イラクの技術者を皆殺しにする戦略2006年3月5日 田中 宇この記事は「イラク・モスク爆破の深層」のフォローアップ短信です。 米軍占領下のイラクで、学者や技術者、医者、教師、記者、弁護士、銀行家、政治家など、一般市民の中で技術や知識を持った人々に対する殺害が相次いでいる。殺害は、米軍占領開始時から増え始め、最近特に増加している。 医者の場合、すでに300人が殺され、殺害を恐れた多くの医者が国外に脱出した結果、今ではイラクには2000人の医者しか残っていないという(侵攻前の医師数は不明)。殺害犯は、被害者が職場から自宅に戻る途中で待ち伏せし、その場で殺したり、誘拐して殺して遺体を道路に放置する手口で、組織的・計画的に次々と、知識と技能を持ったイラク人を殺しているのだと推測されている。 イラクでは、オスマントルコ以前からフセイン政権まで、少数派のスンニ派が権力を持っていたため、知識や技術を持った人々にはスンニ派が多い。スンニ派を代表する「イスラム聖職者協会」は「殺害犯の背後には、米占領軍と、親イランのシーア派組織「SCIRI」が握っているイラン政府内務省がいるに違いない」と批判している。アメリカもイランも、イラクの分裂と弱体化を狙っているからだという。 (関連記事「White-collar Iraqis targeted by assassins」) だが私から見るとイランに関しては、前回の記事に書いたように、最近のアハマディネジャド政権のイランは、イラクのイスラム主義勢力に接近し、宗派を超えて反米・反イスラエルの方向で結束する戦略を模索している。イラクの分裂と弱体化を画策している一番の勢力は、イランではなく、アメリカとイスラエルの方である。 (1980年代のイラン・イラク戦争の際、イラクのフセイン政権以来は、何でもイランのせいにする宣伝作戦をとっており、その影響が、その後もイラクの人々の頭に残っている) イラクの優位性は、1920年代の建国以来「豊富な石油」と「チグリス・ユーフラテス川の水を使った中東では貴重な穀倉地帯」に加えて「古代メソポタミア文明以来の知識人・技術者を育てる教育の伝統」であり、中東で最も強い国になる潜在力を持っていた。中東の中でも、サウジアラビアには石油はあるものの穀倉地帯と知識人が欠けていた(ここ30年でアメリカ留学組を急増させたが)。エジプトには知識人と穀倉地帯があるが石油が少ない。 アメリカとイスラエルは、1991年の湾岸戦争以来、イラクの潜在力を潰すことを目的に経済制裁の国際体制を敷き、経済難に陥ったイラクでは、識字率が湾岸戦争前の90%から、今では50%以下に落ちた。サダム・フセインは独裁者だったが、イラク国家の強化を渇望しており、国力の源泉となる技術者や医者などを育てる教育には熱心だった。しかし、こうした状況はアメリカの侵攻とともに終わり、技術者や知識人が次々と殺される事態になっている。 このまま事態が進むと、たとえ今後米軍が撤退しても、その後の国家再建に必要な技術者やホワイトカラーがいない状態になる。それらの層を再び育てるには、20年も30年もかかる。知識を持った指導者がいなければ、内戦にも陥りやすい。その間、イラクは弱い国であり続けることになり、イスラエルにとって中東最大の脅威が消失している状態が続くことになる。技術者や知識人を殺しているのは、前回の記事で指摘した、米軍に雇われた殺し屋勢力である可能性が大きい。
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