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イラン制裁継続の裏側

2010年6月18日   田中 宇

 旧ソ連のすぐ南にあるイランは、歴史的にロシアの影響圏に隣接している。近代史の前半、イランは、アフガニスタンなどと並び、ロシア(ソ連)と英国がぶつかり合う地政学的な角逐の場だった。20世紀初頭、弱体化しつつあった英国は、1902年に日英同盟を結んで日本を帝政ロシアと04年に戦わせた後、弱まったロシアを誘ってイランを英露で分割する地政学的な線引きを、07年の英露協商として行った(英国はテヘランをロシアに与えて懐柔した)。

 2度の大戦の後、イランは親米の王国となった。王制は1979年のイスラム革命で倒され、イランは反米になったが、敵として振る舞う米イスラエルの(自覚なき)エージェントだった疑いもあるホメイニ師は、宗教政治を嫌うソ連との対立を解かず、イランは反米反ソのイスラム主義を貫いた。冷戦後、ロシアは弱体化して影響圏を縮小し、中央アジア諸国は市場主義経済を導入して親米的になったが、911やイラク侵攻の後、米国の単独覇権主義が失敗するとともに、中央アジアにおけるロシアの影響力が復活した。米国がイラクの次にイランを敵視し、イランに核兵器開発の濡れ衣をかけ続けたことは、ロシアにとって漁夫の利を得る格好の機会で、ロシアはイランに武器や原子炉を売る話を持ち掛けて接近した。

 米イスラエルがイランにかけた核兵器疑惑が濡れ衣だということがしだいに明らかになり、中東全域で米英の影響力が弱まって、ロシアにとって20世紀初頭以来の、イランや中東に進出する好機が来ている。国連安保理の常任理事国であるロシアが、イラン制裁を画策する米国と真っ向から対立し、イランにかけられた濡れ衣を晴らせば、イランだけでなくイスラム世界全域においてロシアに対する賞賛が一気に強まったはずだ。(先日それをやったトルコのエルドアン首相は、今や「サラディン以来」ともてはやされるイスラム世界の英雄だ)。

 しかし意外にもロシアは、濡れ衣と知りつつ、米国のイラン制裁に協力する姿勢を崩していない。6月9日、国連安保理で可決された4回目のイラン制裁決議に反対したのは、独自の和解案をイランと締結したトルコとブラジルだけで、ロシアも中国も、米国提案のイラン制裁に賛成した。 (US Sees Iran, Afghanistan as Gains of Russia Reset

 ロシアのプーチンは、大統領だった07年秋にイランを訪問して「イランが核兵器を開発している証拠は何もない」とぶち上げた。だが今回は米国の言いなりになったので、イランのアハマディネジャド大統領は「ロシアは米国の圧力に屈した」と非難した。ロシア外務省は「(アハマディネジャドは)デマを言っている」と非難し返した。ロシアとイランの関係は数年ぶりの悪さになった。 (イラン問題で自滅するアメリカ) (Iran and Russia Clash in Worst Row in Years) ('Russia's anti-Iran remarks to harm itself'

 なぜロシアは、米国の濡れ衣につき合うのか。何か裏があるのではないかと思っていたら、安保理が制裁決議を可決した直後、ロシアは、それまで凍結していた、イランに地対空ミサイルS300や原子炉を売る話を再び進めると発表した。国連制裁は、ロシアがイランに地対空ミサイルや原子炉を売ることを禁じていない。ロシアは、イランに対する自国の利権が失われないよう、米国が提案したイラン制裁を骨抜きにして効力を薄めた上で賛成し、可決させた。ロシアだけでなく、中国もこの戦略に乗っていた。中国は「制裁ではなく外交交渉で解決すべきだ」と言い続けたが、最終的に制裁決議に賛成した。 (Russia says in talks with Iran on new nuclear plants

▼制裁決議後に拡大するイランとのビジネス

 ロシアと中国は、イランの核兵器開疑惑が濡れ衣だと暴露する正論で対応せず、制裁を骨抜きにしてもらう代わりに米国の濡れ衣に協力する道を選んだ。米国では政界関係者の多くが、オバマが中露の協力を得るためにイラン制裁を骨抜きにせざるを得なかったことを知っている。 (U.N. vote on Iran sanctions not a clear-cut win for Obama) (Beyond Iran Sanctions That Probably Won't Work, Plans B, C, D

 中露が米国の濡れ衣に協力した理由として考えられるものは、いくつかある。その一つは、ロシアからイランへの地対空ミサイルや原子炉販売に象徴される商業利権である。米国が欧日などの同盟国を従えてイラン制裁を続けてくれた方が、石油ガスなどイランの利権が中露の側に転がり込むので、あえて制裁を潰さず残し、欧米が制裁によってイランの利権から撤退する分をすべて中露がいただく戦略をとったと考えられる。

 米国がイラン制裁を強めたこの数年間、特に中国は、イランとの貿易額や、石油ガス開発の案件を急増させている。制裁体制が続くほど、イランの経済は欧米依存を脱却し、中国や他の新興諸国との関係が強化される。 (Iran Sanctions Cripple the UN2

 国連での4回目のイラン制裁が可決された直後に動き出したビジネスの話は、ロシアの地対空ミサイルと原子炉の案件だけではない。6月13日、イランとパキスタンは、イランの巨大なサウスパース天然ガス田からパキスタンまでパイプラインを敷設して天然ガスを売る契約を正式に調印した。この案件は何年も前から交渉過程にあったが、パキスタンがイランを敵視する米国の支援を受けている国であることから、なかなか契約まで到達しなかったが、今回の制裁決議を待っていたかのように契約調印した。 (Pakistan seals pipeline deal with Iran

 一方、米企業は対イランだけでなく世界的にイラン制裁の悪影響を受ける。国連の制裁が中露によって骨抜きにされたため、米議会はもっと強力なイラン制裁法を米国だけで施行する予定だ。米の新イラン制裁法は、米企業に対し、イラン企業との取引だけでなく、イラン企業と取引している第3国の企業との取引も制限している。 (Boeing, Exxon Say New Iran Sanctions Would Hurt Global Sales

 中国やロシアなどの大手企業にはイランと取引するところが多いが、米企業は、これらの中露など企業との取引も制限される。特に、急成長する中国の企業との取引を規制されることは、米企業にとって大打撃だ。そのため、エクソンやボーイングといった米国の多国籍企業は、イラン制裁法を緩和してくれと米議会にロビー活動を展開したが、あまり効果はなかった。 (Effectiveness of curbs questioned - Jim Lobe

 イランは制裁されても、中露など非欧米諸国との関係を強めればよいだけで、制裁の効果は年々薄くなっている。米国のイラン制裁は、経済面で米国自身の首を絞めている。イランは強気になり、国連制裁可決から数日後の6月15日には「国連のイラン制裁に協力する国には今後、資源を輸出しない」と宣言した。これは脅しでなく、中国などへの資源輸出が増える中で、親米諸国への輸出にあてる分が減っているのかもしれない。 (Iran to cut mineral exports to sanction supporters-paper

▼中露のイラン制裁支持はハルマゲドン防止策

 ここまで経済や利権の面を書いたが、中露が国連のイラン制裁に協力したことには、たぶん他の理由もある。中露が拒否権を発動してイラン制裁案が劇的に否決された場合、米イスラエルがイラン封じ込めの戦略に窮し、イランを空爆して中東大戦争を起こすかもしれない。イスラエルは、自国の滅亡の前に、中露など世界に向かって核ミサイルを発射するかもしれない。イスラエルは米議会で強い影響力を持つので、米国が引っ張り込まれて参戦する可能性も高い。中露がイランに味方すると、米露間の(核)戦争になりうる。これらのハルマゲドンを防ぐため、中露は、米イスラエルを追い込まず、骨抜きの制裁を残したと考えられる。 (The Coming Iran War

 国連でイラン制裁が可決する3週間前の5月17日には、トルコとブラジルが、イラン核問題の解決の一策として、イラン保有の低濃度ウランの濃縮を外国で行う話をまとめ、イランを了承させた。トルコやブラジルの首脳は、事前に中露の首脳と会っており、この動きは中露も加わって計画された可能性が高い。この計画の目的は、イランに対する核疑惑の濡れ衣を晴らすことだろう。国連安保理の常任理事国である中露は、米国やイスラエルをなだめて中東大戦争を防止する「守り」の役をやる一方、非核国であるトルコとブラジルは、イランと話をまとめたり、イスラエルの核武装を非難するなど「攻め」の役をする役割分担を続けていると考えられる。 (善悪が逆転するイラン核問題

 中露やブラジル、トルコは、イランが低濃度ウランを国外で濃縮することを了承すれば、それを米国も承認し、この事業でイランが保有する核分裂性ウランの量が激減する(濃縮ウランを使ったテヘランの医療用原子炉はIAEAの査察を受けており、兵器転用できない)ことをもって、米国はイラン核疑惑の終結を認めるのではないかと予測していた。ブラジルは今年4月、米オバマ大統領に「イランが国外でのウラン濃縮に同意したら、米国はその事業を支持するか」と尋ね、オバマから「支持する」という返答を書簡で受け取っていた。あとはイランさえ国外濃縮を了承すれば、イラン核疑惑は解決すると、トルコやブラジル、中露は考えた。 (Obama's letter to Lula exposes US dishonesty with Iran

 しかしトルコとブラジルがイランと交渉して話をまとめてみると、オバマはこの事業を解決策をして認めず「これだけでは不十分であり、国連制裁は必要だ」と発表した。米国では「オバマはもともと支持するつもりなどなく、ブラジルが話をまとめられないと予測しつつ、話をまとめたら支持すると返答したにすぎない」という解説が流れた。米国の拒否によって、トルコとブラジルの努力は水の泡となった。

 その後、国連安保理でイラン制裁決議が審議され、中東大戦争の発生を防ぐため、中露は拒否権を発動しなかった。イランのアハマディネジャド大統領は、決議に賛成した中露を非難したが、その直後にアハマディネジャドは上海万博参加のために訪中し、中国を賞賛するコメントを発している。国連がイラン制裁決議を可決する前日(6月8日)には、トルコ、イラン、ロシアの首脳がイスタンブールに集まり、地域安全保障に関するサミットを開いており、イランと中露の関係は悪化していない。 ('Iran-China ties will benefit all') (Russia, Turkey and Iran Meet, Posing Test for US Diplomacy

 中露は、国連安保理で骨抜きのイラン制裁を可決することを、事前にイランにも了承させていた可能性がある。米欧は、国連とは別に独自の対イラン制裁を発動することを決めたが、これに対してロシア政府は米欧を批判するコメントを発し、イランの側について見せた。 (Russia resents unilateral Iran sanctions

▼イラン制裁支持を貫けなくなる中露

 中露は、国連のイラン制裁を支持したが、この姿勢を今後もずっと続けられるとは考えにくい。イランが核兵器を作っていないことは、5月のNPT見直し会議で、すでに確定的なことになっている。NPT会議では、イランではなくイスラエルの核保有の方が問題にされた。IAEAでは、イスラエルの核保有に関する議論が行われている。今後、イスラエルに対し、核査察に応じるよう求める国際的な圧力が強まるだろう。 (◆北朝鮮と並ばされるイスラエル

 5月31日にはイスラエル沖の公海上で、ガザに向かっていたトルコなどの支援船がイスラエル軍に襲撃され、トルコ人活動家らが殺される事件が起こり、これを機にイスラエルにガザ封鎖の解除を求める国際圧力も強まった(イスラエルは欧米マスコミ支配を活用し、封鎖を一部解除するふりをして欧米マスコミに「イスラエルがガザ封鎖を解除」と報道させ、実はほとんど封鎖解除をしないという、お決まりのプロパガンダ戦略をとっている)。 (Israel Poised to 'Ease' Gaza Blockade

 イランの濡れ衣が晴れるとともに、イスラエルが「悪」になる流れの中で、中露がいつまでも米国主導のイラン制裁を支持していると、イスラム世界や途上諸国が中露に対する批判を強める。むしろトルコのように、早々と親イラン・反イスラエルの態度を鮮明にした方が、途上国に乗っ取られつつある国際社会での評価を上げられる。

 これまでは、中露が拒否権を発動してイラン制裁を潰したら、イスラエルがイランや中露を核ミサイルで攻撃するおそれがあった。しかし今後は、イスラエルに対する核廃絶要求が世界的に強まる。核廃絶に応じないイスラエルを経済制裁せよという主張が、途上国だけでなくEUなどからも出てくるだろう。トルコは最近、イスラエル非難の急先鋒だが、トルコはNATO加盟国だ。NATOは相互防衛義務で縛られており、トルコとイスラエルが戦争になったら、NATOはトルコに味方し、イスラエルを敵とすることを義務づけられる。 (The Israel-Turkey Rift: Is The Future of NATO At Risk?

 米国は議会がイスラエルに牛耳られているので、NATOの条約義務を無視してイスラエルに味方するだろう。半面、EUはイスラエル批判を強めているので、トルコに味方する傾向となり、NATOは同盟として機能不全を露呈しかねない。 (Think tank: Neocons' influence remains strong under Obama

 今後、NATOによるアフガニスタン占領も敗色が濃くなるだろうから(すでに夏のカンダハル攻略は勝てないことが確定的となり、延期されている)、NATOは解体の方向だ。03年のイラク侵攻時からずっとNATO解体が予測されているのに7年たっても崩れず、英米の覇権延命力の強さが示されてはいるが、長期的な解体の方向は変わっていない。イスラエルは、NATOや欧米関係を巻き込つつ窮地に陥る方向にある。 (米露の接近、英の孤立(2)

▼米国の資産から負担に変わるイスラエル

 一番安定的な解決の道は、イスラエルがパレスチナ・アラブ側と和解して「二国式」でパレスチナ国家が建設され、その流れの中でイスラエルが核廃絶していくことだが、イスラエルは悪者になったまま強硬姿勢を貫いているので、この解決は無理だろう。今はまだ米国の後ろ盾が強いので、イスラエルは国際圧力を無視して強硬姿勢をとっているが、米国の親イスラエル性が失われると、経済制裁されたイスラエルは真に窮する。モサドは「イスラエルは、米国にとって資産から負担に変わりつつある」と指摘している。 (Mossad Chief: Israel Becoming a Burden to US

 中東では「CIAが、20年後にイスラエルが存在していないかもしれないとする報告書をまとめた」という報道がときどき出る。これはたぶん意図的な誤報なのだろうが「今後15年間で200万人のユダヤ人がイスラエルを捨てて米国に移住する」「150万人のロシア系ユダヤ人もロシアに戻る」など、誤報としても妙に説得性がある。 (CIA report: Israel will fall in 20 years

 米国は1980−90年代、イスラエルに牛耳られつつも、中立な仲裁者のふりができ、中東和平を進めていた。しかし、もはや米国はイスラム世界で信用を失っており、仲裁者として和平を推進できない。イスラエルは従来、米国を牛耳れば世界を牛耳れたため、EUや中露を軽視していたが、米国の国際信用が失われ、イスラエル自身も悪者になって倫理的に弱体化している。モサドの活動を禁じる国が増え、シオニストが価値判断を決めていた米英系の国際報道機関も価値観の歪曲が多いことがばれて、イスラエルは諜報プロパガンダ分野でも弱まっている。

 このような中で、米国に代わって、中露やトルコ、ブラジルといった新興諸国が、イランやイスラエルの問題を軟着陸させられるのかどうか。それとも結局は中東大戦争を回避できずに勃発するのか。国際政治は多極型になってきて、イスラエルの指導者がモスクワや北京を訪問する頻度も上がったが、中東の問題の先行きが不透明なことには変わりがない。

 米国の「隠れ多極主義」も健在で、米欧の財界人や戦略家、政治家ら超エリートたちが集まるビルダーバーグの年次会議が先日スペインで開かれ、そこでイランを空爆することへの支持が表明されたという。イランを空爆したらホルムズ海峡が閉鎖され、石油が急騰し、世界経済に大打撃を与える。世界的な反米感情も煽られる。今年のビルダーバーグ会議には、世界的な政治覚醒(反米扇動)を以前から画策しているブレジンスキーも参加したそうだ。ビルダーバーグが本気でイラン空爆を支持しているのなら、彼らは米欧覇権を守る人々(米英中心主義者)ではなく、壊す人々(隠れ多極主義者)である。 (Bilderberg Agenda Revealed: Globalists In Crisis, Supportive Of Attack On Iran) (ビルダーバーグと中国



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