他の記事を読む

「第2の911事件」が誘発される?

2011年2月27日   田中 宇

 1月27日、パキスタンのラホールで、米国領事館で働いているレイモンド・デービスという米国人が、街頭でパキスタン人の若者2人を拳銃で殺害し、地元の警察に逮捕された。デービスは、乗用車を運転していたらバイクに乗った2人の若者が近づいてきて脅し、強盗しようとしたので仕方なく撃ったと正当防衛を主張し、自分は不逮捕特権のある外交官なので釈放せよと地元警察に求めた。米政府もデービスの釈放を要求し、パキスタン政府に強い圧力をかけた。米政府は、デービスが釈放されないなら、米国などに駐在するパキスタンの外交官を拘束する報復をやるとまで言い出している。 (Report: CIA Considers Targeting Pakistani Diplomats

 しかし米政府の激怒とは裏腹に、地元民の目撃証言によると、デービスは背後から2人を撃っており、脅されたあげくの正当防衛でなかった。またデービスは外交官でなくCIAの要員で、Xe(旧ブラックウォーター)という米国防総省傘下の軍事サービス企業(傭兵会社)に雇用され、不逮捕特権はなかった。彼がCIAの要員だと報じられると、米政府はそれを事実と認めたが、パキスタン政府に対する釈放要求は取り下げなかった。 (Raymond Davis a CIA Contractor, US Confirms

 レイモンド・デービスという名前も偽名だという指摘がある。その一方で、デービスはラホールの米国領事館を拠点とするCIAの組織のトップをつとめていたとか、アフガニスタンでタリバン幹部を暗殺するために米軍が組織した「タスクフォース373」(TF373)のメンバーだとか、CIAでなく国防総省の人だとも言われている。 (Raymond Davis 'was acting head of CIA in Pakistan'

 パキスタン軍の諜報機関であるISI(統合情報局)は、デービスが何者であるか、事件を起こす前から良く知っていたと考えられる。デービスが殺した若者2人はISIの要員だった。デービスも2人がISIだと知っていたようで、撃たれて倒れている2人を、自分の携帯電話のカメラで動画撮影しているところを、地元の人に目撃されている。2人が殺されたときデービスを尾行していたのか、それともデービスと会っていたのかは発表されていない。だが、米当局がデービスに与えていた任務についてISIが警戒し、迷惑していたことは確かだ。 (Raymond Allen Davis incident From Wikipedia

 デービスの任務は、パキスタンでラシュカ・レ・タイバ(LeT)やパキスタン・タリバン運動(TTP)など、イスラム主義の過激派勢力(テロ組織)と接触し、彼らの協力者としてふるまうことだった。彼は、携帯電話でLeTなどの関係者と頻繁に通話していたことがISIによって確認されている。彼は地元のパキスタン人の若者を誘ってタリバンに入れることまでやっていたと報じられている。ラホールで過激派勢力と会うだけでなく、タリバンなどの本拠地である対アフガニスタン国境の北ワジリスタンにも行っていた。 (Did Davis double-cross US as recruitment point man for Taliban?

 LeTやTTPは、米国からテロ組織とみなされている。彼らは米国の敵なのに、なぜデービスは彼らのために働く任務を遂行していたのか。一つの可能性は、デービスがタリバンとつながる過激派組織に入り込み、パキスタンとアフガンの国境地帯におけるタリバンの拠点の詳細な場所を聞き出し、その情報をもとにCIAが無人戦闘機を飛ばし、その拠点を空爆していたことだ。デービスの自家用車からは、GPSのチップや国境地帯の詳細な地図が見つかっている。またCIA(米軍)の無人戦闘機による国境地帯への空爆は、デービスが捕まる直前の1月23日以来行われていない。敵方組織に入り込んでいたデービスが得ていた情報が入らなくなったので、空爆が行えなくなったと考えることができる。(空爆は2月24日、約1カ月ぶりに再開された) (Raymond Davis: The plot thickens) (US Drones Kill Seven in North Waziristan

▼パキスタンの微妙さを手荒く無視した米国

 デービスが接触していたイスラム過激派のうち、LeTは印パの紛争地であるカシミールでインドと戦うところから始まったテロ組織だ。一方、TTPはアフガニスタン側のタリバンと同様、パシュトン人主導の組織だが、アフガンのタリバンとの関係性については不明な点が多い。LeTとアフガン側タリバンはISIから支援されてきた。LeTはパキスタンが、自国より強大なインドとカシミール紛争で戦う際に必要な「テロ戦法」を供給してくれていたし、アフガン側のタリバンは、パキスタンがアフガンに影響力を行使することを可能にしていた。しかしTTPは、パキスタンの世俗政権が弱体化していく07年に作られ、パキスタンをイスラム主義政治に転換させようとしているだけに、ISIと敵対する部分が大きい。

 LeTやTTP、タリバンといった過激派組織の活動が活発になると、パキスタンの政治がイスラム主義に流されて不安定になる。そのためISIは、LeTやタリバンを支援してインドやアフガンに対する戦略の道具として使いながらも、その一方で彼らが強くなりすぎないよう監視や抑止をするという、微妙なバランスを保つ策略を続けてきた。タリバンやTTPが拠点としているパキスタンの対アフガン国境に近いワジリスタンなど辺境の部族直轄地域は、パキスタンの国内ながら、パキスタン政府の統治が部分的にしか及ばない、江戸時代前期までの日本の蝦夷地のような「まつろわぬ地域」であり、それもISIの微妙な戦略の原因だった。

 911事件後に手荒くアフガンに入り込んできた米国(米軍やCIA)は、ISIやパキスタン政府が置かれた微妙な立場など無視して作戦を展開した。911後、米国はタリバンを潰すためにアフガン侵攻した。タリバンの生みの親はパキスタンのISIであるため、米国はISIやパキスタン政府に対し、タリバンと縁を切り、アフガンの状況への関与を絶てと命じ、パキスタン側は米国との同盟関係を維持するため、仕方なく従った。

 しかしその後07年になると、米当局は「タリバンは米軍の攻撃を避けるため、アフガン側からパキスタン側の辺境地域に入り込み、国境をまたいで活動している」として、CIA主導でパキスタン側のワジリスタンを無人戦闘機で空爆し始めた。空爆の対象は、今回捕まったデービスらパキスタンのCIA要員が情報収集して決めていたと考えられる。空爆を受けた辺境の人々は怒り、米国と、その同盟国である自国パキスタンの政府を敵視する傾向を強めた。

 これはパキスタンの国家を不安定にするため、それまで米国のやることに黙っていたISIも、米国、特にCIAを敵視する傾向になった。08年にはインドのムンバイでテロ事件が起こり、ISIが支援するパキスタンのイスラム過激派が犯人扱いされた。だが実際のところムンバイのテロは、インドのヒンドゥ過激派がイスラエル諜報機関などの支援を受け、米国覇権とイスラム過激派が恒久対立する「テロ戦争」の構図を再強化するために起こした可能性が強く、パキスタンやISIは濡れ衣をかけられている。この件も米当局とISIの関係悪化の原因となった。 (ムンバイテロの背景

 昨年には、CIAのパキスタン駐在のトップの名前(ジョナサン・バンクス)など個人情報をISIが裁判の中で暴露してしまう事件があり、バンクスはあわててパキスタンを出国し、米国に帰国せざるを得なくなった。このようにISIとCIAの関係が悪化する中で今回のデービスの事件が起こった。ISIはCIAとの関係を切ると表明した。 (ISI declares war on CIA following Davis double murder incident

 米国側は、アフガン占領を成功させることだけを考え、パキスタン側を空爆し続けたのかもしれないが、この空爆は非常に稚拙な作戦だ。空爆された辺境地域には、米軍やNATO軍がアフガン占領に必要な物資の大半を運ぶカイバル峠越えの重要な道路が通っており、イスラム過激派からISIまでのパキスタン側の人々の反米感情を煽ることは、アフガン占領を失敗に導いてしまう。今はまだパキスタン政府が親米のザルダリ政権だが、今後もっとパキスタン世論の反米感情が煽られ、イスラム主義が主導する政権転覆の動きが強くなると、ザルダリ政権が転覆され、反米イスラム主義の政府になってしまうかもしれない。そうなると米欧によるアフガン占領は、補給路を断たれて失敗が確定する。 (米露逆転のアフガニスタン

 パキスタン政府は、米国から疎遠になるほど、もう一つの同盟国である中国に接近する。パキスタン政府は、米国のCIAを追い出す一方で、1万人の中国軍を、対中国国境に近いギルギット地区に駐屯することを許可した。パキスタン政府は中国から原子炉を購入したほか、南部のアラビア海に面したグワダル港では、中国軍が使える港湾施設の建設が続いている。パキスタン政府はアフガンの安定化についても、中国に強力を要請している。 (全方位外交のアジア

 パキスタン側が嫌がることを米国がやるほど、パキスタンは米国の傘下から出て中国の傘下に移る傾向を強める。この傾向を報じたMEMRIが、米国から嫌がらせを受けているもう一つの親米国パキスタンの情報機関が運営するプロパガンダサイトだという点も興味深い。(日本の大新聞はMEMRIの分析をそのまま訳して載せたりする。正体見たりだ) (MEMRI: A Looming Superpower Clash Triggered by Pakistan

▼米国が覇権維持のため第2の911を誘発する?

 ここまで、デービス逮捕の事件を、パキスタン辺境でのCIAによる空爆と関連づけて考えてきたが、デービスの事件に関連して出てきた話はこの関連だけではない。

 ロシアの諜報機関(SVR)によると、ISIがデービスの所持品を捜索したところ、CIAの厳秘の機密文書が発見された。そこには、デービスが所属するTF373の任務として、アフガンやパキスタンのイスラム過激派を通じてアルカイダに核兵器の材料となる核分裂物質や生物化学兵器の材料をわたし、米国に対して大量破壊兵器によるテロを起こさせる計画が書いてあったという。露諜報機関によると、米欧の経済覇権は数カ月内にも崩壊しそうな危機的な状況にあるが、米当局は、アルカイダに「第2の911事件」的な対米大規模テロを起こさせ、それを機に米国は世界規模の戦争を起こし、テロ戦争の体制を再強化して危機を乗り越え、世界に対する米国の覇権を維持する目的だという。 ("CIA spy" Davis was giving nuclear bomb material to Al-Qaeda, says report

 このCIA機密文書についての情報には、うさんくさいところがある。一つはCIAが、パキスタンのISIと仲が悪いと知りながら、ISIが機密文書を没収しにくるかもしれないパキスタンのデービスの居宅などに、厳秘の機密文書を置くことを許すとは考えにくいことだ。CIAが、現場責任者のデービスに口頭で作戦の真意を伝えることはあっても、それを書いた文書をISIが押収可能な状態でデービスに保管させるとは思えない。

 また、米国の自作自演のテロを世界覇権と結びつけて考える思考様式は、CIAでなくロシア中枢のにおいがする。ロシア中枢は、自国に対する包囲網を意味する米国の覇権の状況について敏感だ。対照的に、CIAは「自国の覇権の維持」ではなく「自国に対する脅威との対峙」の視点で戦略を練る傾向が強い。「覇権を維持するためにアルカイダにもう一度テロをさせる」というのは、少なくともCIAの機密文書にもともと書いてあったことではなく「アルカイダにもう一度テロをさせる」という機密文書の内容を聞いてロシア当局が考えた解説や意味づけだろう。

 米国債やドルの現状を見ると、数カ月内に米国の経済覇権が崩壊するかもしれないという指摘自体は当を得たものだ。米金融市場では、地方財政の行き詰まりによって地方債が崩壊寸前で、米国債も連銀のドル過剰発行による買い支え(QE2)で価値を何とか保っているだけで、6月にQE2が終わったら危険な状態になる。

 しかし「第2の911事件」を自作自演的に起こしてテロ戦争の体制を再強化しても、短期的なドル防衛策になるかもしれないが、長期的に米国の経済覇権の崩壊を防ぐことはできない。テロ戦争の再強化は、必然的に米国の軍事予算の増加に拍車をかけ、最終的な米国の財政破綻をいっそうひどいものにするだけだ。米当局が第2の911事件を画策しているとしたら、その目的は長期的な覇権の維持でなく、米政界で強まる財政緊縮の要求をはねのけて国防総省(軍産複合体)が予算増を続けることだろう。01年の911事件も、軍産複合体の予算獲得のために発生が誘発ないし黙認された可能性がある。 (テロの進行を防がなかった米軍

 CIAなど米当局は、以前からISIなどパキスタン当局に圧力をかけたり、CIAの要員をISIに潜り込ませたりして、パキスタンの核兵器の開発や配備の状況を把握しようと試みてきた。米政府は、パキスタンの辺境地域を空爆してパキスタンの不安定化を扇動しておいて、その一方で「パキスタンは不安定化しているので、核兵器がアルカイダ(イスラム過激派)の手にわたる心配がある。パキスタンの核は米当局が管理した方が安全だ」と言っていた。 (Pakistan's intelligence ready to split with CIA

 CIAが国際闇市場で核物質や生物化学兵器の材料を入手し、それをアルカイダにわたすのは大変だが、パキスタンの核兵器を米当局が管理している間にアルカイダに流出してしまったことにするのは比較的やりやすい。しかしこの作戦は、ISIが警戒して核情報を米国にわたさず、失敗した。

▼アルカイダをパキスタンに呼び集める米当局

 米当局は、世界からパキスタンにアルカイダを呼び集めることもやっている。最近の5カ月間、パキスタン政府は米政府からの要請を受け、米国や英国、UAEのパキスタン大使館において、合計約5000人の「米政府の係官」に対し、通常よりも甘い審査でパキスタン入国のビザを発給した。その中の一人が今回捕まったデービスである。彼は偽名を使ってパキスタンの入国ビザを取得した。5000人の多くは、本物の米政府の係官ではなく、米政府が自国の係官を詐称させたテロ扇動のプロ、つまり米当局が育成してきたアルカイダ系の人々であると思われる。デービスの事件後、ISIはこの5000人の身元を急いで調査している。 (Pakistan's intelligence ready to split with CIA

 この話は、911事件の前にサウジアラビアやUAEの米国大使館が、氏素性のはっきりしない地元の無数の若者たちに対し、ほとんど審査をせずに米国のビザを発給し、彼らの多くは米当局が米国に誘い入れたアルカイダの要員だったという話を思い起こさせる。911前の米国ビザの大量発給が、アルカイダを米国に結集させる行為だったのに対し、今回のパキスタンのビザの大量発給は、アルカイダをパキスタンに結集させる行為だ。

 それを考えると、CIAなど米当局がパキスタンでやっていることは「アルカイダに対米テロを再発させる」というよりも「アルカイダにパキスタン政府を転覆させる」という策略につながる。アルカイダ(現実的にはパキスタンのイスラム過激派の諸勢力)にパキスタンの政権を乗っ取らせ、パキスタンの核兵器を彼らの所有にしてやれば「第2の911事件」を起こさなくても、米国が核保有国であるパキスタンと敵対する構図になり、軍産複合体は新たな脅威を得て軍事費の急増を勝ち取れる。

 デービスの事件をめぐっては、ISIがデービスの所持品の中から見つけた、米国がアルカイダに核兵器をわたして対米テロをさせるという計画の機密文書は、CIAがISIに没収させる目的で置いたニセ情報ではないかという見方もある。この文書を見つけたパキスタン政府は、CIAや米当局に対する不信感を募らせ、米国の代わりに中国に接近した。CIAが意図的に文書を放置したのなら、その意図はかなり「隠れ多極主義」的だ。 (Raymond was `giving N-material to terrorists'

 ISIはCIAと縁を切ると言っているが、両者の関係は相互に入り組んでおり、簡単に縁が切れるものではない。ISIもCIAも、もともと英国のMI6が作った諜報機関であり、別々の諜報機関ではないという考え方もできる。縁を切る前に相手を潰そうとする兄弟殺し的な暗闘が展開されるだろう。ISIとCIAはともにアルカイダを作った仲であり、アルカイダの親玉内部の分裂でもある。

 CIAやISIは諜報戦争をやっている。諜報戦の参加者の多くは、敵味方の関係や作戦の意味、誰が首謀者かといったことをあいまいにしたり、意図的に間違った情報をマスコミやネット上に流す攪乱作戦をやっている。欧米では、攪乱情報を真に受けて大騒ぎするマスコミの中にも諜報関係者がたくさんいる。今回のデービスをめぐる事件も諜報戦争なので、分析の根幹をなす部分すら間違った情報であるかもしれず、分析の全体が不可避的にあやふやになる。半面、米国や日本で「テロ分析の専門家」と言われる人の多くは、諜報機関の下請けのような人々だから、彼らの確証的に言う分析の多くはプロパガンダでしかない。

 諜報機関の言動を深く分析しようとすると必然的にあいまいになり、分析の結果は世の中の常識と離れたものになり「陰謀論」のレッテルを貼られがちだ。しかし、今の世界を分析する際に「911はなぜ起きたか」「米国はなぜイラクに侵攻したか」といった考察が不可避で、それらは米英イスラエルやパキスタンなどの諜報機関の言動に関する分析が必須だ。国際政治の分析で最も重要なのは覇権分析だが、諜報機関の活動は、覇権の維持や転換と大いに関係している。

 実際に間もなく「第2の911事件」が誘発される可能性はそれほど高くなさそうで、今回の件はむしろアルカイダにパキスタンを転覆させるCIAの策略という感じだ。だが諜報機関についての分析において、今回のデービスの事件は、いろいろ興味深い材料を提供している。その意味で今回の記事を書いた。



この記事を音声化したものがこちらから聞けます



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ