影の銀行システムの行方2010年7月19日 田中 宇2007年夏以来の米国発の国際金融危機の元凶の一つは「影の銀行システム」(shadow banking system)である。経済の金融部門の全体である銀行システム(金融システム)のうち、人々や企業から預金を集めて人々や企業に融資する既存の銀行業務を中心とする、米連銀など当局の監督を受ける部分が、伝統的な銀行システムであり、それ以外の部分が影の銀行システムである。影のシステムは投資銀行など銀行界によって作られたが、銀行は帳簿外に勘定を作って当局の監督を逃れていた。 08年秋のリーマンショックの直後に報じられたところでは、米国では「伝統」と「影」の銀行システムがそれぞれ11兆ドル前後で拮抗していた。影のシステムは1985年の金融自由化以後に拡大し、特に90年代末以後、不動産担保ローンを債券化して投資家に売るCDO(債務担保証券)などの発行が急増した。影の銀行システムでは、リスクが高いローン債権を、束ねて保険(CDS)をかけることで、リスクのないトリプルA格の優良商品として売っていたが、07年夏からの住宅バブル崩壊でCDSに制度的な保険金の裏づけがないことが発覚し、影のシステム全体が信用不安となって金融危機が発生した。 (Brokers threatened by run on shadow bank system) (リーマンの破綻、米金融の崩壊) 影のシステムには当局の監督がないため、高リスク商品を低リスクのように見せかけて売ることがまかり通っていた。金融危機後、米国の政府や議会の対策は、影のシステムの勘定を銀行の帳簿上に移させ、当局の監督下に置いて、影のシステムを伝統システムに統合することだった。影のシステムの金融商品の多くは「伝統化」して当局の監督下で再評価すると価値が急減するので、影のシステムを伝統化によって大幅な総価値の縮小が予想された。 (A Map of Our Ridiculously Complex `Shadow Banking System') しかし実際には、影のシステムから伝統システムへの資金の移動は、あまり起きなかった。7月14日にニューヨーク連銀が発表した影の銀行システムについての調査報告書によると、08年3月の絶頂期に、米国の影のシステムの総額は、これまで概算されていた11兆ドルではなく20兆ドルだった。その後、影のシステムは縮小し、今年初めには16兆ドルまで減り、その間に伝統的銀行システムは11兆ドルから13兆ドルまで増えたが、いまだに16:13で影のシステムの方が伝統システムより巨額である。(世界規模で見ると、伝統分野では米国は世界の銀行資産総額30兆-40兆ドルの3分の1以上を占める一方、世界の影のシステムの残高のほとんどは米国にあると考えられる) (Staff Reports - Shadow Banking 5ページ(pdf全体の12ページ)に、影の銀行システム総額の推移グラフがある) (Shadow Banking Is Still Bigger Than Traditional Banking) ▼影のシステムは必要悪 影の銀行システムは、現在の米国の「経済回復」にとって非常に重要な存在だ。米国では失業率が下がらず(統計操作を除いた実質的な失業率は20%前後と分析されている)、米国の消費者の大半を占める中産階級が、階級ごと消えて貧困層に転落しつつあると指摘されている。銀行の資産担保の最重要部分を占める不動産の価格の下落傾向も続いている。そんな中で、株価など金融相場のみが上昇してきたが、上昇の最大の原動力は、影の銀行システムで調達された資金の流入である。今年3月に米当局が景気てこ入れ策を縮小した後、市場は影のシステムからの資金に頼る傾向が強まっている。今後、影の銀行システムの縮小が続くと、いずれ米国の金融市場も縮小(相場下落)する。 (The U.S. Middle Class Is Being Wiped Out: Here's the Stats to Prove It) NY連銀の報告書は、08年の絶頂期の影のシステムの総額を既存の概算値の11兆ドルではなく、20兆ドルと概算している。だが、報告書は概算の根拠を示していない。連銀は、07年の金融危機に至る過程で、米経済の成長を維持するため、影のシステムの急拡張を黙認した過去がある。危機後の今も、影のシステムを縮小したいと言いつつ、実は影のシステムに頼って米経済を維持している。このような背景を考えると、連銀は、意図的に絶頂期の影のシステム総額を高く見積もり、あたかも連銀など米当局が影のシステムの縮小を少しは実現しているようなグラフを描いた疑いがある。(見積もりに歪曲がないとしても、影11兆:伝統11兆という08年当時の概算値が、影16兆:伝統13兆という今の概算値へと推移したのだから、影のシステムの割合を減らせていないことには変わりないが) (Shadow banking system From Wikipedia) 米当局は99年、投資銀行だけでなく商業銀行も影の金融システムの事業(債券化)を手がけてよい金融規制緩和を実施し、影のシステムの急拡大はその後で起きている。99年は、アジア通貨危機に始まる国際金融危機が米国に波及し、米国の株価が上昇から下落に転じた時期であり、この時に影のシステムの規制を緩和したことが、その後の米経済を延命させた。影のシステムの急拡大がなければ、米経済は00年のIT株バブル崩壊後に不況入りしていた可能性が高い。ITバブル崩壊後、影のシステムの急拡大によって金融相場が維持され、企業倒産の増加が防止され(倒産寸前の企業でもジャンク債を発行して資金調達できる)、カードや住宅のローンが拡大して消費も保たれていた(当時は今と同様、金融トリック主導の「雇用なき経済回復」だった)。 金融危機後、米当局は、連銀の簿外の不良債権買い取りも含めると3兆-5兆ドルの金融救済策を打ったが、この多くは、投資銀行が持つ債券化商品の不良債権を買い取ることを通じ、影のシステムの救済に回されたと考えられる。最近の米国では、商業不動産の相場下落を食い止めるため、商業不動産を担保としたローンの債務者が返済不能になっても不良債権の烙印を押さず、救済的な追加融資をするケースが増えているが、銀行界はこの資金も影のシステムで調達されていると考えられる。こうした救済は不健全だが、救済をしなければ銀行自体が不良債権の急増で潰れ、もっとひどいことになる。影のシステムはこの10年間、米経済にとって「必要悪」になっている。 (To Fix Sour Property Deals, Lenders 'Extend and Pretend') ▼影のシステム維持をめぐる米政権と金融界の戦い オバマ政権は、大統領経済顧問のポール・ボルカーを筆頭に、影の銀行システムを、当局の監督外のところで高リスクの行為を続ける不健全な分野とみなし、影のシステムを伝統システムに組み入れて消滅させることを目指している。7月15日、米議会で可決された金融改革法も、その方針を掲げている。金融改革法をめぐっては、影のシステムに対する規制強化を目指すボルカーら当局者と、法案に抜け穴を多く作ってそれを防ぎたい金融界が争い、結局は抜け穴の多い法律になったと指摘されている。その後、NY連銀が影のシステムについての報告書を発表した。また、米証券取引委員会(SEC)が今年4月にゴールドマンサックス(GS)を相手に起こした濡れ衣的な訴訟も7月15日に和解している。これらは時期的に見て、金融改革法の成立と関係がありそうだ。 (Goldman Sachs settles with SEC) (ゴールドマンサックス提訴の破壊力) ボルカーと金融界の暗闘は、どちらが勝っているのかわからない。金融改革法が抜け穴だらけなので、ボルカーは怒っているという。これが本当なら、金融界が勝っていることになる。改革法は評価が下せないほど複雑だ。その一方で、SECがGSと和解したことからは、すでに米当局が優勢になっている感じもある(和解金は過去最高の5・5億ドルだが、GSにとって大した額ではない)。 (The financial reform bill that couldn't) (Volcker Said to Be Disappointed With Final Version of His Rule) 金融政策をめぐる暗闘の行方は不透明だが、影の金融システムの立役者であるJPモルガン・チェースは7月15日、米株価の上昇は4-6月期で終わったようだとする見方を発表している。7月に入り、何人もの分析者が、株価は近いうちに下落に転じるという予測を発表している。株価が下落するとしたら、その最大の要因は、影のシステムの機能が衰えていることである。 (JPMorgan signals end of Wall St rebound) (MSNBC's Ratigan: Stock market an `obviously corrupt' fraud) (The U.S. Economy is Falling. Towards another Credit Collapse?) 影のシステムは、ジャンクの価値しかない債権にお手盛りでトリプルA格をつけて売るという事実上の詐欺商法であり、そんなものが銀行融資総額より巨額の残高を持っていることは、確かに不健全である。しかし、オバマ政権が影のシステムを潰すことは、米国の経済的な自滅を意味する。また、すでに影のシステムの商品は、伝統システムの資金の大きな運用先となっており、両システムを分離して伝統システムだけ救済することは不可能だ。海外の投資家は、米国民が失業にあえいでいても、金融市場だけ成長していれば、米国に投資し、ドルや米国債を信用し続ける。しかし影のシステムが再び壊れて米金融市場が再崩壊すると、次はドルや米国債に対する国際信頼が揺らぐ。リーマンショック時には、米国にはまだ金融や景気を救済できる余裕資金があったが、今はそれも使い切っている。 ボルカーら米当局者が影のシステムに対する規制を強化すると、米経済は失速する。失速が起きるかどうかは、今秋に見えてくる。失速は不可避だと言う人がすでに多い。個人投資家に対し、株を全部売り払い、資産は現金や国債で持っておけと勧める分析者もいる。今秋、米経済の失速が顕在化し、ドルや米国債に対する国際信頼が揺らぐと、来年にかけて大きな危機がやってくる。現金や国債も安全でないという見方もできる。となれば、今はまだ影のシステムの資金によって相場が抑制されている金地金を買うぐらいしか手がない。少なくとも、株式に投資している人は、非常に大きなリスクを抱えていることを自覚すべきだろう。 (A Market Forecast That Says `Take Cover')
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