米中のはざまで揺れる韓国2011年5月12日 田中 宇北朝鮮の核兵器開発問題の解決をめざし、米国のカーター元大統領が北朝鮮を訪問していた最中の4月29日、韓国のソウルでは、米韓関係の将来について話し合うシンポジウムが開かれていた。地元の大手新聞である中央日報と、米国の民主党系シンクタンクであるCSISの共催で開かれ、リチャード・アーミテージやビクター・チャ、ジェームズ・ジョーンズといった、米国の著名なアジア政策立案者(元高官)が超党派的に参加する、権威ある座談会だった。 その席上、韓国のソウル大学の張達重教授が「こんな風に言ってしまうと批判を浴びるかもしれないのだが」と前置きした上で「韓国の世論は今、自国が米国と中国のどちらと組むべきかをめぐり、分裂している」と述べ、韓国がいずれ米中のどちらと組むべきかを決めねばならなくなるとの見通しを示した。 そして張達重の発言は案の定、すぐに米国の出席者から批判の集中砲火にさらされた。パネリストの一人である米CSISの日本部長をつとめるマイケル・グリーンは「どちらと組むかを考えるのは悲劇的(良くないこと)だ。米国と組んだ方が絶対に良いに決まっているからだ」と反論した。昨秋までオバマの安全保障顧問だったジェームズ・ジョーンズは「韓国がどっちにつくかを選択するなどという考え方には驚いた。そんな選択は不必要であると、アメリカ合衆国は考えている」と述べた。 ブッシュ政権のアジア政策担当責任者だったビクター・チャは「中国は韓国に、どっちに着くのかと迫る傾向が強いが、米国はそのような二者択一は迫らない。北朝鮮の脅威がなくなれば、中国は韓国との同盟など解消するだろうが、米国との同盟は南北が統一した後も続く深いものだ」と発言した。米国側はいずれも、韓国が選択を迷っていること自体が問題だという姿勢だった。 (JoongAng-CSIS forum focuses on alliance) 韓国では、以前から「米中どちらと組むか」という議論が行われている。張達重の発言は、そうした状況をふまえた現実的な表現だった。すでに、韓国にとって最大の貿易相手国は中国だ。高度経済成長を続ける中国と、経済が伸び悩む米国と、どちらが韓国にとって重要かという議論が、韓国でわき出るのは自然な流れだ。安全保障的にも、米国は韓国に対し、対北朝鮮で好戦的な態度をとらせるよう誘導しており、この点を危惧する韓国の世論も強い。 ('Seductive' China to strain Seoul's US ties) その一方で、こうした現実に対し、いら立ちをもって対応する米国の元高官らの姿勢も、以前からのものだ。米国の高官や元高官は、中国の台頭や、米中を比較する議論になると、急に感情的になって「中国のような(独裁で人権無視の遅れた)国と(すばらしい民主主義で超大国の)米国を比較するな」と声高に言い出す傾向がある。米側の感情の発露に直面すると、アジア諸国の公的な人々(政治家、官僚、学者ら)は、米国に嫌われたくないと直感的に思って黙ってしまう。こうした事情を把握した上で、それでも言う必要があると考えて、張達重は「批判を浴びるかもしれないが」と前置きして発言したのだろう。 米国の元高官が、プライドを傷つけられたかのようにいら立ち、怒りで煙に巻きたがる案件こそ、今の世界情勢の中で重要な案件である。頭脳明晰でふだん冷静な米国の高官や学者たちは、米国人の仲間内だけで議論するときには、それらの重要案件について現実的な深い考察をしているに違いない。そうでなければ政策立案などできない。当事者の側のアジアの人々と議論する時だけ(もしくは米国内でテレビなど公開討議するときだけ)わざと感情的になって見せるのだろう。シェパードの羊たちに対する態度と、身内だけの時の態度は違うのだ。 アジア諸国(日韓や東南アジア)の政治家などの中には、米国の覇権が傾いているのだから米国だけ特別に重視する必要はなく、中国と組んだり、アジア諸国内での協調態勢を強化した方が良いと主張する人もいる。そういう人々には、各国の外務省など国内の対米従属系の勢力が「そんなことを言っていると米国の怒りをかって、大変なことになりますよ」と脅しをかける。米高官の怒りの表明は、アジア諸国の対米従属派を助けるためのものでもある。 ▼内紛して国是転換できない韓国 4月29日の韓国ソウルでの座談会は、中国の台頭に対する米韓の対応が議論の中心だったのに、中国を代表する出席者が皆無だった。中国の代表者を議論に参加させたら、選択に迷う韓国を米国が叱りつける場でなく、米中間で相互の欠点を批判して鋭く対立する場になってしまう。米国側は、日韓や東南アジアの人々と議論するときは「中国と組むなど言語道断だ」と高飛車に言うが、米中が直接に議論するときはもっと慎重に話す。米国は、人権問題や貿易不均衡、軍事拡大の不透明性などで一応中国を批判するが、中国に巨額の米国債を買ってもらっていることもあり、一定以上の批判ができない。 中国外務省の元高官は「韓国は転換期にある。韓国が(米中どちらと組むかという)国内の議論にどんな結論を出すかによって、韓国だけでなく、日本や中国を含む東アジア全体の政治状況が変わってくる」と分析している。中国は2050年ぐらいまでに、東アジアにおける影響力を確定しようと、軍事拡大などを行っている。今から40年後には、米国の覇権が世界的に弱くなり、韓国は米国より中国を重視するようになり、日本も政治鎖国的な国是を強めるなどして中国の台頭を容認し、台湾は中国の一部になり切っているという読みなのだろう。 ('Seductive' China to strain Seoul's US ties) このような米中の覇権転換期において、本来、韓国や日本のような米中のはざまにある国々は、衰退しつつある米国との同盟関係を維持したまま、中国との関係を強化しつつ、米国が去った後の東アジアにおいて中国だけが決定権を握る構図にならないよう、東アジアにおける多国間の安全保障体制を構築しておく必要がある。米国自身もこの考え方に沿って、北朝鮮核問題の6カ国協議が進展したら、その後は6カ国協議を東アジアの集団安保体制に発展させる構想だった。米国から6カ国協議の主導役を任されている中国も、この考え方に賛同していた。しかし、6カ国協議は進まないままになっている。 (アジアのことをアジアに任せる) 韓国内の議論も「米国か中国か」の二者択一論にせず、米国との同盟関係を保ったまま、中国との関係強化と南北対立の緩和を進めていくのが理想的だ。しかし韓国では、約100年前に日本やロシアなど列強国が、既存の支配者だった中国を追い出して朝鮮半島を支配しようとしたとき、国内の上層部が中国派、日本派などに分裂し、内紛によって自ら何も決められないまま、日本に支配されてしまった歴史がある。戦後、建国後の北朝鮮の上層部でも、中国派やソ連派や南朝鮮系などが対立し、金日成が他の派閥を全部粛清して一人独裁を確立するまで、北朝鮮の政治が安定しなかった。韓国社会も、出身地域ごとの集団が対立的だ。狭い国内なのに内紛してしまうのは、朝鮮・韓国の歴史的なお家芸だ。だから今回も「米中どちらと組むか」という選択を韓国自らが選び取ることができるとは考えにくい。 ▼議論が過剰な韓国、議論がない日本 韓国の李明博現政権には「天安艦事件」という、くびき(束縛)がある。韓国政府は、昨春の天安艦の沈没事件を「北朝鮮の仕業に違いない。それ以外あり得ない」と言い切ってその立場に固執しているが、北朝鮮側は「絶対にうちはやってない」と言って、その立場に固執している。 (韓国軍艦沈没事件その後) 米中(実質的には中国が主導)は6カ国協議の再開に向けて(1)南北対話の開始(2)米朝対話の開始(3)6カ国協議の再開、という3段階シナリオを立て、その線に沿ってカーターが訪朝し、北朝鮮側から「韓国と対話したい」という表明を受けたが、李明博は「金正日が天安艦撃沈を謝罪したら、南北対話を開始したい」と言っている。これは「北が絶対うちはやってないと言っている天安艦沈没について謝罪しない限り、北と対話しない」ということであり、北が謝罪するはずがない以上、南北対話は実現しない。カーターは訪朝したが、その後、何も進展していない。 (米中協調で朝鮮半島和平の試み再び) 4月29日の座談会で米国の元高官たちを怒らせる、的を射た発言をした張達重はその後、中央日報に「6カ国協議をめぐる状況は従来、北朝鮮が核廃棄を拒否し、他の5カ国が北を責めるという、北だけが悪者の構図だった。しかし今や、韓国だけが協議の前提となる南北対話に消極的で、米中露は協議を進めたいという、韓国だけが悪者の構図に転換している。韓国が敵対を乗り越えて北を信頼するのは簡単でないが、敵対し相互に不信感を持っていたのは冷戦終結直前の米国とソ連も同じだった。敵対時こそ、対話を進めていく好機だ」と主張する文章を書いている。 (How to handle distrust By Chang Dal-joong) 韓国だけが悪者の構図になっていると私も思うが、李明博政権が天安艦の北犯人説を取り下げて態度を転換できるとは思えない。今後、米国債の金利急騰による金融面からの米覇権の瓦解でも起これば別だが、そうした外部からの大転換がない場合、2013年に李明博政権が終わった後まで、南北対話の実現は難しそうだ。 韓国は国家的に重要なときに内紛になり、うまく国是の転換ができない性癖がある。これは過剰に議論してしまうことだ。この性癖と対照的なのが、隣のわが日本である。韓国は過剰に議論して失敗するが、日本はまったく議論をしない状況を自ら作り出して失敗する。第二次大戦の敗北がそうだった。最近の日本で「米中どちらと組むか」に似た議論が始まりそうだったのは、09年秋に鳩山政権が成立し「東アジア共同体」「米中等距離外交」を打ち出した時だ。当時の日本の議論は「米中どちらと組むか」でなく「日米同盟を維持しつつ、日中協調を軸とした東アジア共同体も進めていく」というもので、その後米国の覇権衰退が顕在化した今となっては、当時始まりそうだった議論は良いものだったことがわかる。 (多極化に対応し始めた日本) 鳩山が東アジア共同体を言い出したのは、対米従属以外の国是の議論がタブーである日本において、ほとんど言論クーデター的なものだった。しかしその後、鳩山・小沢コンビは官僚機構(とその傘下のマスコミ)からのスキャンダルや攻撃にさらされ、すぐに東アジア共同体というキーワードが全く出てこなくなり、鳩山政権は半年で潰れ、次の菅政権は対米従属派が席巻した。東アジア共同体は鳩山という奇怪な「宇宙人」が発したたわごとだったという話になった。(これは、私の国際情勢分析がたわごと扱いされるのと同じ仕掛けだろう) その後、今春の大震災と原発事故によって、日本は外交どころでなくなり、今回のカーター訪朝など米中による6カ国協議再開の努力の間も、ほとんど黙ったままの「いないふり」を続けている。もし今後、韓国が米国より中国を重視する態度をとり始めたら、次は日本の対米従属をどうするかという話になるのだが、今の日本ではそのような状況に対する認識も議論もない。 日本は、アジアにおいて米国より中国が支配的になった場合に「政治鎖国(国際的な、いないふり戦略)」という、島国ならではの国家戦略をとりうる。「日本は地震と津波と原発事故が頻発しかねない国なので、外国人は来ない方がいいですよ」という趣旨にもとれる震災後の日本政府のあり方や、被災と原発のことばかり報じて世界のことを国民に伝えなくなった日本のマスコミのあり方は、この「政治鎖国」の方向性との関係で考えると興味深い。
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