劉暁波ノーベル授賞と中国政治改革のゆくえ2010年10月16日 田中 宇この記事は「世界システムの転換と中国」の続きです。 10月8日、ノーベル平和賞が、中国の反体制活動家の劉暁波氏に授与されることになった。この件を知って私がまず思ったことは、タイミングの悪さだ。劉暁波は08年末、共産党の一党独裁をやめて多党制に移行すべきだと主張する「08憲章」の立案を主導したため中国政府に逮捕されて有罪になった。今回のノーベル平和賞は、08憲章に代表される劉の中国民主化をめざす運動に対して与えられている。 08憲章の発表後、劉に対する授賞は昨年も取り沙汰された。だが結局、オバマ米大統領が授賞している。劉への授賞が今年でなく昨年だったら、授賞による影響は、欧米(特に米英中心主義の勢力)にとって、まだましなものになったかもしれない。中国は当時まだ、国際社会における政治力が今より弱く、欧米に反撃するより低姿勢でやりすごそうとする傾向が強かった。 しかしここ1年、中国の国際政治力は急拡大した。ドルの崩壊感が強まる中、中国の出方が国際基軸通貨制度の今後を決定する事態となっている。人民元が対ドル為替の切り上げを決めたら、ドルの崩壊感が強まるだろう。欧米の対イラン制裁は中国の協力なしには進まないし、北朝鮮も中国の傘下に入った。 (Currency wars are necessary if all else fails) 中国は今のところ、米英中心の世界体制を積極的に壊そうとしていない。だが、劉暁波へのノーベル授賞は中国政府の面子を真正面から潰すものだ。中国は、自国の外貨備蓄に損失が出ても、ドルを崩壊させて米国の覇権を潰した方が自国の国益にかなうと考える傾向を強めていきそうだ。中国は目立たないやり方で外交的な策略をやる。中国政府が希土類の対日輸出を止めていないと言っているのに、対日輸出が止まっているのが象徴的だ。中国は米国に対し、目立たない形で報復を強めるだろう。 ▼中国が米国を押し倒せる状況下で屈辱を与える 11月からG20の議長国となるフランスのサルコジ大統領は、中国に対し、EUと中国が組み、IMFのSDR(特別引出権)を活用してドルに代わる基軸通貨体制を作ろうと提案している。 (France woos China over currency talks) 米連銀が、ドルや米国債の過剰発行に拍車をかける量的緩和を11月から再開する見通しが強まり、ドルは自滅の道に入っている。米連銀では、インフレの目標値を従来の2%から4%に引き上げる構想まで取り沙汰されている。人為的にインフレを作り出すことによって、リーマンショック後に増えている米国民の預金を吐き出させ、消費に回させて経済をテコ入れしようという政策らしいが、これは米国が世界の投資家に「どうかドルを見捨ててくださいね」と言って回っているようなものだ。日本など対米従属諸国がいくらドル高誘導の為替介入をやっても、うまくいくはずがない。 (Downside Risk For Stocks Is Nearing Its Highest Level In A Year) このような状況下で、米国は中国の面子を潰す劉暁波へのノーベル授賞を演出し、EUは中国に「ドル(米国覇権)を見捨てて新しい国際基軸通貨制度を作りましょうよ」と誘っている。米国は、劉暁波へのノーベル授賞によって、中国を怒らせ、米国覇権を壊そうという気にさせ、それと同期してドルを弱い立場に置いて中国が少し押すだけでドルが崩壊する状態にして、米英覇権を壊し、世界を多極化しようとしているように感じられる。 自分の国の監獄に入れられている人にノーベル平和賞が与えられたのは、今回で史上3人目だ。劉暁波より前の2人は、ドイツのナチス政権に反対して投獄され、1935年に受賞した政治活動家のカール・フォン・オシエツキーと、1991年に受賞したミャンマーの野党政治家アウンサン・スー・チーである。つまりノーベル賞委員会は中国に「おまえらは、ナチスやミャンマーのような極悪と一緒だよ」と宣言したのである。これは「悪の枢軸」に入れられたようなもので、自国が米国と並ぶ大国であると認識し始めている中国の上層部にとって、大きな屈辱だ。中国敵視が多い台湾独立派の新聞タイペイタイムスでさえ「中国をはずかしめるべきでない」という趣旨の記事を出した。 (EDITORIAL : Reforming, not shaming China) 対照的に米国勢は、中国に「ざまあみろ」を連発している。中国人がノーベル賞をとったのは、全部門を通じて今回が初めてだ。ウォールストリート・ジャーナルは「大国ぶりたい中国は、ノーベル賞を一つもとれないのでイライラしていたが、今回ようやく受賞することができた」と、中国を冷やかす記事を出している。 (Peace Prize to Liu Xiaobo will one day be a source of national pride) ノーベル平和賞は昔から政治的な存在だ。反ナチス運動家への1935年の授賞は、第一次大戦の破壊から立ち直って再台頭しそうなドイツを悪者に転じさせる英国の謀略だったと考えられる。逆に1940年代には、英国に楯突いてインドの独立運動を率いたマハトマ・ガンジーが5回もノーベル平和賞の候補となり、英国がノーベル委員会などに圧力をかけまくって5回とも阻止している。昔からノーベル平和賞をめぐって、英国覇権(今の米英覇権)を維持しようとする勢力と、それを崩壊させて途上諸国を台頭させようとする多極化勢力との暗闘があったようだ。 (Nobel Committee faces down the dragon) ▼善悪を装った国際政治の戦い 「中国は、一党独裁体制をとって言論の自由を封殺する極悪非道なことをしている。劉暁波のノーベル受賞に怒る中国の方が間違っている」という考え方が、日米のマスコミなどにあふれている。近代欧米の「善悪」観で二元論的に言うと、たしかに中国は「悪」だ。また中国共産党の幹部の中には私腹を肥やすことを最優先にしている連中が多く、彼らの存在は「悪」そのものである。 しかし現実を広く見ると、中国が独裁なのは、政治の自由化を慎重にやらないと自由化が国家分裂につながりかねないからだ。そして、米英や日本には、口では中国を良い国にするためにと言いつつ、実は中国を国家分裂させて弱体化したいという隠れた意図を持って、中国に民主化を求める勢力がいる。 台頭する中国の近傍で脅威を感じる日本の上層部が「中国は崩壊した方が良い」と思って劉暁波の受賞に喝采したり、万歳三唱的な号外を配ったりしたのは当然だ。しかし同時に、中国側が「欧米日が中国の民主化を求めるのは、中国を崩壊させたいからだ」と思うのも当然だ。これは「善悪」を装った国際政治の戦いである。 劉暁波らが構想した08憲章は、中国を共産党独裁から多党制の民主主義に転換するとともに、今は共産党の軍隊となっている人民解放軍を国家の軍隊に衣替えし、チベットやウイグルなどに大幅な自治ないし独立を容認して中国を連邦制に転換することを主張している。今もし中国がこれらの転換を実施したら、ここぞとばかりに米英の軍産複合体が中国内部やチベットなどに諜報的な策略をしかけ、政治的分裂や国家崩壊を誘発するだろう。中国が崩壊したら、世界の多極化を阻止でき、軍産英複合体が支配する米英覇権体制を維持できるからだ。 (08憲章 = 中華連邦共和国憲法要綱) 日本は、中国より国土がずっと小さく、しかも江戸時代に260年間の幕藩体制が維持されたため、全国的な国家制度や、国民的な統合の前段階としての人々の均一性が、明治以前にある程度醸成されていた。だから日本は、明治維新後すぐに富国強兵政策をやれたし、短期間に民主主義を導入できた。日本は、政治体制が安定しているので、言論統制や世論誘導の仕掛けも入念に作れ、隠然とやるだけで大きな効果がある(日本人はもっと徳川家康に感謝すべき。右翼は、靖国より日光や静岡に行くべきだ)。 日本と対照的に中国は、国土が広大で地域間の差違が大きく、強権を使わないと国家の統一を維持できない。地方勢力は、常に中央に対して面従腹背だ。中国が弱体化すると、チベットやウイグル、台湾などは、分離独立した状態で安定しうるが、中国中心部の漢民族の地域は、分割されると相互に統一欲を持って内戦になりかねない。漢民族全体のアイデンティティがあるので、地域ごとに分裂しようとする政治力学と、漢民族全体を統合しようとする政治力学の両方が存在するからだ。中国は、少なくとも漢民族の地域が統一国家になっていないと安定した国家になれない。そのため、強い中央集権が必要となる。 日本の260年間の幕藩体制のように安定した国家統合状態が長く続けば、中国でも強権は必要なくなり、民主主義が導入しやすくなるが、中国でその手の安定が得られたのはトウ小平の改革開放以来の30年であり、しかもその間にも天安門事件の政治反乱があり、政治の自由化を進めにくい状況だった。 劉暁波は天安門事件の時、学生と政府との交渉を主導した学生側の一人だった。経済自由化が10年間行われた後の1989年に起きた天安門事件は、自由化の過程で経済を私物化した共産党の役人たちの腐敗に人々が怒り、その怒りを学生が集約して運動にすることで発生した。劉暁波らが08憲章で、共産党独裁をやめて多党制に移行すべきだと主張したのは、共産党独裁をやめない限り中国の役人腐敗はなくならないと考えた結果だろう。しかし、共産党独裁をやめて多党制にしたら、本当に腐敗がなくなるかどうか、やってみたことがないので誰にもわからない。自由な政党政治を許すと、地方ごとに地縁血縁を重視する政党ができ、地方豪族的な勢力が群雄割拠し、アフガニスタン的になってむしろ腐敗がひどくなる感じもする。 近代の中国で大きな勢力は共産党と国民党(現台湾政府)だが、いずれも党が政府や軍隊を支配し「国家」という容器の中に「党」という容器が入っている重箱型の権力構造だ。共産党も国民党も社会主義政党である。アヘン戦争以来100年続いた混乱期に、多様で分裂し、貧農が圧倒的多数だった中国を手っ取り早く国家統一するには、秘密結社の党が独裁的に国家を支配する二重構造がやりやすかった。 世界の多くの国が、国民を国家に統合するための独自の仕組みを持っている。社会主義とか立憲君主制などである。日本は天皇制を持っている。それら各国の仕組みを破壊しようとする者は、直接的・間接的に攻撃される。日本で天皇制打倒を主張する言論家にノーベル平和賞が与えられることになったら、日本の世論やマスコミはどう反応するだろうか。マスコミはできるだけ報道せず、野党は「ノルウェーと国交を断絶しろ」と叫ぶかもしれない。こうした反応を中国流に変換したものが、劉暁波の授賞に対する中国の反応である。現実には、日本が米英に忠誠を誓う限り、天皇制打倒論者にノーベル平和賞が与えられることはない。 劉暁波らの08憲章は、もはや中国も経済成長を経て豊かになり、人々の生活も安定して分別がついてきたので、そろそろ二重構造を卒業して、国家と国民が直結する国民国家制度に転換しても大丈夫だという提案と考えられる。たしかに、中国はそろそろ国民国家体制に転換できるかもしれない(権力にしがみつき、多党制への転換に反対する意見が共産党の上層部に多いので、多党化は難しい)。しかしその前に、すきあらば中国を潰そうとする米英中心主義の勢力(軍産英複合体)がドル崩壊などによって弱まり、覇権の多極化がある程度進まないと、民主化は途中で大混乱に陥って失敗する。劉暁波らの08憲章は、中国民主化の前に世界多極化が必要だという現実的な順番と関係なく発表されている。 劉暁波は、中国の民主化は急いで進めると失敗するのでゆっくり進めるべきと主張してきた。中国と世界の変化の現実に合わせてゆっくり進めるなら、多極化の進展と中国の民主化の速度が合致するかもしれない。米国などに亡命した中国人民主活動家の中には、民主化をゆっくりやるべきだという劉暁波を批判する者が多い。亡命人士の中には、軍産複合体系の研究機関などから活動資金をもらっている者が多い。そのような傀儡系の人々が、性急な中国の民主化を求め、劉暁波を批判している。 (Liu Xiaobo points way to gradual PRC reform) 劉暁波は、共産党当局に危険人物と見なされた後、海外(豪州)に短期留学を許されている。その時に劉暁波が亡命申請すれば、当局は彼をやっかい払いできた。だが劉暁波は、外国の傀儡になりたくないので中国に帰るといって帰国し、中国国内で獄中や当局監視下の生活を送る道を選んだ。劉暁波は、傀儡群と一線を画す生き方をしてきたわけだが、共産党独裁をやめるべきだと主張する彼の思想は、中国を崩壊させようとする欧米の勢力の道具に使われやすい。今回のノーベル授賞もその一つだ。 (Beijing should let sleeping Nobel dogs lie) ▼党内で政治改革を提唱する温家宝との対比 劉暁波の政治運動は、共産党の外部(党外)で行われている。劉暁波は、中国を多党制に転換していくために、自分が党外で言論活動をする必要があると考えているようだ。中国国内には、党の了解を得ないで言論活動できる場所がほとんどない。劉暁波は、香港や在外のメディアやネット上で言論活動をしてきた。 とはいえ、中国の役人の腐敗を減らしたり、言論統制を緩和しようとする動きは、党外だけで行われているわけではない。今年に入って、党中枢でも新たな動きが起きている。それは、温家宝首相の言動である。温家宝は、今年2月の旧正月の演説で「中国共産党は、人々が尊厳と安心感のある生活をできるよう努力する」という趣旨のことを述べ、その後、演説や発言の中で何度も同様のことを言い続けている。人々の「尊厳を守る」というのは「人権を守る」というのと同義だ。中国内外の政治ウォッチャーの多くが、温家宝の発言に驚いた。 (Wen pursues the right to dignity) 温家宝は、胡耀邦の命日である今年4月15日、胡耀邦を絶賛する社説を人民日報に載せた。胡耀邦は、1970年代までトウ小平と一緒に失脚した後に復活し、党主席にまでなった。だが、経済だけでなく政治も自由化した方が良いと考え、学生らによる民主化運動に理解を示したため、87年にトウ小平によって辞任させられ、89年に死去した。彼の死去がきっかけで天安門事件が起きた。事件後、胡耀邦の名前は中国のマスコミで禁句となり、ネット掲示板で胡耀邦と書くと自動的に伏せ字に変換される状態だった。それだけに、温家宝が胡耀邦を礼賛する社説を人民日報に載せたことに多くの人が驚いた。 (What's going on with Wen Jiabao?) 温家宝の社説「再回興義憶耀邦」は、かつて温家宝が胡耀邦に従って視察した貴州省の貧困地域である興義を再訪し、立派に発展した興義に驚きつつ胡耀邦を追憶し礼賛する、詩的な文章だ。1986年に胡耀邦が貧しい農民の生活状況を知るために興義を視察した際、地元の役人たちが北京の幹部に悪い現実を隠蔽するため事前に準備した演出にだまされないようにしていたことなどを書き、高熱を発しても視察を続けた胡耀邦こそ本当に人民のことを考えていた指導者だったと礼賛している。これは、共産党の地方役人の腐敗に対する批判であるとともに、胡耀邦を失脚させた北京の保守派に対する批判とも受け取れる。 (Wen Jiabao: "Returning to Xingyi, Remembering Hu Yaobang") (温家宝在人民日報発表文章記念胡耀邦) 温家宝は、1919年の五・四運動を記念する今年5月4日、北京大学に行って学生らと「民主主義の精神」をテーマに討論会を開いた。五・四運動のスローガンの一つが「民主主義」だったのは史実だが、それが今の中国の公式な討論会で議題になるのは異例だった。しかも温家宝は議論の中で「討論会に参加しているのは学生のリーダーたちだ。大学側は、事前に議論で誰が何を言うか精査し、それ以外の発言が出ないようにした。こういうやり方は、私は嫌いだ」という趣旨の発言をし、北京大学の学長を批判した。北京大学長に対する温家宝の批判は、かつて胡耀邦が地方視察の際、地方幹部が人々の生活苦を隠蔽する演出をする裏をかいたという、温家宝の人民日報社説につながる。共産党内に、人々の苦境を上層部に伝えないようにする体質があることを、温家宝は批判した。 (Opinion divided on Wen's talk of justice and democracy) その後、温家宝は8月21日、香港に隣接する深センに行き、深センが経済特区になって30周年を記念する演説をした。温家宝はその中で「経済改革だけやって政治改革を進めないと、経済改革も進まなくなる。権力が(共産党に)過度に集中しているため腐敗が起きており、この問題を解決する必要がある。人々が政府を監視したり批判したりできるようにせねばならない」と述べた。 (Political Reform: An Impossible Mission for the Present China) (温家宝:政経改革停滞倒退是死路一条) 深センでは2005年から、地元マスコミが報道を通じて政府を監視することを奨励したり、結社の自由の手始めとして慈善団体などの結成を認めるなど、北京政府の肝いりで、政治改革の試みが行われてきた。市政府が、いったん決めた方針を後で取り消し、市民の怒りを買うなど、試行錯誤を続けつつ、北京政府は、かつて経済自由化の実験場だった深センに、政治自由化の実験をさせていた。 (Shenzhen raises iron fist to protests) その深センで8月21日に温家宝が放った前述の演説は、政治改革の必要性を明確に指摘する、画期的な内容だった。温家宝は演説で「(欧米式でなく)中国式の民主化を進めねばならない。社会主義体制を自浄的に改善していく政治システムの構築が必要だ」とも述べ、共産党の一党独裁体制を維持しつつ政治改革を進める方針を示した。ノーベル授賞した劉暁波が「一党独裁の体制を壊さないと、中国の政治は良くならない」と考えたのと対照的に、温家宝は「一党独裁を維持しつつ、中国の政治を良くする」と提唱した。 (Political stasis is China's Achilles heel) 中国のマスコミは、8月21日の温家宝の深セン演説について、ほとんど報じなかった。中国では、首相の言論の自由すら制限されていた。温家宝は、欧米流の民主化を敵視する党内保守派に気を使って「中国式の政治改革」を説いたが、それでも党上層部全体の同意を得られなかった。「中国では、首相より共産党宣伝部の方が、はるかに権力を持っている」と、米国の新聞から揶揄された。 10月15日から共産党の中央委員会が開かれるのに合わせ、10月に入って、政治改革の要求が党内から出てきた。温家宝は10月3日、CNNのインタビューで「私を含むすべての中国人は、民主主義や自由を抑えがたいほど強く求めている。中国は、ゆっくりだが持続的に(政治改革を)前進させていくだろう」と述べた。 (China to carry out political reforms within Constitution: Wen) 10月8日の劉暁波ノーベル授賞の発表をはさんで、10月13日には、すでに定年した人民日報と新華社の元編集局長ら、リベラル派の高齢の共産党幹部23人が、党中央に対し、言論の自由を認めていくことを求めた公開書簡を発表した。これは劉暁波授賞の影響を受けて発表されたかのように報じられているが、この書簡が作成署名されたのは10月1日で、劉暁波授賞より前だ。むしろ、今春来の温家宝の政治改革提案を支持する党内リベラル派が、10月15日の党中央委員会に合わせて発表した感じだ。23人は以前から政治改革を求めており、高齢であるがゆえに処罰されず黙認されてきた。党中央が黙認するぐらいだから、書簡の影響力は弱いと考えられている。 (Chinese Elders Blast Censorship) 胡錦涛政権の任期は2012年までで、その後は習近平が主席になって政権をとると予測されている。胡錦涛政権は慎重さを優先する傾向が強い上、天安門事件後の政争を生き抜いた世代なので政治改革に消極的で、しかも任期があと2年しかない。その間に政治改革を大胆に進めるとは考えにくい。今年に入って温家宝が政治改革についてさかんに語ったのは、現政権での改革を企てたものではなく、12年に次政権ができるときに政治リベラル派を多く政権中枢に送り込み、習近平の政権下で政治改革を進めていこうとするリベラル派の長期戦略と考えられる。 (China's Democratic Conversation) 今年、首相の温家宝が政治改革の提案を連発したのに対し、上司にあたる主席の胡錦涛は沈黙している。これは、胡錦涛が、温家宝らリベラル派を支持していないことを示すと解説する分析者もいるが、胡錦涛もまた胡耀邦に育てられた指導者で、05年ごろには、今年の温家宝がやったような、胡耀邦を礼賛するそぶりを何度も見せていた。私はむしろ、胡錦涛と温家宝は役割分担をしており、温家宝がリスクをとって政治改革を提唱する一方で、胡錦涛は温家宝が保守派との政争に敗れて権力を喪失した場合、その後も権力を維持し、次世代の政争に備える役割だと考える。上司の黙認のもと、部下がリスクをとることで、上司に傷がつかないようにしているとも言える。これは、北朝鮮で、張成沢が経済改革を提唱しつつ権力を拡大した一方、金正日はそれを黙認しつつ保守派で反改革派の軍を支持し続けているのと同様の権力構造である。 中国共産党内では、政治改革をめぐる政治闘争が続いている。8月には軍のリベラル派将校が「今年中に政治改革を始めざるを得ないだろう」と発言している。そんな闘争下で発表された劉暁波に対するノーベル授賞は、党内保守派に「政治改革は共産党体制を維持しつつやったとしても、中国を崩壊させようとする欧米勢力に付け入るすきを与え、中国にとってマイナスだ」という反論を強めさせることにつながりかねない。政治改革をめぐる党内闘争がこうじると、89年の天安門事件の再来にもなりかねない。 (General and scholar test reform waters) これらの困難さはありつつも、2012年ぐらいまでには米英覇権の失墜が今よりもっと進み、中国が政治改革を進めても、米英に付け入られない状況になる可能性が高い。中国が政治改革を成功させると、中国は今よりさらに強化される。日本では「政治改革を進めたら中国は混乱し、崩壊する。だから中国に民主化を求めて圧力をかけ続けるのがよい」と楽観視する傾向が強いが、米英覇権が衰退する一方で、中国が政治改革を成功させたら、対米従属一辺倒の日本は、今よりさらに困った立場に追い込まれる。日本は、米英覇権の行方とともに、中国の動向をよく観察し、早めに対策を立てた方がよい。少なくとも、小沢一郎の復権が必要だろう。
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