TPPが日本の政界再再編につながる?2011年11月1日 田中 宇日本政府は、11月12日にハワイで開かれるAPECサミットまでに、米国主導のTPP(環太平洋経済協定)に参加するかどうかを決めねばならない。ここ数日、TPPをめぐる議論が政界やマスコミで激しくなっている。 私が見るところ、日本でTPPの参加に賛成している人々の本音は「米国は日本にとって唯一絶対に大事な国であるのだから、米国が日本のTPP参加を強く望んでいる以上、参加しない選択肢はない」というものだ。賛成派の多くは、対米従属論者である。日本が入った後のTPPの加盟諸国をGDPで見ると、米国が全体の7割、日本が2割を占めている。他の7カ国の加盟国・加盟交渉国は合計で1割にしかならない。TPPは事実上、日米FTAである。 日本がTPPに入る経済的な利得は少ない。農業産品については、米国や豪州から日本への輸出が増え、日本の農業が打撃を受ける。日本経済全体に占める農業の割合はわずかだが、地方の社会は、農業で支えられている部分が大きい。農業が成り立たなくなると、地方の社会がますます過疎になって荒廃する。食料安保の問題を外して考えたとしても、社会的、政治的、国家安全保障的に良くない事態が加速する。 金融については、ゆうちょ銀行つぶしが加速するだろう。全国津々浦々、コンビニがない集落にも、郵便局があり、金融サービスを提供している。この点も地方の荒廃を加速する。工業製品については、すでに日米間の関税がかなり低く、日本企業の北米での現地生産の割合も高いので、いまさら自由貿易体制を強化しても大してプラスにならない。TPP参加によって日本経済は10年間で2・7兆円の利得があるという。年間2700億円だ。約500兆円ある日本の経済全体(GDP)の0・05%の効果しかない。 米国の債券金融システムが隆々として、米国民が気軽に借金をして旺盛な消費をしてしいた以前なら、日本企業が製品を米国に輸出しやすくなることは、日本側の大きな利得となったが、リーマンショック後、米国民は借金できなくなり、米国は世界から大量に輸入できる体質でなくなった。オバマがTPPに力を入れるのは、米国製品を日本市場で売りやすくして、米国の輸出産業を復活させ、再選に向けた自らの政治的得点にしたいからだ。半面オバマは、日本などアジア諸国に対し、対米輸出で経済発展しようと考えるのはもうやめろ、と警告している。衰退しつつある米国は、日本を含む世界にとって、旺盛に消費してくれる経済覇権国でなく、逆に、政治と軍事の力で世界から利益をむしりとる存在になっている。 (経済覇権国をやめるアメリカ) 日本がTPPに入ると、利得より不利益の方が大きい。それなのに、政府や外務省、マスコミなどがさかんにTPPに入った方が良いと言い続けるのは、米国が日本に入れと強く言っているからだ。TPPは、実は経済の話でなく政治の話、対米従属という日本の国是をめぐる話である。対米従属の話であるので、TPPの報道には、沖縄基地問題などと同様、マスコミ報道にプロパガンダ的な歪曲がかかっている。 たとえば、TPP反対論者である京都大学の中野剛志準教授が出たフジテレビの番組では、テレビ局側が「TPPの日本経済へのメリットは2・7兆円」と「10年間で」という条件をすっ飛ばした表記や「日本から米国へのテレビの輸出にたとえば100%の関税がかけられるとすると・・・」と、実際には10%である関税率を「たとえば」という言葉をつけて「100%」と誇張してしまう報道を行った。中野氏がこれらの点を語気荒く指摘し、テレビ局のプロパガンダ体質がその場で暴かれる番組の展開になっている(番組内で暴露されてしまう点は、国粋主義の側からの、別の演出がある感じもするが)。 (TPP問題で中野剛志氏がフジテレビを論破!) ▼腐敗した米国型の体制を強要される TPPの要点は、ほかにもある。TPPは加盟国に、関税だけでなく、政府の監督政策、労働、環境、公共事業政策、安全基準など、規制や制度といった「非関税障壁」の撤廃を義務づけている。参加国の中で、米国の政治力と経済規模が圧倒的に大きいので、事実上、米国が、日本などの他の参加諸国に対し、米国型の規制や制度を押し付けるかたちとなる。 (Wooing Japan with TPP deal as 'economic saviour') 米国の規制や制度が、日本よりすぐれているか、日本と同程度ならまだ良いのだが、この10年あまり米国の政府と議会は、金融界や防衛産業、製薬業界、医師会、農業団体など、各種の産業のロビイストに席巻され、各産業界が思い思いに米政府を牛耳り、自分たちに都合の良い政策を政府にやらせる傾向が年々強まっている。911以後、防衛産業(軍産複合体)が有事体制を作り、民主主義の機能低下が起きたことに他の業界が便乗した結果、米国の行政はものすごく腐敗したものになっている。 (The Left Right Paradigm Is Over! It's You Vs. The Corporations) その結果、金融界をはじめとする大金持ちに対する課税の比率が少なくなって貧富格差が急拡大している。リーマンショックで金融界が潰れそうになると、巨額の公金が注入され、金融界による連銀の私物化に拍車がかかってドルが過剰発行された。製薬業界や医師会が、メディケアなど管制健康保険の診療報酬や処方箋薬適用をお手盛りで拡大した結果、メディケアなどは支出過剰になり、米政府の財政赤字が急増している。これらの全体に対する米国民の怒りが「ウォール街占拠運動」などにつながっている。 (アメリカ財政破綻への道) 公的な事業であるべき、道路や電力網など公的インフラの整備が、市場原理重視策によってないがしろにされている。ここ数年の米国では、大都市で大規模な停電が起きている。電力自由化のなれの果ては、01年に起きたエンロン破綻事件だ。道路や橋の整備が不十分なので、民間企業が橋や道路を建設して高めの通行料をとるケースも増えている。 (U.S. electricity blackouts skyrocketing) (With U.S. infrastructure aging, public funds scant, more projects going private) 米議会の共和党は、米国の産業界が守るべき環境基準を緩和し、環境汚染を今よりも容認することで、企業が環境保全に払ってきたコストを減らし、その分、雇用を増やせるはずだから、汚染容認が雇用対策になるのだと主張している。TPPに入ると、日本政府が企業に環境保護や消費者保護、厳しい安全基準の遵守などをやらせるのは非関税障壁だという話になっていきかねない。 (Party of Pollution By PAUL KRUGMAN) 米国型の経済政策は、自由市場主義を表の看板として掲げているが、それは実は、企業が米政府を牛耳った腐敗構造の産物だ。そうした構図が露呈し、米国型の経済政策がうまくいかないことが明らかになった今ごろになって、日本はTPP加盟によって、米国型の経済政策を強制的に導入させられる方に進んでいる。 日本が唯々諾々とTPPに入って米国にむしり取られていくと、それは終戦後、日本が米国から技術や資本をもらって成長してきた分を、すべて米国に差し戻して、再び貧しい「第二の敗戦」の状態へと向かっていくことになる。米国は、日本の「戦後」をちゃらにするリセットをかけようとしている感じだ。 日本の財界はTPPへの参加を支持している。米国からの圧力で、日本市場での規制が緩和されていくと、日本企業にとってもプラスだとの思惑からだろう。だが実際には、米国企業がロビイ活動によって米国政府を牛耳ってやらせている米政府の産業政策が、TPPを通じて強制的に日本に導入されると、得をするのは米企業であり、損をするのは日本企業だ。 日本の官僚機構はこれまで、官僚の権限を維持するために、各業界に対して厳しい規制を敷き、日本企業はその規制を満たす努力をすることで、環境や安全の面で技術を磨いてきた。規制を満たせない外国企業は入ってこれなかった。今後、日本の規制が崩されて米国型に変質していくと、この点での日本市場における日本企業の優位性が失われてしまう。 同時にTPPは、農水省や厚生労働省など、日本の官僚機構の中でも現業官庁の既得権益を破壊する。半面、対米従属の国是を推し進める主役である外務省は、当初からTPPを強く支持している。外務省は、対米従属の国是を守るために、仲間であるはずの現業官庁の権限を削って米国に譲渡する戦略をとっている。(日本の外交官たちは、現業官庁の官僚を馬鹿にしており、仲間と思っていないが) ▼「対米従属vs国粋主義」の対立軸に転換する? 農業団体から左翼系市民運動まで、TPPへの反対を強めている。だが、野田首相はすでに米国側に対し、TPPに参加しますと表明してしまっている。日本政府は、反対論を押し切って、無理やりにTPP参加を実行しようとするだろう。しかし、それは野田政権にとって、政治的に危険なことだ。自民党も民主党も、内部で賛成派と反対派にわかれ、反対派の方が多い。これまで対米従属が日本のために良いのだと思っていた人々が、米国の露骨な利権あさりのやり方を見て、米国との関係を損ねてもTPPに入らない方が良いのでないかと思い始めている。 これまで対米従属で一枚岩だったはずの日本の中心部分が、対米従属に残る勢力と、米国を見限ってもっと国粋主義(鎖国)の方向に移り出す勢力に分裂し始めている。これまで少数派だった反米主義の左派(社民党や共産党)と、国粋主義の右派(自民党)が「日本の農業や、市民生活の安全を守れ」という点で一致して、TPP反対集会で並んで座っている。 日本の政界は、これまでの「左派vs右派」「民主党vs自民党」という構図が崩れて「対米従属主義vs国粋主義(鎖国主義)」という対立軸に再編されていくかもしれない。米軍基地の存続に反対する沖縄の人々と、TPPに反対する本土(ヤマト)の国粋主義者が連携しうる。対米従属プロパガンダ機関であるマスコミは、TPPの本質を隠す報道に力を入れ、国民の怒りをそらす努力をしているが、それを超越してTPP問題で怒る日本人が急増すると、野田政権は意外と短命で終わる。日本の政治が、再び面白い時期に入っていくかもしれない。 前回、日本の政治が大転換したのは、09年秋に自民党が下野して民主党政権ができ、鳩山元首相が対米従属をやめる方向性を示したり、小沢一郎が大量の国会議員を引き連れて中国を訪問したりした時だ。あの時は、日本の国是を、対米従属からアジア重視に転換させようとする政治ベクトルが動き出し、すぐに官僚やマスコミといった対米従属派が全力で反撃して乱闘状態になった。当時は「対米従属vs中国重視」だった。今回は「対米従属vs鎖国(国粋主義)」である。これは、幕末の「尊皇攘夷」以来の事態になるかもしなれない。(「鬼畜米英」は米英に引っかかって始めた戦争でやむなく使った言葉なので、もっと底の浅い話だ) フジテレビなどは、日本が米国から「日本は韓国ともっと仲良くして、日米同盟を米日韓の3国同盟にせねばならない」と命じられた結果なのか、韓国の芸能人をテレビに大量に出す韓流重視策をやっていた。しかし、それは「韓国人なんか嫌いだ」という排外的な国粋主義の反発にあい、フジテレビ前で韓流反対運動のデモが起きたりした。日本人の特性として、鎖国的な国粋主義はかなり強い。 【続く】
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