東アジア共同体と中国覇権2010年8月24日 田中 宇台湾(中華民国)とシンガポールが、自由貿易協定(FTA)の締結について協議している。シンガポールは、台湾にとって4番目に大きな輸出先(中国、米国、日本に次ぐ)であり、9番目に大きな輸入先である。しかし両国間に国交はない。台湾を自国の一部と主張する中国が、台湾との国交樹立に強く反対してきたからだ。シンガポールは華人主導の国で、他の東南アジア諸国と同様、貿易面でも中国との関係が深いので、中国に逆らって台湾を国家として認めることができない。 (Taiwan, Singapore to Discuss Trade Pact) FTAは国家間の貿易協定である。シンガポールが台湾とFTAを締結すると、台湾を国家として認めたことを意味しうる。ふつうに考えるなら、中国が猛反対してもおかしくない。台湾の側は、中国に反対されてもシンガポールとFTAを結びたいだろうが、シンガポールが中国の反対を押し切って台湾とFTAを結ぶとは考えにくい。逆にいうと、台湾とシンガポールのFTAは、中国が容認する姿勢を見せたので、交渉が開始されていると考えられる。 中国政府は、シンガポールが台湾とFTAを結ぶことについて「シンガポールは『一つの中国』の原則を支持している(FTAを結んでも、シンガポールが台湾を国家として認めたことにはならない)」として、両国のFTA締結を容認する姿勢を表明している。中国は、シンガポールとの軍事関係を強化する姿勢も打ち出しており、両国関係は悪くない。 (Taiwan begins trade talks with Singapore) (China seeks to advance military ties with Singapore) 中国と台湾は、6月末に自由貿易協定(ECFA、経済協力枠組み協定)を締結している。台湾側では、独立派だった野党の民主進歩党を中心に、貿易協定の締結によって台湾が経済的に中国に取り込まれ、脱却できなくなるとして、貿易協定の締結に反対する声が強かった。 (消えゆく中国包囲網) これに対し中国は、台湾側が喜ぶような譲歩をいくつか行って、台湾側の反対を和らげ、協定の締結にこぎつけた。その譲歩の一つが、台湾がシンガポールなどいくつかの国々とFTAを締結することを、中国が容認することだった。 (Taiwan parliament approves landmark China trade deal) 台湾は、シンガポールのほか、インドネシアやベトナムともFTAを結ぶ交渉を開始しようとしている。台湾の最終的な目標は、ASEANのすべての国々とFTAを結ぶことだ。こうした全体から読み解くと、中国は、相手をASEAN諸国に限定した上で、台湾がFTAを結ぶことを容認していることになる。 (Taiwan considers trade deals with Vietnam, Indonesia) ▼東南アジアとだけFTAを許される台湾 東南アジア(ASEANの10カ国)は、経済面主導で中国の影響圏に入る傾向を強めている。中国とASEANは、ASEAN+3(「3」は日中韓)の枠組みを通じて、為替や財政面の協調(アジアボンド、アジア共通通貨の構想)、自由貿易圏の構想などを進めている。ASEAN+3は「東アジア共同体」と同義である。ASEAN+3の中で、日本と韓国は、対米従属の国是にこだわり、今のところ東アジア共同体に積極参加する方向にないが、ASEANは中国の影響圏に入る傾向を強めている。 中国は、自国の影響圏になりつつあるASEAN諸国との間に限定して、台湾にFTA締結を容認した。このことは、世界が、米英中心の政治体制から、東アジアのASEAN+3、欧州のEUといったような、地域ごとにまとまりがある多極型の政治体制に転換しつつあることと合わせて考えると興味深い。 地域共同体の先駆例であるEUでは、EUとして統一した政策を行うため、これまで加盟各国が持っていた通貨発行、外交・安全保障、入国管理・労働・衛生などに関する国家権力が、EUに吸い上げられ、加盟各国の国家主権を制限するかたちで、超国家組織であるEUが成立している。国家の主権が制限された結果、国家政府と地方政府との権力の差が縮小している。 EUはまだ発展途上にあり、加盟各国の外交・安全保障の権限は、EU設立前と変わらず、各国が持っているが、今後は外交・安全保障の面でも統合が行われ、各国からEUに権限が吸い取られていく方向にある。通貨発行、外交・安全保障の権限が完全にEUに吸い取られると、EU加盟の「国家」と、英国(連合王国)内の自治国(準国家)であるスコットランドや、スペインの自治州であるカタルーニャなど、従来から自治権を持っていた欧州内の「地方政府」との権限の差が縮小し、国家政府と地方政府の違いが少なくなる。 こうしたEUの流れと同じことが今後、東アジア共同体(ASEAN+3)で起きるとすると、中国の「地方政府」である台湾と、東アジア共同体傘下の国家政府であるシンガポールがFTAを締結することは、東アジア共同体の内部での市場統合の一環であり、東アジア共同体の外部の国、たとえば米国が、台湾とFTAを締結することとは意味が異なるという話になる。 中国では、広東省や江蘇省などの地方政府が、個別にシンガポールなどASEAN諸国と経済関係を強化している。中国の地方政府である台湾が、シンガポールと経済関係を強化することは、中国政府にとって、それと大して変わらないことだ。中国が台湾をなだめるために、それを「FTA」という名称で呼ばせてやるというのが、今回の中国の策略だろう。 (Singapore, China's Guangdong province to enhance cooperation in healthcare services) 今はまだ世界には米英の覇権体制が存在するので、東アジア共同体の形成はほとんど具体化していないが、今夏になって欧米の多くの経済分析者が予測するようになった米英の財政破綻(ドルと米国債の崩壊)が現実に起きたら、その後は中国中心の東アジア共同体の構想が、再びASEAN+3で積極的に取り沙汰されるようになるだろう。 (Getting Ready For A dollar Collapse?) (Even Tony Robbins Is Warning That An Economic Collapse Is Coming) (U.S. Is Bankrupt and We Don't Even Know It: Laurence Kotlikoff) (Consequences of U.S. debt) 中国を脅威と感じる人々や「民主主義を愛する人々」にとって、東アジア共同体は、とんでもない話である。EUの権力は、独仏など欧州の大国群の談合体制であり、加盟各国の合議制が存在するが、中国が圧倒的な力を持っている東アジア共同体は合議制にならず、実体は「拡大中国」である。米国の覇権が後退し、東アジア共同体が具体化していくことは、中国共産党の独裁権力が東南アジアや朝鮮半島、そしておそらく日本にまで波及してくることを意味する。 東アジア共同体の構想がさかんに語られるようになった2002年ごろの段階で、日本が積極的に参加していたら、東アジア共同体は日中連携となり、中国だけが権力を持つことを防げたかもしれないが、当時から現在にかけての日本は、対米従属の姿勢を保持することだけに注力したため、東アジア共同体は中国のものになり、日本は米国覇権の後退とともに衰退を余儀なくされる可能性が強まっている。 (短かった日中対話の春) ▼東南アジアでの米国の稚拙な対中包囲策 東アジア共同体は、東アジアにおける中国の覇権拡大を意味するが、同時に、中国の内部分裂を誘発する可能性もある。東南アジアは、歴史的に中国南部との関係が深い。東南アジアの経済は、広東人や海南人、福建人などといった中国南部出身の華人が握っている。東アジア共同体によって東南アジアと中国が一体化すると、中国南部系の勢力が結束し、北京政府の言うことを聞かなくなる傾向が強まりかねない。 中国の広東省(広州市など)では最近、広東語のテレビ放送を規制し、テレビを北京語だけにしようという動きが、共産党内部から起こり、これに反対する市民が、天安門事件以来の規模といわれる反対運動のデモ行進を、今年7月から起こしている。広東語放送の規制は表向き、今年11月に広州市で開催されるアジア大会で、広東語を理解しない省外の中国人が多く広東を訪問するので、この際放送を北京語に統一した方が良いという理由で提案されている。しかしここ数年、中国と東南アジア諸国の経済関係が強まっていることから考えると、北京政府が広東と東南アジア華人という南方連合の結託を恐れた結果の規制強化とも思える。 (China going in reverse on language) 中国は近年、雲南省からラオス、タイ、カンボジア方面に道路を建設したり、メコン川にダムや橋をかけたりするインフラ整備に資金を出し、中国南部と東南アジアを陸上交通で結節する事業を展開している。ASEANの中でも貧しい国々であるラオスやカンボジアの政府は、中国から資金提供を受けて、政治的に親中国の立場を貫いているが、もっと有力な国々であるタイやベトナムは、中国がメコン川の上流にダムを造ることで河川の環境が破壊されることを批判するなど、中国の影響力拡大に対抗する姿勢を見せている。 (US dips into Mekong politics) 東南アジアで中国の影響力が拡大することに対しては、米国も対抗的な政策を採っている。7月にASEAN+3の安全保障会議に出席した米クリントン国務長官は、ベトナムやフィリピンなどASEAN諸国と中国が領有権を争っている南沙群島の問題に関して、ASEAN諸国の肩を持つ発言を行った。 (中国軍を怒らせる米国の戦略) また米政府は、ベトナムに原子力技術を供与する協定を決めたが、米国は個の協定でベトナムがウラン濃縮を行うことを容認しており、ベトナムが中国に対抗して核兵器を持ってもかまわないかのような姿勢をとり、ベトナムと中国の歴史的な対立を、ベトナム側に加担するかたちで扇動している。米国は、中国がパキスタンに原子力技術を供与することに反対しており、中国が経済関係を強めているイランに対しても、米国はIAEAが認めた低濃度のウラン濃縮すら禁じている。 (Deep reasons for China and US to bristle) 米国は、インドにも核技術を提供しており、これらの戦略は全体として、中国を怒らせる意図を持っている感じがする。これらが高じて、米中対立から米中戦争になるという予測も世の中に存在するが、当の東南アジア諸国は、経済面で中国との関係を強化しており、米国に扇動されて中国との対立を深める立場にない。ベトナムは、米国から供与された技術で原発を持つだろう(日本企業が工事を受注しようと動いている)が、同時に中国との経済関係も強化していくことは確実で、中越対立を扇動する米国の戦略は尻すぼみになりそうだ。 米国の戦略は、東南アジアに対する中国の影響力の拡大を削ぐことはできず、むしろ中国に米国債を買ってもらわなければならない今後の米財政赤字の拡大期に中国を怒らせ、米国債の売れ行き不振による長期金利の高騰を招きかねず、自滅的である。 ▼「訓練してやるから日本が中国を倒せ」と言う米国の意地悪 日本では昨夏、鳩山政権の初期に、政府が東アジア共同体への協力を表明したが、その後は対米従属派の官僚機構とマスコミが、対米自立・対中協調的な小沢・鳩山を潰しにかかり、対米従属が維持され、東アジア共同体については全く言及されなくなった。しかし、その一方で日本政府は、中国と対決する姿勢も採らず、中国に気を使っている。今年の8月15日は、20年ぶりに閣僚が一人も靖国神社を参拝しなかった。日韓併合100周年に際した日本政府の謝罪も、日本が対米従属ができなくなった後に中国・韓国を重視せざるを得なくなることを見越した動きにも見える。 そんな日本の微妙なバランス戦略を壊しそうな動きが、米国から発せられている。米国が、尖閣諸島の周辺海域で、日本が「敵」から島を奪還するシナリオに基づく日米合同軍事演習をやろうと言ってきたことである。日本側に、中国と一戦交えてもいいから中国に負けたくないという好戦的な気概が満ちているなら、米国の提案はありがたいだろうが、日本の反中国傾向は対米従属を維持する方便の一つにすぎず、日本には中国と本気で対決する意志が、国家にも国民にもない。 (Japan, US said to plan exercises near Diaoyutais) 日本人の反中国発言は、いかに中国がひどい国かを言うだけの「被害者意識」的なものばかりで、どうやって中国を倒すかを語る人はいない。日本人は、米国が中国を倒してくれることを夢想するが、米国から「訓練してやるから日本人が中国を倒せ」と言われるのは困る。米国側は、そんな日本人の依存症を見抜き、対米従属の日本が米国の提案を断れないことを十分承知の上で、日本が「敵」から島を奪還する軍事演習を尖閣諸島の近くでやろうと言ってきている。しかも、これからドルや米国債が崩壊するかもしれないという今の時期に、である。 韓国の李明博政権は、天安艦の沈没事件で、米国が立案した北朝鮮犯人説に乗ったため、北朝鮮犯人説が崩れた後、困った立場に追い込まれている。隠れ多極主義の米国が、韓国を困窮させている。それと同様に、米国が日本を困らせ始めているのが、尖閣諸島での日米合同軍事演習の提案であると考えられる。
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