「エアシーバトル」の対中包囲網2012年6月11日 田中 宇鳩山政権時代の2010年4月、米国の北マリアナ諸島のテニアン島の議会が、島内にある使われていない米軍基地を修復し、沖縄の普天間基地にいる米海兵隊に移転してきてもらう米軍招致の決議を全会一致で決めた。 (Tinian Island makes a push to host Futenma operations) グアム島の北、サイパン島の隣にあるテニアン島は、島の3分の2が米軍に借り上げられ、軍事利用できる滑走路がいくつもある。滑走路群は戦前に日本軍が作り、終戦前に米軍が占領して、広島と長崎に原爆を投下した戦闘機もここを飛び立ったが、戦後は、テニアン国際空港として使われている1本をのぞき、1947年以来、全く使われていない。特に、島の北部にある「ノースフィールド」は、4本の滑走路を持つ広大な土地で、再整備してそのまま基地に使える。 (普天間返還 臆せず国外移設の検討を) テニアン議会が決議した当時は、鳩山政権が普天間基地の海兵隊の県外・国外移転をめざしていた。産業が少ないテニアンの人々は、島の経済活性化を狙い、使っていない島内の米軍滑走路に普天間から海兵隊基地を移してもらうことを考えた。テニアン島の決議を受け、日本でもテニアン移転に期待が持たれた。だが結局、米海兵隊の沖縄駐留が日本の対米従属と、それによって維持される官僚による権力維持に不可欠と考えた日本の官僚機構の抵抗と、日本が毎年支払う約6千億円の思いやり予算やグアム移転費をもらい続けたい米国側の思惑により、普天間からテニアンへの移転話は消えた。 (国外可能性「強く確信」 照屋氏「テニアン」報告) あれから2年、テニアン島のノースフィールドが、在日海兵隊との関係で、再びニュースになっている。5月14日から6月8日まで、日本(岩国)から170人の海兵隊員がテニアン島に来て軍事演習(Geiger Fury 2012)を実施し、ノースフィールドの滑走路を修復して65年ぶりに米軍機を離着陸させた。 (Marines transform sleepy Tinian into a bustling hub) 地元の報道によると、海兵隊は持ってきた軍事装備をすべて日本に持ち帰った。少なくとも表向きは、かつて騒がれたような、在日海兵隊が恒久的に拠点をテニアンに移転する話ではないようだ。しかし、それと別の筋の話として、テニアンのノースフィールドを米軍の基地として復活する構想は、米国防総省が最近発表した、アジア太平洋地域における新しい米軍の戦略概念である「エアシーバトル」の一環である。新戦略は20年間という長期的なもので、今後、普天間や岩国の海兵隊が、しだいに頻繁にテニアンにやってくるようになると予測される。 (US Refurbishing Bases in Pacific For Possible Conflict With China) ▼ベトナム戦争の亡霊のよみがえり エアシーバトル(Air-Sea Battle)は、米国防総省が、4年ごとの防衛戦略報告書(QDR)の中で初めて中国の軍事台頭の脅威について多くを語り出した2010年に出てきた言葉だ。中国は、従来大きな海軍力を持たず、それゆえに、アヘン戦争から日清戦争を経て戦後にいたるまで、欧州や日本など列強に負けて支配される経験をした。戦後もずっと中国の海軍力は弱く、沿岸警備の域を出なかったので、米国にとっても、台湾以外の地域において、中国の海軍力が脅威にならなかった。 (The Evolving Maritime Security Environment in East Asia - Implications for the US-Japan Alliance) だが中国はここ10年ほど、海軍力を急速に増強するとともに、中国から遠く離れた公海上にいる外国軍艦を撃沈したり、日本などにある米軍基地を破壊できる精密誘導型のミサイルを開発するようになった。ここにおいて米国は、中国と戦争する場合、沖縄などの米軍基地から戦闘機や戦艦を出したり、空母を中国近海に出して攻撃するという従来型の戦争が有効でなくなった。従来型をやると、中国にミサイルや潜水艦で、空母や基地を先制攻撃されかねない。 (U.S. ships may loom larger off China's coastlines) エアシーバトルは、このように米軍が従来型の攻撃で中国に勝てなくなった新状況を踏まえた、新たな戦争の概念として打ち出されている。それは、沖縄の基地にアジアの駐留米軍を結集してきた従来の展開を改めて、テニアン島やフィリピン、ベトナム、タイ、シンガポールなどに米軍の拠点を復活ないし新設し、米軍の要員と兵器を分散展開するとともに、従来よりも中国を遠巻きにする中国包囲網に転換し、中国からのミサイルが届きにくい領域に米軍を置く戦略である。 (Air-Sea Battle and Our Buildup in the Pacific) 最近、パネッタ米国防長官が「アジア重視策」の一環で、ベトナムのカムラン湾を再び米軍の寄港地(一時的な基地)として使うことを越側に要請した。同時期には、米軍のデンプシー統合参謀本部長がタイとフィリピンに行っている。 (America Revives And Expands Cold War Military Alliances Against China) デンプシーはタイで、バンコクの南方にあるタイ軍のウタパオ基地を、人道支援やNASAの探査のためと称して米軍に使わせてほしいと要請した。タイでは、これが中国包囲網(エアシーバトル)の一環としての基地の新たな利用だと疑われている。またフィリピンでは、冷戦直後の1991年にフィリピン議会の決議によって米軍が追い出されたスービックとクラークの基地について、米軍が再び利用できるようにすることを、比側と合意している。 (US denies secret plans for U-Tapao) すでに5月下旬には、米軍の攻撃型潜水艦がフィリピン近海で浮上し、中国側を驚かせつつ、スービックに「友好訪問」と称して入港している。米国は昨年から、南沙群島問題でフィリピンをけしかけ、南沙群島のスカボロ礁(黄岩島)で、フィリピンと中国の漁船と軍艦、中国当局の監視船がにらみ合いを続け、中国が自国民のフィリピン観光旅行をやめさせるなど、対立が続いている。 (China, the Philippines, and the Scarborough Shoal) このほか、韓国の済洲島で韓国軍が建設中の海軍基地も、真の目的は対中包囲網策の一環として米軍に使ってもらうことであり、米軍のエアシーバトルの一部をなしているとされる。東南アジアでは最近、ミャンマーが米国に許されて国際社会に復帰したが、米軍はミャンマーでも軍事基地を借りようとしている。 (Asia-Pacific: Pumping up the Next Military Conflict) ベトナムのカムラン湾、タイのウタパオ、フィリピンのスービックとクラークは、いずれも米軍がベトナム戦争時にさかんに利用していた基地である。最近の米国のエアシーバトルやアジア重視策は、ベトナム戦争の亡霊のよみがえりのように見える。ベトナム戦争自体、中国包囲網作りが失敗した挙げ句の戦争だった。米国は、1950年からの朝鮮戦争で、米国が韓国を擁立し、中国が北朝鮮を擁立して38度線で対峙して、中国北方の朝鮮半島に米中の恒久的な冷戦構造を作ることに成功し、中国南方のベトナムでも、南北を分断して恒久対立構造を作ろうとした。だが結局、米国が擁立した南ベトナムが北ベトナムに敗北し、米国はその後、ニクソン訪問によって一転して中国と協調する戦略に転換した。 ▼日本の対米従属を難しくするエアシーバトル 30年経って、米国が再び中国を敵として扱う時代になった観がある。しかし経済の状況を見ると、30年前と今では大きく異なる。30年前に米国が中国やソ連を敵視していた時は、中国もソ連も経済的に封じ込められ、米欧と中ソは経済的にほとんど関係なく、思う存分軍事対立できた。だが今、中国は世界にとって重要な経済大国であり、米国は中国に米国債を買ってもらわなければ戦争どころか政府の日常活動が回らない。米金融界も、中国に投資した儲けによって支えられている。米国の最有力銀行JPモルガンチェースは、投資銀行の本部をニューヨークから香港に移した。米国中枢に大きな力を持つJPモルガンが米中戦争を望んでいないと考えられる以上、米国が中国と戦争するはずがない。米国中枢の人々は、中国包囲網やエアシーバトルを本気で立案しているのでなく、米中戦争が現実する前提でなく、何か別の目的でやっていると考えられる。 (◆米金融バブル再膨張のゆくえ) エアシーバトルの戦略を具現化するには、今までより長く飛べる軍用機、従来の空母より機動的な小型空母、高性能の潜水艦、イージス艦など探知機能の向上、使いものになる迎撃ミサイルなど、多方面で高価な軍事開発が不可欠だが、米政府は来年から大幅な軍事費削減に入ることになっている。財政的に見てもエアシーバトルの完遂は不可能だ。エアシーバトルについては、米軍内から、不必要に中国の対米警戒心を煽っているとの批判も出ている。米国防総省はエアシーバトルについて2010年に最初に発表して以来、その内容について曖昧にしか発表せず、神秘的な様相を呈するように仕向け、それがかえって中国側の警戒を煽った。 (US strategic battle guidelines under attack) エアシーバトルという命名自体も問題がある。この名前は1980年代に、ソ連の戦車部隊が西欧に軍事侵攻してきた場合に備えた米国の戦略概念として発表された「エアランドバトル」(AirLand Battle)をもじったものだ。エアランドバトルが発表された当時、ソ連はしだいに冷戦を勝ち抜こうとする戦意を失っており、むしろ米国の戦略は、ソ連に対する敵視を扇動し、冷戦を再燃させようとするタカ派や軍産複合体、ネオコンの戦略だった。その焼き直しを思わせるエアシーバトルの命名法は、いかにも米国が中国との対立を扇動する感じである。 (China and US create less pacific ocean) このように米国は、対中貿易関係や、米国債の関係、財政緊縮との関係などから見て、中国包囲網もエアシーバトルも実現できない。それなのに米国がアジアの同盟諸国を煽って中国包囲網をやろうとしていることは、アジア諸国を不安にさせている。中共成立後の60年間の米国の対中政策は、敵対と協調の2極の間をいったり来たりしている。敵対の時は、アジア諸国が米中対立の狭間で苦しむ。協調の時は、アジア運営が米中だけで他の諸国の頭越しに決められ、米国が他の諸国の利害を無視して中国にどんどん譲歩し、アジア諸国を困らせる。 (Pivot to Asia: Prepare for Unintended Consequences) ブッシュ政権の後半には、米国が中国に「米中G2で世界のことを決めよう」と提案して過剰協調したが、今の米国はエアシーバトルや中国包囲網で、中国を過剰敵視している。いずれ、今のベトナム戦争の亡霊のような中国包囲網戦略がうまく行かないという結論に達すると、ベトナム戦争後のニクソン訪中のように、米国は再び対中過剰協調の方に転向するのだろう。米国が2極の間を行ったり来たりしているうちに、中国は米国に扇動され、軍事的、政治的、経済的に東アジアの覇権を取ろうとする姿勢が強くなり、東アジアの覇権が米国から中国に移転する。エアシーバトルは、軍事戦略のふりをした米国の隠れ多極主義戦略に見える。 中国は今年、胡錦涛から習近平への世代交代を行う。この時期に、米国がエアシーバトルや中国包囲網(アジア重視)の策を打ち出したことも意義深い。習近平は、できるだけ早く中共中央の権力を掌握しようとするはずだ。そしてこの時期、中共中央の周囲から聞こえる声の多くは、米国はけしからん、米国に勝手なことをさせるな、対抗策を打て、といった種類のものだろう。習近平が早く権力を掌握したければ、米国に対して強硬姿勢をとるはずだ。 胡錦涛はものすごく慎重な人物で、米国との対立をできるだけ避けた。米中対立を扇動したい米国のタカ派、軍産複合体、隠れ多極主義の勢力(つまり米国の中道の左右以外の全勢力)にとって、胡錦涛の慎重さが大きな不満だったはずだ。だからこそ、権力者が胡錦涛から習近平に代わる今の時期に、米国は、習近平を強硬派に押しやるような中国包囲網の喧伝に力を入れているのだろう。 米国が中国包囲網で再び借り上げるアジアの基地の多くは、米軍にとって以前のような価値を持っていない。たとえばフィリピンのクラークとスービックでは、かつての基地内の土地の多くがこの20年で民間に売られて開発されており、いまさら米軍が戻ってきても使える土地が少ない。 (Philippine government gives OK for US to use old bases, newspaper reports) 日本の権力層である官僚機構にとっても、エアシーバトルは迷惑な話だ。この20年、アジアの米軍基地といえば日本の沖縄だったのに、海兵隊が分散展開せねばならないことで、米軍にとっての日本の重要性が低下してしまう。米軍幹部は、エアシーバトルが日米同盟を強化すると言っているが、それは思いやり予算目当ての目くらましだろう。 (U.S. Air Force-Navy cooperation envisions participation of Japan, allies) テニアン島民の多くは米軍基地に賛成だが、沖縄島民の多くは反対だ。テニアンの方が良いという話になる。沖縄からテニアンやグアムへの海兵隊の移転は、米議会上院が決めた長期計画に沿ったものでもある。対米従属の宣伝機関である日本本土のマスコミが何も報じないまま、時間をかけて目立たないように移転が進むのかもしれない。
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