中東革命とドル危機の悪循環2011年3月2日 田中 宇米連銀のバーナンキ議長が米議会で「中東の混乱によって原油価格の上昇が続くと、インフレがデフレに取って代わり、不況を脱しつつある米経済の足を引っ張るかもしれない」と警告した。原油の国際価格(北海ブレント)は、この半年間で40%上昇し、産油国リビアの混乱によって上昇に拍車がかかっている。 (Bernanke warns on Oil price 'threat') 原油や穀物など、国際商品価格の高騰が、発展途上諸国だけでなく米国にインフレをもたらすかもしれないという懸念は、これまでに何度かバーナンキの口から発せられているが、今回ほど強い警告は初めてだとFT紙が指摘している。連銀は、リーマンショックから2年間、金融経済テコ入れのためゼロ金利政策を続けているが、インフレがひどくなると利上げせざるを得なくなり、借入金利の上昇が経済を減速させ、不況がぶり返す。 (Fed ready to fight Oil price threat) 米国の著名な予測分析者であるジェラルド・セレンテは、米当局が不況を克服するためにドルを過剰発行し、世界がドルに対する信頼を失いかけている時に、中東情勢が緊迫して原油が高騰し、インフレになって米当局が利上げせざるを得なくなって不況がぶり返し、不況(デフレ)とインフレが共存してしまう「スタグフレーション」になるのは、イラン革命が起きた1970年代末から80年代初頭にかけての状況の繰り返しだと指摘している。 (【動画】Gerald Celente - Oil - Interest Rates - Inflation) 原油だけでなく穀物の国際価格も高騰している。米農務省は、食糧高騰によって今年、世界各地で暴動がひどくなるかもしれないと警告している。これは従来からIMFなどが何度も警告してきたことだ。 (Food prices to skyrocket, riots could follow, suggests USDA) 中東各地で起きている政権転覆革命の発端となったチュニジアやエジプトの反政府運動は、もともと食糧価格の高騰に対する庶民の不満が爆発したものだった。そして食糧価格の高騰は、米当局がドルを過剰発行して米国の金融経済を救済しようとしたため、投資家や新興市場諸国がドルから現物や先物の穀物など国際商品に乗り換える傾向を強めた結果として起きている。ドル危機によって中東革命が起こり、それが原油高騰からインフレを引き起こし、ドル危機をひどくする悪循環が始まっている。 (Bernanke Vs. China on Inflation: It's the Food, Stupid) ▼サウジアラビアに迫る危機 原油価格はリビアの混乱で急上昇したが、真に危険なのはリビアでなく、サウジアラビアの大油田地帯の鼻先で起きているバーレーンの革命だ。バーレーンでは国民の7割を占めるシーア派が、こっそりイランに支援されつつ民主化を求めて蜂起し、少数派であるスンニ派王政を倒そうとしている。バーレーンをシーア派に奪われたら、次は隣のサウジアラビアの大油田地帯も、住民の大半を占めるシーア派に奪われかねないので、サウジ王家は必死でバーレーン王政を支援している。 (バーレーンの混乱、サウジアラビアの危機) 2月28日にはエジプトの新聞が、目撃情報として、サウジから30台の戦車が海上の橋を渡ってバーレーンに向かったと報じている。この報道に対しバーレーン政府は「イランが流したデマだ」と否定している。だがサウジ王政は、79年のイラン革命以来、バーレーンがシーア派に乗っ取られないよう、ずっとバーレーン王政を資金援助してきたし、1990年代にバーレーンでシーア派の反政府行動が活発化したときには軍隊を差し向けて介入している。今回も2月中旬に混乱が始まった直後から、サウジの治安維持部隊がバーレーンに入っているとの目撃情報が報じられている。 (Eyewitnesses: 30 tanks spotted en route to Bahrain from Saudi Arabia) バーレーンのシーア派は譲歩せず、王政が転覆される可能性が依然として強い。サウジへの悪影響を懸念する見方が強くなり、3月1日にはサウジの平均株価が7%の暴落をした。同日、原油相場や金地金相場も高騰し、円高ドル安となった。 (Saudi Stocks Slump Most Since 2008 on Concern Unrest to Spread) サウジがさらに危機になると、原油相場の高騰がひどくなり、米国はバーナンキが警告したインフレになって金利が上昇し、米国債の買い支えも効かなくなってドルに対する不信感が強まる。だからドルが売られ、金地金や円、スイスフランが買われる。かつては中東が混乱すると、有事の逃避先としてドルが買われたが、今の世界の混乱はまさにドルの弱体化によって起きており、ドルが売られ、代わりに買う通貨がないので、欧州の伝統的な資金逃避先であるスイスフランや、中国の近くにあって人民元の代替投資先とみなされる日本の円が買われる。(人民元はドルペッグしているし、取引が自由化されていない) (Dollar's haven status hangs in the balance) ▼中国の米国債巨額保有は多分うそ サウジの危機がひどくなると、ドルの危機に拍車がかかる。このような状況下、米議会上院の銀行委員会ではバーナンキ連銀議長を呼び、ドルの過剰発行の懸念について議論した。その中で、今のような何の裏づけもなくドルが発行される連銀の制度をやめて、金本位制を導入するか、もしくは米財務省が金地金との交換を保障する米国債を発行するようにしてはどうかといった提案が、議員から出た。バーナンキは、金本位制を導入すると長期的には安定するが、短期的には価格変動がひどくなって混乱するし、金地金の総量に比べてはるかに巨額のドルがすでに発行されているので、金本位制の導入は得策でないと答えた。 (Bernanke Unfazed By Gold Standard, Currency History Queries) 米議会で金本位制への移行が検討されること自体が異様だが、少し議論してみただけという感じであり、今のところ本気の検討と思えない。とはいえバーナンキは上院銀行委員会で、これ以上ドルを過剰発行すると不健全だということは認めさせられ、今年6月に量的緩和策(QE2)の期限が来て終わったら、その後はドル過剰発行をQE3として延長することはするなと圧力をかけられた。QEが6月で終わりになると、連銀が売れ残りの米国債を買って金利の上昇を食い止める機能が失われる。その時点で、ジャンク債を起債して巨額の資金を錬金術的に生み出す民間の「影の銀行システム(債券金融)」がかなり旺盛に機能していて米国債を買い支える機能を肩代わりするなら別だが、そうでなければ米国債が急に売れなくなる事態が起こりうる。 連銀のQE2の結果、米国債を世界で最も巨額に保有している勢力は連銀だ。今年1月までは中国が最大の保有者だったが、連銀が追い抜いた。この関連で米財務省が2月28日に興味深い発表を行った。それによると、これまで統計上、英国勢が購入していることになっていたチャネル諸島など英国領の租税回避地での米国債の購入が、実は中国勢による購入であり、この分を含めた昨年末時点の中国の米国債保有高は、米財務省が従来発表していた8920億ドルでなく、1兆1600億ドルだった。同様に、ロシア勢の保有は従来言われていた1060億ドルでなく、1510億ドルだった。半面、英国勢の保有は5410億ドルでなく2720億ドルだった。 (China's holdings of US debt larger than reported) 連銀の米国債保有高は1兆2050億ドルだから、中国の分が増えても、まだ世界最大の米国債保有者は連銀のままだ。しかし、中国は、米国債を売らず、むしろ買い増ししていたことになる。これは「次の覇権国である中国が米国債を買い支えていてくれる限り、連銀がQE2をやめても米国債の売れ行きが悪化することはない」という連銀の自己弁護を加勢するかたちになっている。 (China holds $1,160bn of US debt) 連銀のバーナンキも2月9日、中国の米国債保有は8960億ドルでなく2兆ドルだと米議会で証言しており、今回の米財務省の発表と同じ方向性だ。とはいえ私は以前から、連銀や財務省といった米当局が本当のことを発表しているとは限らないと思っている。中国やロシアの当局者は以前から何度も、米国債やドルが崩壊しつつあると指摘している。中国の胡錦涛は今年1月に訪米する直前、今のドル中心の国際通貨体制を「過去の産物」と呼び、人民元の国際化が重要だと述べている。ドルを過去の遺物と言い切る中国政府が、米国債を悠然と保有し続けるはずがない。こっそり売却していると考えるのが自然だ。 (Hu Highlights Need for U.S.-China Cooperation, Questions dollar) 租税回避地での売買は、誰が本当の売買者か、売買者本人しかわからない。米国債の下落を抑止したい米当局は、中国やロシアの米国債保有高を多めに発表する動機がある。半面、中国やロシアは、自国の米国債保有について、米当局が実際より多くの保有高を発表しても、文句を言わないどころか、むしろ自国が米国債を売却してもそれが世界にばれず、売却が米国債の下落を誘発しないので、うれしいはずだ。米当局の発表が意図的な間違いだとしても、中露がそれを指摘することはない。 (中国の米国債保有額のなぞ) となれば、実際に中露が米国債をいくら売却しても、米当局は中露が米国債を売却していないかのように発表し続けているのが実態とも考えられる。英国領の租税回避地での米国債の購入は、本当は米当局筋自身による救済的な買い支えかもしれない。これらは推論であり、真相は不明だが、米当局の発表を信じて、中露がいまだに米国債をほとんど売却せず持ち続けていると思うのが危険であることは間違いない。ドルの危機は、多くの人が気づかないまま、潜在的な危機から、しだいに現実的な危機へと変化している。
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