米金融バブル再膨張のゆくえ2012年5月15日 田中 宇「コブライト(cov-lite)」という金融言葉を覚えているだろうか。「covnant-light」の略で、担保など、債権者が保護を受けられる契約条項(コベナンツ)が通常よりも少ない(軽い。ライト)債権契約をさしている。少しの担保しかとらずに多くの金を投資する債権債務契約のことだ。担保が少ないので、債務者の企業や金融機関が破綻したとき債権者は大損する。コブライト契約は、2007年の金融危機発生前の米国の金あまりの状況下で急増した。それを見て、金融バブルの膨張につながるので危険だという指摘が金融界の周辺から出てきて、FT紙が他紙に先駆けて07年5月に批判的に報じた。 (Cov-lite From Wikipedia) (Bolton warns of bubble fuelled by "cov-lite" loans) 私も、07年6月22日に書いた「アメリカ金利上昇の悪夢」という記事の中で、コブライトについて簡単に説明した。私は当時まだネット上で相当に揶揄されていたので、この記事に対しても「米金融界は好調だ。危機が起きるはずがない」「米国が嫌いな田中宇がまた妄想を書いている」という反応を受けた。しかし、その直後に起きたベアースターンズのサブプライム住宅ローン債券の破綻を皮切りに、米金融界は危機に入って社債の金利が上昇し、08年9月のリーマンショックを経て、世界は不況に陥った。サブプライム住宅ローンは、金余り現象を背景に、返済能力の低い人に住宅ローンを貸して破綻が急増したもので、コブライトと同質のものだ。 (アメリカ金利上昇の悪夢) リーマンショック後、人々はろくな担保を取らずに金を貸すことに懲りたはずだ。一般市民への住宅ローンの融資は、米国でも審査が厳しいままだ。しかし、米連銀が金融緩和策を続け、金融界がバブルを再燃させて債券金融システムを蘇生させた結果、企業や金融機関どうしの資金のやりとりの中では、再び金余り現象が強くなっている。FT紙は5月10日、コブライトの融資が再び増え、サブプライム住宅ローン危機の発生直前の07年5月以来の高水準になっていると報じた。S&Pによると、今年4月に米国の企業が借りたお金の40%にあたる76億ドルが、コブライト形式の融資だった。 (Cov-lite loans make post-crisis comeback) 米金融界では、ジャンク債の価値が再上昇し、サブプライム住宅ローン債券の売れ行きも再び好調になった。リーマンショック後、不良化して米連銀に塩漬けにされていた債券が売りに出され、連銀は儲けを出している。 連銀はリーマンショック時に破綻しかけた保険会社AIGが持っていたサブプライムローン債券(CDO)を大量に買ってAIGを救済し、買った債券をメイデンレーンという連銀傘下の企業(勘定)に入れて塩漬けにしてきた。メイデンレーン(Maiden Lane)は、ニューヨーク連銀前の通りの名前だ。メイデンレーンには1から3までの3社(3勘定)があり、1がベアースターンズ、2と3がAIGの債権(債券)を塩漬けにしていた。このたび、債券(ジャンク債)市場が活況が続いているため、連銀は2と3の債券を相次いで売りに出し、2の売却では連銀が28億ドルの利益を得ている。 (Hunt for high yields bolsters Maiden Lane III) この状況をどう見るべきだろうか。一つの見方は、07年に起きたように、コブライトなどを通じた金融バブルの拡大が一定のところまで達すると、人々(投資家)が、それまで無視していたリスクに対する自覚を何らかのきっかけで急に高めて信用収縮が起こり、金融危機が再燃するに違いないという予測だ。 もう一つの見方は、金融界や連銀が、07-08年の危機の教訓から、外から見えない金融システムの機能を強化してバブルを崩壊させず延命させ、金融危機が起こりにくくなっている(はずだ)というものだ。米金融界は、前回危機で信用収縮して取引が凍結し、壊れかけた債券金融システムを、その後3年かけて再び修復・自走させ、今回の市場の活況(バブル再膨張)に結びつけている。金融界の人々は賢いだろうから、システムを再生したとき、何らかの安全装置を強化したはずだとも考えられる。 とはいえ、どのようなシステム強化がなされていたとしても、バブルが膨張している状態で、どこかの金融機関で運用が破綻したり、当局による規制が強化されて取引が難しくなるなど、大きな引き金(トリガー)的な出来事があると、それを機に信用が収縮しバブル崩壊が起きかねない。07年からの金融危機は、ベアースターンズが運用するサブプライムローン債券の原価割れを発表したことに端を発している。 ▼CDS賭博場の胴元の大損失 ごく最近、トリガー的になるかもしれない事件として起きているのが、5月10日にJPモルガン・チェース銀行が発表した20億ドルのデリバティブ取引の運用損の発覚だ。ロンドンにあるJPモルガンの投資部門が、債券投資のリスク回避のためにやっていたはずのCDS(債券破綻保険)の指数デリバティブの取引において、逆にリスクを取りすぎる投資をやって大損した。JPモルガンは、ヘッジファンドから逆方向の売り浴びせ攻撃を仕掛けられ、賭けの対象だったCDSの指数が急変動した結果、40日間で20億ドルの大損をした。 (JPMorgan Chase acknowledges $2 billion trading loss) JPモルガンは四半期ごとに50億ドルずつの利益を出している。それと比べ、20億ドルは大した額でない。だが同行の首脳は、発表した損失は全体の一部であることを会見で示唆している。加えて、CDSを使った債券先物投資について、米国の大手銀行の多くが、以前からJPモルガンの投資のやり方を真似て自行の投資の方針を組んでいることも、危機が拡大しそうだとの懸念につながっている。 (What Was The Ultimate Cause Of JP Morgan's Big Derivative Bust? The Shocker - Ben Bernanke!!!) CDSは、債券の発行者が返済不能に陥って、債券が破綻した場合に、発行者に代わって債券の額面額を債権者に支払うことを約束した保険である。機関投資家は、債券を買う際にCDSの保険を合わせて掛ける。金融が好調になるほど、債券が破綻する確率は低くなるので、投資家の中には、CDSを買うだけでなく、CDSの支払い側(債券保険の売り手)になって掛け金を受け取る業務に投資する動きが強まる。 JPモルガンは1991年、CDSの仕掛けを発明したケンブリッジ大学の数学専攻の学生ブライズ・マスターズ(Blythe Masters)を雇用した。彼女はその後一貫して同行でデリバティブ取引を行うコモディティ部門の最高責任者として働き、CDSという金融派生商品(デリバティブ)と、その市場を創設するとともに、CDSの取引を主導し続け、自行に多大な貢献をしている。JPモルガンは、CDS市場という賭博場の運営者(胴元)であるとともに、賭博場における大手のお客である。 (Blythe Masters - Wikipedia) このような経緯を見ると、米国やその他の諸国の大手銀行や機関投資家の多くが、CDSの投資をする際に、JPモルガンと同じ投資戦略(ポートフォリオ)を組みたがるのが当然だとわかる。CDSのような複雑な金融商品は、仕組みの本質が見えにくく、本質を最も良く把握するのは商品と市場を創設したJPモルガンであると考えられるからだ。CDS関連の金融商品の多くは同行が発行元であり、CDS相場を動かす力を最も持っているのもJPモルガンだ。 (The Financial Tsunami has not reached its Climax by F. William Engdahl) リーマンショック後、米連銀は、金利をゼロにして意図的に金あまり現象を煽り、債券金融システムの蘇生を助けた。これによって米国の銀行界は、伝統的な預金集めの金融業務で儲けられなくなって、儲けを債券金融に頼るようになり、米金融界はJPモルガンを見習って投資をする傾向を強めた。 そのJPモルガンが、CDSの取引で短期間に多額の損失を出し、自らの失敗を認めたことは、米国と世界の金融界の先物関係者にとって大きな衝撃であるはずだ。賭博場で胴元が大損することは、ルーレットの動きが統制(八百長)不能になっていることを意味する。賭博(市場)の先行きが見えなくなってしまう。大手の投資家の多くが、CDSの取引を手じまいにして市場(賭博場)から早めに引き上げることを検討し始めていることが懸念される。 CDSは、今や債券取引に不可欠な機能である。JPモルガンの事件にによって、その機能に懸念が生じたことは、債券市場全体の信用が短期間に収縮するバブル崩壊への引き金(トリガー)になりかねない。マスコミで再びギリシャのユーロからの離脱が騒がれているが、JPモルガンの事件がこじれた場合、世界の金融システムに与える悪影響は、ユーロ危機よりも大きくなる。 ▼金融規制強化のだしに使われそう 加えて、JPモルガンの事件の意味が大きいもう一つの点は、大損したのが事実上の自己勘定取引だったことだ。大手銀行が顧客から頼まれて資金運用することは合法だが、自己資金で儲けるために運用するのは、大銀行が経営に失敗した場合に公金で支援されることになっているだけに良くない行為とされ、2年前から米政界で議論されている「ボルカー規制」が実施されたら、違法行為となる。 (JPMorgan Chase chief Jamie Dimon acknowledges `terrible, egregious mistake') ボルカー規制については、大手銀行が率いる米金融界が、規制に抜け穴を作って骨抜きにして、自己勘定取引を事実上続けられるようにしようとロビー活動をしている。JPモルガンはその先頭に立ってきた。米議会や米政府内では、強い規制をかけることを主張する人が多いが、大手銀行によるロビー活動の方が強く、議会は、規制がいつから実施されるのかすら決められないでいる。JPモルガンなど米金融界が資金援助する共和党のロムニー候補が今秋の米大統領選挙で勝ったら、ボルカー規制が葬り去られるのは確実と見られてきた。 (JPMorgan is big donor to presidential campaigns) そんな中、JPモルガンが今回の大損によって、リスクヘッジ活動という合法な投資をするふりをして、事実上の自己勘定取引をしていたことが露呈したことは、米議会を一気に力づけ「やっぱり強い規制が必要だ」という声が議会で強まっている。JPモルガンは、ボルカー規制の実施に先立って自己勘定取引部門を閉鎖したが、そこにいたトレーダーの多くは、ロンドンの投資部門に配置換えされ、リスクヘッジのふりをして、事実上の自己勘定取引を続けていた。 (How JPMorgan shock hit the war on Volcker) 市民の預金を集める商業銀行部門も併設するJPモルガンは、資産額で米国最大の銀行だが、資本が運用総額の10%で、ゴールドマンサックスの15%、シティが13%であるのと比べ、運用に失敗した場合のリスクが高い。規制強化を求める米議会の勢いが強まり、ボルカー規制が抜け穴の少ない形で実施される可能性が高まったことと合わせて考えると、これが再膨張した金融バブルを崩壊させるトリガーになる懸念がある。JPモルガンを狙って大損させたヘッジファンドの背後に、米政界からの政治的な意図があったのかどうかも気になる。 (JPMorgan's trading debacle: why $2 billion is just the start) ▼投資銀行の本部をNYから香港に移す意味 債券金融システムは、ドルの強さの源泉であり、米国(米英)の覇権の大黒柱である。リーマンショックのような大きな危機が再来し、債券金融システムが壊れて蘇生できなくなると、米国の覇権体制も崩れ、中国やBRICSの力が相対的に強くなって、世界の覇権体制が多極型に転換していく。JPモルガンは、デリバティブの最有力部門であるCDSを創設して、債券金融システムの強化に貢献するとともに、自分たちもそれで大儲けし、世界最大の資産額を持つようになった。同行はリーマン後も、債券金融システムを蘇生させ、米国覇権の延命を支えている。 しかし同時にJPモルガンは最近、覇権の多極化を先取りするような動きも見せている。同行は4月24日、投資銀行部門の部門長(Jeff Urwin)の拠点を、ニューヨークから香港に移すと発表した。JPモルガンは投資銀行部門と商業銀行部門から成り立っているが、儲けのほとんどを投資銀行部門で出している。香港への移転は、同行の金融商品を中国などアジアの顧客に売る営業力を強める意味もあるだろうが、同時に、中国やインドといった高度成長を続けるアジアの新興市場諸国が行う資金調達をもっと請け負いたいという意味もありそうだ。中国は、ドルでなく人民元建ての資金調達を増やしており、そこへの食い込みという意味もあるだろう。 (J.P. Morgan Shifts Top Banker to Asia) 全体として、今後もドル建ての金融市場が世界を席巻し続けるなら、最も重要な金融拠点は、ドルを発行する米連銀(NY連銀)が立地するニューヨークであり続ける。投資銀行部門の主力が香港に移ってしまうと、ニューヨークの動きに対するフォローが二の次になり、ドル建て金融界での儲けが減ってしまう。中国などアジアの顧客がいくら増えても、金融商品の主力が圧倒的にドル建てである今の状況が変わらない限り、投資銀行部門の本部はニューヨークに置き続けるのが良い。 JPモルガンが投資銀行部門の主力な拠点を香港に移すことは、ニューヨークの動きについていくことが二の次になってもかまわず、それより中国を中心とするアジアの動きを遅滞なく追う方がもっと重要だと考え始めたことを示している。JPモルガンは、いずれドルの単独基軸通貨体制が崩れ、人民元などBRICS諸通貨やユーロを含む多極型基軸通貨体制に移行していくことを先取りしているように見える。 JPモルガンの動きが賭博場全体の動きを先取りするものである状況が、CDS市場だけでなく金融市場全体に当てはまるとすれば、そこから導き出される今後の流れは、JPモルガンが育ててきた債券金融システムがいずれ再崩壊し、次回は蘇生も不可能な状況になって、世界の金融システムが、ドル単独覇権から、中国などの多極型に転換していくことになる。 再崩壊がいつ起きるか予測は困難だが、再崩壊が20年後と予測されるなら、今すぐ投資銀行部門の本拠地を香港に移す必要はなく、10年後でよい。今、香港に拠点を移すことは、もっと早く再崩壊が起きうると読める。これが私の勘ぐりすぎの「妄想」なのか、現実の世界の流れを予測するものになっているかどうかは、何年か経たないとわからない。
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |