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ハーバードのアジア研究がつまらない理由

2000年12月14日   田中 宇

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 11月中旬から12月上旬まで、約2週間かけて中国と台湾に行った。私は8月から1年間の予定でアメリカのハーバード大学で勉強しているため、アメリカ東海岸から太平洋を渡る長距離旅行となった。(私は妻の留学に同行し、自分でも授業を聴講している。くわしいことは「知のディズニーランド・ハーバード大学」を参照)

 せっかくアメリカで勉強しているのに、なぜわざわざ学期の途中で東アジアまで戻って旅行しようと思ったか。それは、ハーバード大学の東アジア研究が、私にとっては意外にお粗末に感じられるものだったからだ。

 キャンパスの一角に「クーリッジホール」というビルがあり、そこがハーバードにおける東アジア研究の牙城となっている(他に中東関係の研究所も入居している)。日本人、中国人、台湾人、韓国人の研究者もたくさんいる。玄関先でタバコを吸っている人々をよく見かけるのも、東アジア人が多いこのビルならではの光景だ(館内は禁煙。アメリカ人でハーバードにくるようなエリート層は、ほとんどタバコを吸わない)。

 ビル1階の4つのセミナー室では、毎日のようにアジア関係の講演会が開かれており、誰でも参加できるので、私も毎週のように中国問題や朝鮮半島情勢など、気になるテーマの講演を聞きに行った。それらのうち、米中関係、米朝関係、日米関係など、アメリカがアジアに対してどう考えているかが語られる講演は非常に面白かった。アメリカ政府の外交戦略を立案した張本人たちが来て語るのだから、面白くて当然である。

▼色眼鏡を外せないのがトンチンカンの原因

 問題は、中国や日本などの国内の政治や社会情勢を分析する講演についてだった。たとえばこんなことがあった。ある日「中国リベラリズムのパラドクス(The Paradox of Chinese Liberalism)」という題で中国人(大陸出身)の研究者が講演した。「中国の自由主義は(帝国主義支配からの離脱という意味で)、民族主義を伴って語られることが多い」といった分析などが聞けて面白かったのだが、その中で「中国でリベラリズムというと、アメリカ共和党の思想を指すことがある」という意味の発言があった。

 これに対してアメリカ人(白人)の中国研究者が「それはおかしいわ。リベラリズムというのは民主党のものよ。あなたのリベラリズムの定義は何なの?」と食ってかかった。発表者は、中国では「自由主義」と「リベラリズム」が錯綜して考えられていることを指摘したかったのではないかと私は思うのだが、議論は「中国には民主がないからそうなるんだ」といった感じの方向に展開した。

 ちょうど米大統領選挙の直前で、アメリカ人の多くが2大政党にこだわる時期だったし、ハーバードには民主党支持者が圧倒的に多いので、それがこの日の議論の背景にあったのだろうが、その日の光景からは「中国=非民主=良くない」というステレオタイプがアメリカ人による中国研究の邪魔をしていると感じられた。

 最初は自分の英語能力の問題かとも思ったが、中国人や日本人の研究者で1−2年の予定で留学しにきた人々と親しくなってみると、彼らもハーバードのアジア研究に失望していることが分かった。まだ英語があまりできない中国人の研究者は「自分が詳しい分野だから、講演で何が語られているかは分かるが、議論があまりに貧相だ。英語力がないため、彼らの間違いをきちんと指摘してやれないのが残念だ」と言っていた。(逆にハーバードに満足している研究者も多いとは思うが)

 自分たちが無意識のうちに持つ西欧的な価値観(色眼鏡)を外さずに東洋を分析しようとするから、トンチンカンな分析になってしまう。ハーバードでは、そうした例を何回か目にした。「原住民」をどう酷使すれば効率的かという命題を与えられていた帝国主義時代の欧州の文化人類学から、大して変わっていないとすら思えた。

 そんな経緯があって中国と台湾を旅行してみると発見が多く「やはり現場に行くのが良い。ハーバードにいても意味がない」などと考える「反米派」になって、私はさる日曜日にアメリカに戻ってきた。

▼独自の価値観で成功した欧州の携帯電話

 ところが今日、ある講演会に出て、やっぱりハーバードは面白い、と思った。講演したのはエスコ・アホ(Esko Aho)というフィンランドの元首相である。彼は今もフィンランドの国会議員なのだが、この数ヶ月間、議会の許しを得て、議員のままハーバードの特別研究員として留学している。彼は「EU統合のパラドクス」という連続公開講座をケネディ行政大学院で主宰しており、今日はその最終回だった。

(アホ氏は20代後半から国会議員をしており、1991年に36歳の若さで首相となった。詳しい経歴はこちら

 英語のなまり方で出身国が推定できるヨーロッパ人の学生や研究生を中心に、20人ほどの聴講者を前にアホ氏は「アメリカに来たときは、アメリカ型国家モデルを学んで欧州に導入しようと思ったが、4ヶ月たった今では、アメリカ型モデルを欧州で使うことはできないし、EU型モデルをアメリカにあてはめることもできないと分かった。欧州は欧州の価値観に基づいて自らを建設せねばならないと感じるようになった」と、4ヶ月間の留学を総括した。

 彼はEUとアメリカとの国家モデルの違いについて「欧州では、強い政府といえば人権や経済発展を守ってくれるもので必要とされるが、アメリカでは逆に、強い政府は人々の権利を奪うものとして嫌われている」と述べた。

 「フィンランドのノキア(携帯電話機メーカー)は大成功したが、それは欧州の統一された携帯電話市場があってこその成功だった」と言う彼は、携帯電話の普及が欧州では成功し、アメリカでは成功していないことを例にとって、欧米間のシステムの違いを説明した。

 アメリカは、どの方式の技術を使うかまでが自由競争にゆだねられているが、EUではどの方式を使うか各国で話し合って決め、その上での自由競争にした。EUは方式が決まるまで面倒な長い議論が必要で、それが非効率だと批判されたが、方式が決まった後に規模のパワーを発揮できた。半面、アメリカは複数の方式の携帯電話が拮抗し、一つの地域で使える電話が他の地域では使えないという不便な結果となっている。

▼果てしない論争から生まれる欧州の力

 私はこれまでアホ氏の連続講座に3回出席したが、面白いのは参加者が出身地の欧州各国を代表するような発言をしてくれることだった。今回はイタリア人が「私は欧州のいわゆる大国に住む一員ですが・・・」と前置きして「EU内での小さな国の意見がどうも理解できない」と、小国であるフィンランドのアホ氏に質問していた。

 その前に私が出席したときは、ベルギー人とオーストリア人の学生の間で「あんたの国が不合理な抵抗をするから、EU内の議論がまとまらないんだ」「あんたの国こそ・・・」という議論になり、アホ氏が苦笑して「まあまあご両人とも・・・」と仲裁するシーンを見ることができた。

 ところが携帯電話の例では、まさにこの水掛け議論のような各国間の論争が、最終的な相互理解とそれに基づくパワーにつながる良い結果になった。アメリカの新聞では、EU内の果てしない議論を馬鹿にして「論争ばかりしているからユーロの価値が下がるんだ」と結論づける向きがあるが、必ずしもそうではないようだ。

 アホ氏の話でもう一つ面白かったのは、フィンランドの隣国エストニアのことだ。1991年にソ連による長い抑圧から逃れて独立したバルト3国の一つエストニアは、最初は資本主義のイロハを知らない国だった。独自の通貨を発行するには金塊や外貨準備など、いつでも西側のお金に換えられる資産が必要だと聞いたエストニア議会が「それなら豊富な森林資源をその資産として充てよう。伐採すればすぐにドルに換金できる」と決議しかけ、IMFを困らせたりしていた。

 それが10年後の今や、エストニア政府は西欧諸国に先駆けて、職員がラップトップコンピューターを1台ずつ持ち、完全なペーパーレス行政を実現してしまったのだという。「ペーパーレスなら森林資源が資産になりませんね」という冗談が会場から飛んでいたが、こうしたエストニアのような国こそ、アホ氏が「超国家ネットワーク」と呼ぶEUを活用できる国になることは間違いない。

▼知のお座敷を借りる

 アホ氏の講座に参加して感銘を受けたのは、アメリカの知的中心の一つであるハーバードの軒先を借りつつも、ヨーロッパ的な価値観に満ちた議論が展開されていることだった。これならアメリカ人や東洋人など部外者にとっても勉強になるし、意見も言える。ハーバードという「知のお座敷」はこのように借りて使えばよい、という好例に見えた。

 振り返ってクーリッジホールの東アジア人の牙城では、議論の主導者がアメリカ人なので、アメリカの価値観で議論が進められ、話がトンチンカンになっている。だが、それはアメリカ人の責任ではない。日本人や中国人、台湾人、韓国人などのアジア人が、自らの価値観を系統だって分析・主張できていないため、自分たちで議論を主宰できず、アメリカ人に任せざるを得ないことが問題であるように思える。自分たちの価値観を上手に説明できないから、人権問題などを持ち出され、欧米から一方的に攻撃されてしまうのではないか。

 日本国としても、もし自国に対する「国際社会」からの理解を深めたいと思うなら、英語ができて弁の立つ国会議員あたりを一人か二人、ハーバードに派遣し、日本とアジアについて語る連続講座を主宰してもらうのが良いのではないだろうか。本人が学ぶためではなく、教えるために派遣することが必要だ。もっとも日本の場合、政治家が1年も選挙区を留守にして「外遊」したら有権者にそっぽを向かれるという、民度の低さが障害になるかもしれないが。

(私の中国・台湾旅行記は、来週以降まだ何回か続きます。お楽しみに)



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