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原油ドル建て表示の時代は終わる?

2007年11月20日  田中 宇

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 サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、カタール、オマーン、バーレーンという「湾岸諸国会議」(GCC)を構成する6つのペルシャ湾岸産油国は、合計で世界の石油の22%を産出している。だがその一方で6カ国は、軍事的に弱く、安全保障をアメリカに頼らざるを得ない。6カ国は、アメリカに守ってもらう代わりに、通貨をドルに連動(ペッグ)させ、石油を売って貯めた巨額の資産をドル建てにしてアメリカで運用し、金融面でアメリカを支えてきた。(クウェートは今年5月にドルペッグをやめた)

 最近のドル安で、通貨をドルペッグしている湾岸諸国ではインフレがひどくなっている。湾岸ではユーロ圏からの輸入が多く、インフレに拍車がかかっている。アメリカは不況に突入しそうで利下げを繰り返しているが、湾岸諸国では景気が過熱しており、本来は利上げが必要だ。だが、通貨をドルにペッグしている以上、アメリカが利下げしたら湾岸5カ国も利下げしないと、5カ国の通貨が過剰に買われ、ペッグが外れてしまう。

 しかし、インフレのことを考えると、連動利下げは無理だ。9月以降、湾岸5カ国は、アメリカの利下げに連動できず、IMFに叱責されている。すでにクウェートは今年5月、インフレに耐えられなくなってドルペッグをやめた。(関連記事

 湾岸諸国のドルペッグは大きな矛盾を抱えている。しかし、すぐ近くのイラクでは戦争が続き、戦争はイランやレバノンといった他の周辺国にも飛び火しそうな勢いで、アメリカ離れを意味するドルペッグ停止に踏み切ることは、安全保障上、得策でない。そのため湾岸諸国は、矛盾を抱えつつも、ドルペッグを今後も維持し、ドル安が進んだら通貨切り上げで対応するだろうというのが欧米マスコミの見方だった。(関連記事

 しかし、11月17−18日にサウジアラビアの首都リヤドに世界の産油諸国が集まって開かれたOPEC(石油輸出国機構)のサミット会議を機に、湾岸諸国のドルペッグの将来展望が急転換しそうな流れが、にわかに始まっている。

▼湾岸共通通貨で石油価格を表示する

 OPECのサミットでは、世界を揺るがす議論が展開された。最近のドル崩壊を背景に、反米的なイランとベネズエラの代表が「ドルは紙くずに近づいているのだから、原油価格をドル建てで表示するのはもう止めて、代わりに(ドルやユーロ、円、ポンドなど)各種通貨を混合した通貨バスケットで原油価格を表示するよう、制度を変えるべきだ」と主張した。イランとベネズエラは「問題なのは原油価格が高騰ではなく、ドルの下落だ。アメリカが引き起こしたドル安こそが問題だと、今回のOPECの共同声明で明確に表明すべきだ」とも主張した。(関連記事

 これに対し、親米で慎重派のサウジアラビアは「われわれが共同声明の中で、ドル安について議論したと認めただけで、ドル相場が崩壊し、良くない結果を生む」と反論し、ドル安懸念を共同声明に盛り込むことを阻止した。とはいえサウジは、原油価格の中心をドル建てから通貨バスケット建てに移行する案について、12月5日にアブダビで開かれる予定の次回のOPECサミット会議までに蔵相会議を開き、詳しく検討することに同意した。(関連記事

 原油価格をドル建てではなく「通貨バスケット建て」で表示するというのは、具体的にどのようなことなのか。詳しい説明はなされていない。しかし、12月5日の次回OPECサミットの前日、12月3−4日に、湾岸諸国(GCC)6カ国のサミットが開かれ、そこで6カ国が採ってきたドルペッグ制の見直しが行われるということと関連して考えると、OPECとGCCで何が構想されているのか見えてくる。

 12月3−4日のGCCサミットでは、ドルペッグを維持して対ドル為替の切り上げだけを行うか、もしくはクウェートが今年5月に行ったようにドルペッグをやめて、代わりにドルやユーロ、円、ポンドなど各種通貨を混合した通貨バスケットに対するペッグに切り替えるかという選択肢について検討し、決定する。(関連記事

 GCCは従来、6カ国がドルペッグを維持したまま、2010年には通貨統合するという構想を持っていた。もし12月3−4日のGCCサミットで、GCC6カ国の通貨をドルペッグから通貨バスケットへのペッグに変えることが決まった場合、GCCは通貨バスケットに対するペッグを維持して2010年に通貨統合するという構想に切り替えることになりそうだ。そして、12月5日のOPECサミットでは、今後の原油価格は、通貨バスケットにペッグしているGCCの共通通貨建てで表示する新制度について検討することになる。

 これまで原油の国際価格は、ドル建て一本だった。そこにOPECが「GCC共通通貨建て」の価格を導入することは、ドルが戦後60年間持っていた国際決済通貨としての地位を失うことを意味する。この地位喪失は、世界各国がドルを備蓄通貨として保有してきた従来の習慣を縮小させ、各国は米国債を買ったりドル建てで対米投資したりする額を減らすことになり、ドル下落に拍車をかけ、アメリカの金融相場は下落し、米国債は買い手が減って金利が上がる。

▼切り上げかバスケット化か

 このようなアメリカの大損害を考えると、GCC諸国のドルペッグ停止をアメリカが容認するはずがなく、OPECが原油価格のドル建て表示を止めることにもアメリカから圧力がかかって実現せず、イランやベネズエラの反米的な指導者たちによる犬の遠吠えに終わる、とも考えられる。

 しかし一方で、湾岸諸国はドルペッグをもう維持できなくなっていることも事実である。アメリカの連銀は12月11日の次回会合(FOMC)で追加利下げをする可能性があるが、アメリカで追加利下げが実施されても、湾岸諸国はインフレがひどいので追随する利下げを実施できない。ますます、ペッグの維持は難しくなる。

 アラブ首長国連邦の中央銀行総裁は、日韓などを訪問中の先週末、ドルペッグを通貨バスケットへのペッグに切り替えることを検討していることを明らかにした。米大手証券会社メリルリンチは、アラブ首長国連邦とカタールは半年以内にドルペッグをやめるか、ペッグを維持しても通貨を切り上げるだろうと予測している。サウジアラビアの通貨リヤルの先物相場の動向からは、市場参加者が、サウジも切り上げかドルペッグ離脱のどちらかを行うと考えていることがうかがえる。(関連記事

 米経済雑誌フォーブスは、一度だけ集団で通貨の対ドル切り上げをやってはどうかと湾岸諸国に勧めている。12月3−4日のGCCサミットでは、ドルペッグを通貨バスケットペッグに切り替えるのではなく、ドルペッグを維持して集団切り上げを行うことが選択されるかもしれない。(関連記事

 しかし、アメリカの金融危機は日に日に悪化し、連銀は金融機関を救うためドルを大増刷しており、世界的なインフレは今後もっとひどくなりそうだ。ドル相場の下落が続くことはほぼ確実だ。湾岸諸国が通貨の対ドル切り上げをやっても、その効果は短期間しか持たない。(関連記事

 今後半年ぐらいの間に、湾岸通貨は通貨バスケットへのペッグに切り替わり、OPECは湾岸通貨建て(最初はサウジ・リヤル、いずれは湾岸統合通貨)での原油価格の表示を開始するという、イランがOPEC会議で主張した展開があり得る。ドルが下落する中で、OPECが湾岸通貨建ての原油価格の表示を開始することは、悪循環的にドル下落に拍車をかけ、ドルが原油価格の中心的な値付けである状態を終わらせる。

 これは、従来の常識からすると「あり得ない」話である、しかし、私がふだん接している米英のマスコミや分析者の記事を総合すると、今後2−3カ月ぐらいの間に、アメリカの経済と金融、ドルの状態は、急速に悪化していくだろうと強く感じる。状況が好転する兆しは全くない。湾岸諸国がドル離れを希望するのは当然である。(関連記事

▼ドル離れを黙認するアメリカ

 常識的に考えると、アメリカはGCCやOPECのドル離れを許さないと思われるが、現実の展開を見ると、実はアメリカは産油国のドル離れを容認している。アメリカの影響下にある国際機関であるIMFやG7が昨年春、世界的な不均衡(アメリカの巨額な経常赤字)を解消するため、湾岸産油国と東アジア(中国と日本)に、各地域の地域通貨を作ってドル離れを進めるよう求めたからである。(関連記事

 以前の記事に書いたが、アメリカは自国通貨が唯一の国際決済通貨だったことで、世界経済の成長を維持するため、米国民に無理に消費させたり、財政赤字を増やしたりといった負担を強いられてきた。その負担はもう限界なので、ユーロのほか、新たに富を蓄積している湾岸産油国と中国(と日本)に、地域的な基軸通貨を新設してほしいと、アメリカは求めている。

 湾岸産油国も日中も、負担増がいやなので、アメリカの求めに応じていないが、今回のドルペッグ危機を機に、湾岸諸国がドル離れし、通貨バスケットという形で独自の共通通貨を作る動きを見せていることは、アメリカにとって好ましいことである。米政府は表向き「強いドルが望ましい」と言いつつ、その一方で「ドルの動きは市場に任せる」と言って、ドル崩壊を黙認している。

 こうしたアメリカの態度は、私から見るとまさに「隠れ多極主義」であるが、常識的に考えると、アメリカがドル崩壊を黙認するのは理解しにくい。湾岸諸国の盟主であるサウジアラビアは、どう対処すべきか迷っているに違いない。サウジ王室は、一方では911事件で濡れ衣を着せられて敵視された教訓から、反米的な言動を慎み、米政界ににらまれないようにする戦略を採っている。

 だが同時に、昨年来のドル弱体化の局面では、アメリカ(G7やIMF)から「ドル離れ」を勧められている。ドル下落の中で、ドル離れが必要になっているが、ドル離れの勧めは「わな」かもしれず、ドル離れを実施したら、アメリカからどんな制裁を受けるかわからないという懸念もある。

 こうしたジレンマを回避するため、サウジアラビアは今回のOPEC会議で、イランとベネズエラという反米連合に、あえて言いたい放題に言わせ、反米連合がドル離れを提唱することを黙認した。

▼「技術的な手違い」で世界に報じさせる

 OPECのサミット会議は非公開なので、会議の中でイランやベネズエラがいくら反米的なことを言っても、そのままでは世界のマスコミに報じられない。だが、11月17日にサウジの首都リヤドで開かれたOPEC会議では「技術的な手違い」によって、議場の画像と音声が30分間にわたり、インターコンチネンタルホテルのマスコミの控え室のモニターに実況中継されてしまうというハプニングが起きた。

 手違いの実況中継があった30分間はちょうど、イランとベネズエラの石油担当相が、OPECの原油価格設定をドル建てから通貨バスケット建てに切り替えるべきだと提案し「この会議の終了時の共同声明に、問題はドル安だと盛り込むべきだ」と主張し、それに対してサウジの外相が「会議でドルの問題が論じられたと記者団に言っただけで、ドルは崩壊してしまうので、共同声明に入れるのはダメだ」と反論するという、今回の会議の議論の中で最も世界を揺るがす部分だった。

 ちょうど記者控え室にいたロイターなどの記者は、モニターに映っているのが非公開のはずのサミット会議の熱い議論であると知って驚き、議論の内容が「ドルの崩壊懸念」であることにさらに驚きつつ、必死にメモを取り、ロイターは記事として速報した。30分後、速報が世界を駆けめぐっていることをOPEC事務局が知り、警備員を記者控え室に急派してモニターの線を引っこ抜いた。(関連記事

 この一件は「手違いによる事故」とされて終わったが、私はむしろ、産油国がドル安を懸念していることを意図的に世界に流すため、OPEC会議主催者のサウジアラビアが作った仕掛けだったのではないかと疑っている。OPECがドル安を懸念していることを世界に知らせ、それを受けて米政府がどう反応するかを見極め、ドルペッグを外すかどうかの判断材料にしたのではないか。ドル安を懸念する声は「正式表明」ではなく「手違い」で漏れた話なので、サウジはアメリカから敵視されにくい。

 もしアメリカが、ドルペッグを外すことを黙認する姿勢を見せるなら、その後のサウジは、イランとベネズエラに引っ張られるかたちで「やむなく」ドルペッグを外し、原油価格の表示もドル建てから変えていく、というシナリオが予測される。日本のことわざに「牛に引かれて善光寺参り」というのがあるが、サウジの戦略はそれと同じで「イランに引かれてドル離れ」である。ことわざと少し違う点は、サウジはイランに引っ張られるふりをして、実は意識的にドル離れを画策していることだ。

(広辞苑によると「牛に引かれて善光寺参り」は、長野の善光寺の近くの不信強欲の老婆が、さらしておいた布を隣家の牛が角にかけて走ったのを追い、知らぬうちに善光寺に駆け込んで霊場であることを知り、後生を願うに至ったという伝説。ほかのことに誘われて偶然よい方に導かれること)

 私が見るところ「牛に引かれて善光寺」を演じる戦略は、実はアメリカのチェイニー副大統領やネオコンが元祖である。「イランやロシアを反米の方向に努力させ、アメリカは悪を演じつづけ、その結果として世界を多極化する」という「隠れ多極化戦略」である。多くの人は「アメリカが自滅したがるはずがない」と思っているので、私の逆説的な分析はほとんど理解されていないが、親米だったサウジがドル離れを起こすことは、チェイニーらの多極化戦略が成功しつつあることを示している。



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