ユーロ危機はギリシャでなくドイツの問題2010年4月30日 田中 宇4月27日、債券格付け会社のS&Pがギリシャ国債を3段階格下げし、リスクが高い「ジャンク債」相当の「BB+」にした。ギリシャの次はポルトガルが危ない、その次はスペインも危ないという話が広がり、S&Pはポルトガルとスペインの国債も格下げした。危機はイタリアやアイルランドにまで拡大するとか、米国の投資家がユーロから大量の資金を引き上げているとか報じられ、ギリシャ危機はユーロ危機へと拡大している。 (Greek Junk Contagion Presses EU to Broaden Bailout) ギリシャの赤字問題は最近始まったことではなく、悪化が近年特にひどくなったわけでもない。英国が、欧州の覇権をとった後の19世紀前半、トルコ帝国に対抗するための傀儡勢力として近代ギリシャを建国させて以来、ギリシャは産業や社会の基盤が弱く、財政赤字の体質だ。しかもギリシャのGDPはユーロ圏全体の2・5%と小さい。ドイツを筆頭とするユーロ圏の大国群が適切な危機回避策をとっていれば、ギリシャ危機が今のようにユーロ危機に発展することはなかった。 しかしこの問題が危険なのは、ギリシャの危機を扇動しているのが、ゴールドマンサックスやJPモルガンといった米国の投資銀行的な勢力と、S&Pなど米英の格付け機関であることだ。彼らは、ドルやポンドの危機を回避するために、ドルやポンドより先にユーロを潰そうとしている。ギリシャ国債のCDSを売ってギリシャの危機がひどくなっているように演出しつつ、英米などのマスコミも動員して投資家の不安を煽り、時機を見てS&Pがギリシャ国債を格下げし、危機を激化させた。これは要するに、以前の記事「激化する金融世界大戦」に書いたように、英米の金融覇権勢力(米英中心主義)が、覇権の多極化を阻止するために「金融兵器」を発動したものであり、覇権をめぐる金融世界大戦の一部である。 (激化する金融世界大戦) ▼ユーロ潰しの必要が出てきた背景 英国は、19世紀のパックス・ブリタニカの時代から、欧州諸国どうしを競わせて漁夫の利を得る均衡戦略として、欧州諸国のマスコミや暴徒の動きを扇動する諜報的なネットワークを持っていた。今回もそれが発動され、ギリシャでは反政府暴動が続き、ドイツでも「怠慢なギリシャ人を救う必要などない」という世論が掻き立てられ、もともと弱かった凡欧州主義は消え、代わりにドイツ民族主義が復活している。EUが統合を維持するには、凡欧州主義を涵養し、経済から政治へと統合を進めることが必要だが、それはかなり難しくなっている。 (Euro Sales Extend as Morgan Stanley Mulls EU2 Breakup) そもそもEU(欧州統合)は、欧州人の努力の結晶のように見えるが、実はそうではない。欧州人の努力の結晶なら、今のようにドイツがギリシャの崩壊を傍観するわけがない。欧州統合推進の黒幕は米国の隠れ多極主義勢力であり、欧州を冷戦時代の傀儡状態から脱却させて米英と対抗できる強い勢力にして、米英の覇権独占を解体していく長期戦略だった。 冷戦終結とEU統合開始と前後して、米英は金融自由化によって、債券金融を急拡大し、米英のデリバティブ残高600兆ドルという圧倒的な金融の富の力で覇権を維持する金融覇権の新戦略を軌道に乗せた。そのため、07年の金融危機開始までの世界では、紆余曲折でなかなか進まないEU統合による欧州の力の増加より、金融の力を使った米英の強さの方が勝っており、英米中心主義勢力がユーロ潰しをやる必要は少なかった。 だが、07年からの米英金融危機は、ポールソン前財務長官やバーナンキ連銀議長らの失策によって、必要以上に悪化した(彼ら自身が隠れ多極主義者というより、ドルの無限発行を好むバーナンキのような人材を連銀議長に据えたところに多極主義的な采配があった)。JPモルガンなど米金融大手は、金あまり状態を再燃させて債権のリスクを低下させ、金融覇権を復活させようとしているが、オバマ政権の経済顧問であるボルカーは、これを潰す政策を進めている。 (ゴールドマンサックス提訴の破壊力) その一方でEUは昨秋、大統領と外相ポストを新設し、いよいよ政治統合に動き出した。オバマもブッシュ同様、隠れ多極主義者の側近に囲まれているようで、英国を邪険にする態度をとり、英政界では「英米の特別な関係はもう終わりだ」との見方が出ている。米英の財政赤字も急増し、このままでは英米覇権は崩壊だ。そのため英米中心主義の側は、ギリシャ危機を扇動し、ドルの対抗馬となりそうなユーロを潰しにかかる金融戦争を先制攻撃的に起こした。 (Special Relationship Is Over, MPs Say) (British party leader calls for end to "special relationship" with U.S.) ▼戦わずして負けるドイツ ギリシャやポルトガルは格下げされたが、4月29日に行われたイタリア国債の入札は比較的堅調で、今のところ南欧の全体に危機が感染してはいない。だが、これが金融兵器を使った覇権をめぐる金融戦争である限り、米金融筋は、ポルトガルやイタリア、スペインなどの国債のリスク評価を悪化させる策略をもう開始しているはずだ。米ハーバード大学の教授あたりは、すでにギリシャとポルトガルの財政破綻は不可避だと豪語している。 (Italy bond auction eases eurozone debt fears) (Feldstein Says Greek Will Default and Portugal May Be Next) 金融戦争といっても、戦っているのは米英の側だけで、ドイツはほとんど応戦せず、無抵抗でやられているばかりか、利敵行為をする人がドイツ内部に多い。ドイツの与党CDU(キリスト教民主同盟)の内部には、ユーロが崩壊しても良いと思っている英国のエージェントのような人々がいて、ドイツの公金でギリシャを救済することに強く反対し、首相のメルケルは動きがとれなくなった。危機が大きくなって以来の1カ月間、独政府はギリシャ危機の拡大を防止する有効策をとれなかった。メルケルは4月中旬、「ギリシャ政府に融資しても良いが、その金利はギリシャ政府が民間から借りた場合と同率にする」と、救済になっていない計画を発表し、市場を落胆させ、危機を深化させてしまった。 (German Merkel softens stance on aid for Athens) 野党のSPD(社会民主党)は、ギリシャ救済に反対する方向に扇動される世論に乗って「国民に開かれた議論をせねばならない」と言いつつ、メルケル政権批判をしながら、ギリシャ救済を阻止する動きをしている。独政府内には、国民にわかりにくい形でギリシャ救済をやってユーロを救おうとする動きがあったが、SPDは「開かれた議論」を主張することで、それを止めようとした。ドイツの政界とマスコミの大半は、英米にユーロ潰しの金融戦争を起こされていることに気づかない人々か、意識的・無意識的な英米のエージェントという人々のようだ。 (Germany's CDU keeps pressure on Greece over aid) ドイツのこの状況は、日本と似ている。同じ敗戦国の日本の官僚機構の中に、日本の国益よりもドルや英米覇権の維持を重視する意識的・無意識的なエージェント(対米従属派)が強いのだから、ドイツの中枢に英米の傀儡が多くても不思議ではない。英国にとって、遠くの日本より近くのドイツの方が、ずっと危険な、永久に去勢すべき潜在敵である。 それでも独政府は、年に84億ユーロをギリシャに支援する計画を立てた。しかし、S&Pによる格下げでギリシャ国債の価値が急落したため、ギリシャ救済のために必要とされる資金の総額が急増し、最大で年に250億ドルもかかる事態になった。救済に必要な額が急増したため、独政界はギリシャ支援策にますます賛成しにくくなった。ギリシャ国債の格下げにより、ユーロ全体が危険になり、ドイツが被る悪影響が一気に拡大したが、ドイツはいまだに決定的な対応をとれないでいる。独当局は、2週間以内に何とかすると言っているが、1カ月前も同じことを言っていた。 (Aid Package Talks in Berlin) デリバティブ(金融兵器)を敵視する投資家のジョージ・ソロスは「投機筋のギリシャへの攻撃に対し、ドイツ政府が受けて立つ姿勢を鮮明にすれば、投機筋は恐れをなして撤退し、ギリシャ危機は解消できる。最大の要点は、ドイツが立ち上がるかどうかだ」という趣旨のことを述べている。逆に言うと、ドイツが優柔不断を続けると、ユーロ全体が瓦解し、ドイツも国家的な大打撃を受ける。 (Greece needs discount from Germany: Soros) 皮肉なことに、ドイツがギリシャ救済に関してEUを主導したがらない結果、EU内で誰がギリシャを助けるのかわからなくなり、それが米英の金融兵器によるユーロ破壊を許している今の事態は、EUを主導するのがドイツ以外にないことを如実に示す結果となっている。ドイツにとってユーロ創設は、旧ドイツマルクの強さを他の欧州諸国に享受させてやる代わりに、ドイツ連銀が他のユーロ加盟諸国の中央銀行を吸収して欧州中銀(ECB)になるという、経済覇権の拡大を意味していた。 (ECB Official Warns That Greece May Have to Cut More Deeply) 冷戦を終わらせた米国の隠れ多極主義者(レーガン政権)は、ドイツに対し「東西ドイツの統合を許してやるから、同時に通貨統合もやって、ドイツが再び強大になってもフランスと対立しない構造を作れ」と条件を出し、ドイツはそれをのんだ。米国のこの策略は、ドイツが主導する欧州を地域覇権勢力へと引っ張り上げる、多極化の一環としての「覇権の押しつけ」だった。 だが敗戦以来、ドイツの中枢には英米中心主義のエージェントが多数おり、覇権を目指していた戦前に対する悪いイメージもはぐくまれてきた(この点は日本と同じ)。ドイツでは覇権国を目指すことへの抵抗が強く、欧州の経済統合は進めても政治統合が進まないという、中途半端な状況が20年続いた(経済だけしか重視しない点も日本と同じ)。その結果、EUは、英米中心主義勢力の金融攻撃に対して脆弱な状態にある(この点、日本はドイツ以下で、バブル崩壊を自演した)。 ドイツは、欧州を主導して地域覇権国になる実力が十分にあるのに、それを行使したがらない国になっている。これは「平和主義」とは似て非なるものだ。米国が単独覇権主義を掲げ、イラクなどで戦争犯罪的な行為を繰り返しても、ドイツ政府は黙っている。こうした戦後ドイツの状況は、日本とよく似ている(憲法9条は対米従属のためにあった)。米国の隠れ多極主義勢力は、日独を誘っても覇権を取ろうとしないので、代わりに中国やロシア、ブラジル、イラン、トルコなどに覇権を取らせようと、各国の反米感情を鼓舞している。 ▼ギリシャはユーロから離脱できない ドイツが不甲斐ないので、代わりに欧州中銀(ECB)が伝家の宝刀を抜き、ギリシャ国債を買い支えることで投機筋を撃退する作戦を検討している。欧州中銀のトリシェ総裁は、ユーロ創設の立役者の一人で、ユーロが潰されるのを看過できない。米連銀は、金融危機対策の一環としてドルを刷って米国債を買い支えてきたが、欧州中銀は「財政と金融の分離」を重視して、平時にはユーロ圏諸国の国債を買い支えてはいけないことになっている。だが緊急時には、この禁が解かれ、無制限に国債買い支えができる。欧州中銀は、緊急事態を宣言してギリシャ国債を買い支えることを検討している。しかしこれも、独政府に強く反対されれば、実施は難しい。 (ECB may have to turn to 'nuclear option' to prevent Southern European debt collapse) どの有力勢力もギリシャ救済に立ち上がらない場合、ギリシャは早ければ5月19日の国債償還時に、国債の債務不履行(デフォルト)を宣言せざるを得ない。ドイツの右派は「ギリシャを放置し、ユーロから追い出せ」と言っている。しかしギリシャが債務不履行になった後、ユーロを離脱して旧通貨であるドラクマの発行再開を宣言した場合、ドラクマは最初から紙くずの通貨となり、ギリシャの債務の大半を占めるユーロやドル建ての債務をドラクマ建てで換算すると膨大になり、返せない傾向が強まる。ドラクマ建ての債券は誰も買わず、金利が高騰する。事態はますます悪くなる。ギリシャの方からユーロ離脱を宣言することは考えにくい。一方、他国がギリシャを追い出すことも、EUの手続きとして存在しない。 (Greece wouldn't find it easy to leave the euro) ドイツでは、ギリシャをユーロから追い出すのではなく、ドイツがユーロを捨てる道も検討されている。財政基盤が比較的強い独仏とベネルクス、北欧だけで「新ユーロ」的な通貨を作る構想だ。しかし、事態が好転した後にこれをやるならまだしも、これを今の悪い状況下で行うことは、ドイツの責任感のなさを露呈し、ドイツと新旧ユーロ圏の全体に対する信用を落とす。結局、現実的には、どこかの時点でドイツがユーロの「最後の貸し手」になることを宣言し、投機筋からの攻撃を受けて立つしかない。 (Are we already in a two-speed Europe?) もう一つ気になる点は、財政危機がスペイン、イタリア、アイルランドに波及した場合、ユーロ圏ではないもののギリシャ並みの財政赤字比率になっている英国が無傷でいられるかということだ。金融兵器を発動して財政危機を蔓延させている勢力には英国もいるはずだが、金融や世論(プロパガンダ)の扇動兵器は、発動すると慣性がついてしまい、自国だけ攻撃されないようにするのは難しい。 (U.K.'s AAA Rating, Negative Outlook Affirmed by S&P) それから、欧州の先進諸国を順番に襲っている財政危機が、いずれ日本に感染するのかどうかも気になる。米マスコミでは「日本もいずれやられる」と記事が出回り、格付け機関も日本に警告を発している。だが、日本の財政赤字比率はギリシャより高いものの、国債の95%は機関投資家など日本国内の勢力が買っており、その多くは事実上、政府の許可なしに売れない。金融兵器が日本に対して発動される余地は少ない。 (Japan's deficit Comparisons with Greece are inevitable) ギリシャ国債はジャンク債に突き落とされたが、米国では逆に、JPモルガンなど投資銀行的な勢力によるレバレッジ再拡大策が軌道に乗り、ジャンク社債が優良社債並みの低利で取り引きされる状態に戻っている。米国の株式も、投資銀行だけが買っていることで上昇を続けている。ユーロの危機は、欧州から米国への資金逃避を生み、米国だけ金あまり状態が増強されている。この事態がずっと続けば、多極主義と米英中心主義の暗闘は、米英中心主義の逆転的な勝利になりうる。 (Equity rally not driven by the usual investors) 米国の投資銀行は「EUは解体される」と気勢を上げているが、彼らが予測する将来のユーロ相場は、1ユーロ1・2ドル前後だ。今の1・3ドル台よりは低いものの、1ドルより1ユーロの方が価値がある状態は維持されると、米銀行でさえ予測している。ここで潜在的に指摘されているのは、ドルつまり米国金融も、ユーロに劣らずひどい状況にあるということだ。やはり、米国と欧州のどちらが先に崩れるかわからない状態が続いている。 (Euro Sales Extend as Morgan Stanley Mulls EU Breakup)
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