬姫の夫妻がいる。金敬姫は金正日の妹だ。 (代替わり劇を使って国策を転換する北朝鮮) 北朝鮮は、冷戦終結後にソ連からの経済支援が止まって1990年代半ばに飢餓に苦しみ、この時期に政治体制の維持のために、軍部への配給を最優先する「先軍政治」が敷かれ、その体制が現在まで続いてきた。張成沢・金敬姫が経済改革を希求し、李英鎬ら軍部が先軍政治体制の維持のために経済改革を阻止してきたと考えると、李英鎬更迭の裏にある権力闘争は、軍部と、張成沢・金敬姫との、経済改革を進めるかどうかという国家戦略をめぐる対立だろう。 (金正恩、新軍部と葛藤説…玄永哲昇進で軍部入れ替えか) 北朝鮮は2002年7月(7・1措置)から少しずつ民間の市場経済の存在を容認して経済自由化を進めたが、07年に方針を転換し、その後は市場経済の存在を認めなくなった。02年からの経済改革を進めた責任者だった朴奉珠(パク・ポンジュ)首相は07年に更迭された。 (北朝鮮で考えた(2)) 朴奉珠は2010年夏、労働党第1副部長として復権し、朴の下で副首相として02年からの経済自由化を進めたが更迭されていた廬斗哲(ロ・ドゥチョル)も復権した。金正恩は最近、内閣に経済改革指導チームを結成するよう指示し、チームの主導役に廬斗哲を任命した。朴奉珠は労働党で、廬斗哲は政府(内閣)で経済改革を主導する役目を担うのでないかと報じられている。6月28日には、北朝鮮政府が、国営の農場や企業から生産物を買い上げる価格を、これまでの配給価格主導の体系から、市場価格へと引き上げることを盛り込んだ「6・28方針」を打ち出している。 (Roh and Pak on an Economic Tightrope) 経済改革の実行役だった朴奉珠や廬斗哲の復権と、経済改革を阻止して先軍政治体制を守ってきた軍部代表の李英鎬の失脚を合わせて考えると、07年から最近まで続いてきた軍部が経済改革を阻止する時期が終わり、北朝鮮の中枢で経済改革派が権力闘争に勝って、軍部の力を排除し、再び経済改革を進める時期がきていると考えられる。今の北朝鮮当局は、軍でなく、政府(内閣)や労働党が主導権を握りつつある。北朝鮮の権力を、政府や労働党をさしおいて軍部が握る先軍政治の体制は、李英鎬の更迭とともに終わりつつある。政局は今後まだ逆襲や紆余曲折、行きつ戻りつがあるかもしれないが、長期的に北朝鮮は、先軍政治体制から、中国の影響を受けた経済改革体制に転換していくと予測される。 (李英鎬解任と先軍政治との決別) ▼先軍政治体制は冷戦後の例外 北朝鮮は冷戦体制下で造られた国なので、もともと軍が重視され、強い力を持っていた。それでも冷戦時代、独裁者の金日成は労働党の主席や政府の首相であり、軍より党が上位で、軍事より経済政策が優先されていた。中国やソ連の軍隊が、国家でなく共産党に属する軍隊だったのと同様、北朝鮮の軍隊も労働党の傘下(指導下)にあった。しかし、90年に冷戦が終わり、ソ連が崩壊して北朝鮮への経済援助が止まり、94年に独裁者の金日成が急死した後、状況が変わった。 息子の金正日に権力が継承されたものの、外国からの経済援助が失われて経済難が飢餓状態に悪化する中で、おそらく軍部が金正日に対し、離反せず権力を守ってやる代わりに、軍部を最優先にする戦略を採れと圧力をかけて隠然としたクーデターを進め、金正日は97年ごろから先軍政治体制を敷いた。表向き金正日は最高権力者だったが、実際は軍部に牛耳られていた。2001年以降、米国が北朝鮮敵視を強め、代わりに中国が北朝鮮の後見役になる流れの中で、中国が北朝鮮に中国式の経済改革(民間経済の開放)をやれと勧め、金正日ら北朝鮮の中枢でもそれに呼応する姿勢があった。だが、経済改革は軍部の政治権力と経済利権を削ぐため、軍に阻止された。 国家の財政基盤が弱く、国民への配給が不足し、不足分を民間が自力で稼がねばならない状況の中、北朝鮮の実体的な経済は、中国経済の下請けや原材料供給国になる傾向を強め、実質的な経済の市場化が進んだ。だが建前的には、経済改革は厳禁であり、市場は存在するが市場経済は存在しないと当局者が言い張る状況が続いた。今年5月、私が北朝鮮を訪問した際、平壌の当局者(学者や説明員)に聞いたのは、そういう状況下の建前的な話だった。 (北朝鮮で考えた(1)) しかし、計画経済的な建前と、市場経済的な実態が乖離する状況は、李英鎬の失脚や、朴奉珠らの再登用によって、変わりそうな流れになっている。最近、平壌で女性のファッションが自由化され、実質私営のレストラン経営が認められていると報じられている。これらは、私が5月に訪朝した時にも、案内人から正式に説明があった(報じられているような、金正恩による自由化策でなく、金正日は保守的な服装が好きなので女性のズボン姿を禁じたが、女性たちの間でスカートだと働きにくいという声が強まり、昨年から緩和されたと聞いた)。 (North Korean leader Kim Jong-un eases fashion, food restrictions) もしかすると金正日は、今回の李英鎬の解任と経済改革派の再台頭への流れを、生前に設定してから死んだのかもしれない。先軍政治を続ける一方で、経済改革派の張成沢・金敬姫を権力の座に急いで引っ張り上げたのは、08年に脳卒中で倒れた後、余命が短いと悟っていた金正日だったからだ。金正日が生前ひねくれた言動をとっていた一因は、彼が軍の支配を好まず中国式の経済改革を好み、個人独裁制の世襲より中国型の集団指導体制の一党独裁を好んでいたからと、私は考えている。自国の永続的な発展を望むなら、軍部が権力を握るのは不健全で、軍事より経済を重視するのが自然だからだ。 (金正日の死が近い?) (中国の傘下で生き残る北朝鮮) ▼個人の経済活動を公認するかどうかが注目点 北朝鮮が今年4月に人工衛星の打ち上げを挙行したのも、経済改革派に圧され権力を失いかけていた軍部が強行した結果かもしれない。中国は、長距離ミサイルの試射と同じ技術を使うので米朝交渉をぶち壊す北朝鮮の人工衛星打ち上げに反対していた。北朝鮮の軍部は、経済改革をやるよう求めて国内の経済改革派を力づけている中国が内心嫌いだったので、中国が反対する人工衛星の打ち上げを挙行し、米朝や南北間の敵対関係を扇動し、先軍政治体制の延命をはかったと考えられる。 (North Korea Tests the Patience of Its Closest Ally) 北朝鮮当局は6月上旬、核実験を予定していないと表明する一方、7月に入って、金正日が生前にウラン濃縮による核兵器開発を進める指示をしていたとリークされ報じられた。これらの矛盾する動きも、中国の意に添って核実験や核兵器開発をやめようとする経済改革派と、核実験や核開発をやめたくない軍部との相克があると考えると理解できる。 (North Korea denies planning third nuclear test) 北朝鮮が先軍政治を弱めて経済改革を強め、権力構造が軍事主導から経済主導に転換していくことは、朝鮮半島や東アジアの国際情勢に大きな影響を与える。北朝鮮で軍部が権力を握る限り、北の軍は韓国との緊張が緩和されると仕事がなくなって権力を喪失しかねないので、北朝鮮当局は表向き南北和解を歓迎しても本心では嫌がり、裏で緊張を激化させることをやり続ける。北朝鮮で軍部が権力の最上部から落とされ、軍より党や政府が強くなると、北朝鮮が韓国と敵対し続ける必要が薄れ、南北和解がしやすくなる。 北朝鮮は、とりあえず韓国と和解し、韓国の左派を取り込んで内政干渉した方が得策だ。韓国の大統領選挙を経た来年以降、事態がその方向に動く可能性がある。南北が和解に動き出すと、6カ国協議が進展し、在韓と在日の米軍が撤退姿勢を強める。北朝鮮が好戦性を捨てると、韓国も日本も対米従属がやりにくくなって困るので、日韓のマスコミなど対米従属系の勢力は、今後しばらく北朝鮮の権力闘争で軍部が弱くなることを無視するかもしれない。北の権力闘争の勝敗を知っているはずの米国の政府系の専門家たちも、権力闘争による不安定要因だけを強調している。こちらの歪曲は隠れ多極主義的かもしれない。 (Purge of North Korean general still a mystery) 今後の北朝鮮を観察する際の要点は、北の当局が、これまで実験的にしか認めなかった国民の私的な経済活動を、公認するかどうかという点だ。北朝鮮当局は従来、自国の工員が外国企業から直接賃金を受け取ることを禁じている。開城工業団地の「ピンハネ」が象徴的だ。 (北朝鮮で考えた(3)) 昨年、中朝国境の北朝鮮側に新設された「黄金坪」などの経済特区に全く中国企業が進出してこない理由も、中国企業が直接個別的に北朝鮮の工員に賃金を渡せず、最初から団体交渉的な体制で工場運営せねばならないからかもしれない。黄金坪では最近、北朝鮮が外国人に対してビザなし入境を認めたので、今後事態が動くかもしれない。 (Pyongyang's newest SEZ just another shortcut) 最近、北朝鮮の労働者が集団で中国に出稼ぎに行き、工場や鉱山で働くケースが増え、今年中に12万人になると報じられている。中国は、北朝鮮に外貨を稼がせて経済崩壊を防ぐ政策で、北朝鮮からの集団的な出稼ぎ労働者に正式なビザを出している(個人的に渡河して越境してくる出稼ぎ者は、引き続き違法)。こうした集団出稼ぎでも、賃金は各個人でなく、代表の労働党員の監視役に渡されるのだろう。 (China hires tens of thousands of North Korean guest workers) 北朝鮮当局は、国家が国民に配給する計画経済体制を維持することで、国民の生殺与奪を国家が握り続け、権力を保持しようとしている。中国政府は、北朝鮮がこの体制を捨て、中国式の市場経済を導入することを望んでいる。今後、経済改革派が握るだろう北朝鮮当局が、自分たちの権力の源泉を、従来型の配給制度から、経済成長の持続が権力の正統性という中国型に切り替える踏ん切りをつけるかどうかが注目点となる。
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