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北朝鮮人亡命事件の背景

2002年5月27日   田中 宇

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 5月8日、中国・瀋陽の日本領事館に北朝鮮人が駆け込んで亡命申請した事件について、日本ではあまり報道されていないが、欧米のメディアではこの事件の本質として説明されていることがある。それは、北朝鮮人の駆け込み亡命が、欧米人や韓国人でつくる国際市民グループによって企画されたものだった、という点である。

 このグループは、北朝鮮でNGOのメンバーとして医師活動をおこなった経歴を持つドイツ人のノルベルト・フォラツェン(Norbert Vollertsen)という医師が中心となっており、3月14日、北京のスペイン大使館に25人の北朝鮮人が駆け込んで亡命申請した事件にもかかわっていた。

 フォラツェン医師はかつて、北朝鮮で献身的な医師活動を行ったことを北朝鮮当局から賞賛され、北朝鮮国内を自由に旅行することが許される特別な資格を得たが、実際に北朝鮮内を旅行してみると、人々がひどい状態に置かれ、金正日の政府がそれを無視していることが分かったという。フォラツェンは北朝鮮政府を批判するようになり、その結果2000年に国外追放され、その後は北朝鮮に隣接する中国の東北地方(旧満州)にやってくる北朝鮮人たち(難民もしくは出稼ぎ者)を支援する活動に力を入れるようになった。そして、その活動の一つが、駆け込み亡命のプロデュースだった。

 このことを報じた「ワシントンポスト」や「Asia Times」などによると、3月のスペイン大使館駆け込み事件の際は準備が周到だった。亡命をめざす25人の北朝鮮人が潜伏地の東北地方から大使館がある北京まで移動するときは、汚い服だと警察に怪しまれるので、25人分の新しい服を用意した。駆け込む人の人選も、孤児などを入れ、北朝鮮人の置かれている悲惨な立場が強調できるようにした。(関連記事

 駆け込み先は当初、北京のドイツ大使館を狙ったが、より警備が手薄なスペイン大使館に変えた。駆け込みの際は、信頼できるヨーロッパのテレビ局や新聞社のカメラマンに日時を伝え、物陰から撮影させて全世界に流した。駆け込み当事者には、自分たちがいかにひどい境遇に置かれているかを書いた英文の身上書を持たせた。これらの戦略のうちのいくつかは、5月8日の瀋陽日本領事館への駆け込みの際にも行われている。(関連記事

 スペイン大使館への駆け込みは成功し、北朝鮮人たちはすぐに韓国への亡命を認められ、マニラを経由して駆け込みから2日後にはソウルに着いていた。この事件の後、北京にある欧米日などの大使館周辺は、中国の警察による警備や検問が強化された。だが北京から500キロ離れた瀋陽の各国領事館はまだ警備が手薄だったため、5月には瀋陽で再び駆け込みが行われた。5月8−11日、日本のほかアメリカとカナダの瀋陽領事館に北朝鮮人が入り込んで亡命申請した。

 フォラツェン医師は瀋陽事件の後、今後も駆け込み亡命の試みは続くだろう、と表明している。また彼は、5月末に始まるワールドカップ・サッカー大会の韓国会場で、北朝鮮人亡命者たちによるデモ行進を行う計画を発表したりしている。(関連記事

 瀋陽事件の背後にフォラツェン医師らのプロジェクトがあったということが日本のマスコミであまり報じられなかったのは、日本の小泉政権が、この事件を日本国内の反中国感情を強めることに利用し、中国に「毅然とした態度をとる」ことで政権の人気回復に使おうと動き、報道がそちらの方向に流されたからではないかと思われる。

▼難民認定できない中国

 市民グループが演出した亡命プロジェクトは、北朝鮮の人々が悲惨な状態に置かれていることを世界に知らしめるためには効果があったかもしれない。だが亡命事件の後、北朝鮮と中国との国境は警備が格段に厳しくなり、飢餓状態にある北朝鮮の人が中国にやってくること自体が難しくなった。中国当局は北朝鮮の公安部隊が中国国内に越境して北朝鮮人の捜索を行うことを認め、国境近くの中国の村や町に隠れている北朝鮮人は捕まりやすくなった。

 このため欧米の他の市民グループの中には「フォラツェンは数十人を韓国に亡命させることはできたが、同時に何万人かの北朝鮮の人々が中国に行けなくなったり、北朝鮮当局に捕まって収容所に入れられることになった」と批判する向きもある。(関連記事

 中国には現在、北朝鮮から5万−25万人の人々が越境して住んでいると概算されているが、中国政府はこれらの人々を難民とは認定していない。難民は政治的な弾圧を受けて国外に逃げてきた人々のことだが、中国は「自国で食えなくなったという経済問題が越境の理由」だと主張し、自国内に無許可で住んでいる北朝鮮人を「出稼ぎ目的の違法入国者」として強制送還している。

 中国が北朝鮮人を難民として扱わないのは、もし難民とみなすと中国国内に難民キャンプを作って定住を認めなければならなくなるからだ。難民キャンプができたら、そこを拠点に平壌の金正日政権を倒すための北朝鮮人による反政府勢力が作られ、活動が始まることは間違いない。

 そうなると、北朝鮮政府が中国を敵視するようになって中朝関係が悪化する上、アメリカのCIAなどが「人権団体」を装い、この北朝鮮人組織を支援する秘密活動を中国国内で始める可能性が強い。中国は、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したときのパキスタンのような状態に置かれることになる。これらは中国を混乱させる要因となるため、中国政府は難民認定を避けている。

▼宥和政策の追放

 相次ぐ北朝鮮人の亡命事件は、韓国で北朝鮮批判が事実上禁止されてしまったこととも関係していると思われる。韓国では金大中政権が北朝鮮に対する宥和策「太陽政策」をとっている。これは、北朝鮮に対する挑発や刺激をなるべく行わず、南北間の問題を対話で解決していけば、やがて北朝鮮は穏健に経済発展していき、韓国の経済負担を少なくして平和に南北統一ができるだろう、という考え方である。

 アメリカは、前任のクリントン大統領の時代には北朝鮮に対して宥和政策をとり、太陽政策と同一歩調をとっていたが、2001年1月にブッシュ政権になってからは、北朝鮮に対して強硬な政策をとるようになった。韓国では今年12月に大統領選挙があり、金大中の任期が終わるが、米政府はすでに「金大中後」に照準を合わせ、北朝鮮に対して強硬な姿勢をとる政府が韓国にできることを望んでいるふしがある。

 韓国では、次期大統領として現野党のハンナラ党の李会昌党首が有望視されているが、彼は2月末に渡米した際、ワシントンでチェイニー副大統領やパウエル国務長官などホワイトハウスの重鎮たちと次々と面会した。通常、韓国の野党党首が訪米しても、米政府側で面会に応じる最高位の人物は、国務省の副長官クラスである。その上の上ぐらいに位置する副大統領らが面会したという点に、北朝鮮に対する強硬政策を好み、金大中の宥和政策を嫌うブッシュ政権の意志が感じられる。(関連記事

 これに抵抗する金大中政権は、韓国国内で北朝鮮を敵視する言論を抑制するようになった。北朝鮮から韓国に亡命してきた人々は、それまで韓国内で北朝鮮に対する批判を展開する役割を担っていたが、最近は北朝鮮批判がやりにくくなっている。そのため北朝鮮批判を展開したい市民団体は、韓国を避けて中国で駆け込み亡命プロジェクトを展開することで、金大中の言論抑制に対抗したのだと思われる。5月23−24日にも、さらに3人の北朝鮮人が北京の韓国大使館に駆け込んでおり、亡命の動きは続いている。

 韓国政府は、北朝鮮を敵視する内容の国防白書の発刊を無期延期するなど、太陽政策の継続にこだわっているが、その一方で金大中大統領の息子が収賄容疑で逮捕され、金大中は責任をとって与党から離党するなど、すでに政権はかなり弱体化している。日本でも辻元清美や鈴木宗男、加藤紘一ら、これまで北朝鮮とのパイプ役を果たしたり、北朝鮮に対して宥和的な立場をとっていた政治家や政治家秘書が、次々と失脚している。

 これらの日韓の逮捕劇が起きた背景として、どこの国の誰がどのような意図で両国の捜査当局に働きかけたり情報提供したのかは不明だが、韓国と日本では、国を挙げて北朝鮮を敵視できる体制が少しずつ形成されているようにも感じられる。12月の選挙で韓国の大統領が交代した後、東アジアは好戦的な「ブッシュ政権好み」の状態に本格的に突入していくのかもしれない。



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