ロシアの石油利権をめぐる戦い2004年3月18日 田中 宇 マスコミに対して(政府による)検閲が必要だと思いますか。 これは今年1月、ロシアの調査会社「ROMIR」が行ったロシアにおける世論調査の結果である。日本や欧米なら「はい」ではなく「いいえ」(検閲に反対)が76%であろう。しかし、ロシアではそれが逆転している。シベリアやウラルといった地方では「はい」の人が比較的多かった半面、大都市や南部の地方では「いいえ」が多めだったという。男女別には、女性の方が「はい」が多かった。(関連記事) ロシアでは官僚の腐敗や当局による人権侵害が多い。だから、ふつうに考えればマスコミは当局の悪事を監視するシステムとして人々に支持され、政府によるマスコミ監視には反対の人が多いのが自然だ、という考え方もできる。この世論調査自体、当局によってねじ曲げられたものなのだろうか。 多分そうではない。この調査は正しいものだと思える。ロシアのマスコミの多くはここ10年近く、オリガルヒ(大富豪)たちによる企業買収の結果、彼らにとって都合の良い報道が流される傾向が強かった。ロシアでは「オリガルヒが国有資産を私物化した結果、一般市民が貧しくなった」と考えている人が多く、オリガルヒに対する批判が強いので、政府がマスコミを検閲することが必要だと考えるロシア人が多いのだろう。 この世論調査には「あなたが最も信頼している人(組織)はどれですか」という質問もあり、それに対する回答は「プチン大統領」が50%で、「キリスト教会」が14%、「政府」「軍」「マスコミ」が9%ずつ、「警察(司法当局)」が5%、「議会(下院)」が4%、「どれも信用していない」が28%だった。(関連記事) ロシアでマスコミ不信が強いことと、プーチン大統領に対する信頼があついことは、ひとつの現象の裏と表である。プーチンは2000年に大統領に就任した後、前任者のエリツィン政権がオリガルヒに牛耳られていた状態だったのを脱却し、しだいにオリガルヒとの対決姿勢を強め、何人かを亡命や投獄に追い込み、残りを政府に従順な態度をとらざる得ない状態にした。 ロシアの人々がプーチンを支持するのは、オリガルヒに対する反発と一体になっている。オリガルヒを「退治」するたびに支持率を上げたプーチンは、3月14日の大統領選挙で72%という高い得票率で再選を果たした。 ▼オリガルヒを縁切りできなかったエリツィン オリガルヒが、冷戦後のロシアで巨大な財力ばかりでなく国家権力をも握る存在になった経緯については、前回の記事「ユダヤ人実業家の興亡」に書いたが、冷戦後の9年間大統領だったエリツィンは、オリガルヒに黙って従っていたわけではない。オリガルヒは1996年の選挙で財力を使い、エリツィンを再選させて国家権力を握るに至ったが、その後1998年5−8月のロシア金融危機でオリガルヒの財力が陰り始めるとともに、エリツィンとオリガルヒの間で暗闘が激化した。 エリツィンはまず、ライバルだった共産党の力を借りてオリガルヒを追い出そうとした。金融危機後の1998年9月に首相となったプリマコフは、元共産党幹部でKGB首脳だった外交専門家で、最強のオリガルヒだったベレゾフスキーに焦点を合わせ、ベレゾフスキーが経営していた航空会社アエロフロートを捜索した。 (ベレゾフスキーはもともと自動車ディーラーとして財産を作ったが、アエロフロートのような航空業界も、自動車業界と同様、消費者が代理店に支払った現金が航空会社に入金されるまでに何週間もかかった。そのためインフレが激しかった90年代前半に経営危機に陥り、ベレゾフスキーに買収された)(関連記事) 当時ベレゾフスキーはエリツィン側からの追い落としを防止するために「CIS執行書記」という実権はないものの不逮捕特権がある地位についていた。プリマコフはベレゾフスキーをCIS執行書記の座から罷免するところまでは成功した。だがその後、捜査の中心人物だった検事総長のユーリ・スクラトフがエリツィンによって解任に追い込まれ、その過程でスクラトフとおぼしき人物が2人の売春婦と絡まって入浴している盗撮ビデオ映像がテレビで流されるなど泥仕合になった。(関連記事) ベレゾフスキーらオリガルヒはエリツィン一族の政治資金作りに深くかかわっており、大統領顧問をつとめるエリツィンの娘(二女ジヤチェンコ)ら一族とオリガルヒは一心同体の「ファミリー」と呼ばれ、それがロシアの権力中枢だった。ベレゾフスキーを検挙すれば、エリツィン一族にも累が及び、エリツィンにとっては自殺行為になる。そのため、プリマコフを首相にしたエリツィンのオリガルヒ追い出し作戦の一回戦は、失敗に終わった。 ▼豹変したプーチン エリツィンが次にやったのは、KGB(諜報機関。ソ連の国家保安委員会、今のFSB)出身のプーチンを首相に据えることだった。1999年8月に首相になったプーチンは当初、オリガルヒに対して従順な首相と思われていた。ベレゾフスキーはプーチンのために資金を出して「統一ロシア」という新しい政党を作ってやり、自分のテレビ局を使ってプーチン礼賛の報道を行い、99年12月の議会選挙で統一ロシアを勝たせ、2000年3月の大統領選挙でプーチンを大統領に押し上げた。 議会でのプーチンの権力基盤が確立した99年の大晦日にエリツィンが辞任を発表したが、このとき後継者に指名されたプーチンが最初にやったのは、辞任したエリツィンに不逮捕特権を与えることだった。これはのちに、プーチンによってオリガルヒが1人ずつ検挙される過程で、プリマコフ時代のように「オリガルヒを有罪に追い込むとエリツィンも有罪になる」という展開を避けるための布石として生きることになった。 大統領になったプーチンは、側近にKGB時代の同僚や部下たちを引き入れた。彼らは政治が絡む諜報や捜査のプロとしてオリガルヒを追い落とすために動き出した。プーチンの側近集団は「シロビキ」(「権力者たち」という意味)と呼ばれ、オリガルヒから恐れられる存在となった。 プーチンは大統領に就任して早々、オリガルヒに対し、相互不干渉の協定を結んだ。政治の世界に首を突っ込んでこない限り、政府はオリガルヒが自由にビジネスを展開することを許す、というものだった。だが、ベレゾフスキーが所有するORTとTV6、グシンスキーが所有するNTVという3つのオリガルヒ系のテレビ局は、プチンを批判する放送を続けた。 プーチンはこれを「協約違反」と見なし、2000年6月にまずグシンスキーを国有財産横領の容疑で逮捕した。グシンスキーは4日後に釈放され、容疑は証拠不十分で立件されず、政府によるでっち上げだった可能性が強まったが、弾圧としての「効果」は十分あったようで、グシンスキーは海外に逃げ、ユダヤ人なので短期間に国籍取得ができるイスラエルに亡命した。(関連記事) ▼ジャーナリズムの「正義」の本質 2001年9月に911事件が起きた後、アメリカは「テロ戦争」を開始し、テロ対策を共同で行うという名目で、それまで人権問題などで批判し続けてきたロシアや中国に対し、従来より寛容な態度を採るようになった。翌月、米軍がイラク侵攻した際には、プーチンは中央アジア諸国に米軍基地ができることを認めたため、米ロ関係はかなり好転した。 この追い風を受けて、プーチン政権は最大のオリガルヒだったベレゾフスキーに対する攻撃を強め、彼の傘下の企業に不正の疑惑をかけてたびたび捜査に入った。オリガルヒが蓄財に成功した1990年代前半のロシア経済は混乱しており、当局が当時のオリガルヒの行為を詳細に調べて不正だと追求するのは比較的簡単だった。 ベレゾフスキーは2001年11月、イギリスに亡命した。それと前後して、ベレゾフスキーは所有するテレビ局ORTの株式を政府に譲渡するように圧力をかけられて応じざるを得ず、再国有化された。翌年1月にはベレゾフスキー傘下のもう一つのテレビ局だったTV6が、不正行為を理由に裁判所から廃業の決定を下された。これにより、ロシアの主要マスコミはすべてプーチンの傘下に入った。(関連記事) 欧米、特にアメリカのマスコミは「プーチンは報道の自由を弾圧している」と批判したが、実際には、オリガルヒたちは「言論の自由」という建前を利用してプーチンとの政治抗争をしていた。 そのような構造を知りながら「言論の自由」の部分のみを強調することでプーチン批判、ロシア批判の記事を流し続けたアメリカなどのマスコミの姿勢は、冷戦後のロシアを弱いままにさせておきたい米政府内のタカ派の戦略と一致していた。これは、表向きは「正義」をふりかざしつつ、実は意識的・無意識的に政治の道具となっているという「ジャーナリズム」の状況を象徴している。 オリガルヒは、こうした欧米の政治の仕掛けを知っているからこそ、マスコミを使ってプーチン攻撃を展開し、負けたらイギリスやイスラエルに亡命し、問題の国際化を試みたのだろう。一方プーチンもその仕掛けを知っていたから、アメリカの中枢でロシアを敵視しない国際協調派(中道派)が強くなるタイミングを利用してオリガルヒを攻撃したのだと思われる。 ▼オリガルヒに取って代わるシロビキ グシンスキーとベレゾフスキーという、マスコミを使った政府批判を最も強く展開していた2人のオリガルヒが潰された後、他のオリガルヒたちはプーチンとの対立を避けるようになり、しばらくは両者の不干渉状態が続いた。 オリガルヒが経済を独占する状況はエリツィン時代と変わらず、8人のオリガルヒが、ロシアの大企業64社の株式の85%を所有していた。プーチンとしては、オリガルヒを全部潰してしまうとロシア経済を成長させることができなかったため、彼らと共存共栄をはかる必要があった。(関連記事) だが、蜜月状態は一時的なものだった。プーチンのまわりには、政敵の動向を探るのが得意なKGB出身者のほか、サンクトペテルブルグの出身者が多い。これはプーチンが90年代に同市の副市長だったことに由来するが、彼らの中にはサンクト市で事業を展開してきた者もおり、それらの者がプーチンの台頭とともにロシアの国有企業のトップに就くなどした結果、プーチンが信頼できる大企業経営者の勢力が生まれてきた。「シロビキ」系の経営者である。 プーチンは、国益に直結する石油など地下資源やマスコミなどの大企業に関し、信頼できないオリガルヒに犯罪の嫌疑をかけて経営者の座から追い落とし、企業を再国有化して、代わりにシロビキ系の経営者を置くことを画策するようになった。たとえばオリガルヒを亡命させて奪ったNTVやORTといったテレビ局の経営権は、側近の一人でガスプロム(最大手の国有ガス会社)の経営者であるアレクセイ・ミラーに渡された。(関連記事) このほか、石油パイプラインの敷設権を独占するロスネフチ社や、ロシア第2位の石油会社ルコイルなどの国有企業も、シロビキ系の企業となった。また軍事産業でも、プーチンの大統領就任後間もなく、兵器輸出を一手に握る国有企業としてロソボロン・エクスポート社が設立され、ソ連の遺産を受け継ぐ巨大な軍事産業を統合する中心的な存在となった。 オリガルヒの多くがユダヤ人なので、プーチンは「反ユダヤ主義」ではないかと思われるかもしれない。だが、先日プーチンが新首相に据えたフラトコフはユダヤ人である。フラトコフの就任直後、アメリカのユダヤ系雑誌「フォワード」は「フラトコフについてはよく分からない部分がある。一つだけ皆が確かだと思っていることは、彼がユダヤ人だということである」と書いている。(関連記事) ▼イラクの泥沼に陥ったアメリカをしり目にオリガルヒ退治 プーチンが今につながるオリガルヒ攻撃の姿勢を強めたのは昨春以降のことで、これはアメリカがイラク侵攻した後に泥沼のゲリラ戦に入り、イラクの後始末をめぐってロシアやEUや国連などに頼らざるを得なくなることが予測されだしたのと時期的に一致している。 (ブッシュ政権をイラク侵攻に引きずり込んだネオコンは、戦争後の復興過程についてほとんど何の準備もせずに開戦に持ち込んだので、昨年3月に戦争が始まった時点で、泥沼化してブッシュが窮地に陥ることが専門家の間で予測されていた)(関連記事) これに対してオリガルヒたちは、自分の会社の株の一部を欧米企業に売却して国際的な会社に変身させ、プーチンが乗っ取ろうとしても外交問題に発展するので難しくなる状態に置こうとした。オリガルヒが株式の売却を目指したのは、政治力が拡大する一方のプーチンに対し、自分たちの時代が終わりつつあると感じて売り逃げしようとした面もある。 たとえば、オリガルヒの一人であるホドルコフスキーが支配権を持っていたロシア最大手の石油会社であるユーコスは、ロマン・アブラモビッチというオリガルヒの系列下にあったロシア第5位の石油会社であるシブネフチを買収し、両社を合併させて世界第4位の石油会社「ユーコスシブネフチ」に仕立てた後、それをアメリカの大手石油会社であるシェブロンテキサコかエクソンモービルに売却する、というシナリオがホドルコフスキーらによって描かれた。(関連記事) (シブネフチはもともとベレゾフスキーの配下にあったが、2001年に彼がプーチンによって追放されたため、ベレゾフスキーの弟子的な存在だったアブラモビッチに譲渡されていた) ▼ただ一人プーチンに反抗し続けたホドルコフスキー 石油はロシアにとって最も重要な外貨収入源である。ロシア政府は従来、石油輸出がロシア経済(GDP)に占める割合は9%と発表していたが、最近の世界銀行の調査によって、実はその3倍の25%の依存率だったことが明らかになっている。プーチン政権は、石油しか頼るものがないという弱点を世界に知られないように、わざと低めの数字を発表していた。(関連記事) そんな状態だから、プーチンとしては、ユーコスとシブネフチが外資系に売り払われてしまうことは何としても避けねばならないことだった。逆にユーコスやシブネフチを国有化し、その輸出収入を国家運営に使えば、ロシア国内でのプーチンの政治力は上がり、石油という武器を使うことで欧米や中国、日本などとの外交関係でもプーチンは優位に立てる。昨年7月、プーチンはホドルコフスキーの側近だったユーコス経営陣のプラトン・レベデフを逮捕し、ホドルコフスキーに対する攻撃を強化した。 ロシア内外では、ホドルコフスキーは以前にプーチンに攻撃されたベレゾフスキーらと同様、海外亡命するのではないかと憶測された。レオニード・ネフツリンら3人のホドルコフスキーの側近はイスラエルに亡命し、イスラエル国籍を取得した(いずれもユダヤ人)。(関連記事) だが、ホドルコフスキー自身は亡命せずにロシアにとどまり、プーチンに対する批判を続け、今年3月の大統領選挙に出馬してプーチンを倒すとまで言った。このためホドルコフスキーは昨年10月、国有財産横領の罪を着せられて逮捕されたが、獄中からも大統領選挙に出馬すると言い続けた。(関連記事) 他のオリガルヒたちがプーチンに対抗できないと悟って亡命する中で、ホドルコフスキーだけが反抗的な態度をとり続けたのはなぜだったのか。理由は明確にはなっていないものの、ホドルコフスキーは他のオリガルヒと大きく違っていた点があった。彼は2001年ごろから「ネオコン」や「カーライル」といったアメリカ中枢の勢力に対し、激しい食い込み作戦を展開していたのである。 ▼アメリカの中枢に食い込んだホドルコフスキー ホドルコフスキーはブッシュ政権が就任して早々、大統領補佐官になったロシア専門家のコンドリーサ・ライスに面会を申し込んだが、断られている。当時のホワイトハウスは、ホドルコフスキーのことを怪しい人物と思っていたらしい。 この後、ホドルコフスキーはアメリカ中枢に食い込むには直球で行かず、ワシントンのシンクタンクや投資顧問会社などに食い込んだ方が良いと知ったのか、ネオコン系のシンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)」や、中道系のシンクタンク「カーネギー平和財団」などに巨額の寄付を申し出た。(関連記事) ホドルコフスキーは、ユーコスとシブネフチを合併させ、それをアメリカの石油会社に買収してもらいたいという構想をワシントンの石油関係者に持ちかけた。その結果ホドルコフスキーは、パパブッシュら石油利権に結びつく共和党重鎮たちが多く理事や顧問をつとめる政治臭の強い投資会社「カーライル」の顧問として迎え入れられ、アメリカ中枢への食い込みに成功した(カーライルにはかつてサウジアラビアのビンラディン一族も関与していた)。(関連記事) ホドルコフスキーは経営者としての国際的な信頼を得るため、ユーコスの経営を欧米風に改革し、ロシアの石油会社としては初めて株式に対する配当金を出し、四半期ごとの決算報告書を発表し、経営体制を客観的にチェックできる社外取締役を置いた。(関連記事) また2001年末にはイメージアップ戦略として、ロシアの国有企業を乗っ取ってためた巨額の資金を使い「開かれたロシア」という教育関係の財団をロンドンに設立した。そしてこの基金の理事に、イギリスの銀行家で貴族のジェイコブ・ロスチャイルド卿を迎え入れることに成功した。(関連記事) ロスチャイルド卿は、近代の初めから現在まで世界の金融を支配しているとされ、イスラエルの建国にも多大な貢献をした「ロスチャイルド家」の当主を1980年までつとめ、今も一族の系列の金融機関をいくつか経営している人物である。そんな超大物がホドルコフスキーと関わり合いを持ってくれたのは、ホドルコフスキーが世界第4位の石油会社の支配権を持っていたからだろう。 ロスチャイルドが理事になってくれたおかげで、アメリカの外交政策に大きな影響力を与えてきたキッシンジャー元国務長官までがオープン・ロシア財団の理事に就任した。ホドルコフスキーは、ロスチャイルド、キッシンジャー、カーライル、AEI、カーネギーといった「世界を支配している」と目されている勢力の人脈の中に入った。 ▼ますます強くなるプーチン ホドルコフスキーは2001年ごろから、会社経営を「卒業」して政界に進出する姿勢を見せるようになった。この延長に、アメリカ中枢への食い込み戦略があると思われる。ホドルコフスキーは、ロシア最大の石油会社という「貢ぎ物」を持ってアメリカの「世界支配者」たちに食い込むことで、彼らの力を借りてプーチンを倒し、ロシアの独裁的な大統領になるという野望を持っていたのではないかと思える。(関連記事) ところが実際には、プーチン大統領がホドルコフスキーを攻撃して逮捕投獄したにもかかわらず「世界支配者」たちは動いてくれなかった。アメリカのマスコミは「プーチンの独裁」を非難したが、アメリカの政府や議会は特に新たな動きを見せなかった。ホドルコフスキーは逮捕される直前、合併後のユーコスシブネフチの経営トップにロシア系アメリカ人を据える人事を決め、アメリカ側へのすり寄りを強めたが、それでも何も起こらなかった。(関連記事) その後プーチンはユーコスシブネフチの合併計画のもう一方の当事者であるシブネフチの大株主だったアブラモビッチに圧力をかけ、ユーコスとの合併を解消させた。(関連記事) ホドルコフスキーの逮捕後、プーチンはますます強気になり、石油や鉱物資源などの大企業を外資に売却して「売り逃げ」しようとする他のオリガルヒの動きを次々に阻止するようになった。今年2月末には、オリガルヒの一人であるポタニンが自分のニッケル鉱山会社「ノリリスク・ニッケル」の株式をアメリカの証券市場(ADR市場)で売るために必要な情報公開を行おうとしたところ、プーチンは直前にそれを止める挙に出た。4カ月前には、プーチンはこの情報公開にOKしていたのに、それを理由なく撤回してしまった。(関連記事) 35歳のオレグ・デリパスカという若手オリガルヒは、所有するアルミニウム精錬会社「ルサル」の設備の一部をアメリカのアルミ会社「アルコア」に売却しようとしたが、これも止められそうになっている。(関連記事) 強気のプーチンはオリガルヒだけでなく、欧米の石油会社がいったん受注を決めたロシア国内の油田の採掘権すら取り上げてしまう姿勢を見せている。ロシア政府は今年1月、すでにエクソンモービルなどアメリカの石油会社2社に発注すると決まっていたはずのサハリン油田の第3プロジェクト(サハリン3)の開発権を白紙に戻し、再入札すると発表した。(関連記事) 2つの鉱区からなるサハリン3の開発権は1993年に入札され、エクソンモービルやシェブロンテキサコが全体の3分の2の開発権を取得したが、それが撤回されてしまった。エクソンモービルは、すでに6000万ドルの探査費用をかけていたが、サハリン1プロジェクトでも採掘を受注しており、下手にプーチンに逆らってこちらまで無効にされては元も子もないので、白紙撤回を受け入れることにした。(関連記事) プーチンは3月14日の選挙で圧勝して大統領に再選されたが、これによってますます強気になり、オリガルヒをロシアのエネルギー・地下資源などの業界から追い出す動きを続けていくと予想される。そしてロシア国民の大半はプーチンを「スターリン以来の強い指導者の登場」とみて支持している。世論調査によるとロシア国民の64%が「ソ連の崩壊は残念だった」と考えている。その多くは「ソ連時代のように世界と周辺諸国に対して強い態度をとれる国に戻ってほしい」と考え、プーチンがロシアを再び強い国にしてくれることを望んでいると思われる。(関連記事) ▼なぜか下手くそな対ロシア外交 英サンデータイムスは、ホドルコフスキーの逮捕後、彼が持っていたユーコス株の所有権がロスチャイルド卿の手に渡ったという記事を出した。これが事実だとしたら、ロスチャイルドら英米の「石油利権」や「世界支配者」たちがロシアの石油利権を奪うためにホドルコフスキーに接近し、まんまと成功した、という解釈もできる。(関連記事) しかし、どうも私にはそのようには解釈できない。これまで何百年も「世界支配」をやってきた勢力が、世界第4位とはいえ石油会社一つを乗っ取るために、世界中に「ロスチャイルドによる詐欺行為ではないか」と疑念を抱かせる行為を行うとは思えない。ロスチャイルドという名前を全く表に出さなくても、もっと巧妙で目立たないやり方がいくつもあるはずだ。 そもそもアメリカ中枢の人々は、オリガルヒに味方するのではなく、どうも逆にプーチンを強化しようとしているように見える。その一つの例は、以前の記事「消えた単独覇権主義」で紹介したように、今年初めにパウエル国務長官が「(ブッシュ政権は)今後、ロシア、中国、インドとの関係強化に専念する」と宣言する論文をフォーリンアフェアーズで発表したことである。 アメリカの外交政策の「奥の院」と目され「世界支配者」たちが名を連ねる「外交評議会」が発行するフォーリンアフェアーズは、最新号では目玉記事として「ロシアはそれほど悪い状態ではない」という趣旨の大型論文を載せている。 (パウエルは今年1月にモスクワを訪問し「ロシア政府は人権重視や民主主義に対する努力が足りない」とプーチン政権を批判した。だが、これはパウエル特有の裏表のある「たぬきおやじ」的な外交戦略に見える。イラク戦争が始まる直前、パウエルは国連に出向き、すぐにウソだと分かるいくつかの「証拠」を提示してイラクが大量破壊兵器を持っていると主張し、故意に西欧の人々を怒らせて百万人単位の反戦デモを引き起したのではないかと思える行為を行った。パウエルが今年1月にモスクワでロシア批判を展開したのも、同様にロシア国民の反米意識を掻き立て、プーチンに対する支持を強化するための行為だったのではないか。いずれも、わざと「アメリカ以後」的な国際協調体制を作り出そうとする戦略に見える)(関連記事) アメリカは、ロシア周辺の国々とのつき合いでも、うまくやっていない。アメリカは2001年秋のアフガニスタン侵攻に際し、中央アジアのいくつかの国々に米軍基地を置かせてもらった。中央アジア諸国にとっては、アメリカの力を借りてロシアの影響力を削げる良いチャンスで、ウズベキスタンの大統領などは「米軍基地は、必要ならいつまで置いてもらってもかまわない」と述べている。(関連記事) ところがアメリカは、ウズベキスタン政府が国内の反政府的な人々の人権を十分に守っていないとして、これまで毎年出していた1億ドルの援助金を今年から出さなくなるかもしれない、と言い出している。(関連記事) アメリカは他の中央アジア諸国に対しても同様の姿勢をとっている。このため、ウズベキスタンやカザフスタン、ウクライナなど、独裁傾向が強いいくつかのロシア周辺の国々は、アメリカへの接近をあきらめてロシアとの関係を再強化する方向に動き出している。これを「失策」とみるか「故意」とみるか、解釈の分かれるところだが、どちらにしてもプーチンに有利に働いている。(関連記事その1、その2) ▼ロシアとイスラム世界の非米同盟 また昨年後半以来、サウジアラビアがロシアに接近していることも、プーチン政権を力づけている。911後、アラブ諸国をことさら敵視するネオコン的な考え方が強まったアメリカでは、ロシアからの石油輸入を増やしてサウジアラビアとの縁を切ろうとする動きがあり、ロシアはこの動きに乗って石油の対米輸出を増やし、サウジと対抗する姿勢を見せた。 だが、昨年9月にサウジの最高権力者であるアブドラ皇太子がモスクワを訪問し「チェチェン人の戦いは(テロであり)イスラム的ではない」と発言し、チェチェンで残虐な戦いを展開しているプーチンを支持した。サウジアラビアはかつてチェチェン人の対ロシアの戦いを「聖戦」として支援してきた経緯があり、アブドラの翻心は、チェチェン人を見捨てることで巨大な産油国であるロシアとの関係改善をはかるものだった。(関連記事) アブドラは、ロシアが「イスラム諸国会議機構」(OIC)に加盟することを支持する姿勢を見せた。OICはイスラム世界では最大級の外交の場であり、アメリカに対して批判的な態度が強い。ロシアの加盟によって、ロシアとイスラム世界を結ぶ「非米同盟」の関係が強化されることになった。ロシアには2000万人のイスラム教徒がいるものの、多数派の宗教はキリスト教であり、イスラム教徒が少数派である国がOICに加盟するのは前例がない。(関連記事) またサウジとロシアはこのとき、石油の国際価格を1バレル30ドル台の高い水準で高止まりさせておくことを談合したとも憶測されている。ロシアの石油は、パイプラインによる長距離搬送が必要であるなどコスト高なので、原油相場の高止まりはありがたいことで、この面でもサウジはロシアに恩を売り、ロシアとの戦略的な関係を強化することで、911以後アメリカに敵視される傾向が強まったことによる不安定さを解消しようとしたのだと思われる。(関連記事) ▼ホドルコフスキーはアメリカの「友人」にはめられた? ロスチャイルド卿が2001年末にホドルコフスキーの財団「開かれたロシア」の理事に就任したとき、関係者の間では「これまで目立たないようにしてきたロスチャイルド卿が、なぜ突然、スキャンダルのにおいが漂うロシアのオリガルヒと組んだりしたのか」という驚きがあった。(関連記事) ロスチャイルド卿は昨年11月には、イギリスの衛星テレビBスカイBの副会長に就任している。BスカイBは、アメリカのFOXニュースなどタカ派的なマスコミをいくつも所有するルパート・マードックの傘下にあり、マードックはBスカイBの経営トップに自分の息子を据えることにしたため、他の株主たちと紛糾した。そのとき、事態を沈静化させるために副会長に就任したのがロスチャイルド卿だった。(関連記事) このときも「何でロスチャイルド卿はわざわざ火中の栗を拾おうとするのか」という疑問がマスコミなどから出ている。もしかするとロスチャイルド卿は、オリガルヒやマードックなど「世界支配」系のユダヤ人資本家が絡んで騒動になりそうなところにわざわざ飛び込むことで、事件に謀略色を添え、世界の人々が「世界を支配する人々」に反発するように仕向け、パウエル的な中道派の戦略を推進しているのかもしれない。 ロシアの新聞プラウダは、ホドルコフスキーが逮捕される3カ月前、ユーコスに対するプーチンの攻撃が始まった直後の昨年7月の記事で「どういう理由か分からないが、ホドルコフスキーのアメリカの『友人』たちは、ユーコスの事件の展開を止めないことを望んでいる。ホドルコフスキーは故意にはめられ、その結末を甘受しなければならない状態に追い込まれそうだ」と書いている。曖昧な表現ながら、アメリカ中枢の人々が、ホドルコフスキーの逮捕を望んだことが示唆されている。(関連記事)
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