イランの台頭を容認するアメリカ2007年6月1日 田中 宇この記事は「アメリカを中東から追い出すイラン」の続きです 最近、国連機関である世界銀行で、ポール・ウォルフォウィッツがスキャンダルで総裁を辞任し、ブッシュ政権は後任の総裁に元国務副長官のロバート・ゼーリックを指名した。ウォルフォウィッツは世銀総裁になる前、ブッシュ政権の国防副長官で、好戦的な政策を展開する「ネオコン」の代表格として、アメリカをイラク侵攻に持ち込んだ黒幕の一人だった。(関連記事) それだけに、世銀内でも彼を嫌う人は多く、独身のウォルフォウィッツが同じ組織で働く恋人に高い給料を出しすぎたという、どこにでもありそうな話をきっかけに世銀内外から辞任要求が噴出し、スキャンダル発覚の4月初めから、ウォルフィが辞任を決めた5月中旬まで、延々と騒ぎが続いた。 この騒動の裏で、世銀では意外な方針が決定されていた。イランからパキスタンを経由してインドまで続く天然ガスパイプラインの建設に世銀が融資を行う方向性(パキスタンなどが望むなら融資しても良いという表明)を、5月初めに世銀の副総裁が発表した。イランは世界第2位の天然ガス埋蔵国で、パイプラインが機能すれば、欧米からの経済制裁によって行き詰まっているイラン経済を好転させる。(関連記事) 世銀の融資提案が発せられた後、イラン・パキスタン・インドは話を進め、早ければ7月にもパイプライン建設の合意文に調印する運びとなっている。世銀融資という国際的なお墨付きがあれば、欧米の民間金融機関もこのパイプラインに投資しやすくなる。(関連記事) 世銀は、発展途上国の開発事業を融資によって支援する機関で、その点ではインドやパキスタンのエネルギー事情を改善できるパイプラインへの融資はおかしくない。しかし世銀は事実上、アメリカ政府の支配下にあり、創設以来10人の歴代の総裁はすべてアメリカ人である。世銀が決める重要事項はすべて米政府の了解を取っているはずだ。(世銀総裁はアメリカが、IMF専務理事は西欧が出すのが慣例になってきた)(関連記事) ブッシュ政権は核疑惑でイランを敵視し、戦争を仕掛けんばかりで、イランに対する経済制裁も行っている。イランに巨額のガス販売収入をもたらすパイプラインの建設に世銀が融資することは、ブッシュ政権がイランに対する戦略を、敵視から宥和に転換したことを意味しかねない。アメリカは先日、27年ぶりにイランと2国間協議を行っており、戦略の転換はあり得る話だ。アメリカが、敵視しているはずの「悪の枢軸」の国に対し、いつの間にか譲歩と宥和策を重ねる展開は、北朝鮮の6カ国協議をめぐっても行われている。 ▼ブッシュ政権の方針転換でウォルフィ追い出し? 世銀の融資が、ブッシュ政権の対イラン戦略の転換を意味するのだとしたら、この時期にウォルフォウィッツがスキャンダルで辞任させられ、代わりに親中国派で世界の多極化を容認しているゼーリック(ニューヨークの投資銀行出身)が世銀総裁になることは、ブッシュの戦略転換と関係している。ウォルフォウィッツはユダヤ人で父の代からのシオニストであり、イスラエルとの関係が深い。(関連記事) イスラエルは、アメリカが対イラン戦略を宥和方向に変えることに最も強く反対している。イランが許されて台頭し、アメリカがイランに追い出される形で中東から撤退したら、その後のイスラエルは、イラン傘下のヒズボラやハマスに戦争を仕掛けられ、潰されてしまう。 イスラエルは、核疑惑を使ってアメリカにイラン侵攻をさせようとしているが、アメリカはイラク占領の泥沼で手一杯で、米軍の将軍たちはイラン攻撃に反対している。(関連記事) そのためイスラエルは、むしろ欧米政府を動員してイランに対する経済制裁を強化し、欧米の企業にイランへの投資や取引を禁じる戦略を展開している。イラン政府の収入源になっている石油やガスの開発に必要な資金を枯渇させ、イラン経済を行き詰まらせて、イスラエルへの敵視が強い強硬派のアハマディネジャド政権を倒す政治運動をイラン国内に誘発する戦略である。すでにイランは政府財政が苦しく、非常に安く設定されているガソリンの小売価格を引き上げることを検討しているが、これはイラン人をかなり怒らせ、国民は反政府感情を強めている。(関連記事その1、その2) イスラエル側は、もう一息だと思っているらしく、先日は野党リクードの党首であるネタニヤフがアメリカを回り、年金基金など機関投資家に、イランと取引している企業の株を売却する方針を表明するよう呼びかけた。民主党の次期大統領候補の一人であるバラク・オバマは、イスラエルに媚を売って当選するつもりらしく、ネタニヤフの戦略を自分の政策として採り入れた。共和党のカリフォルニア州知事のシュワルツネッガーもネタニヤフと会い、州の年金基金によるイラン制裁方針について検討することにした。(関連記事) 世銀がイラン・パキスタン・インドのパイプラインに融資することは、このようなイスラエルの動きと真っ向から対立している。イスラエル寄りのウォルフォウィッツが総裁を続けている限り、この融資が認められることはなかっただろうが、多極化容認のゼーリックが次期総裁になれば、融資は実現する可能性が高くなる。イスラエルのイラン金融制裁強化戦略は、風穴を開けられて失敗に瀕する。(関連記事) アハマディネジャド大統領は最近、金融制裁に対抗し、サウジアラビアやアラブ首長国連邦といった金持ちのアラブ産油国との外交関係を強化しており、アラブの資金をイランのエネルギー開発に投資してもらおうと画策している。(関連記事その1、その2) ▼トルコ経由でシリアに武器を送るイラン アメリカとイスラエルは、これまでイランをさんざん敵視し、脅してきたので、今の時点でアメリカがイランに対する宥和策に転じても、イランの方はアメリカやイスラエルへの敵対を緩めることはなく、むしろアメリカが宥和策に転じたすきに、アメリカとイスラエルに対する攻撃を強める方向に動いている。 5月30日、この動きを象徴する事件がトルコで起きた。イランからトルコ経由でシリアに向かっていた貨物列車が、トルコ東部で脱線事故に遭い、事故の現場検証の一環としてトルコの捜査当局が貨車の積み荷を調べたところ、大量のライフルやロケット砲が見つかった。この武器は、イランがシリア経由でレバノンのヒズボラに与えるためのものだったと考えられる。ヒズボラの戦争準備は、イスラエルを攻撃するためで、昨年夏のイスラエル・ヒズボラ戦争の続きが今夏に行われそうだと、以前から予測されている。(関連記事その1、その2) (脱線事故は、トルコ政府に反対している地元のクルド人ゲリラPKKが線路に地雷を置いたために起きた。PKKはイランやシリアを敵視しているわけではなく、おそらく脱線させた貨車の積み荷が偶然にも武器の山だったという話だ)(関連記事) 事件の翌日、トルコの捜査当局は「貨車にはロケットなど積んでいなかった」と言い出し、話を小さくしようとしているように見える。トルコ政府は、PKK掃討で隣国イランに手伝ってもらう見返りに、武器の貨車輸送を黙認してきたのかもしれない。すでにこのルートでかなりの量の武器がイランからシリアに運ばれていると思われる。イランがヒズボラを使ってイスラエルを倒そうとする戦争準備が着々と進んでいる観がある。(関連記事) ▼スンニとシーアを共倒れさせるはずが・・・ レバノンでは最近、南部に住むシーア派のヒズボラとは別に、スンニ派のパレスチナ人の難民キャンプに「ファタハ・イスラム」と名乗るイスラム過激派組織が入り込み、レバノン政府軍と銃撃になったりして騒動が起きている。(関連記事) (レバノンでは、イスラエル建国によって追い出されたパレスチナ人約50万人が、レバノン政府から市民権を与えられぬまま貧しい難民生活を送っている。レバノンは民族・宗教のモザイク国家で、人口比であらかじめ各集団に国会議員数や政府高官職を割り当てるなど、微妙なバランスの政治状況にある。パレスチナに市民権を与えると、このバランスが崩れてしまう)(関連記事) ファタハ・イスラムは、パレスチナの主要政党であるファタハの分派とされ、シリアの支援を受けているとか、アルカイダとつながっているとか言われているが、私が見るところ、この組織が勃興した背景には、ブッシュ政権が昨年から展開している「スンニ派ゲリラ(アルカイダ系)をシーア派ゲリラ(イラン系)と戦闘させて共倒れにする」という策略がある。この策略については以前の記事「扇動されるスンニとシーアの対立」に書いた。ファタハ・イスラムは、この策略が始まった時期である昨年11月に結成されている。(関連記事) 昨年夏のイスラエル・ヒズボラ戦争について、以前に「米チェイニー副大統領がイスラエルをけしかけてヒズボラとの戦争を拡大させた」と看破したアメリカの記者セイモア・ハーシュは、今回は「チェイニーがサウジアラビア王室の親米派のバンダル王子に頼み、ファタハ・イスラムに資金援助させた」と述べている。(関連記事その1、その2) レバノンでファタハ・イスラムが決起した直後、アメリカはレバノンに貨物輸送機6機分の武器を送っている。これは表向き、ファタハ・イスラムと戦うレバノン軍を支援するためと説明されているが、レバノン軍は国内ゲリラ諸派の対立において完全中立を保っており、ファタハ・イスラムとは銃撃戦が起きているものの、本質的に対立はしていない。チェイニーの策略に沿って考えると、アメリカがレバノンに送った武器は、レバノン軍を経由してファタハ・イスラムに送られていると推測される。(関連記事) 問題は、チェイニーらが画策している「共倒れにする作戦」が、逆効果を生むのはほぼ確実だという点である。逆効果とは、ファタハ・イスラムがヒズボラと戦わず、両者は逆に「結束してイスラエルを倒す」という共闘に動きそうだということである。ファタハ・イスラムは、自分たちの目標は「イスラエルに攻め込み、エルサレムをイスラムの側に奪還すること」「アメリカを中東から追い出すこと」だとしている。これは、ヒズボラやハマスやサドル師、そしてイランが求めていることと全く同じである。(関連記事) 私は以前から「チェイニーらはイスラエルを支援するふりをして潰そうとしているのではないか」と疑っている。チェイニーがファタハ・イスラムを支援していることも、スンニとシーアを戦わせて共倒れにする戦略のふりをして、実はスンニとシーアを結束させ、そこにアメリカが武器を注入し、最終的にイスラエルに対して戦いを挑ませることを、隠れた目的としているのではないかと感じる。(トルコで脱線したイラン発シリア行きの貨車から見つかった大量の武器も、アメリカ製だった) ▼タリバンを支援し始めたイラン もう一カ所、最近イランの影響力が拡大している場所として、アフガニスタンがある。イランは最近、アフガニスタンの前政権であるイスラム過激派組織タリバンに、武器を送って支援し始めている。アフガニスタンを占領するNATO軍は最近、タリバンの勢力圏であるアフガン南部で、しばしばイラン製の武器が運送されているのを押収している。先日は、イラン国境の近くで、イラン製のカラシニコフ銃や新型爆弾が押収されている。米軍によると新型爆弾は、イランがイラクの反米ゲリラに送っているものと同型だという。(関連記事) もともとシーア派のイランと、スンニ派のタリバンは仇敵である。アフガニスタンは周辺国からの影響を強く受けている国で、西のイラン、南のパキスタン、北のロシア(旧ソ連)が、それぞれに武装勢力を支援し、代理戦争を続けてきた。ソ連崩壊後、パキスタン系のタリバンが強くなり、イランとロシアはタリバンに対抗する諸勢力をアフガン北部に結集させて「北部同盟」を作り、戦わせていた。 タリバンはパキスタンの軍事支援のほか、サウジアラビアの資金援助を受けていた。1979年のイスラム革命以降、シーア派のイスラム主義を広げようとするイランに対抗するため、サウジはスンニ派のイスラム主義を鼓舞しており、その関係でタリバンは反イラン・反シーア派の姿勢をとっていた。 イランが支援する北部同盟は、911後の米軍によるアフガン戦争で、米軍を支援してタリバンを蹴散らし、その功労賞として次の米傀儡系のカルザイ政権は、北部同盟の指導者であるイスマイール・ハーン(親イラン。西部が地盤)や、ドスタム将軍(もともと親ロシア。北部が地盤)を閣僚にしたり、地元の州知事に任命した。(関連記事) しかしその後、2004年から、カルザイ大統領は自らを強化するために中央集権化を進め、ハーンもドスタムも知事を解任され、代わりにカルザイの子飼いの勢力が知事になった。アメリカは「悪の枢軸」に指定したイランがアフガニスタンで勢力を維持することを許さず、カルザイの権力を強めることで、北部同盟の勢力を外しにかかった。イランの上層部は、01年のアフガン戦争で米軍を支援したことを後悔した。(関連記事) 米軍に蹴散らされて故郷のアフガン南部の山村に退却していたタリバンは昨年から再結集し、自爆テロやNATO軍と戦闘を繰り返すようになった。これに合わせるようにイランも今年に入って、タリバンに対する武器支援や、アフガン政界において北部同盟系の政治家たちを結集させる動きを開始し、カルザイ政権に圧力をかけ始めた。 ▼パキスタンと話をつける 今年3月には、ハーンやドスタムら北部同盟系の政治家たちが集まって「統一国民戦線」(United National Front)を結成した。この組織にはイランが資金援助していると指摘されている。統一戦線には北部同盟系の勢力だけでなく、パキスタンの諜報機関(ISI)に近い勢力も入っている。ISIはタリバンを作った黒幕であり、北部同盟とタリバンという以前の敵どうしを、カルザイ政権打倒という新機軸で団結させたい意図が見える。カルザイは統一戦線の結成直後、タリバンと交渉すると初めて表明し、統一戦線に対抗する動きを示した。(関連記事その1、その2、その3) タリバンは昨年暮れの段階では、今春に反NATO、反カルザイの大規模なゲリラ闘争を開始すると予告していた。だが今年3月に、統一戦線(イラン系)とカルザイ(欧米系)の両方から交渉したいと持ち掛けられたため、ゲリラ闘争は限定的な規模にとどまっている。(関連記事) タリバンのゲリラ活動は本格化していないものの、すでに破壊的な悪影響を欧米側に与えている。タリバンは5月19日、アフガン北部に駐留するNATO傘下のドイツ軍に対して初めての自爆テロを挙行し、兵士3人が死んだ。この事件はドイツ本国に衝撃を与え、アフガニスタンに駐留し続けることに疑問の声が挙がっている。カナダなど他のNATO諸国でも、アフガニスタンから撤退すべきだという世論が高まっており、タリバンの自爆テロはNATOに撤退を促す効果をもたらしている。このような現象は、イランもひそかに歓迎しているはずである。(関連記事) イランはまた、タリバンの背後にいるパキスタンにも外交的に接近した。イランはパキスタンに天然ガスパイプライン計画を持ち掛け、今年5月には高官が相互訪問し、6月にはイランのアハマディネジャド大統領がパキスタンを訪問する予定になっている。アメリカとNATOはアフガニスタンで苦戦し、アフガン国民の反米感情も高まっている。欧米勢はいずれ撤退していき、カルザイ政権は崩壊するだろうから、タリバンの背後にいるパキスタンと、北部同盟の背後にいるイランで、その後のことを話せる関係を作っておこうとするのがイランの意図だろう。(関連記事) イランは5月初めから、難民としてイランに逃げてきている約100万人のアフガン人のうち、数万人をアフガニスタンに強制帰国させている。アフガン側では、首都カブールやイラン国境沿いの地域で、イランから追い出された難民たちが行き場を失って窮状に陥っている。これも、カルザイ政権に揺さぶりをかけるイランの戦略であろう。(関連記事) ▼反米で止揚されるスンニ・シーアの対立 タリバンに代表されるスンニ派のイスラム過激派組織は、イスラム革命後の1980−90年代には、イラン主導のシーア派イスラム主義運動を潰そうとする、アメリカに支援されたサウジアラビア主導の、スンニ派イスラム主義運動の道具として有効であり、強かった。しかし911後、アメリカがイスラム世界全体を敵に回した結果、今やスンニ派もシーア派もイスラム主義は強い反米感情を持っている。 アメリカがスンニ派とシーア派を敵対させる戦略は、もはや有効ではない。タリバンや、パレスチナのハマスなど、スンニ派のイスラム過激派にとっては、むしろシーア派のイランからの誘いを受け、反米・反イスラエルの方向でシーア派と結束した方がイスラムの大義に沿っている。 そもそも、スンニ派とシーア派の間の政治的な憎悪は、イスラム革命後のアメリカの戦略に沿って扇動されたものであり、911後の状況の変化の中で、相互の憎悪は、アメリカやイスラエルに対する憎悪に置き換わっている。この置き換わりは、イラク戦争やテロ戦争といったアメリカの戦略の失敗(もしくは故意の失策)の結果であり、今後、中東情勢にさらに大きな変化をもたらすことが予測される。 アメリカはいずれ実行するイラク撤退によって中東への影響力を大幅に失い、石油利権も失うだろう。親米だったサウジ、エジプトは非米諸国の仲間入りし、ヨルダンは王室が倒されてパレスチナ人の国になるかもしれない。イスラエルは戦争で潰れるかもしれないが、その前に200発持っているとされる核弾頭をイランなどの敵国に向けて発射する「サムソン・オプション」を挙行するかもしれない。北イラクのクルド人は独立宣言するかもしれないが、その場合、トルコが北イラクに侵攻して戦争になる。すでにトルコ軍は、イラク国境沿いに結集している。(関連記事)
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |