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アメリカの機密漏洩事件とシリア

2005年10月18日  田中 宇

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 前回の記事「シリアの危機」で、シリアのガジ・カナーン内務大臣の死亡について、シリア政府が発表しているような自殺ではなく、アサド大統領の親族の指令で殺されたのではないか、という可能性について書いた。その後、この可能性をさらに高めるような出来事が起きている。

 シリアのファルーク・シャラ外相は10月13日、カナーン内相の死の翌日に行われた国葬で、弔辞を読んだ。その中でシャラ外相は、2度にわたり、カナーンの「自殺」と言うべきところを「暗殺」と言った。最初の言い間違いはそのまま読み流され、2度目の言い間違いの際は「暗殺」と言った後「すみません」と言い「自殺」と言い直した。

 それだけではない。検事総長のムハマド・アルロージ(Muhammad al-Louji)も同じ日、検死結果を発表するための、テレビ中継された記者発表で、シャラ外相と同様の言い間違いをしている。アルロージは発表の中で「内務相の事務室で発生したこの殺人、いや間違いました暗殺は・・・」と述べ、それがそのままシリア全土に放映された。(関連記事

 言い間違いをしたのが一人だけなら、単なる言い間違いだったと考えることもできるが、同じ日に2人の政府高官が、全国民が聞いている発言の中で、同じような間違いをするということは、シリアが独裁で言論統制が厳しい国であることを考えた場合、2人の高官は全国民に隠れたメッセージを発したのではないかと疑うべきである。少なくとも、シリア人の多くはそう考え、親近者どうしの会話の中では、皆がこの件について話していると思われる。

 シリア政府全体としては、カナーンの死は「自殺」であると決定されている。外務大臣と検事総長がその決定に不満を持ち、結束してシリア国民に対し「自殺説は間違っている」というメッセージを発したのだとすれば、それはシリア政府の中枢で重大な対立が起きていることを示唆している。前回の記事で分析したことをふまえれば、対立は、アサド大統領の弟や従兄弟らアサド家の息子集団と、亡き父親の側近だった古参幹部集団との間で起きていると考えられる。

▼アメリカの内部でも激化する権力闘争

 シリアの中枢で内紛が起きていることがしだいに明らかになってきたが、その一方で、シリアと敵対するアメリカの中枢でも、シリア対策を一つの材料として、内紛が激化しているふしがある。

 ブッシュ大統領は、イラクから米軍を早期に撤退させることを否定する一方で、シリアやイランなど、イラクの近隣諸国との敵対関係を激化させている。これに対し、共和党と民主党の二大政党の両方の上院議員ら上層部の中から「ブッシュのやり方をこれ以上黙認すると、アメリカは外交的、財政的に破綻してしまう。ブッシュに強硬な戦略を止めさせ、方針転換させる必要がある」という主張が出てきて、その声はここ1カ月ほどの間に急速に強まっている。

 しかし、与党共和党の上層部がいくら忠告しても、ブッシュは全く聞き入れていない。逆にブッシュは最近、イラク占領や「テロ戦争」「中東民主化作戦」は今後も長引き、冷戦のように何十年も続くかもしれないという見通しを繰り返し述べ、イラクからの早期撤退を否定する発言を続けるとともに、イランとシリアを名指しで非難する傾向を強めている。(関連記事

 二大政党の上層部は、しだいに「反ブッシュ」の傾向を強めており「ブッシュが方向転換を拒否するなら、スキャンダルで政治的に痛めつけ、言うことを聞かせるしかない」と考える方向にあるようだ。その中で出てきたのが「ホワイトハウスの高官が、イラク侵攻をめぐるウソを隠すため、違法な機密漏洩を行った」とするスキャンダルである。

▼慎重派の巻き返しとしての機密漏洩事件

 この事件は、米軍がイラクに侵攻する何カ月か前に、国防総省とホワイトハウスが「イラクはアフリカのニジェールからウランを買い、核兵器を開発しようとしている」と主張し始めたことに始まる。この主張の証拠として、政権中枢の好戦派は、イラクがニジェールからウランを買い付けた際の契約書と称する文書を出してきた。この文書はニセモノで、しかもレターヘッドや署名を見れば、すぐにニセモノであると分かるような代物だった。(関連記事

 ブッシュ政権中枢には「ニセモノを証拠として戦争を始めるのはまずい」と主張する慎重派の勢力も多く、彼らはジョセフ・ウィルソンという元駐ニジェール大使に命じ、ウランの契約書と称する文書がニセモノであることを立証させた。好戦派は、ウィルソンの動きを止めるため、彼の妻であるバレリー・プレイムが、CIAのエージェントであることを暴露する情報を、いくつかのマスコミにリークして書かせた。(関連記事

 プレイムは、ロシアや中国など世界の核兵器の開発配備の動向探査などの秘密の任務をこなすためにCIAが作ったフロント企業「ブルースター・ジェニングス社」に勤めていたが、ニューヨークタイムスなどの報道によって、ブルースター社がCIAの会社であるという秘密が世界に暴露され、CIAは世界の核兵器の動向を探るための大切な組織を事実上潰されてしまった。CIAは慎重派の牙城であり、好戦派の牙城である国防総省から目の敵にされており、好戦派はCIAを潰し、それに代わる諜報機関を国防総省に新設しようとしていた。CIAの情報網を潰すことは、その戦略の一環でもあった。(関連記事

 イラクのニジェールウラン問題は、イラク侵攻の2カ月前にブッシュ大統領が発表した2003年の年頭教書演説にも盛り込まれ、アメリカがイラクを侵攻する大義名分として使われた。ブッシュが好戦派の言うことしか聞かなくなり、好戦派が慎重派を圧倒する中で、イラク侵攻が挙行され、それと前後してCIAを弱体化させる諜報機関の再編成が行われ、米中枢の対決には勝負がついたかに見えた。

 だがその後1年、2年とたつうちに、イラク占領は泥沼化し、戦死者と戦費の拡大に歯止めがかからない状態になり、おまけにニジェールウラン問題がウソの文書に基づいた主張だったことも広く問題にされるようになり、好戦派の旗色が悪くなった。

 こうした形勢転換の中で、米政界の慎重派は、今年の初めあたりから「プレイムはCIAのエージェントだと暴露した政権中枢の人物は、CIAのエージェントの正体を暴露することを禁じた法律に反している。人物を特定して訴追すべきだ」いう主張を展開して議会を動かした。

 その結果、暴露した人物として、ブッシュ大統領の選挙参謀であるカール・ローブや、チェイニー副大統領の側近であるルイス・リビーなどの名前が挙がるようになった。最近では、彼らは間もなく訴追されるとか、リビーの上司であるチェイニーの責任も問われるだろう、といった予測記事が出てきている。(関連記事

▼エルバラダイのノーベル平和賞も権力闘争の一つ

 アメリカの情報漏洩スキャンダルの本質は、米中枢の慎重派が好戦派を追い出し、イラクからの早期撤退や、財政赤字の拡大の阻止などを行って、アメリカが自滅するのを防ごうとする動きの一つである。(関連記事

 こうした動きがあることを踏まえつつ眺めると、シリアやイランとアメリカとの対立をめぐるいくつもの話が、より深い意味を帯びて立ち現れてくる。たとえば、IAEA(国際原子力機関)のエルバラダイ事務局長が、ノーベル平和賞をもらった話がそうだ。

 エルバラダイは、ブッシュ政権がイラクとイランに対して「核兵器開発している」と主張していたのはウソであることを、IAEAの報告書というかたちで暴露した人である。ブッシュ政権は今年の初め、彼がIAEAの理事長に再任されることに反対していた。エルバラダイの授賞の背景にはおそらく、アメリカの好戦派を嫌うヨーロッパ諸国の上層部が、暴露によって好戦派の戦略をくじいたエルバラダイの果敢な行動を「世界平和に貢献した」と賞賛している、という意味がある。(関連記事

 ベネズエラのチャベス大統領も、今年のノーベル平和賞の最終候補者163人の中に入っていたと報じられたが、チャベスはエルバラダイよりもっと過激な反ブッシュの人である。チャベスは、国連総会などの国際会議で演説するたびに「ブッシュ政権こそ、世界平和を壊すテロリスト集団である」といった発言を繰り返し、世界のイスラム教徒や中南米諸国の人々から喝采されている。(関連記事

 ノーベル賞の選定は、ヨーロッパ上層部の人々が中心になっているが、彼らは独仏がイラク侵攻に反対したことに象徴されるように、アメリカの慎重派の味方である。彼らも、チャベスのブッシュ非難を聞くと気分がすっきりするのかもしれない。

▼国連報告書の偽証をめぐる戦い

 アメリカの好戦派と慎重派は、イラク侵攻前に展開した闘争とほとんど同じことを、シリアをめぐっても繰り返そうとしている。

 レバノンのハリリ前首相暗殺事件に対し、国連がメフリス調査団を結成して捜査していることは前回の記事に書いたが、アメリカの好戦派はメフリス調査団にアメリカ人の捜査要員(FBI)を送り込み、調査の歪曲をはかった。

 メフリス調査団は、アメリカ人捜査員の勧めで、モハメド・シディク(Mohammed Siddiq)という、フランスに逃げてきた元シリア将校に事情聴取した。シディクは、レバノン駐在のシリア軍諜報機関の要員で、聴取に対し「シリア政府の機関は事件前、ハリリを殺害する計画について検討する会議を開き、私もそこに参加していた」と証言した。メフリスの捜査報告書は、シディクの証言を根拠の中核に据え、ハリリを殺害したのはシリア政府だと指摘するかたちになっていると報じられている。(関連記事

 ところがその後、シディクはウソの証言をしているという指摘があちこちから出てきた。シリア政府は、シディクはシリア軍内で不正行為をした容疑で拘束され、軍事法廷にかけられていたが、拘置所から脱獄してフランスに逃げた人物であり、逃げおおせるためには何でも言う状況にあるので信用するなと国連に通告した。レバノン政府も「シディクは偽証している」として逮捕令状を出し、フランス当局は10月17日、シディクを逮捕したと発表した。(関連記事

 この展開を受け、国連のアナン事務総長は「メフリス調査団は、外部から政治的な圧力を受けている」と警告した。APやロイターは、アナンが言う「圧力」とはシリアやレバノン政府からの圧力であると解釈する記事を出しているが、これは故意に歪曲した解釈だろう。シリアやレバノンの政府は弱く、国連に圧力をかけられる立場にない。メフリス調査団に対して最も圧力をかけている国はアメリカである。(関連記事その1その2

 おそらく、シディクを使ってメフリス報告書を歪曲し、シリア政府がハリリを暗殺したという結論にさせようとしたのはアメリカの好戦派で、これを知った慎重派は、アナン事務総長と組み、シディクが偽証していることを暴露し、報告書の歪曲を防ごうとしている(国連は好戦派にひどい目に遭っているので慎重派に味方している)。

 10月21日に発表される予定の調査報告書がどのような中身になるか分からないが、この報告書には政治闘争の結果が反映されることは間違いない。

▼スキャンダルを和らげるためニセの和解情報を流す

 もう一つ、シリアをめぐる話でアメリカの慎重派と好戦派の対立の結果だと思われるものは、前回の記事の終わりに書いた「アメリカがシリアを許す方向で秘密交渉が行われている」という情報である。この情報がイギリスの新聞の特ダネで報じられた後、シリア政府は「事実ではない」と否定した。(関連記事

 アメリカの側でも、共和党の穏健派(慎重派)が最近シリアを訪問し、シリアの高官と会談して和解の可能性を模索したことは事実だろうが、ブッシュ政権の側はシリアとは交渉しないという態度を貫いており、緊張が緩和される見通しはない。

 誰が「アメリカがシリアを許す方向で交渉している」という情報をマスコミに流しているのかを見ると、この情報はむしろ、ブッシュ政権が、本当はシリアを許す気などないのに、それを隠して「許すかもしれない」と人々に思わせるために発せられたものではないかと思われてくる。

 前回の記事で紹介したアメリカのシリア研究者ヨシュア・ランディスによると、アメリカとシリアが交渉しているという情報は、国連で働いている「B」という人物が、最近、米英のマスコミに対して流していた。このB氏は、以前から「イラクの大量破壊兵器は、実はシリアに持ち込まれていた」とか「シリアはパキスタンの支援で核兵器を開発している」「シリアはアルカイダを訓練している」といったウソ情報を流し続けていた人物だという。(関連記事

 以前の情報漏洩のパターンから考えると、B氏は好戦派のエージェントのようだが、好戦派が今回、ブッシュ政権はシリアと和解するかもしれないと思わせる情報をばらまいているのだとしたら、その理由は、ブッシュ政権が機密漏洩スキャンダルで慎重派から痛めつけられているので、慎重派に「ブッシュは好戦的な作戦を止めたのかもしれない」と思わせてスキャンダル攻撃を和らげさせるため、ウソの和解情報を流したのではないかと考えられる。



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