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中東の中心に戻るエジプト(上)

2011年5月3日   田中 宇

 エジプトの仲裁によって、パレスチナで2007年から敵対を続けていた西岸のファタハとガザのハマスが和解した。ファタハとハマスは暫定的な連立政権を組み、早期に選挙をやって正当な統一政府を作るとともに、今年9月のパレスチナ国家の独立に向けて準備を進めることになった。 (Palestinian factions to ink deal next week: Fatah

 ファタハはアラファト以来の流れをくむ非宗教派(政教分離派、左翼)で、米イスラエルの言いなりなのでパレスチナの人々の支持を失い、06年のパレスチナ議会選挙でイスラム主義のハマスに負けた。だがファタハのアッバース大統領は、米イスラエルの支持を受けて敗北を認めず、議会を開かないまま、任期が切れた後もパレスチナ大統領の職に居座っている。選挙に勝ったのに政権をとれないハマスは、07年夏に反乱を起こし、ガザを占領してファタハを追い出した。それ以来パレスチナでは、ヨルダン川西岸地域がファタハの統治、ガザがハマスの統治という内部分裂が続いている。中東和平を進めるふりをして実は進めたくないイスラエルは、パレスチナの分裂状態が続くことをひそかに望んでいる。 (Egypt Palestinian drive for unity alarms Israel) (イスラム過激派を強化したブッシュの戦略

 アラブの世論は、ファタハとハマスが和解し、統一したパレスチナ自治政府に戻ることを望んでいる。世論を受け、エジプトのムバラク前政権は09年に和解案をまとめ、和解の仲裁を開始したが、うまくいかなかった。ムバラク前政権は「ハマスはイランの影響下にあり、イランは中東和平の進展を嫌い、ハマスに和解反対の態度をとらせている」と批判していた。しかし実際のところムバラクは、米国からの支援を受け続けるため、米イスラエルの傀儡になっており、エジプト政府は、パレスチナの和解を仲裁するふりをして、実際には和解を実現するつもりがなかった。エジプトだけでなく、ファタハも米イスラエルもパレスチナの再統合を望んでいなかったのだから、和解が進むはずがなかった。 (Palestinian reconciliation could work to Israel's advantage

 こうした閉塞状況は、今年2月にエジプト革命によってムバラク政権が崩壊したことで終わった。エジプトの暫定新政権は、成立した直後から、09年にエジプト政府が立案した和解策に沿ってファタハとハマスの和解仲裁の努力を再開し、わずか2カ月で和解を実現した。5月3日にエジプトの首都カイロで、ファタハのアッバース大統領とハマスの指導者マシャールが招かれ、和解の合意文に署名する。 (Hamas, Palestinian leaders meet in Cairo

▼いよいよエジプトがガザを開放する

 またエジプト政府は、近いうちにガザとエジプトの間の国境を恒久的に開放すると発表している。ハマスとファタハの和解が正式に成立した後、ガザの国境が開放されるかもしれない。 (Egypt says it will soon open Gaza border permanently

 イスラエルは、1979年にエジプトと和解して国交を結ぶ際、エジプトとガザのパレスチナ人が結託してイスラエルを攻撃してくることを懸念し、ガザとエジプトとの国境線に数百メートルの幅の細長いイスラエルの占領地を作ることをエジプトに認めさせ、エジプトとガザを分断してきた。イラク戦争後、中東全域のイスラム主義の高まりを見て、ガザを封じ込めておくことに無理を感じたイスラエルは、2005年にガザとエジプトの国境線をイスラエル軍が警備することを放棄し、ガザのパレスチナ人の面倒を見る責任をエジプトに転嫁しようとした。だが、イスラエル以上にイスラム主義の台頭を懸念していたムバラク政権は、ガザとエジプトとの国境を開けることを拒否し、イスラエルと同様、ガザを封じ込める策を続けた。

 その前後から、エジプトの世論は反イスラエル・パレスチナ連帯を強め、エジプト政府内にも、ガザに対する人道支援を強めるべきだという意見が出始めた。だが、ガザを支配するハマスはムバラクが敵視していたエジプトのムスリム同胞団の仲間(子分)であり、ムバラクは世論を気にしてガザの開放や支援に前向きであるような姿勢を見せつつ、実際にはガザに対する封じ込めを続けた。08年には、ガザのハマスが(エジプト軍の黙認を受けて)エジプトとの国境の壁をぶち壊し、数日間にわたってガザとエジプトの自由往来が実現した。しかしムバラクはガザを封じ込める意志を崩さず、その後再びガザは封鎖されていた。 (「ガザの壁」の崩壊

 イスラエルは、ガザとエジプトがつながると、エジプトのイスラム過激派がガザに武器を送り込み、イスラエルに対する砲撃を強めると懸念している。ガザには、統治者のハマス以外に、中小のイスラム武装勢力がいくつもあり、彼らはハマスが制止してもイスラエルに砲弾を撃ち込む。エジプト当局は、イスラエルの懸念に応えるため、ガザに治安当局者を派遣し、ハマスの治安維持部隊を訓練し、中小の武装諸勢力に対する取り締まりを強めようともしている。エジプト新政権は、パレスチナ人が実質的な国家運営をできるよう、後見人としての機能を果たし始めている。 (Egypt sending team to Gaza to help implement Palestinian deal

▼30年ぶりにパレスチナの後見人に戻る

 エジプトは1960年代まで、パレスチナ人を強化し、イスラエルと対抗できるようにするための後見人だった。ファタハ(PLO主流派)を作ったアラファトは、カイロ大学を卒業し、エジプトの支援を受けて活動していた。だがエジプトはナセル政権時代の1967年の第3次中東戦争(六日戦争)でイスラエルに大敗北し、70年にナセルが死んだ後、米イスラエルの傀儡になっていく道を歩んだ。アラファトやファタハは見捨てられ、ベイルートからチュニスへと亡命していった。

 イスラエルは、67年にエジプトに圧勝した後、73年の第4次中東戦争では意図的にエジプトに勝たせてやり、エジプトのサダト大統領が面子を立ててやった。ナセルがアラブ民族主義を掲げる英雄的な存在だったのに対し、サダトはナセルが死んだときの副大統領から昇格した存在にすぎず、国民的な権威のないことがコンプレックスだった。サダトは、イスラエルに「勝利」したことで権威を得た。サダトは、イスラエルと和解しても良いという態度になり、79年に米国の仲裁でイスラエルとエジプトは和解し、国交を結んだ。サダトは国民の怒りをかって81年に暗殺されたが、そのあと副大統領から昇格したムバラクも、サダト同様、昇格して権力を得ただけの存在だったので積極策に出ず、イスラエルとの国交を保持し、エジプトが米イスラエルの傀儡である状態が維持された。 (イスラエルの戦争と和平

 米イスラエルは、冷戦終結前後の88年ごろから、アラファトやファタハをチュニスからパレスチナに戻し、小さくて弱いパレスチナ国家を作らせ、地域を安定させるオスロ合意の計画を進めたが、そこにおいてエジプトは大した役目を持たなかった。90年代後半、ラビン首相暗殺などイスラエル右派の抵抗によってパレスチナ和平は頓挫した。01年の911事件以後は、米国の過激な中東民主化戦略とその失敗の歴史が展開したが、その間ずっとエジプトのムバラク政権は米イスラエルの傀儡として存在していた。しかし今年2月にムバラクが追放されたことで、エジプトは、1979年のイスラエルとの和解以降ずっと放棄していたパレスチナに対する後見人の役割を、約30年ぶりに取り戻すことになった。 (In Shift, Egypt Warms to Iran and Hamas, Israel's Foes

▼イスラエルにとっても転機

 エジプトの新政権は、ほかにもムバラク時代のイスラエルとの腐敗した関係を切る挙に出ている。エジプトは天然ガスの産出国だが、79年にイスラエルと和解して以来ずっと、天然ガスを国際市場価格よりもはるかに安くイスラエルに輸出し続けてきた。エジプトの新政権は、これを市場価格での取引に戻すことを予定している。この値上げによって、エジプト政府は年間30億ドル以上の増収となる。ムバラクは、イスラエルに格安でガスを売る代わりに、米国から軍事支援や経済援助を得て埋め合わせしてきた。このやり方によって米国は、直接にイスラエルに金を出す額を減らし、イスラエルとエジプトの両方に経済支援しているというバランスのある形式を、表向き採ることができた。だがこの形式はエジプトにとって、対米従属を余儀なくされる不健全なものだった。 (Egypt orders review of gas contracts with Israel) (Cairo holds massive anti-Israel rally

 エジプト新政権は、これらの方針転換について「イスラエルに批判的な国内世論に沿った政策を始めただけであり、それはエジプトが民主主義国になった以上、当然のことだ」と表明している。米イスラエルの傀儡であることをやめたエジプト新政権は、イスラエルを敵視しているように見えるが、実はそうでない。エジプト新政権は、ハマスやファタハの面倒を見るようになったのと同時に、ハマスが06年から捕虜にしているイスラエル軍の兵士ギルアド・シャリートの釈放に向けて、頓挫しているハマスとイスラエルの交渉を仲裁することを開始している。 (Egypt-Israel Peace Treaty Probably Dead) (Report: Hamas military leader in Egypt for Shalit talks

 イスラエル政府はこの間、ハマスにシャリートを釈放させるのと交換で、ハマス関係者などイスラエルが捕虜にしているパレスチナ人を数百人規模で釈放し、それを機にハマスとの恒久的な和平交渉を進展させることを何度も試みてきた。だが、そのたびにイスラエル内の右派などから妨害され、釈放は実現していない。エジプトが新政権になり、積極的にパレスチナやイスラエルとの敵対を緩和していく策を開始したことで、シャリート問題に新たな解決の可能性が開けている。エジプト新政権は、パレスチナやイスラエルの敵対を緩和し、戦争を回避して、この地域の政治的安定と経済発展を希求しているように見える。 (追い込まれるイスラエル

 イスラエルは、国際世論を無視し、右派主導で西岸入植地の拡大を進めており、世界におけるイスラエルの立場は悪化を続けている。イスラエルの右派以外の勢力(中道派)は、国内の右派を抑えることができない。パレスチナ自治政府(ファタハ)は、イスラエルと和平を進めることを無理と判断し、今年9月に国連総会でパレスチナ国家を承認してもらい、イスラエルを無視して国家創設する道を歩もうとしている。9月の国連総会で、世界の192カ国のうち180カ国がパレスチナ国家を承認し、圧倒的な多数でパレスチナ国家が成立すると予測されている。パレスチナが国家になると、西岸入植地の存在があるゆえに、イスラエルは「他国の土地を占領している国」とみなされるようになり、国連から経済制裁される対象になる。 (Israel: UN recognition of a Palestinian state will turn us into `colonialists'

 エジプトがファタハとハマスを和解させ、パレスチナ統一政府の実現に道を開いたことは、イスラエルをますます窮地に陥れているが、同時にイスラエル政府は、エジプトに頼んでハマスと和解することにより、パレスチナ側との敵対を緩和でき、イスラエル国内で好戦的な右派の人気を低下させられて、入植地を縮小の方向に転換できるかもしれない。イスラエルの中道派からは「これを機にハマスと和解すべきだ」「イスラエルもパレスチナ国家を承認すべきだ」という主張が噴出している。イスラエル政府が右派の影響力から逃れることは非常に困難だが、エジプトの戦略転換がイスラエルを亡国から救う可能性も出てきた。 (Israeli Luminaries Press for a Palestinian State

「中東の中心に戻るエジプト(下)」(田中宇プラス)に続く



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