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北京五輪と米中関係

2008年8月11日   田中 宇

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 北京に、新しいアメリカ大使館が建設された。オリンピック開催の半日前である8月8日の午前8時8分、五輪参加のために訪中したブッシュ大統領が出席し、新大使館の開設式が行われた。北京の新しい米大使館は、世界の米大使館の中で2番目に大きな規模を持っている。北京での米大使館員の数は、2001年の500人から、現在の1000人へと倍増しており、米政府は大使館の移転拡大を決めた。(関連記事

 世界最大の米大使館は、イラクのバグダッドにあり、5000人が働いている。イラクの米大使館も最近完成した新しいものだが、米の軍事産業が巨額予算を獲得するために浪費的に巨大なものを作った経緯があり、巨大だが機能不全の部分が多い。バグダッドの米大使館はフセイン元大統領の宮殿跡に作られたもので、この土地はイラク政府から返還を請求されており、いつまで米大使館として使えるかも怪しい。バグダッドの米大使館は、イラク戦争の産物という、例外・変則的な存在である。事実上、北京の米大使館が、世界最大の米大使館であると考えることもできる。(関連記事その1その2

 中国側も今年7月に、米ワシントンDCで新しい中国大使館を建設した。新中国大使館は、ワシントンにあるあらゆる諸国の大使館の中で最も大きい規模となっている。(関連記事

 北京での新米大使館の完成にあたり、ランド駐中国米大使(Clark T. Randt Jr.)は「米中関係は、21世紀の世界で最も重要な2国間関係である」と表明した。米中相互の大使館の規模の大きさは、この表明が誇張ではないことを示している。以前の記事「アメリカが中国を覇権国に仕立てる」に書いたように、米中関係が世界最重要の2国間関係だという見方は、国際政治の業界で定着した見識になりつつある。(関連記事

 北京五輪の開会式には、ブッシュ大統領、福田首相、プーチン首相ら、過去最大級の50カ国以上の指導者が参列した。アメリカの大統領が米国外で開かれたオリンピックの開会式に出席したのは、今回が初めてである。ブッシュは五輪出席によって、北京五輪を機に中国が国際社会から大国として認知される状況作りに協力している。(関連記事

 欧米や日本では、軍産英複合体による冷戦復活のプロパガンダに乗せられて「五輪反対・チベット独立支援」の市民運動が展開されているが、当のチベット指導者ダライラマは、中国政府との交渉妥結を急ぎたいと思っている。中国政府は、チベットにおける文化宗教面での自由な活動への容認度を上げる代わりに、ダライラマはチベット自治に関する要求度を下げる方向で、双方は交渉妥結への努力をしている。実現しなかったものの、中国側には、ダライラマを四川省大地震の追悼式に参加してもらう構想もあった。日本の自衛隊機を救援物資運搬の口実で飛ばすことで、日中間の対立を緩和しようとしたのと同様、中国政府は大地震を、周辺諸勢力との政治緊張緩和に使おうとしたことがうかがえる。(関連記事

▼北朝鮮を中国に任せる米

 米ブッシュ政権は最近、北朝鮮を「テロ支援国家リスト」から外さない姿勢を表明し始めたが、これも、北朝鮮問題・朝鮮半島和平問題を中国に任せ、米自身は大きな関与をしないという戦略の裏返しであると考えられる。(関連記事

 米朝は6月末、北朝鮮が核開発の全容を6者協議の場で開示し、寧辺原子炉を停止する見返りに、米は北をテロ支援国家リストから外すという交換条件的な合意に達し、米政府は45日後の8月11日に、北をテロ支援リストから除外するかどうかの最終判断を下すことになっていた。しかし、この期限が10日後に迫った8月1日、国務省の北朝鮮担当者であるヒル次官補は米議会の公聴会で「今後の米朝協議では、北の人権侵害の問題を議題に加えることにした」と米政府の新しい立場を表明した。(関連記事

 米政府は03年6者協議が始まって以来、北の核兵器開発を阻止することを最優先するため、協議の場で、北の人権侵害問題など、核以外の問題を議題にすることを避けてきた。そして、いよいよ核問題が解決しそうな時になって、米は新たな協議事項として人権問題を持ち出してきた。

 一つの問題が解決しかけたところで、別の問題を持ち出して強硬姿勢を維持するのは、ブッシュ政権が侵攻前のイラクや、その後のイランに対して行った戦略である。イラクは侵攻され、100万人以上の市民が殺された。イランは、米側から求められているウラン濃縮の停止を強く拒否している。譲歩しても、他の問題を持ち出され、潰されるまで米に許されず、譲歩は無駄だと考えているからである。

 今回、米が北朝鮮に「核廃棄だけでなく、人権問題も解決しないと許さない」と言い出したことは、北がイランと同様の強硬姿勢をとるように、米が(意図して、もしくは意図せずに)誘導していることを意味している。イランの場合と同様、世界の他の国々は、しだいに米の強硬姿勢につき合わなくなる。数年前なら、米がイランや北を軍事攻撃する懸念があったが、イラクとアフガンで疲弊する米軍は、北やイランを攻撃できる状況にない。もはや世界にとって、米は怖くない存在なので、今さら米が強硬姿勢を続けても、世界は真剣につき合わない。

 現在、北朝鮮にとって最重要の国は、北が消費するエネルギーの9割を供給する中国である。そして中国は、米から最重要の国と見なされる傾向を強めている。中国政府は、北が核兵器の原料を持っていることを、大した問題と考えていない。核の有無より、地域諸国間の関係が政治的に安定していることの方が重要だと考えている。国際政治の世界で中国が重視されて自信をつけ、米中が対等な関係に近づく中で、中国は米の非現実的な強硬策につき合わず、現実的な信頼関係重視の政策を北に対して行っていく可能性が高まる。(関連記事

▼米は台湾や竹島でも

 米は台湾に対しても、台湾が馬英九政権になって中国に接近した後、台湾に武器を売らないという異例の姿勢を示した。米は台湾との関係を疎遠にすることで、台湾を中国の方向に押しやっている。(関連記事

 日本に対してもブッシュ政権は、竹島問題で日本側を怒らせるようなことをやっている。米での竹島の正式な呼び名に関して、日本側の「竹島」を使うか、韓国側の「独島」を使うか、それとも欧州が昔に名づけた「リアンクル・ロックス」を使うかという、竹島問題への米としての姿勢を示す問題に関し、米政府の地名委員会は7月下旬、それまでの韓国側の肩を持つ「独島」使用をやめて、中立的な「リアンクル・ロックス」に変えるとの決定を下した。これに対しブッシュ政権中枢は、ブッシュの韓国訪問が近いという理由で、米での竹島の呼び名を「独島」に戻すよう地名委員会に要請し、元に戻させた。(関連記事その1その2

 こうしたブッシュ政権の動きは、日本ではあまり大きく報じられなかった。大々的に報じられると日本人の反米感情が煽られ、日本人を反米にしてアジアの方に押しやりたいブッシュ政権の思う壺だからだろう。対米従属を続けたい日本政府は、日本人の反米感情が強まるのは困る。日本では、米中が世界最重要の2国間関係に向かう準備として、互いに大規模な大使館を建設したことも、まともに報じられていない。日本人が「見ないふり」をしている間に、米は中国をアジアの地域覇権国に仕立てる動きを進め、日本の対米従属は空洞化させられている。

 今回、ブッシュは北京五輪出席のため、中国、韓国、タイを訪問したが、日本には来なかった。98年にクリントン前大統領が日本に寄らずに訪中した際は「ジャパン・パッシング」と呼んで日米ともに大騒ぎしたが、今回は大統領が訪中の際に日本に寄らないことが問題にすらならなかった。

 日本政府はここ数年、マスコミを使って日本人の反中国感情を煽り、米が中国包囲網を作る際の一助になることで、対米従属を強化しようとしたが、米自身が中国重視を強める中、日本の戦略は破綻している。日本にとって「お上」である米が、中国をアジアの覇権国にしたい以上、日本はその事態を受容するしかない。妥協がいやで「反中国」を思い切りやりたい人は「反米」になる必要がある。

 もしくはイスラエル右派のように、米の軍産複合体や右派議員と話をつけた上で、日本の自衛隊が米軍を巻き込む形で中国に先制攻撃し、米中戦争を勃発させ、日米VS中国の冷戦型の長期戦争を実現するという構想もあり得るが、米の右派には「やりすぎによって自滅させる」という隠れ多極主義者がいる。今のイスラエルのように、日本が自滅的な戦争の矢面に立たされて終わる可能性が大きく、非常に危険である。共和党マケイン候補が次期大統領になったら、米軍産複合体の利権を背景に、日本に中国との戦争をけしかけるかもしれないが、日本がこれに乗ると、再び「敗戦」の破滅を経験することになりかねない。

▼日本のナショナリズム

 中国が日本より優勢で強い国になることは、日本の「戦後」が終わることをも意味する。戦後の日本は、戦前のようにアジア最強の立場を利用して中国などのアジア諸国に侵攻占領することを繰り返さないよう、日本人が自らのナショナリズムを自己抑圧したり、自国の軍事拡大に対して嫌悪感を抱くような世論作りや教育が行われてきた。しかし、アジア最強の国が中国になり、朝鮮半島や東南アジアの諸国が、日本ではなく中国の顔色をうかがうようになると、もはや日本が再びアジアを侵略する恐れがない状態になる。日本が自らナショナリズムや軍事化を抑制する必要はなくなる。

 すでにこの「脱戦後」の状況は、10年ほど前から、日本でのマスコミなどによるナショナリズム発揚の動きや、防衛庁の省への昇格などの形をとって表れている。もはや、日本はアジアで最強ではなく、アジア侵出する可能性はないのだから、日本が国民のナショナリズムを煽ってもかまわないことになる。中国や韓国は戦後ずっと、国を挙げて国民のナショナリズムを煽り続けてきた。

 日本では自国のナショナリズムを嫌い、中国や韓国のナショナリズムを黙認(ときに賛同)する「左翼」は時代遅れとなり、ほぼ絶滅した。終戦記念日や、広島・長崎の原爆記念日も、影が薄くなっている。

 今の中国は、日本のナショナリズム高揚や軍拡に、あまり懸念を持っていない。中国は冷戦中には、米が日本に再軍備させて中国と対抗させることを警戒し、日本のナショナリズム高揚を懸念していたが、すでに冷戦は終わり、米中枢で冷戦派(軍産英複合体)より多極派(親中派)が優勢になって、中国の台頭が容認・誘発され、アジアの国際関係が中国中心になっていく傾向が確定する中、中国は日本を懸念しなくなった。もはや、国外から日本を抑止しようとする力は存在しない。

 日本は米にも中国にも気兼ねせず、国家戦略を自由に決められる状況になっているが、逆にこの状況は日本人にとって「従うべき方向感」が失われた閉塞的な感覚をもたらし、日本のナショナリズムは自閉的になっている。もったいないことである。



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