貿易協定で日韓を蹂躙する米国2011年11月7日 田中 宇10月中旬、韓国の李明博大統領が米国を訪問し、オバマ大統領から大歓迎を受けた。「米国は、日本より韓国を、東アジアの最有力な同盟相手として好むようになっている」「首相がころころ変わって政治が安定しない日本より、米国との同盟関係を安定的に守ってくれる李明博の韓国の方が、米国の同盟相手として好ましい」といった論調が、10月12日の李明博の訪米にあわせて流れた。 (Korean leader in US to celebrate trade pact) オバマは、訪米した李明博を個人的に親密に接待し、翌日は一緒にデトロイトの自動車工場を見学した。オバマは、大統領が使う国防総省の特別会議室に李明博を招待し、パネッタ国防長官や米陸海空軍の高官がずらりとならび、李明博に米軍の戦略を説明した。外国要人が国防総省の特別会議室に招待されたのは初めてだった。最近の米国の朝鮮半島政策を牛耳っているのは、李明博の韓国政府だとまで言われた。また米議会は、李明博を呼んで演説してもらって喝采し、李明博の訪米に合わせて米韓FTAを交渉開始から5年ぶりに批准した。李明博が率いる与党ハンナラ党は、来年の大統領選挙で野党の民主党に追い上げられている。オバマ政権が李明博を歓待したことは、来年の選挙でハンナラ党を有利にするという指摘も出た。 とはいえ、オバマ政権が李明博を歓迎したことには、裏があった。オバマは、李明博を連れて行ったデトロイトで、GMの従業員らを前に行った演説で「李明博大統領は現代グループの人だけど、韓国の人々はきっと米国製の自動車を買ってくれるに違いない」と述べ、含みのある笑いをした。近くに立っていた李明博は、煙に巻かれたような顔をしていた。 (Lee Myung-bak: Obama's man-crush?) 米国製の自動車を韓国市場で売れるようにすることは、オバマが大統領就任後に米韓FTAの内容を変更させて強化した部分だ。オバマは、就任前のブッシュ政権時代の米韓FTAの内容をいったん破棄し、米国産の自動車や牛肉を韓国に輸出しやすいかたちに条項を改めた。 オバマは来年の米大統領選挙で再選を狙っているが、米国では失業率が上がり、それがオバマの不人気の一因となっている。自動車産業は落ち込んでいる分野の一つで、自動車産業が集まるデトロイト市は財政破綻に瀕し、人口も減って、廃墟になる街区が拡大している。そんな中、オバマは、韓国大統領を連れて、デトロイトの自動車産業の労働者の前で「私は、米韓FTAの条項追加によって、韓国に米国製の自動車を買わせ、自動車産業の雇用を拡大する努力をしている。今日もここに韓国大統領を連れてきて、米国車を買わせる圧力をかけている。だから是非、来年の選挙では私に入れてほしい」というメッセージを発したのだった。李明博は、オバマの選挙運動のだしに使われた。 (US, Korea on brink of new trade world) オバマが李明博を国防総省の特別会議室に招待したことも、裏がある。韓国は来年、史上最高額の14・5兆ウォン分の兵器を米国から買わされる。金融危機と不況への対策で、米政府は財政赤字が急増し、防衛費を削らねばならない。そのままでは防衛産業が経営難に陥る。だから「同盟国」である韓国に兵器を大量に買わせ、米政府が出せない分の米防衛産業の儲けを韓国に出させる。そのためにオバマは、李明博を国防総省の特別室に招くという異例の対応をしたのだった。李明博は、オバマの財政再建のだしにも使われている。 ▼オバマが変質させた米韓FTA 米韓FTAの交渉が始まったのは2006年で、07年に米韓政府がFTAに調印した。当時、ブッシュ政権の米国は、北朝鮮核問題を、中国に主導させた6カ国協議で解決することに力を入れていた。6カ国協議の枠組みに沿って韓国が北朝鮮と和解していくと、南北間の緊張が低下して在韓米軍が撤退し、韓国は独立以来の国是である対米従属を続けられなくなるので、韓国内で反対が強かった。米政府が、韓国が望んでいた米韓FTAを結んだ背景に、米国が韓国に6カ国協議の枠組みを飲ませようとしたことがあった。 (South Korea - United States Free Trade Agreement From Wikipedia) 前ブッシュ政権は中国主導で北を核廃絶していく6カ国協議の枠組みを好んだが、次の現オバマ政権は、その姿勢を形式的にしか継承せず、6カ国協議の枠組みは形骸化した。その代わりにオバマが狙ったのが、米韓FTAによって米国から韓国への輸出を増やすことだった。オバマ政権は、ブッシュ政権時代に米韓で締結されたFTAを破棄し、米韓は再交渉に入った。ブッシュ政権は、韓国のために米韓FTAを用意したが、オバマ政権は米国自身のためにFTAを使おうとした。 この再交渉の途中だった昨年春、米韓が北朝鮮海域のすぐ南で軍事演習中に、韓国軍の哨戒艦「天安」が沈没する事件が起こった。米韓は北朝鮮の仕業だと発表し、北朝鮮は自国の仕業でないと反発し、中露は米韓の言い分に疑問を呈し、朝鮮半島情勢が一気に緊張した。昨年秋には南北が対立する延坪島周辺の海域での砲撃戦も起こった。韓国をめぐる状況は、それまでの「6カ国協議で南北が和解し、在韓米軍も撤退していく」流れから、一転して「米韓が北朝鮮と激しく対立し、一触即発の事態が続く」流れになった。しかしそんな中で、経済危機が原因で米政府の財政赤字が急増し、米政界で「財政再建のために在韓米軍の撤収が必要だ」という意見が出てくるようになった。 天安艦事件後、米国からはしごをはずされたくない韓国にとって、在韓米軍の駐留継続の重要性が強まり、米国から足元を見られることになった。米政府は韓国政府に「在韓米軍の駐留を継続したければFTAで譲歩してくれ」「韓国を米国の核の傘に入れておいてやるから、貿易面で譲歩してくれ」と言いやすくなった。オバマ政権は形式上、北朝鮮との米朝直接交渉を続ける姿勢を示していたから「韓国が貿易分野でいうことを聞かないと、北朝鮮と和解してしまうよ」と脅すこともできた。そんな中で昨年末、米国産の自動車や牛肉などを韓国に輸出する分野で、韓国が米国側の要求をいれるかたちで交渉が妥結し、米韓政府がFTAに調印した。 (Pyongyang Looks for the Next Payoff) 米韓の政府間でFTAに調印した後、双方の議会での批准(承認)が残った。米国側は、10月中旬に訪米した李明博に圧力をかける意味で、訪米中に韓国とのFTAを批准した。圧力をかけられた李明博が韓国に帰国後、韓国議会でもFTA批准の手続きを進めようとした。この動きは、今まさに正念場を迎えている。韓国の国会は10月31日に本会議を開いて米国とのFTAについて議論した。野党の民主党は、FTAの条約の中にあるISD条項(投資家と国家間の紛争解決の制度)が、韓国にとって不利だとして、すでに米韓政府間で合意しているFTAの条約文からISD条項を削除するならFTAの批准に賛成すると表明した。 (Final KORUS FTA battle centers on investor-state dispute provision) ISD条項は、米韓どちらかの企業が相手国の市場に参入したものの、相手国の政府による非関税障壁によって参入を阻害されていると感じた場合、相手国の裁判所で、政府を相手に裁判を起こせることを決めた条項だ。それでも解決しない場合、世界銀行傘下の裁定機関に持ち込める。1992年に米国、カナダ、メキシコが調印した北米3カ国のFTAであるNAFTAにも、ISD条項がある。この条項を使って、米国企業がカナダやメキシコの政府を訴えて勝訴し、カナダやメキシコの政府が政策の変更を余儀なくされるケースが相次いだ。世銀の裁定機関も、米国に有利な裁定を下す傾向がある。 (U.S. companies profit from investor-state dispute system) それ以来ISD条項は、米国企業に有利で、米国とFTAを結ぶ相手国(今の場合は韓国)に不利と考えられるようになった。その流れで韓国の民主党は、ISD条項を米韓FTAから外すよう、強く求めるようになった。これまで韓国は85カ国と貿易協定を結んでいる。そのうち81カ国との協定にISD条項が盛り込まれているが、韓国政府は一度も提訴されたことがない。そのため韓国政府は「ISDは韓国にとって不利になるものでない」と主張している。だが野党は「ISDは、米国だけが有利になる条項だ。ISDで不利益を被るのは、米国と協定を結んだ場合のみだ。これまで米国以外の国々とISDつきの貿易協定を結んできた韓国が、ISDによって不利な立場に追い込まれなかったのは当然だ。韓国が不利になるのは、米韓FTAだけの話だ」と反論している。 (Minister rebuffs DP's claims on ISD) ▼不平等条約としてのTPP 李明博の側近には、強硬な対米従属論者が多い。天安艦事件で北朝鮮との敵対が激化し、米韓と中朝が対立する構図が強まった局面では、李明博政権の対米従属路線がうまく生かせた。しかし半面、08年秋のリーマンショック以後、米国では中産階級が貧困層に没落していく流れが加速し、米国市場の消費力が低下して、韓国などアジア諸国からみた米国市場のメリットが薄れた。オバマ自身、米国がアジアなど世界から旺盛に輸入して世界経済に貢献する時代は終わったと宣言し、米国を輸入大国から輸出大国に転換しようとしている。今後、韓国などアジア諸国にとって、経済面の米国の魅力はさらに縮小しそうだ。米政府は財政難を解決できそうもないので、安保面でもいずれ在韓米軍が撤退する日がくる。李明博の強硬な対米従属路線は、行き詰っている。 (経済覇権国をやめるアメリカ) 李明博訪米の直後の10月26日に行われたソウル市長選挙で、在韓米軍の基地存続に強く反対してきた民主党系の朴元淳が勝ったことは、李明博の対米従属路線の行き詰まりの顕在化を示すものとなった。この顕在化は、米韓FTAが韓国国会で批准される直前という、絶妙なタイミングで起こっている。それ以来、韓国国会で米韓FTAの批准に反対する動きが強まった。韓国国会は、11月3日にFTA批准を審議する本会議を開く予定だったが、民主党などの野党が反対姿勢を強めたため、与党側が本会議を開かないことを決めた。 (The gloves are off in Korea's FTA debate) 与党ハンナラ党は国会で過半数を占めているため、強行採決すればFTAを批准できる。しかし、韓国の世論がFTAや対米従属などハンナラ党の政策に対する疑念を強めている中で強行採決すると国民の反感が強まり、来年に行われる大統領選挙でハンナラ党がますます不利になる。次の国会の本会議は11月10日に予定されているが、そこでどのような動きになるかが注目される。米国は韓国に、今年末までにFTAを批准せよと求めている。 韓国の李明博政権は、対米従属をやめられないため、米国に足元を見られ、自国に不利なFTAの締結を余儀なくされている。似たような状況は、日本も陥っている。日本政府は米国から「沖縄の普天間基地の辺野古移転を早くやれ。さもないと、辺野古に移転するはずの海兵隊をグアム島や米本土に撤退するぞ」と脅されている。同時に「辺野古移転をやれないなら(事実上の日米FTAである)TPPぐらいは加盟しろ」とも言われているはずだ。 (野田に辺野古移転の圧力をかけるオバマ) TPPはまだ協議段階なので、ISD条項が盛り込まれるかどうか明らかでないが、米国の力が、日本などTPP加盟予定の他の諸国よりずっと強いという力関係から考えて、米国を有利にするISD条項が、TPPに盛り込まれる可能性が高い。TPPも米韓FTAと同様に、米国だけが有利な「不平等条約」になるだろう。イラクは米国に武力で蹂躙されたが、日韓のようなアジアの対米従属諸国は、経済的に米国に蹂躙されている。衰退しつつある米国は、自国の力を維持するため、言うことを聞く同盟諸国からの収奪を強めている。緩慢な二度目の「敗戦」が、日本を襲いつつある。 日本と韓国は、対米従属の国是では同じ立場だが、中国などアジア方向の関係では、異なる立場にいる。地理的にみて、韓国は米国と中露の両側から引っ張られており、対米従属ができなければ、中国に接近する選択肢がある。日本は、対米従属ができなくなったら中国に接近するよりも鎖国的な道を選びそうだ。韓国は、米韓FTAを締結する一方で、来年から「日中韓FTA」の締結を協議すべく、準備を始めている。日本もこの動きに関与しているはずだが、対米従属のみに目が向いている日本では、ほとんど話題になっていない。 ('Talks on 3-way FTA to begin next year')
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