北朝鮮崩壊の可能性を分析する2005年1月28日 田中 宇この記事は「経済発展が始まりそうな北朝鮮」の続きです。 「北朝鮮の金正日政権は、間もなく崩壊するかもしれない」といった予測が最近、日米欧の専門家らから相次いで出され、世間をにぎわせている。一方、韓国政府からは「北朝鮮は政治的に安定している。崩壊しそうだというのは、とんでもない推測だ」という分析が出ており、真っ向から対立している。(関連記事) 最近、北朝鮮が今年中に崩壊するという予測を最もはっきり打ち出したのは、アメリカのネオコンの一人であるハドソン研究所のマイケル・ホロウィッツ上席研究員である。彼は昨年12月23日に講演し、講演日がクリスマスイブの前日であることに引っ掛けて「来年のクリスマスまでに政権内部が破裂し、金正日は次回のクリスマスを楽しむことはできないだろう」と発言した。(関連記事) ホロウィッツは、北朝鮮で軍によるクーデターが起き、金正日の代わりに親米の将軍が政権を握る可能性があると主張し「金正日政権を継続するために中国が負担する政治的なコストが高いものになっているので、中国はすでに金正日に取って代わるべき将軍の人選を決めているのではないか」「間もなく日本のテレビ局が北朝鮮の政治犯収容所における虐待を撮影した映像を入手しそうで、これが放映されたら、韓国の世論も(金正日政権を倒せという方向へ)変化するだろう」などと述べた。(関連記事) 日本では、公安調査庁が12月末に発表した公安動向の報告書の中で、北朝鮮の政権の弱体化は今後「ますます深刻化していくものとみられ、政策の選択や金正日総書記の後継問題などをめぐって指導部内の緊張・確執が表面化することも考えられる」と分析した。安部晋三・自民党幹事長代理も、北朝鮮で政権転覆が起きる可能性があると発言している。(関連記事) 欧州では、年末に北朝鮮を訪問したEU代表団のメンバーが、金正日政権が不安定化しているので、突然の激変に備えた準備をしておいた方が良いと警告した。EU代表団は、2期目に入るブッシュ政権がもっと大きな圧力をかけてくるのではないかという予測を受け、北朝鮮の政権内部で分裂が激しくなっていると指摘している。(関連記事) ▼若手登用で経済自由化 だが、日米などで主張されている北朝鮮崩壊予測の根拠を詳細に検討すると、予測の具体的な根拠が薄いことが感じられる。 最近の北朝鮮中枢の動きで「崩壊につながりそう」と思われていることの一つは昨年、政権内で金正日に次いで力を持っているナンバー2の張成沢(チャン・ソンテク。朝鮮労働党組職指導部・第1副部長)とその側近たちが相次いで粛清されたことである。(関連記事) 張成沢は、金正日の妹の夫で、軍と労働党の両方に対して強い権限を保持しており、彼が排除されたのは、金正日に対する反発が政権内で強まっていることを示しているという見方がある。しかし、この排除によって、軍と党の両方を握る人物は金正日のみになったとも言えるわけで、金正日の政権は崩壊ではなく強化されたことになる。(関連記事) 最近、金正日が政権内で行っていることは、北の国家体制の安定を維持しつつ、経済自由化を進めていくことだと分析できる。金正日がやっていることの一つは、幹部の若返りである。 昨年から、金正日は自らが委員長をつとめる軍の最高決定機関である「国防委員会」のメンバーと、経済自由化政策を進める実働部隊である政府内閣の閣僚に、40−50歳代の若手を次々と抜擢して任用している。軍の各部隊の司令官クラスには30−40歳代を抜擢している。 若手を登用するのはおそらく、老人たちに任せておくと「社会主義によって理想の国家を作る」という昔の目標にこだわりすぎて「社会主義は失敗だから、中国のような自由市場体制に早く移行しよう」と考えることができないからだろう。 ▼若殿様と老幹部 北朝鮮の古参幹部たちにとって、中国は「社会主義の理想を捨て、拝金主義に走った裏切り者」である。前回の記事で紹介した、平壌市内を歩き回る「ヨン様」風の長髪青年たちを見て怒っているのも、北朝鮮が市場主義に移行するのを許せない老幹部たちだろう。 金正日の父親である故・金日成主席の側近として北朝鮮を建国した老人幹部たちの中には、経済自由化を進めようとする金正日に対して「社会主義の理想を邁進されたお父様が草葉の陰で嘆いていらっしゃいますよ」と思っている人がけっこういるだろう。 社会主義こそ祖国のあるべき姿、と青年時代から考え続けてきた北朝鮮の老幹部は、ソ連が崩壊し中国が転向しても、自国が資本主義の方向に転換することは、自分の人生を否定されたことになり、許し難いに違いない。 北朝鮮では、金日成時代の1992年ごろから、何回も市場経済の導入が試みられているが、全て失敗している。失敗の主因は、老幹部たちの妨害工作だったと考えられる。こうした経緯を踏まえ、2002年からの今回の経済自由化を進めるにあたり、金正日は、軍と内閣の上層部を大幅に若返らせ、社会主義体制の継続にこだわらない若手を多数登用したのだと思われる。 その意味では北朝鮮には、経済自由化を進めるべきかどうかという、権力闘争のテーマが存在していることになる。しかし、金正日がクーデターで倒された場合、その後に来る権力者は、経済自由化に反対する老幹部らに支持されて権力奪取に成功した人物になるはずであり、今よりも反米・反中国・反韓国の傾向が強まることになり、アメリカや中国、韓国が望むのとは逆の方向が実現されてしまう。 ▼金正日バッジが消えた理由は? また最近、平壌市内のあちこちに掲げられていた金正日の肖像画の中のいくつかが外されたり、韓国からの観光客も訪れるようになった金剛山の岩肌に大きく彫られていた金正日をたたえる文章が削られたり、北朝鮮の外交館員や外国人案内人などがそれまで着用していた金正日バッジをつけなくなったりしていることが確認されている。(関連記事) 昨年11月17日には、北朝鮮のマスコミが金正日のことを報じた際、従来の呼称である「親愛なる指導者」と呼ばず「労働党総書記、国防委員長、軍最高司令官」という彼の肩書きで呼んだ。(関連記事) これらの変化をさして「金正日政権が崩壊する兆しではないか」「すでに金正日は秘密のクーデターで外されたか殺されてしまったかもしれない」「アメリカが攻めてくることを恐れた側近たちが、冒険主義の金正日に反逆して外したのではないか」などという分析が飛び交った。12月初めには、金正日が親戚に殺されたという噂が出て、それを材料に日韓の株価が動いたりした。(関連記事) だが、これらの一連の動きは、金正日自身が肖像画や個人崇拝をやめるように要請した結果である可能性がある。金正日は2002年ごろから、自分の肖像画を外せという指令を北朝鮮の在外公館などに発令し、日本の朝鮮総連はこれを受けて肖像画を外したが、他の在外公館の多くは「そんなおそれ多いことはできない」と、命令を無視して肖像画を掲げ続けていた。北朝鮮の上層部は「肖像画は掲げず、家宝として大切に保管せよ」といった命令を繰り返し、最終的には在外公館から肖像画を撤去させた、という経緯を、脱北した元外交官が述べている。(関連記事) こうした経緯説明を「亡命者の証言は信用できない」と却下する考え方もある。しかし、一足先に社会主義から資本主義に転換した中国が、1970年代までの毛沢東に対する個人崇拝から、トウ小平、江沢民、胡錦涛と、経済自由化を進めるにしたがい、個人崇拝をやめて集団指導体制を強化し、それによって政治を安定させた経緯を見ると、金正日も同じようにしたいと考えても不思議はないと思える。(関連記事) ▼世襲廃止か経済自由化中止か 肖像画外しを「金正日から息子たちの一人へと次の世襲を行う布石」と考える人もいるが、これはおかしい。世襲を進めるならむしろ、金日成、金正日、その息子と3人の肖像画を並べて掲げる期間を10年ぐらい設け、国民の間に世襲を周知させるのが得策で、金正日の肖像画を外すこととは逆の動きになるはずだ。 「金正日は、個人崇拝体制が世界から馬鹿にされていることを知っているから、外国の訪問客がよく行く場所から、自分の肖像画を外させたのだろう」という見方もある。いずれにしても、金正日は自分を祭り上げられる個人崇拝や権力の世襲に対して好感を持っていない可能性がある。(関連記事) 「家宝として秘蔵せよ」と言われても「それでは筋が通りませぬ」と肖像画を外さなかった北朝鮮の幹部らの行動からは、ここでも、世襲制の社会主義という従来の北朝鮮のやり方を堅持したい老幹部たちが、若殿様・金正日の改革に抵抗している構図がかいま見える。 北朝鮮側は、このところ順調に進んでいた開城の韓国主導の工業団地作りに対し、1月10日すぎから、急にブレーキをかけ始めた。韓国側が開催を計画していた施設の完成式を中止させたり、工業団地内の電話工事を差し止めたたりした。それまで北朝鮮側は、6カ国協議など他の国際交渉が中断しても、韓国との間の開城工業団地作りの交渉だけは止めずに続けてきており、開城工業団地は金正日の経済自由化策の重要な柱になっていると考えられてきた。 それだけに、北の突然の変心に韓国側は困惑し「北の上層部で異変が起きているのではないか」という憶測も出ているが、これに対して私の憶測は「老幹部たちが急激な改革に反対し、それをなだめるために金正日がいったん開城の事業を止めたのではないか」というものだ。金正日は今年2月中旬の自分の誕生日の演説で、さらなる経済自由化政策を発表すると報じられており、それを前にした内部調整のあおりで、開城の事業が止められた可能性もある。(関連記事) ▼北の軍事体制を支援する中韓の現実思考 金正日が、政府と軍の首脳の若返りに加え、集団指導体制への移行を狙っているのなら、北朝鮮は改革開放に成功しつつある中国のまねをしようとしていることになる。中国は、このような金正日政権を支持しているに違いない。ネオコンのホロウィッツは「中国は金正日に取って代わる将軍を決めている」と発言したが、それは間違いである可能性が大きい。 同様に昨年秋、瀋陽軍区の中国軍約6万人が北朝鮮との国境地帯に配備されたと報じられた際に「中国は言うことを聞かない金正日政権を潰すかもしれない」と分析されたこともおそらく的外れで、中国軍は、北朝鮮から中国への脱北者の流れを止めるために北朝鮮国境に配備されたのだと思われる。北朝鮮では「軍最優先」の政策がとられているが、それでも北朝鮮軍だけでは脱北者の流出を止められず、中国の軍事的な支援が必要だったと考えられる。 こうした情勢について「中国は北朝鮮の人々の人権を無視している」という批判があり得るが、これは現状の半分しか見ていない。中国(と韓国)は、北朝鮮が中国式の経済自由化政策(経済は自由化するが政治は一党独裁を維持する)を成功させ、北朝鮮の人々が脱北しなくても北朝鮮国内である程度豊かに暮らしていけるようにすることを考えている。 脱北希望者を全員韓国に受け入れたとしても、脱北者は韓国社会の最底辺で、自分の祖国を否定して生き続けねばならない。北朝鮮を崩壊させて得をするのは、アメリカの軍産複合体ぐらいであり、日本を含む東アジアの政府と人々は、情勢不安定化の悪影響を受けることになる。それならむしろ、北朝鮮が開始した経済自由化政策を支援し、少なくとも邪魔をしない方がよいということになる。 ▼人権問題のふりをした北朝鮮不安定化作戦 そう考えると、韓国の盧武鉉政権が、日米などとは逆に「北朝鮮は崩壊しそうもない」と主張している背景には、韓国の世論と北朝鮮側をできるだけ刺激せず、北朝鮮の体制の安定を保とうとする戦略がありそうだ。 韓国では昨年10月、野党ハンナラ党の鄭文憲議員が、韓国政府が北朝鮮の体制崩壊に備えて以前から「忠武計画」という有事計画を秘密裏に作っていたことを暴露した。これに対し盧武鉉政権の韓国政府は、北朝鮮の崩壊はほとんどあり得ないので、今の段階で有事計画について議論する必要はないと表明し、有事体制の議論を進めるべきだと主張する鄭文憲議員らに対し、国家機密を漏らしたため訴追すると脅しをかけた。 同様の訴追圧力は、同時期に、国防研究院の機密報告書を引用しつつ「北朝鮮が奇襲攻撃をかけてきたら、米軍の支援がない限り、ソウルは16日間で陥落する」と主張したハンナラ党の朴振議員にもかけられた。これらの出来事の背景にあるのは、アメリカ離れ・親中国・親北朝鮮の方向に動いている韓国の現政権を、親米に回っている野党が止めようとし、政権側がその野党の動きを潰しにかかる、という構図である。(関連記事) 韓国では雑誌「月刊朝鮮」の編集者が「最近(北朝鮮が崩壊しそうな根拠として出される)作り話がたくさん出回っている」と指摘している。最近、日本などのマスコミで喧伝される北朝鮮崩壊論の多くは信憑性が薄いという指摘もある。(関連記事) 北朝鮮に対しては、中国も、盧武鉉政権と同様の立場を「安定重視策」とっていると思われる。それが象徴されたのが、1月12日、ハンナラ党の議員らが北京に行って脱北者問題について記者会見を開いた際、中国の公安当局が会場に乱入し、会見を強制的に終了させた事件である。韓国と中国の政府は、脱北者問題は「人権問題」のふりをした「北朝鮮不安定化作戦」であり、韓国とアメリカのタカ派(北朝鮮との敵対があった方が儲かる人々)が関与しているとみている。(関連記事) ▼北朝鮮存続のカギは経済自由化 中国、ソ連、最近のアメリカなど、世界には政権中枢の動きが見えにくく、政治分析がしにくい国がいくつもあるが、中でも北朝鮮はその傾向が強い。「崩壊しそうだ」「しそうもない」いずれの分析も推論であり、確定的ではない。しかも、事態を好戦的な方向に煽りたがるアメリカのタカ派・ネオコンと、その逆に事態を安定化の方向に導きたい韓国・中国という、相反する政治的な戦略に基づいた両方向のプロパガンダがばらまかれ、本質が見えにくくなっている。 そうした制限の上で「北朝鮮は崩壊するか」ということを改めて考えてみると、韓国と中国が支援している経済自由化が軌道に乗れば、北朝鮮が崩壊する可能性は低くなり、逆に経済自由化に失敗すれば、政変が起きやすくなり、崩壊の可能性が高くなる。政治面では、今のところ金正日政権が危機に瀕している兆候はないので、経済自由化が成否のカギである。自由化が成功するかどうかは、今年中にある程度分かるだろう。 私は今のところ「中国が自国で成功した改革開放政策のノウハウを伝授しているだろうから、北朝鮮の経済自由化は意外と軌道に乗るのではないか」と予測している。日本政府は、対米従属度が高いだけに、北朝鮮に対する経済制裁を検討するなど、北の崩壊を支持する立場にあるが、今後の動向しだいでは、転換もありうる。
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