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インドネシアとイスラム主義

2001年3月23日   田中 宇

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 アメリカの日本に対する態度は、クリントン政権時代には「中国重視」の裏返しとして「日本軽視」「ジャパンパッシング」であったが、今年初めにブッシュ政権になって一転して中国への敵視が強まり、その半面として今のところ「日本重視」の傾向が強まったように見える。アメリカはインドネシアに対しても、これと同じような対応の変化をみせている。

 昨年後半、クリントン政権は、政治腐敗に対する取り締まりや経済改革がなかなか進まないインドネシアを批判・攻撃するトーンを強めた。インドネシアに駐在するアメリカ大使は、インドネシア軍の上層部人事に口を挟んだ(と報じられた)り、西チモールで国連職員が殺された事件でインドネシアを厳しく批判したりした。それに反発し、昨年11月にはインドネシア国内の世論が反アメリカに傾いた。ジャカルタのアメリカ大使館前に学生デモが押し掛けたり、政治家がアメリカを強く非難したりした。

 おりしも中東では、パレスチナ問題をめぐり、イスラム諸国における反米運動が激しくなっていた。イスラム教徒が国民の88%を占めるインドネシアでは、国内の反米運動が、国際的なイスラム教徒どうしの連帯活動につながり、アメリカとイスラエルを攻撃する運動に発展した。

 インドネシアでは1998年にスハルト大統領が失脚するまで、イスラム教は個人の信仰としては自由だったが、イスラム教に基いた政治を行うべきだと主張するイスラム主義運動は禁止されていた。しかし、スハルト失脚後は政治が自由化され、イスラム主義政党が結成された。キリスト教徒とイスラム教徒が殺し合うモルッカ諸島の戦いを「イスラム教全体に対する戦争(聖戦)」とみなし、イスラム教徒勢力を助けに行く義勇兵を募集する組織も出現した。

 このような中で、インドネシアとアメリカの関係が悪化することは、親米だったインドネシアを、アメリカが敵視するイスラム主義勢力の側へと移らせかねない。

 インドネシアにイスラム主義政権が誕生すれば、マレーシアやフィリピン南部など、東南アジアの他のイスラム系の国々に波及し、マレーシアではマハティール首相の失脚と大混乱、フィリピンではテロリズムの急増につながりかねない。そうなることを恐れ、アメリカのブッシュ新政権は、インドネシアとの関係、特に軍隊との関係を改善する方向に転換した。

▼ワヒド大統領失脚の危機

 アメリカがインドネシアのイスラム主義勢力を危険視するのは、ワヒド大統領が辞職を迫られていることとも関係している。ワヒド大統領は、インドネシア政治の主流派であるナショナリスト勢力が、イスラム主義勢力との間で折り合いをつけるための妥協の産物であった。彼は今、汚職疑惑に加え、民族紛争に適切な対処ができないと批判され、辞任に追い込まれそうになっている。

 ワヒド大統領は「イスラム導師連盟」(NU)というインドネシア最大のイスラム教徒組織を率いるリーダーでもある。NUは古くからあるイスラム勢力だが、政府の方針に従うことで維持してきた「体制順応型」の組織だった。しかし90年代に入って民主化要求運動が始まると、ワヒド氏はその流れに乗って独自の政治的な影響力を持ち始めた。

 現在の政権を生んだ昨年の総選挙では、ナショナリズム勢力である「闘争民主党」が最多議席を獲得したため、普通なら闘争民主党の党首のメガワティ女史が大統領になるところだったが、それにはイスラム主義勢力が猛反対し、国内の治安が極度に悪化する可能性があったため、次善の策としてイスラム教のリーダーで、しかもナショナリズム勢力の側に立っていたワヒド氏が大統領に選ばれた。メガワティ女史は副大統領となった。

 今後もしワヒド大統領が退陣すると、おそらく後任にはメガワティ副大統領が昇格することになる。そうなると「女性が大統領になることはイスラムに反している」「側近に異教徒(キリスト教徒)が多い」などとメガワティ女史を批判してきたイスラム主義勢力との対立が強まる。メガワティ女史に対しては、政治決断が必要なときに優柔不断になってしまうとの批判もあるうえ、夫が汚職疑惑を抱えているという弱点もある。

 もしメガワティ政権も短命に終わるとなると、その次に出てくる政権はイスラム主義勢力が握ることになりかねない。そうなると、アメリカの黙認を受けたインドネシア軍がクーデター的な動きに出る可能性も出てくる。しかし軍内も、ナショナリスト勢力、イスラム主義勢力、スハルト元大統領派の勢力などに分裂しており、往年の絶対的なパワーは失われている。

▼国是になれなかったイスラム教

 インドネシア、特にジャワ島のイスラム教徒の多くは、他の宗教に対して寛容であるばかりでなく、自らの信仰の中に、イスラム教が伝わってくる前のヒンドゥ教・仏教的な信仰を合わせ持っている。そのため、中東のイスラム原理主義運動にみられるような、この世とあの世のすべての真実がコーランに書かれているという考え方が、インドネシアの人々に疑問なく広く受け入れられるとは考えにくい。

 歴史的にみても、イスラム主義よりも共産主義の方が、民衆を動員するイデオロギーとしては大きなパワーであった。イスラム主義は独立前から語られていた統一原理であり、戦時中に独立前のインドネシアを支配した日本も、イスラムパワーを煽ってインドネシアの人々を「反西欧・親日本」の方向に動かそうとした。

 しかし結局、イスラム主義は人々をある程度は煽動できるものの、宗教面でも多様なインドネシアの統一を長く維持できる原理にはならない、と初代大統領となったスカルノら「建国の父」たちは考えた。

 ところが、それならインドネシアをどんな国にすればいいかという点になると、国民の間にコンセンサスが得られないまま、混乱だけが長引くことになった。

 オランダがこの地域を植民地支配するまで、インドネシアという国の概念すらほとんど存在していなかった。後にインドネシアを構成することになる各島、各地域の言語や風俗習慣は、とても多様でばらばらだった。スカルノらは、インドネシアを連邦国家にしてはどうかとオランダから提案されたが、分離独立運動が起きることを恐れて断り、代わりに強い中央集権の国を作った。

 しかし、多様すぎる国民をどう統合するかという点で行き詰まった。独立直後の1950年代は複数政党制の民主政治によって運営してみたが、政党間の意見の対立が激化するばかりで破綻した。その後は一転して政治的自由が制限され、スカルノの独裁体制となったが、共産主義勢力が台頭するに至って再び大混乱となり、1965−66年には各地の町や村でイスラム主義者と共産主義者などが殺し合い、100万人以上が死んだ。

▼スハルト辞任で開いた紛糾のパンドラの箱

 軍人だったスハルトが、この混乱を収拾して次の大統領となったが、彼がとった政策は、イスラム主義から共産主義までのあらゆる政治的言論を徹底的に弾圧する代わりに、国民に対して経済発展を保障するということだった。これにより「どういう国にするか」という議論はいっさい禁止され、人々の暮らしは良くなったが、インドネシアが国家として抱えた根本的な問題の解決は先送りされた。

 その後30年が過ぎ、良い暮らしができるようになるにつれ、人々の不満は「飢えること」から「自由に話せないこと」に変わっていった。冷戦が終わり、スハルト政権が最も嫌った共産主義者がほぼいなくなり、言論弾圧の根拠が薄れた90年代に入って民主化運動が少しずつ始まり、最終的に98年のスハルト辞任にこぎつけた。しかし、スハルトが辞任して人々が「民主」を手にした瞬間に、スハルトが封じ込めていた「どういう国にするか」をめぐる紛糾と殺し合いも復活してしまった。

 そもそも、インドネシアという国家を弾圧なしに存在させる方法があるのかどうか、それすら分からない状態だ。しかし同様の問題は、中華人民共和国やパキスタン、旧ユーゴスラビア、いくつかのアフリカ諸国など多くの国が抱えており、すべての「国民国家」の行く末に関係する、人類共通の問題といえる。



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●おまけ

(今回の執筆時にボツにした一章ですが、一応貼り付けておきます)

 中東やインドでは、軍事的な征服者がイスラム教をもたらしたため、それ以前の秩序や信仰体系は完全に壊され、イスラム教が政治や生活習慣までを支配するようになった。しかし、後にインドネシアやマレーシアとなる南洋地域では、イスラム教は地域の支配者が人々を感化する統治の道具として便利であるために導入された。

 そのため、イスラム教以前にヒンドゥ(バラモン)教・仏教・魔術などの信仰が普及していたジャワ島などでは、それらの古い信仰の上にイスラム教が乗ることになった。インドネシアの宗教の混合状態は、神道、仏教、儒教が混在してきた伝統的な日本の信仰と似ているとも思える。

 ジャワ島の古い王朝では、支配者は半分人間で半分神様であり、人間の世界と魔性の世界の両方を知覚することができると考えられてきた。この信仰は、建国後のインドネシアの政治にも存在している。「建国の父」として今も尊敬されるスカルノ初代大統領は、共産主義に傾いていく半面で、魔術を信じている姿勢を時々ちらりと国民の前に示すことで、伝統信仰を政治の世界で活用していた。

 スカルノの娘であるメガワティ女史は、そうした父親のカリスマ性に頼ることで権力に近づくことができた。優柔不断と言われても、明確な決断を避けることで、自分がまとっている父譲りのカリスマ性を失わないよう心がけているのだとも考えられる。

 またスハルトとワヒドに共通しているのは、わざと不可解な発言や決定をすることで、昔の「半神半人」の王様が持つ「神」の部分を演じているように感じられることだ。ワヒド大統領は、大事な会議のときに露骨に居眠りしたり、議会で批判されると席を立って出ていってしまうという非常識さが攻撃されているが、それも何か伝統的な演出なのかもしれない。



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