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米国が誘導する中国包囲網の虚実

2011年10月5日   田中 宇

 9月27日、フィリピンのアキノ大統領が日本を訪問し、野田首相ら日本側に対し、日本が南シナ海の南沙群島をめぐる領海紛争を仲裁する介入をしてほしいと頼んだ。日本政府は、公海上の自由航行の維持を重視して、アキノの要請を受け入れ、日比間を「戦略パートナー」の関係に格上げし、日比間で海上の合同軍事演習を高頻度で行うことなどで合意した。 (Aquino risks China ire in talks on Spratlys

 南沙群島問題は、中国と、フィリピン、ベトナムなど東南アジア諸国が領有権を主張する多国間の領海紛争だ。フィリピンやベトナムは、2国間で交渉すると中国が優勢になることから、ASEAN+3など多国間で協議することを目指している。だが、経済主導で東南アジアに対する影響力を拡大する中国は、自国に有利になることを目指し、この問題での多国間での協議を拒否し、すべて2国間で交渉することを主張してきた。一昨年から米国が、ベトナムやフィリピンの味方をして南沙問題に介入してきたが、中国は経済面でベトナムやフィリピンに攻勢(新たな投資案件など)をかけて対抗し、再び中国側が優勢になっている。 (Electricity demands could limit Beijing-Hanoi rift

 そんな中、フィリピンが日本に頼んで南沙問題に介入してもらったことは、フィリピンやベトナムの側の立場を強化し、中国を多国間協議の場に引っ張り出せるようになるのでないかと、フィリピン側で期待されている。フィリピン政府は今後、ASEANの場で多国間協議の場を作る準備を進め、日本がそれを支持し、中国からの圧力に対抗していく方向だ。 (Senators cite ups and downs of Philippines-Japan security pact

 東京では、アキノ訪日とほとんど同じ日程で、日本政府がASEAN諸国の防衛次官級の代表を集めて南沙問題などについて話し合う会合が開かれた。ASEAN諸国と日本との防衛次官級会議は、09年から毎年開かれているが、南沙問題(自由航行の問題)に焦点を当てて協議したのは初めてだ。参加者は、南シナ海で台頭する中国の脅威に、協調して対応していくことを確認した。日本の中江公人防衛次官は、南沙問題の交渉に米国やインドも参加してもらう必要があると表明した。日本は、南沙問題での中国の優位を崩すため、日米インドといった外部の強い勢力が介入する必要があると主張し始めた。 (Asian Bloc Agrees to Counter China Heft

 日本政府は、フィリピンとの戦略関係の締結、そしてASEANとの次官級会議の開催を通じて、南沙群島問題を、中国が嫌がる多国間協議の方向に持っていこうとする努力を顕在的に開始した。これは、これまでの日本の外交姿勢からすると、画期的な大転換である。日本が本気で南沙問題に首を突っ込むつもりであるとしたら、それは大きな驚きだ。従来の日本の安全保障分野での外交姿勢は、日米同盟のみを重視し、それ以外の国々との関係を独自に強化することに消極的だった。日本は、米国に命じられ、数年前からオーストラリアやインドとの安保協力を強化しているが、これは米国に命じられたからであって、日本独自の戦略でない。

 今の日本政府は、震災や原発事故への対策、景気対策など国内問題への対応を最重要に考え、事実上、外交問題を二の次にしている。野田政権は、新たな外交を展開することに対する消極性が菅政権よりも強い感じで、特に新たな外交戦略を打ち出していない。それなのに野田政権は、9月末から突然、中国に対抗する立場で南沙問題に首を突っ込み始めたので、意外な感じを生んでいる。

 とはいえ、意外な感じがするのは、米国からの依頼なしに独自に動き出したのだとしたら、という場合のみだ。この前提がなく、もし日本が米国から命じられて(頼まれて)動き出したのであれば、それは対米従属の国是の一環として、日本がいやいやながら南沙問題に首を突っ込まねばならなくなっただけであり、画期的なことでない。むしろ、なぜ米国が日本にそのような依頼(命令)を出したのかが考察の対象となる。

 新たな外交戦略を展開しそうもない野田政権の特徴から考えて、日本政府が突然に南沙問題に首を突っ込み始めたのは、米国の依頼(命令)を受けてのことと考えられる。日本政府は、フィリピンだけから頼まれても、中国と敵対するリスクをとって動き出さないだろう。フィリピンの後ろに米国がいるはずだ。ウォールストリートジャーナルも、日本は米国に比べ、中国と敵対してまで南沙問題での東南アジア諸国を支持することに消極的だったが、この問題で米国に追随することを検討したのでないかという指摘を紹介している。 (Japan, Philippines Seek Tighter Ties to Counter China

 日本に対し、南沙問題に首を突っ込んでくれと依頼してきたのはフィリピンだが、フィリピン自身も、中国と敵対してまで日本を引っ張り込むことが良い戦略なのかどうか、政界で論争になっている。フィリピンは経済的に中国への依存を強めているため、フィリピンを支配する上院議員ら大金持ち家族の中から慎重論が出ている。 ("Bundling Strategy" over South China Sea will be disillusioned

 日本もフィリピンも、中国と敵対しても南沙問題で強い姿勢をとることに消極的な姿勢が国内政界に存在している。しかし、政府は慎重論を振り切り、国内政界のコンセンサスをとらずに、強い姿勢の方に進み出している。日本が米国から命じられて強い姿勢に転じたのだとしたら、フィリピンも同様に、米国からの圧力ないし誘い受けて、政府が南沙問題で強い姿勢に転換し、その後、米国がアキノに「日本に圧力をかけておくから訪日して野田に頼め」と指示したのかもしれない。

 米国は日本やフィリピンだけでなく、いろいろな国をけしかけて、南沙問題で中国に敵対させている。昨年夏、米国のクリントン国務長官が「南シナ海の航路の安定は米国の国益である」と宣言し、ベトナムを煽動して南沙問題で中国との敵対を強めさせた。しかし結局、ベトナム政府は中国との経済関係を重視し、中国との対立激化を避けるようになった。 (南シナ海で中国敵視を煽る米国

 その後、米国の仲介があったのか定かでないが、ベトナムが領有権を主張する海域での海底油田の開発を、インドの国営石油会社が請け負った。今年7月には、ベトナム沖でインド海軍の船が中国船と対峙する事態も起きた。中国がパキスタンとの安保関係を強化し、スリランカに大規模なコンテナ港を作ってやったりしてインド包囲網的な動きをしているため、インドは対抗し、中国近傍のベトナムとの間で、中国側が嫌がる関係強化をしている。 (The India-Vietnam Axis

 米国はインドネシアやシンガポールとの軍事協力関係を強化している。また南沙問題に直接関係ないが、米国は最近、オーストラリアとも軍事関係を強化している。 (Australia in push to strengthen US defence ties

 中国共産党の機関紙である人民日報が出している英字新聞、環球時報は、9月29日づけで「南沙群島はすべて中国のものだ。警告しても無視し続けるなら、フィリピンとベトナムが南沙群島に持つ海底油田の油井や島の飛行場などを中国軍が空爆する軍事制裁をすべきだ。中国は南沙群島にまだ油井も飛行場も持っていないので、やり返される心配がなく、攻撃し放題だ。米国が威嚇してきても、真に受けるべきでない。米国は中東の戦争などの失敗で弱まっている」という主旨の好戦的な論文を掲載した。 (Time to teach those around South China Sea a lesson

 中国がこのタイミングで好戦的な論文を、わざわざ日米や東南アジアの人々が読めるように英語で出してきた理由について、UPI通信は、日本やフィリピンが南沙問題で中国に敵対する多国間協議を始めたのに加え、インドがベトナムの南沙群島の油田開発を請け負ったからだろう、と分析している。 (War in South China Sea?

 環球時報の論文は勇ましいが、中国は本気で南沙群島にあるベトナムやフィリピンの油井や飛行場を空爆するつもりなのだろうか。そんなことをしたら中国は、欧米だけでなく、これまで中国の味方をしてきた途上国や新興諸国をも含めた国際社会の全体から非難されてしまう。中国の戦略は、できるだけ目立たず、非難されぬようにしつつ、台頭することだ。中国がベトナム戦争の余波で北ベトナムに軍事侵攻して中越戦争を起こした1979年ごろとは、中国が置かれている国際状況が大きく違う。ベトナムやフィリピンの方も、東アジアの覇権国になっていきそうな中国と戦争などしたくない。環球時報が指摘するとおり、米国も最大の債権国である中国と戦争する気がない。南沙群島で、小競り合い的な軍事衝突を超えた本格戦争が起きる素地は少ない。

 米国が中国と戦争する気がないなら、米国はなぜアジア諸国をけしかけて南沙問題で中国との敵対を増強する戦略をとるのか。「米国は、自分では中国と戦争する気がないので、代わりにアジア諸国をけしかけて中国と対決させ、中国の台頭を抑止しようとしている」という見方がある。しかし私から見ると、米国がアジア諸国をけしかけて中国と対立させ、中国の台頭を抑止する戦略は、成功する確率が非常に低い。その理由は「軍事」でなく「経済」にある。 (Chinese suspicion over US intentions

 日本や東南アジア諸国は、製造業の輸出で豊かになることをめざしている。これまでは米国が世界最大の消費市場だったが、ここ数年の金融危機によって、米国は政府も家計も赤字漬けで消費できなくなり、アジアの製品を輸入する力が衰えている。代わりに今後、世界最大の消費市場になっていくことが確実視されているのが中国だ。米経済の弱体化によって、アジア諸国は、中国市場で商品を売らないとやっていけなくなることが確定しつつある。今後もし米国で金融危機が再燃したら、米国から中国への消費地の移転は不可逆的、決定的になる。

 ところが米国は、まさに自国の消費力が減退し、アジア諸国が市場面で中国に頼る傾向を強める方向性が確定した後になって、南沙問題で東南アジアや日本をけしかけ、中国との対立を煽り始めた。今はまだ、米国の経済弱体化が一時的なものかもしれないと皆が思っているので、アジア諸国は、米国の煽動に乗って中国との敵対を強めている。だが長期的に考えると、アジア諸国の多くは実利的な動きをして、中国との対立を弱めたいと考える傾向を強めるだろう。

 今ごろ中国敵視を煽動し始める米国は、アジア諸国の多くにとって、ありがた迷惑だろう。米国が中国包囲網を強化したいなら、米経済がまだ隆々としていて、中国がまだ発展途上国そのものだった1990年代にやるべきだった。中国を「責任ある大国にする」という、ここ10年ほどの米国の中国戦略は、中国間違包囲網の強化と逆方向だ。

 失敗するとわかっているのに、なぜ米国は、南沙問題でアジア諸国をけしかけて中国との敵対を煽るのか。一つありそうなことが、軍産複合体の営業活動だ。米国は財政難で防衛費も削減されていく傾向にある。イラクやアフガンの戦争で米政府が軍事費を大盤振る舞いする時代も終わりかけている。米国の軍事産業は、米政府からお金をもらえなくなるので、代わりに米国の言いなりになる外貨準備の豊富なアジア諸国に、中国との敵対を煽り、その裏でアジア諸国に兵器を売りつける戦法と考えられる。

 もう一つ言えそうなのは、私の従来からの持論である「隠れ多極主義」だ。72年のニクソン訪中以来、米国には中国を発展台頭させたいと考える長期戦略の流れがある。それと逆方向の、中国包囲網の強化という冷戦型の長期戦略(米英中心主義)が、この40年間の米国の対中国戦略として並立し、相克状態になっている。よく「米国人は間抜けなところがあるので、矛盾した中国戦略をやってしまう」と物知り顔で解説してみせる人がいるが、間抜けさが理由で40年間も一貫して相克状態が続くことはない。米中枢に構造的な戦略の対立があるか、もしくは意図的に戦略の相克状態を長期化させていると考えるのが自然だ。

 背景はどうあれ、米中枢に多極化を好む勢力がいようがいまいが、米国がアジア諸国をけしかけて中国包囲網を作らせる戦略は、いずれ解体していくだろう。米経済が昔のように隆々とした状態に戻るなら、米国の財政赤字も減り、米国の覇権が維持されるだろうが、米国の金融システムがこれ以上の崩壊なしに安定強化の方向に戻る確率は低い。

 同時に予測できるのは、米政府の財政難が続き、米軍が日韓などアジアから撤退していく傾向だ。米政府が早く黒白をつけたいと急ぐので、沖縄の普天間基地の辺野古移転も来年には失敗色がさらに顕在化し、沖縄駐留の海兵隊をグアム島やハワイ、米本土に退却させる米上院議員たちの案が具体化していく可能性が大きい。 (日本が忘れた普天間問題に取り組む米議会

 そんな中で、日本が、日米同盟を強化する目的で、南沙問題に首を突っ込んで中国との敵対を強めていくと、いずれ財政が弱まった米国が軍事的にアジアから撤退して、日本は米国からはしごを外され、米国の後ろ盾なしに中国と対決することになる。日本が、米国の後ろ盾なしに海洋アジア諸国を率いて中国と対峙するつもりなら、それは立派だ。うまくやれば成功し、日本は中国と、協調すべきところは協調し、対立すべきところは対立するという、いい意味でアジアを率いるライバルとなる。今から本腰を入れてやるなら、まだ何とか間に合うかもしれない。

 私が心配するのは、今の日本政府の人々に、米国の後ろ盾なしに日本が独自に海洋アジア諸国を率いて中国と向き合っていくつもりがなさそうなことだ。日本の官僚や政治家の多くは、対米従属以外の国家戦略を想像できない。外務省などでは、そのようなことを考えることすら忌避する空気がある。官僚機構の傘下にあるマスコミや大学も状況は似ている。日本の将来が今の延長線上にあるとしたら、米国の後ろ盾を失い、台頭した中国と自力で向き合わねばならなくなった時、日本は、対米従属から対中従属にするりと転換してしまうだろう。またもや無条件降伏である。とても卑屈で無能で格好悪い。



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