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イラン選挙騒動の本質(2)

2009年6月30日   田中 宇

この記事は「イラン選挙騒動の本質」の続きです

 イランで6月12日の大統領選挙を機に始まった反政府運動は、本質的には権力中枢の暗闘である。イランでは、1979年のイスラム革命で最高指導者となったホメイニ師が1989年に死んだ後、ホメイニの遺志で保守派のハメネイ師が最高指導者となった。ハメネイは2005年以降、諜報組織を背景として欧米敵視の宣伝戦にも長けたアハマディネジャドを大統領に据えて、現在まで権力を握っている。

 これに対し、イランの政界(聖職者界)で強いもう一つの勢力である改革派は、ハメネイを追い落とす機会をうかがってきた。ラフサンジャニ、ハタミ、ムサビといった改革派の人々は、今回の大統領選挙を機に決起し「選挙不正があった」と主張する市民の反政府運動に乗って、保守派から権力を奪おうとした。しかし、投票日に混乱が始まって2週間経った今、どうやら事態はハメネイ、アハマディネジャドの保守派が優勢のようだ。

 投票日から9日後の6月21日には、選挙を監督する「護憲評議会」のスポークスマン(Abbas-Ali Kadkhodaei)が、国内の50都市で、投票数が有権者数を上回っていたことを認めた。この認知によって、選挙不正を糾弾する改革派の方が正しく、本当に不正が行われたという感じが強まった。最高指導者を罷免できる国権の最高機関である「専門家会議」が召集される(された)という報道も流れ、いよいよ改革派によるハメネイ追い落としが始まるかに見えた。 (Guardian Council: Over 100% voted in 50 cities

 6月20日には、アハマディネジャドの側近で、国会(マジリス)の議長をつとめるアリ・ラリジャニが「護憲評議会のメンバー(12人)の中には、特定の大統領候補を支援し、評議会メンバーとして偏向している者がいる」と、国営テレビの生放送で発言し、反政府運動への弾圧に対する真相究明を行う組織を作るべきだと主張した。これは、護憲評議会がハメネイとアハマディネジャドに支配されていることへの批判であり、ラリジャニも反旗を翻したと注目された。 (Larijani criticizes Guardian Council, IRIB

 しかし、その後もハメネイは、毎週の金曜礼拝に出てきて反政府派を非難する演説を続けている。政権中枢の暗闘がひどくなったら、ハメネイは礼拝に出てこなくなるだろうから、依然としてハメネイの権力が強いことを表している。その一方で、6月12日の投票日直後には100万人が参加した政府批判のデモは、政府の弾圧を受け、6月22日には1000人程度にまで減った。 (Iran's Crisis: the Opposition Movement Weighs Its Options

 選挙不正を批判し、選挙のやり直しを要求する改革派のムサビ候補に対しては、政権側から「一部の開票をやり直すので、それで納得して敗北を認めよ。そうすれば、再選されたアハマディネジャド政権で、改革派にも要職を与える。逆に、選挙無効を主張し続けるなら、逮捕する」という圧力がかかった。 (Mousavi pressured to withdraw challenge

 選挙不正を認めたかに見えた選挙監督役の護憲評議会は、6月24日には「各候補から上がってきた不正の指摘について検証したが、大きな選挙不正はなかった」と表明した。27日になると「今回の選挙は、イスラム革命以来の選挙の中で、最も不正が少ないものだった」とまで言うようになった。そして29日には、護憲評議会はアハマディネジャドの当選が確定したと発表した。 ('No major irregularities in Iran's election') (Guardians Council Spokesman: Recent Presidential Elections Were Cleanest in History) (Iran confirms Ahmadinejad victory after official recount

▼中国の支持表明で流れが転換

 国際的に見ると、一時は不利な状況に立たされたアハマディネジャドが盛り返すきっかけとなったのは、6月23日に中国政府が、国際社会に向かってアハマディネジャドの当選を認めるよう呼びかけ、米欧に対し、イランの内政に介入しないよう求めたことだ。中国のマスコミは、米欧マスコミがイランの反政府運動を扇動するような報道をしていることについて、批判的に報じる傾向を強めた。 (China wants Ahmadinejad election recognized

 ロシアは以前から「反欧米」の姿勢の一環としてイランにテコ入れしていたが、中国はもっと慎重で、イランと米欧との対立に関与しないようにしていた。その中国がアハマディネジャドに対する支持を表明したことは、その時点で、イラン中枢の暗闘がアハマディネジャドやハメネイの勝利で決着がつきつつあったことを示唆している。

 対照的に、米国のオバマ大統領は、投票日の直後には「イランと対話していく戦略は変えない」と表明し、イランの内紛に関与しない姿勢を見せたが、その後は米国内のタカ派(イスラエル右派)の勢力から弱腰を非難され、それに押される形でしだいに強くアハマディネジャドを批判するようになった。(オバマは、選挙前にハメネイに支持表明の手紙を出していたとまで言われている) (Obama's timidity on Iran leaves him increasingly isolated) (Iran media: Obama sent secret letter of support to Khamenei before election

 中国に支持されて強気になったアハマディネジャドは、態度が定まらないオバマを批判するようになり、6月29日には、米国がイランの政府批判運動を扇動して内政干渉したと非難し、オバマに対して謝罪を求めた。オバマは謝罪要求を拒否し、逆にアハマディネジャドを再び批判したため、アハマディネジャドは怒りを表明し、米欧に対する姿勢を強硬化して仕返ししてやると宣言した。 (Ahmadinejad vows to toughen stance toward West

 米欧への仕返しが何を意味するか、アハマディネジャドは明らかにしていないが、折しもイランの隣のイラクでは、米軍が撤退しつつある。米軍はイラクの主要都市から撤退し、都市近郊に作った新しい基地に引っ込む過程に入っている。イラクの主要都市を警備するのは、新生イラク軍の任務となるが、新生イラク軍はイラン、特にアハマディネジャドの出身母体である革命防衛隊(軍とは別に存在するイスラム主義の特殊部隊的なエリート軍事組織)の影響下にある。レバノンのヒズボラやパレスチナのハマスも、イランの革命防衛隊に支援されており、アハマディネジャドの「仕返し」は、これらの中東各地の軍事組織の活動を意味しうる。 (US Withdrawal Date Approaches in Iraq

 すでにイランは、中国にとって最大の原油輸出国となっている(サウジを追い抜いた)。イランが開発中の大規模な天然ガス田で開発を最も大きく手がけているのも中国である。6月26日には、インドの3社の石油会社も、イランで50億ドルのガス田開発を行うことを決めた。イランは、ガスプロムなどロシアの石油ガス会社とも緊密な関係にある。石油ガスを通じて、イランはBRICとの関係を強化している。 (India keen to invest $5b in Iran's gas field) (Iran seen as China's top crude supplier in May

▼反旗を翻したのもガス抜きのため?

 イランの政権中枢での暗闘は、修復期に入ったように見える。アハマディネジャドの側近だったはずのラリジャニ国会議長が6月20日に反旗を翻し、政府批判の市民運動を当局が弾圧したことの真相究明を行うべきだと表明したと書いたが、これも、実はラリジャニはアハマディネジャドを助けるために、国民の不満をガス抜きする真相究明委員会を作るつもりかもしれない。改革派による政府批判が下火になり出してから、ラリジャニがアハマディネジャドに反旗を翻したのは、何か裏がある感じだ。

 ハメネイは金曜礼拝の演説で、ラフサンジャニを賛美した。ラフサンジャニはムサビを支持し、改革派寄りだが、同時にこの20年、改革派と保守派の仲裁役として政治生命を維持してきた。ラフサンジャニは、最高指導者を一人ではなく複数の合議制に転換させる政治改革をやって、ハメネイの権力を削ぐつもりともいわれていたが、ハメネイが優勢を取り戻すにつれ、改革の気運はしぼみ、ラフサンジャニは改革派を譲歩させる役割を期待されるようになっているのだろう。 (The Revolution Is Not Over

 護憲評議会がアハマディネジャドの当選を確定したことを受け、アハマディネジャドは当選の祝賀会を開いたが、国会議員の半分以上が欠席した。国会は改革派の牙城で、議員の3分の2は改革派である。イラン政界で続く不和をおさめていけるかどうかが重要になっている。 (Power Struggles Inside Iran’s Regime: Hope for Change?

▼アハマディネジャドとホッジャティエ

 イランにおける改革派と保守派の対立は、1989年のホメイニ師の死から始まる。ホメイニは、イスラム革命の開始時にはフランスに亡命中で、米国の軍産英イスラエル複合体が画策し、イランを中東における米国の恒久的な敵として置いておくために、強硬な反米イスラム主義のホメイニをイランに戻し、権力をとらせた。 (イラン革命を起こしたアメリカ

 ホメイニは、自分の死後に権力を引き継ぐ聖職者たちが、イスラム主義をゆるめて欧米との関係を改善し、世俗的な欧米化への道を逆戻りしかねないと危惧し、こうした動きをしそうな改革派を封じ込め、地位の低い保守派のハメネイを無理矢理に後継者に登用した。

 ホメイニの死は冷戦終結と同時期で、ホメイニ死後の90年代には、世界的に経済改革による成長の実現が模索された。中東ではオスロ合意(パレスチナ和平)などの緊張緩和策が相次いで打ち出され、イランに対する米欧の姿勢も融和的になった。イラン政界では、ホメイニが嫌った欧米協調と経済改革を重視する改革派が強くなり、ハメネイは政治生命維持のため、ラフサンジャニやハタミといった改革派を大統領に据え、バランスをとらざるを得なくなった。

 米国のクリントン政権は、イランとの和解を目指したが、米政界内のタカ派(イスラエル右派、ネオコン)の猛反対に合い、果たせなかった。タカ派は、次のブッシュ政権に取り付いて政権中枢に入り、911を契機に米国の中東戦略を和解から敵対に一転させ、イランは「悪の枢軸」に入れられ、政権転覆策の標的と名指しされた。

 米国の強硬姿勢への転換を受け、イランでは、改革派の対米和解策が実現不能になって収縮し、代わりに米イスラエルとの徹底対立を主張する保守派が盛り返し、05年の大統領選挙でアハマディネジャドが出てきた。彼の背景は「ホッジャティエ」と「革命防衛隊」である。ホッジャティエ(Hojjatieh)は、1953年に結成された、宗教的な色彩を帯びたイランの秘密結社で、イランの諜報機関にも深く浸透している。彼らは、宗教的には米国のキリスト教原理主義のイスラム版である。

 旧約聖書からの複製(イスラム的に言うなら、神様はユダヤ教やキリスト教と同一だから、同じ預言が下されて当然)を教義の一部としているイスラム教にも、この世の終わりやイエス(イッサ)や千年王国の話が入っている。スンニ派はこれを軽視しているが、シーア派では「お隠れになっていた最後のイマーム(ムハンマドの子孫)が、この世の終わりにマフディとして復活する」という形で、預言者の再来が組み込まれている。ホッジャティエ協会は、マフディの再来を誘発するような社会的混乱への参加を旨とし、その意味で、米国のキリスト教原理主義の鏡像である。 (イランとアメリカのハルマゲドン

 しかしこうした宗教面は、おそらくホッジャティエの「化けの皮」にすぎない。彼らはイスラム革命前、バハーイ教(イスラムから分派した新興宗教。教祖が預言者を自称したので、ムハンマドを最後の預言者と規定するイスラムから異端視された)を弾圧した国王(シャー)の政策に協力する形で大きくなり、自前の諜報機関を持つに至った。その後、イスラム革命ではシャーを裏切って革命側につき、革命の混乱に乗じて秘密結社と諜報機能を拡大し、無数の世俗主義者(左翼)を殺した。ホッジャティエは、スンニ派からシーア派への敵視に対して敵視をもって応える方針や、英米イスラエルからの介入に徹底抗戦する姿勢も持っている。 (Hojjatieh From Wikipedia

 革命後、ホッジャティエは、秘密組織を脅威に感じたホメイニによって1983年に解散させられたが、ホメイニが死んでハメネイになるとともに再生し、革命防衛隊や諜報機関の中にネットワークを張り巡らした。2005年以来のアハマディネジャド政権を、ホッジャティエ政権の登場であると見る向きもある。ネオコン的なブッシュの米国との一触即発の敵対は、ホッジャティエにとって勢力拡大にうってつけの環境だった。アハマディネジャドは、改革派が持っていた石油利権を奪取し、その石油収入で中東各地のシーア派や、スンニ派のイスラム主義勢力をテコ入れした。

 好戦的なブッシュ政権が終わり、対イスラム協調を掲げて当選したオバマ政権になったことは、改革派の巻き返しの好機だった。しかし、今回の大統領選挙を機に改革派が起こした政変は、ホッジャティエ側の勝利に終わりそうな流れになっている。

▼改革派は引っかけられた?

 そもそも、今回の選挙後の政変は、ホッジャティエや革命防衛隊の側から誘発し、改革派は乗せられてしまっただけという見方もできる。6月12日の投票日当日、開票が始まって1時間経った時点で、イラン政府内務省がムサビ候補に「選挙は貴殿の勝ちだから、勝利演説の準備をしてください。アハマディネジャドの面子を潰さないよう、穏便な内容でお願いします」と連絡してきた。

 ところが、しばらくすると革命防衛隊の数人の幹部がムサビの選挙事務所にやってきて「君の選挙運動は、米欧に支援された政権転覆の策略(カラー革命)だったので、君の当選は認められないことになった」と宣告した。そしてその後、護憲評議会はアハマディネジャドの当選を発表した。いったんは当選の連絡を受けたのに、革命防衛隊の不正な横やりによって落選に変えられたムサビは激怒し「選挙は不正があった」と宣言し、今回の選挙騒動が始まった。 (Iran's Election Drama More Elaborate Than You Think

 南カリフォルニア大学教授のムハマド・サヒミ(Muhammad Sahimi)が書いているこの経緯が事実かどうか、他の情報源からの確認ができていないが、もし事実だとしたら、アハマディネジャド傘下の内務省と革命防衛隊が演技をして、ムサビを反政府運動に決起させ、勝てない戦いに誘い込んだ可能性がある。米政府がムサビを支持し、ムサビが政争に負けた時点で、米国の対イラン融和戦略はご破算になり、イランでは対米協調をめざす改革派がまたもや挫折し、対米敵対を維持したい保守派(ホッジャティエ、革命防衛隊)の勝利となる。そんなシナリオが、最初から保守派の側で描かれていたのかもしれない。

▼中東全域への波及

 イランで改革派と保守派(強硬派)のどちらが政権につくかは、サウジアラビアなどのアラブ諸国にとっても大きな問題だ。改革派が勝てば、サウジと融和し、親米路線を共有しうる。サウジとイランの間にあるイラクの政権も、親米穏健路線に引っ張られる。半面、保守派の政権が維持されると、ホッジャティエ的なシーア派至上主義、反スンニ・反米イスラム主義路線が強調され、サウジ国内のシーア派もイランの影響を受けて騒ぎ出し、イラクも反米色を強め、ヒズボラやハマスなども強硬姿勢を変えない。

 サウジのマスコミはこの間、さかんにアハマディネジャドを批判中傷する報道を流した。カタールのアルジャジーラも同様の傾向だ。メッカのムフティ(聖職者)は、シーア派は異端であると、改めて明確に宣言した。イラクのマリキ首相(シーア派)は「サウジ王家は、イラクのアルカイダを支援している」と、サウジ批判を強めている。イラクとイランのシーア派同盟が強まり、サウジなどスンニ派との対立の傾向になっている。 (Iraq bemoans silence on Saudi anti-Shia decree

 トルコでは、マスコミの中でイスラム主義の傾向のものが、イランの改革派を批判し、アハマディネジャドを支持する記事を出している。トルコの現政権はイスラム主義擁護である。イラン・イラク・トルコ・シリアの関係が強まり、サウジ・ヨルダン・エジプトという親米諸国と対峙する傾向が続きそうだ。 (Turkey: Iran Upheaval Poses Diplomatic Challenge for Ankara



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