イスラエルの高等戦略2002年9月30日 田中 宇2002年8月28日、ハンブルグ港のコンテナ埠頭に停泊中のコンテナ貨物船「Zim Antwerp I」を、ドイツの入管当局が拿捕した。このコンテナ船の主な積み荷は、M113型というアメリカ製の軍用装甲車に使う、滑り止め用のゴム製部品約3000個だった。 ドイツ当局がこの船を拿捕した理由は、この部品の行き先が、ドイツの国内法や国際規約で武器輸出を制限されているイランだったからだった。この部品はイスラエル製で、「PAD」というイスラエルの企業が東南アジアのタイに向けて輸出したことになっていたが、ハンブルグ港に到着した時点でイスラエル企業と関係があるドイツ企業に転売され、そのドイツ企業がイランの港に向けて出荷しようとしたところを、ドイツ当局に差し押さえられた。(関連記事) この事件が特異な点は、この軍事部品をイスラエルから送り出したイスラエル企業PADの、アビハイ・ウエインスタイン(Avihai Weinstein)という経営者が、以前にも似たような事件で逮捕されながら、イスラエル当局の手によって証拠不十分で不起訴処分になっていたことだ。 ウエインスタインは32歳で経営者としては非常に若いのだが、1996−97年に同じ型の装甲車用のエンジンなどをイランに輸出しようとしたとして、ドイツ当局から依頼されたイスラエル当局によって2000年に逮捕されている。このときは、ウエインスタインの親戚であるエリ・コーヘン(Eli Cohen)という人物も一緒に逮捕されているが、コーヘンは1992年にも、アメリカ製のホーク型ミサイルをイランに密輸しようとした容疑で、アメリカ当局に逮捕された経験を持つ。(関連記事) ▼イランは地政学的に使える国 イスラエルからイランへ武器を密輸した容疑をかけられているのは、彼らだけではない。イスラエルの核兵器開発などについて1991年に書いた本「サムソン・オプション」(セイモア・ハーシュ著)によると、イスラエル情報機関のアリ・ベンメナシェ(Ari Ben-Menashe)と、ロンドンの新聞デイリー・ミラー紙のニコラス・デービスという人物が、イスラエル政府承認のもとに、イランに武器を偽装輸出する会社「オラ・リミテッド」を設立し、当時のイランのラフサンジャニ国会議長との間で4000基のミサイルを売却する計画などを進めたという。(同書日本語版368ページ、文藝春秋刊) アラブ諸国と数次にわたる戦争を経験しているイスラエルは、中東地域でイスラエルとはアラブ諸国の反対側にあるイランと、かつて友好関係にあった。イラン人は、隣のイラクなどのアラブ人と、宗教は同じイスラム教徒でも、民族が違う上、イスラム教の宗派も異なっているため歴史的なライバル関係にあり、イスラエルとイランでアラブを挟み撃ちする、という戦略のもと、イスラエルはイランと軍事的な同盟国だった。 ところがイランでは1979年にイスラム革命が起こり、イランは反イスラエル・反アメリカのイスラム原理主義国になってしまった。イランはイスラエルという国の存在を認めない敵視政策に変わったが、イスラエルにとって、イランはアラブ諸国と反目し続けている点で、地政学的に「使える国」であることは変わりなかった。イスラム革命の後、間もなくイラン・イラク戦争が起き、イランとイラクが消耗戦に入ると、イスラエルはこの戦争を長引かせるために、武器の面でイラクより劣っていたイランに、武器をこっそり供給する、まさに「敵に塩を送る」プロジェクトを開始した。(関連記事) イランの武器は、大半がイスラム革命前の親米政権時代に、アメリカから輸入したものだった。イスラム革命でイランは反米の国となり、アメリカからの修理部品が輸入できなくなった。イラクとの戦争が長引くと、この点がイランの弱点となったため、イスラエルがアメリカ製の軍事部品をイランに密輸する関係が始まった。イランとイスラエルは、表向きは仇敵どおしで、両国とも政府の公式レベルでは、相手方と武器の売り買いをやっていることなど決して認めない。だが、裏の関係はその反対だった。 ▼イラン関係の諜報をイスラエルに頼るアメリカ この枠組みの中で、1986年にはアメリカで「イラン・コントラ事件」が起きている。この事件は、アメリカのレーガン政権が、武器輸出の禁止対象だったイランに武器を売る一方、その代金をニカラグアの反共ゲリラ「コントラ」を訓練する秘密資金として使っていたことが暴露されたもので、アメリカからイランに流れた武器の一部はイスラエルを経由していたことが分かっている。表向き、レーガン政権がイランに武器を密輸した理由は「親イランのシーア派イスラム教徒の武装組織が、レバノンでアメリカ人を誘拐し、その身代金の代わりとしてイランが必要としている武器を売った」ということになっている。(関連記事) だがイランには、この誘拐事件が起きるずっと前のイスラム革命直後から、アメリカ製の武器の修理部品が売られていたことがその後分かり、この説明は正しくないことが判明している。イラン・コントラ事件より前にイランに密輸された武器については曖昧なまま、事件は幕引きとなったが、この部分はイスラエルが関与していた可能性が大きい。CIAなどアメリカ政府機関はイランの内情についての把握が不十分で、イスラム革命の発生をほとんど予測できなかった。イランにおけるアメリカの諜報活動は、テヘランなどのユダヤ人コミュニティを経由して情報を仕入れているイスラエルの諜報機関に頼らざるを得ない状況だった。 こうした状況から考えると、アメリカからイランへの武器密輸は、イスラエルの仲介なしには成り立たなかったと考えられる。前出の本「サムソン・オプション」によると、イスラエル人の武器商人は、アメリカ製の武器だけでなく、冷戦時代のソ連から武器を買ってイランに売るビジネスも展開していた(同書357ページ)。イスラエルは、アメリカの指示でイランとの裏の関係を作ったというより、イスラエルを潰しに来かねないアラブ諸国の力を削ぐためのカウンターパワーとしてイランを必要としていたという、国家存続のための独自の戦略からイランと密通していたと思われる。 カウンターパワーを使う戦略は、イランとイラクを戦わせ、ペルシャ湾岸を支配できる強い国を作らせないというアメリカの「均衡戦略」とも合致していた。(「米イラク攻撃の謎を解く」) 8月末にイスラエルからイランに軍事部品が密輸されようとしたのは、時期的な理由がありそうだ。アメリカのイラク攻撃との関係である。アメリカ政府のイスラエル系高官(ネオコン)が以前から支援していたイラクの反体制組織「イラク国民会議」は、米軍がイラク攻撃を開始したら、イランを通って北イラクに脇から軍事侵攻し、北イラクに「新政府」の拠点を作り、そこから米空軍の支援を受けつつバクダッドに進撃する計画を立て、すでにイラン側の承認を取り付けたという。(関連記事) このことから、イラク反体制の兵力がイランを通行させてもらうために、もしくはイランの装甲車を使ってイラク反体制の兵力がイラク北部に入る作戦を実行するために、イランが必要としている軍事部品が密輸されようとしたのではないか、と思える。 ▼パレスチナの新指導者を育てる イスラエルが、もっと自国に近いところでも「表向きは敵だが、裏では必ずしもそうでない」という作戦をとっていると思われるケースがある。パレスチナ人指導者との関係である。 イスラエル軍は今年4月、PLO幹部のマルワン・バルグーティ(Marwan Barghouti)という人物を逮捕した。容疑は、パレスチナ人による自爆テロ(自爆攻撃)を裏で操っていたというもので、イスラエル軍が4月にヨルダン川西岸地域の事実上の首都であるラマラにあるパレスチナ自治政府の建物に突入・破壊した際、バグーティとアラファト議長がテロ計画に関与していることを示す書類が見つかったことが、容疑を裏づける証拠だとされている。(関連記事) バルグーティの裁判は8月から始まったが、欧米のパレスチナ・ウォッチャーたちが奇異に感じたのは、裁判が軍事法廷ではなく、一般の裁判所で行われたことだった。テロ事件を裁くなら、軍事法廷で裁いた方が、マスコミなどの傍聴を受けることもなく、証拠や証言を一般に知らせず、機密にしておくこともできる。裁判を一般の法廷で行うことで、イスラエル当局はわざわざ不利な立場に陥ることになった。 イスラエル政府は、一般法廷で裁く理由について、PLOが組織ぐるみでテロを行っていることを立証し、イスラエルがきちんと裁判をやっていることを内外に示し、欧米などからの人権擁護面での批判を受けないようにできる、と主張している。(関連記事) しかし、そもそもイスラエル軍がバルグーティを逮捕したり、証拠資料を捕獲したりできた前提に、オスロ合意や以前の国連決議に反してパレスチナ人の自治区域(A地区)に軍が侵攻し、パレスチナ人の建物を破壊した、という不法行為を行ったことがある。被告となったバルグーティは弁論の中で、こうしたイスラエル側の不法行為を指摘・非難することを始めており、この裁判は下手をするとバルグーティを裁く以上に、イスラエルの政府や軍が行った作戦の違法性が裁かれることになる可能性が大きく、イスラエルにとってマイナスである。(関連記事) 裁判以前に、バルグーティをテロリストとして殺害せず逮捕したのもおかしい、という見方もある。パレスチナ人組織の幹部がテロに関与した疑いをイスラエル軍から持たれた場合、空から戦闘機や軍用ヘリコプターで所在を突き止められ、上空からミサイルなどを発射され、殺されるケースが多い。だがイスラエル軍はバルグーティに対し、所在を突き止めた後、わざわざ地上から兵士を派遣して逮捕させている。イスラエル軍は、兵士が逮捕のために接近する途中でバルグーティの側から銃撃されるリスクをおかしても、逮捕するという選択肢を選んだ。 イスラエルがバルグーティを特別扱いする理由としてパレスチナ・ウォッチャーが勘ぐっていることは「イスラエルは、アラファトを排除した後、バルグーティをパレスチナ人の指導者として据えたいのではないか」ということだ。 イスラエル側は、アラファトが「ハマス」などイスラム主義過激派を抑えることができないうえ、イスラエルに対して従順ではなく、いずれイスラエルを打ち負かすという野心を抱いていると疑い、アラファトを殺すか海外追放したいと考えている。イスラエル政府内には、アラファトの代わりに、もっと若くて実力があり、イスラエル側のいうことを聞く新しいパレスチナ人指導者を立てようと画策している勢力があり、その一環としてバルグーティに「法廷」という自己PRの場を与えたのではないか、というのが、ウォッチャーの見方である。(関連記事) 43歳のバルグーティは、学生時代にラマラのインティファーダ指導者として頭角をあらわし、パレスチナの議会(評議会)の議員もつとめている。アラファトを敵視するハマスなどイスラム主義過激派組織も、バルグーティには一目を置いているが、ラマラ周辺の西岸地区以外では知名度が低い。それを考えると、イスラエルが設営した法廷は、バルグーティの人気を高めるために格好の場所だ。実際、バルグーティは逮捕されてから人気が急上昇し、パレスチナにおける世論調査によると、今ではパレスチナの指導者としてアラファトについで2番めに人気が高く、人気度はすでにハマスの指導者アハメド・ヤシンを抜いている。 ▼イスラエルがアラファトをクビにする正当性 こうした見方に対しては「なんでイスラエルが、パレスチナの指導者の首を挿げ替えることができるのか」という疑念が湧く。この疑念に対しては「そもそもアラファト自身も、イスラエルがパレスチナの指導者にするために呼んできたのだから、イスラエルはそれをクビにして、次の指導者を決めることもできる」という考え方が成り立つ。 アラファトは1982年までレバノン南部を拠点に、イスラエルを攻撃する指揮をとっていたが、イスラエル軍がこれを排除するためにレバノンに侵攻し、アラファトらPLO幹部は、欧米の仲裁で命だけは助けてもらい、北アフリカのチュニジアに集団亡命した。PLO本部はチュニスに移ったが、もうアラファトの政治生命は終わりだと思われていた。 ところが1980年代末になって風向きが変わった。イスラエルは、1967年の第3次中東戦争で西岸とガザのパレスチナ人地域を占領して以来、これらの地域に軍政を敷いていたが、1987年からパレスチナ人の抵抗運動(インティファーダ)が始まったこともあり、軍政がイスラエルにとって財政的、経済的、政治的な負担になり始めた。このことは、イスラエルに対して毎年巨額の財政援助をしているアメリカにとっても問題だった。当時は冷戦が終わろうとするときで、冷戦終結後、アメリカのイスラエルに対する援助が減ると予測されることに対し、手を打つ必要があった。 そこで出てきたのが、1993年に具現化した「オスロ合意」の体制だったと考えられる。これは、パレスチナを「国家」にすることで、それまでイスラエルとアメリカが負担してきた軍政コストを、日本や西欧などを含む「国際社会」全体に転嫁しようという戦略である。 イスラエルが軍政をやめる代わりにチュニスからアラファトを呼んできてパレスチナの治安を担当させ、いわばパレスチナ自治区の警察署長に任命するとともに、パレスチナに形だけの国家を作り、その建国に対し、日本と西欧から巨額の支援を出させ、それまでのアメリカからイスラエルへの財政負担を肩代わりしてもらう。これは、アメリカの財政赤字をなくそうとしていた当時のクリントン政権にとっても十分うまみのある戦略だった。アラファトは1994年にガザに「凱旋」した。(関連記事) ところが、このやり方に対しては、イスラエル国内の「大イスラエル主義」の人々(宗教右派ら)から反対が出て、リクードなど和平反対派の政権ができるに至り、オスロ合意は崩壊に向かった。それに対し、アラファトはアラブ諸国の支援を受けて抵抗する構えを見せたため、イスラエル側はシャロン政権になって、西岸に侵攻してパレスチナ自治政府の施設のほとんどを壊すとともに「言うことを聞かないパレスチナ指導者はアラファトのようになる」という「示し」をつけようと、アラファト追い出しにかかった。 ▼支配に気づきたくない「敗戦国民」 このように、歴史上の多くの「独立運動の指導者」と異なり、自力で新生国のトップに立ったわけではないアラファトやその側近たちは、海外からもらった援助をかなり着服しており、そのことも追放劇に一役かっている。 イスラエルがアラファト追放に力を入れるとほぼ同時に、パレスチナ社会ではアラファトらPLO幹部の腐敗を批判する世論が強くなった。それまで「和平重視」の中で、PLOの腐敗を指摘することは、欧米でも右派マスコミ以外ではほとんどタブーだったが、イスラエルがアラファト追放を決めたとたん、タブーは消えてアラファト批判が強まった。イスラエルで裁判にかけられているバルグーティは、PLO上層部の腐敗について、以前から批判していた。(アラファト官邸で考える) イスラエルがパレスチナを占領するようになったのは、第3次中東戦争でアラブ側が敗北したからである(この戦争の前は、西岸はヨルダン領、ガザはエジプト領だった)。戦争で負けた側が、その後ながく戦勝国側の支配を受け、形だけは独立したことになっていたとしても、実は戦勝国側が裏から支配を続け、負けた側の民衆の大半は、そのことに気づかない(もしくは気づかないふりをする、気づきたくない)という状態は、アメリカに負けた日本の戦後半世紀の状態と似ている。 イスラエルは、そのアメリカを裏から支配していると思われる国である。そのイスラエルが、パレスチナ側の世論を左右する技術を持っていることは、不思議ではない。 ▼割れるイスラエル中枢 イスラエルの現シャロン政権は、アラファトの政治生命を終わらせることによって、パレスチナを内戦状態に陥らせ、その結果ハマスなどイスラム原理主義過激派勢力がパレスチナの主要勢力となる状態を作ることで、イスラエルとパレスチナが全面戦争に入り、イスラエルはますます強硬な政策をとれるようにして、パレスチナ人をヨルダン川の西岸から東岸(つまりヨルダン王国)に強制移住させることを狙っている。 シャロンは、アメリカのイラク攻撃の結果ヨルダンの王室がヨルダンからイラクに引っ越した場合を見越して、この戦略を実現しようとしている。このことは、以前の記事「中東問題・最終解決の深奥」に書いた。 こうしたシャロンの戦略は、ここまで書いてきた「バルグーティをアラファトの後継者に据える」という戦略とは相容れない。この点については、イスラエル上層部が一枚岩ではない、という解説がある。イスラエルの上層部でシャロンは多数派とはいいがたい。イスラエル軍の主流派やパレスチナ問題にたずさわる国内諜報局「シンベト」などのトップは、パレスチナを混乱させることを望んでいない、という分析である。(関連記事) シャロン政権は、軍事費の使いすぎやテロの影響による経済難などからイスラエルの財政危機を悪化させ、その責任を問われ、今後数カ月以内に政権を降りる可能性がある。そうなると、過激派にパレスチナの政権をとらせようとする戦略は終わりになり、アラファトが去ってバルグーティらPLOの若手に権力が移り、オスロ合意に代わる和平合意の交渉に入る可能性がある。(関連記事) シャロンは、ハマスなどパレスチナのイスラム主義過激派に対し、以前からひそかに支援を行っていたという指摘があるが、これに対してイスラエル軍の主流派などはPLOの穏健派(オスロ合意推進派)の若手をひそかに支援してきた、と見ることもできる。イスラエルのいずれの派閥も、自分たちの相手方(シャロンは戦闘相手、主流派は交渉相手)を養育する戦略をとっている。 ▼敵は味方、味方は敵? PLOの若手としては42歳のバルグーティのほか、パレスチナ自治政府でガザの治安責任者をつとめた41歳のムハマド・ダハラン、西岸の治安責任者をつとめた49歳のジブリル・ラジューブらの名前が、アラファトの「後継者」として挙がっている。いずれも、イスラエルによる逮捕・拘留歴が長く、その間にヘブライ語を習得して話せるようになった経歴を持ち、イスラエル側とのコミュニケーションが容易な人ばかりである。(関連記事) パレスチナの議会(評議会)は9月中旬、アラファトを非難する意思表示を行い「アラファト後」に向けた動きを見せ始めたが、同時に議会では、自分たちの動きをイスラエルやアメリカからの圧力に屈したものではないという意味を込めて「われわれはカルザイを作るつもりはない」と宣言した。アフガニスタンのカルザイ議長がアメリカの傀儡であることはイスラム世界では常識で、パレスチナ議会は傀儡ではないということを示そうとして、このような発言が出てきた。(関連記事) だが実のところ、パレスチナの議会や自治政府などは、イスラエルとアメリカが画策したオスロ合意体制とともに生まれたものであることを考えれば、パレスチナ議会はカルザイの大先輩にあたる、といった方が正確なのかもしれない。 このようにイスラエルは、イランやパレスチナ指導者といった、常識では「敵」だと思われている勢力に対して隠然と支援を行うことで、有利な戦略が展開できるようにしている。だがそれとは正反対のこととして、イスラエルが最も頼みとする同盟国であるはずのアメリカには、アメリカよりもイスラエルの利益を考えて動いているホワイトハウス中枢の「ネオコン」のような人々がいる一方で、すきあらばアメリカに対するイスラエルの影響力を排除したいと考えているワシントンの政治家も多い。敵は味方かもしれず、味方は敵かもしれない、という複雑な状況となっている。
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